第45話「海老の火竜炒め」

 アレータ島はリーベル派と研究所の取引現場……


 あの岩島はトトルが魔法艦除けに使っている島だ。

 危ないとは思ったが、コタブレナ海のすぐそばだからリーベル人たちは近寄らないだろうと安心していた。


 いままで鉢合わせずに済んで、トトルは運が良かった。

 しかし幸運はいつまでも続かない。

 明日こそ、いや今日、鉢合わせてしまうかもしれないのだ。

 脳裏にトトルの船が拿捕される光景が思い浮かぶ。


 シグとザルハンスが叫んだのは同時だった。


「アレータ島だとっ⁉」


 二人の剣幕がものすごい。

 いつも冷静なトライシオスと女将だが、思わず顔を見合わせて首を傾げてしまった。


 そんなに驚く岩島だろうか?

 さ、さあ?


 元老と魔女の表情を言葉にするとこんなやり取りになる。


 研究所にとっては大事かもしれないが、世界にとっては重要な島ではない。

 帝国にとっても重要ではないはずだ。


 若者二人から血の気が引いている理由がわからない。

 代表して女将が尋ねた。


「アレータ島に何かあるの?」


 二人は激しく動揺していたが、女将の声で我に返った。


「あ、ああ……アレータ島は——」


 キョトンとしている二人にもわかるよう、シグはトトルの商売と探検隊のことを話した。


「それは、かなりまずいな……」


 事情が呑み込めた二人も表情が険しくなった。


 その島を経由するのは即刻やめるべきだ。

 いますぐ伝えたいが、四人にその術はなかった。


 船は一度出航したら基本的に連絡が取れない。

 例外は伝声筒だが、互いにある程度接近しなければ言葉を交わすことができない。


 でも、遠音の巻貝なら?


 残念ながら、と女将が首を横に振る。

 確かに巻貝同士なら世界中に声が届くが、シグたちと同じ年頃のトトルという交易商人がここを訪れたことはない。

 当然、彼は巻貝を持っていない。


「心配だが、いまはどうにもならんな」


 ザルハンスも休暇が終われば海に出るのだから、シグが帝都でトトルの無事を祈りながら待つしかない。

 トライシオスの言う通りだ。


「我々はいますべきことをしよう」


 支援の話だ。


「…………」


 彼は正しい。

 それでもシグたちは「やっぱり、こいつも元老なんだな」と思ってしまう。


 トトルとは会ったことがないのだから、自分たちのような心配の仕方をしろと望むのは無理だ。

 それはわかっている。

 わかってはいるが、こいつの頭の切り替え方は早すぎる。

 世間の評判は誇張ではなかった。


 唖然。

 憮然。

 これらがありありと浮かんでいる表情だったのだろう。

 世間の悪評など鼻で嗤っている元老も、友人たちにそんな顔をされるのはさすがに引っかかったらしい。


「誤解しないでくれ。私だって人間だぞ?」


 その後も、友人の幼馴染殿が心配だとか、いろいろ尤もらしい御託を並べてきたが、二人の心には全く響かない。

 いつか四人で釣りができたら楽しそうだとも抜かしているが、ふざけるな。

 釣りが好きなら、ロミンガンの桟橋に座って一人で釣ってろ。

 今後も〈こいつら〉が義理人情の話を始めたら眉に唾をつけて聞くことにする。


 二人から与太話と思われていることを悟ったのか、あるいは諦めたのか?

 トライシオスは支援の話に戻った。

 愚痴をこぼしながら、


「まったく……元老というのは不便な立場だな」


 トトル殿を心配しているというのは本当だ。

 義理人情の話だけでなく、密盟に必要な人間という意味でも。


 今日締結した密盟は文字通り秘密の同盟なのだから、リーベルはもちろん、味方にも知られない方が良い。

 シグは帝国政府の人間であり、トライシオスは連邦政府の人間だ。

 この二人はあまり〈表〉に出ない方がいい。


「そこで、だ」


 トライシオスは提案した。

 それぞれ信用できる商人を代理人に立てるというのはどうだろうか?


