第44話「意外な取引現場」

 トライシオスはシグたちの真の仇はリーベル王国だと明かした。

 あとは加担しているリーベル派の海賊共だ。


 自分たちの〈飼い犬〉が仕出かしたことなのに、無責任だといわれそうだが、連邦側は仕事を依頼している立場だ。

 家臣ではないのだから、皆が言うような監督責任などない。


 それでも精一杯、やれることはやっている。

 そのときのリーベル派は成敗したし、その後も見つけ次第粛清している。

 現在も。


「その後? 現在だと?」


 シグが反応した。

 聞き捨てならない単語だ。


「ああ、まだ終ってはいない」


 そう、リーベル派を一掃することはできないのだ。

 いま研究所が懐柔している海賊が粛清されても、別の海賊に声をかけるだけだ。

 裏切り者は粛清するしかないが、それによって連邦の海上戦力は確実に弱体化していく。


 少しずつ弱っていき、やがて死に至る病のようなものだ。

 まだ体力がある内に病の根本を叩かねば。


 ようやくシグたちにも〈友人〉になりたいという理由がわかった。

 連邦もまたリーベルから迷惑を被っていたのだ。

 同じく迷惑を被っている者同士、共に戦おうということだ。

 敵の敵は味方というではないか。


 連邦が密偵から手に入れた情報は以上だ。

 トライシオスの話は終わった。


「これからよろしく。シグ殿、ザルハンス殿」


 あとは〈友人〉関係開始の握手を交わすだけだ。

 まずはシグへ右手を差し出した。


 ただの友達に調印などと無粋なものは不要だ。

 握手だけで十分だろう。

 これは密盟なのだから、お互いに証拠が残らない方がいい。


 この密盟が成立したら、連邦は密かに南の封鎖を解く。

 帝国とは不仲だが、友人は別だ。

 困っている友人を救うためにひっそりと流通を再開させる。

 リーベルにバレると面倒なので、方法についてはこれから検討しなければならないが……


 それに、シグ殿個人への支援も必要だろう。

 帝国は情報を手に入れるということを軽んじすぎる。

 陸軍、特に騎士団にばかり力を入れているようだが、敵の情報を知らないまま、一体どこへ突撃しようというのか?


 情報とは金で買うものだ。

 彼に資金を与えれば有効に活用し、リーベルに対抗できるだろう。


 今日、初めて会って少し話しただけだが、トライシオスはシグを高く評価していた。

 彼から優秀な者が放つ風格のようなものを感じる。

 そして、それが気のせいではないことも話していて確かめることができた。


〈老人たち〉といえば冷徹、冷酷、血も涙もないと形容される連中だ。

 それなのに、随分と他国の役人を気に入ったものだ。

 元老らしくない。

 ……と物の価値がわからない者共は言うだろう。


 これは投資だ。

 交易が盛んな国の元老だからこそ、将来、値上がりしそうなものにいまから投資しておくのだ。


 彼は間違いなく優秀だ。

 外交官になれたのは舅殿の贔屓のおかげだと謙遜しているが、そんなことはない。

 トライシオスは神を信じてはいないが、天運というものは信じている。

 この世には、天の導きとしか思えないことがあるのだ。


 シグ殿が奥方や舅殿と出会えたのは偶然ではない。

 外交官になり、リーベルの邪法を阻止するためだ。

 天が引き合わせた。


 こういう男の周囲には人物が集まってくる。

 義父の外務大臣、猟犬ザルハンス、さっき名が出たレッシバルという人物も只者ではないだろう。

 彼の知り合いなのだから。


 こういう人物は将来必ず化ける。

 だからいまのうちに助けておくべきだ。

 いま投じた資金が何倍にもなって、連邦とトライシオス自身に利益を齎してくれるだろう。


 胸中にそんな打算があることなど微塵も見せず、シグへ握手を求める。


 対してシグは——


 話の筋が通っていたからといって、連邦を心から信じたわけではない。

 あくまでもこの密盟は〈老人たち〉がこちらを利用するためのものなのだろう。


 でも、別に構わないではないか。

 支援は支援だ。

 孤立無援の帝国にはありがたい申し出だ。


 あとで今日の話とは違うことを要求してきたら、そのときは付き合いを切ればいい。


 シグはトライシオスと握手した。

 続いてザルハンスも。


 ここに帝国と連邦の密盟が成立した。

 歴史に記されることはないが……


 帝国側はどこか諦めたような表情だが、対するトライシオスは満足そうだ。

 さっそく支援の話に移ろうとする。

 ところが、


「その前に、あと一つ教えてくれないか?」

「ん?」


 襲撃が連邦の本意ではなかったというのはわかった

 ただ、シグにはあと一つ合点がいかないことがある。

 もしわかるなら教えてもらいたい。

 知って、すっきりしてから先の話をしたい。


 合点がいかないのは、セルーリアス海封鎖のことだ。

 なぜ帝国が狙われたのか?

 大量の原料が欲しいだけなら、他でも良いだろう。


 帝国は海戦が苦手だ。

 無敵艦隊は楽々と沿岸に攻め寄せることができるだろう。


 だが、その後はどうするのだ?


 リーベル遠征軍が攻めてきたら、帝国は市民たちを全員内陸へ逃がす。

 内陸でモンスターと遭遇する危険はあるが、魔法兵共よりはマシだ。

 護衛の歩兵隊だけでも対処は可能だろう。

 いざとなったら遊撃隊として動く竜騎士団もいる。


 原料が欲しい遠征軍は市民たちを追って内陸へ進むしかないが、そこはもう陸戦の場だ。

 陸に上がった魔法兵はただの