 帝国側はそのトトル殿という商人を立てれば良い。

 シグ殿の幼馴染なのだから確かな人物だ。

 連邦側も信用の置ける商人を立てる。

 この二人を通して資金や交易品の受け渡しをさせよう。


 場所はピスカータ村が最適だ。

 廃村を尋ねてくる者はなく、彼が提携しているという運び屋と荷の受け渡しをするために立ち寄るのみ。

 こういうことを言うとまたザルハンス殿に睨まれそうだが、陸の孤島と化している場所だ。

 アレータ島同様、密貿易に適している。


 そういう算段があるので、トライシオスがトトルを心配しているというのは本当だ。

 どうか信じてほしい。


 算段で補強しなければ気持ちを信じてもらえないというのは、悲しいが……


「わかったよ。もしトトルが無事だったら話してみる」


 二人の胸騒ぎが完全に治まったわけではないが、年長者たちの言う通りだ。

 これ以上宿屋号で気を揉んでも仕方がない。


 すると時間を無駄にせず、いまできることをすべきということになり、支援の話をしようという結論になるのだ……確かに。


 トライシオスが正しい。

 だからこそ好きになれん。


 心情はともかく、二人も遅れて納得した。

 いよいよ支援の話に入る。


 ただ、取引のことは一旦保留となった。

 二国間で密貿易を行うということは決まったが、具体的な内容について商人不在のまま仮定の話を進めても意味がない。


 また、トトルに事情を話せば引き受けてくれると思うが、会談冒頭のザルハンスのように断固拒絶する可能性もある。

 まずは帝都で彼の寄港を待ち、引き受けてくれるかどうかを確認するのが先だ。


 ダメだった場合、他の商人を探さなければならない。

 その時はいま決めておいたことも白紙に戻し、再度話し合いのやり直しになる虞がある。


「そうだな。私もトトル殿の気持ちを聞くのが先だと思う」


 トライシオスはシグたちの言うことに賛成した。

 尤もな話だ。

 こういうことは志願者か、心から納得した者が行うべきだ。

 心に不満や疑問を抱えながらやってもうまくいかない。


 取引の件については後日、互いの商人を宿屋号へ連れてくるということで落ち着いた。


 ここまで、いろいろな話が出てきた。

 研究所の暴走、フェイエルムの野心、そしてリーベル派の暗躍について。

 あと一つ残っているが、会談は小休止を入れることになった。


 時刻は正午。

 四人は昼食を挟むことにした。



 ***



 給仕たちが次々と昼食の料理を運び込んでくる。

 悪魔共の話のせいで瘴気が漂っていたテーブルは一気に華やいだ。


「さあ、お昼にしましょう」


 午前中は時代の余所者だからと静かにしていたが、ここからは違う。

 女将の番だ。

 宿屋号は本来、楽しく過ごす場なのだ。


「これは……」


 ザルハンスはテーブル中央の二つの大皿料理に注目した。


「懐かしいでしょ?」


 女将の言う通り、シグとザルハンスには懐かしかった。

 大皿の一つは、大陸南東部の郷土料理『魚介と野菜の煮込み』だ。

 魚の種類に決まりはないが、白身魚で作ることが多く、一緒に煮込む海老や貝の出汁がきいていておいしい。


 話だけ聞くと漁師鍋だと思われるかもしれないが、全くの別物だ。

 漁師鍋は市場で売り物にならない雑魚をぶつ切りにして煮込む日常食だが、こちらはお祝いの料理だ。

 売り物になる上等な魚を一匹丸ごと使う。


 村では誰かの誕生日や結婚式、あとはお祭りのときに振舞われる料理だった。


 ザルハンスは目が少し潤みかけているが、シグはそうでもない。

 もう一方の大皿を凝視していた。

 ネイギアス地方の郷土料理『海老の火竜炒め』だ。


 海老の火竜炒めは、ネイギアス原産の様々な香辛料で海老や野菜を炒める辛い料理だ。

 日常でもお祝いでも食される。

 香辛料の配合や炒め方で味が変わるので、料理人の巧拙がはっきりと出る……とネイギアス人は言うが、外国人にはよくわからない。


 辛さには段階があり、ピリ辛から激辛まであるので分相応のものを選べば良い。

 ピリ辛なら、彼らの言う味の違いがわかるかもしれない。


 間違っても見栄を張ろうとして激辛を選ばないことだ。

 火竜炒めの名は伊達ではない。

 昔、何も知らない外国人が激辛に手を出し、火竜のように口から火を吐いたという故事に由来する。


 シグが不安そうに見えたのか、女将が安心させようとする。


「心配しないで。皆で安心して食べられるようにピリ辛にしてあるから」

「まあ、今日のところはな……でも、いつかは……」


 トライシオスは片眉を下げ、仕方がないから素人に合わせてやったと言わんばかりだ。


「安心」とか、「いつかは」とか……

 きっとこいつらは、却って不安を煽るような発言をしているという自覚はないのだろう。


 シグは確かに不安を感じていた。

 辛さのことではない。

 海老料理を見ている内に、トトルのこと、そして今後の帝国の未来について考えてしまったのだ。


 味覚が麻痺している元老の言う通りだ。

 帝国は海上封鎖によって困窮し始めているが、これから降りかかる苦難に比べれば〈ピリ辛〉のようなものなのかもしれない。


 でもピリ辛で効き目がなければ、リーベルの悪魔共は辛さを増していくだろう。

 ピリ辛から中辛、中辛から大辛へと。


 それすらも帝国が耐え抜いたら、業を煮やした奴らは〈いつか〉必ず出してくる。

 無敵艦隊という〈激辛〉を。


 密盟成立を祝ってグラスを掲げた後、さっそく海老を一つ食べる。

 シグは一言、


「辛いな」


 ザルハンスも食べてみるが、言うほど辛くはない。

 トライシオスは物足りない位だ。

 この位ならネイギアスの子供でも平気だろう。


「いや、辛いよ……あとからジワジワと辛さが増してくる」


 二人にどう言われようと、シグは決して譲ることはなかった。

 食べれば食べるほど、時が経てば経つほど辛さが増していく。

 漁師になっていたはずの彼には辛すぎる料理——いや、状況だ。


 彼の言う「辛さ」の意味に気付いたのは女将だった。

 彼女も一口頬張り、


「あなたには辛かったかもしれないわね……ごめんなさい」


 当時の彼女はまだ若く、人間として未熟だった。

 それゆえ、魔法使いたちの中に住まう悪魔を見抜けなかった。

〈海の魔法〉は孤立無援の海上で身を守るためのもの。

 無敵艦隊などという激辛料理を世界に振る舞うためのものではない。


 だが誰が悪かったのかを探っていくと、最後は彼女自身に辿り着く。

〈海の魔法〉という香辛料を悪魔共に教えた。

 知ったが最後、彼らは適量など守らない。

 彼女の過日の甘さが、今日の辛すぎる状況を生み出した。


 シグに悪気はない。

 女将へ皮肉を述べているのではなく、現況について比喩しているだけだ。

 それでも被害者から「辛い」と言われたら、現況を生み出した元凶たる彼女は謝るしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る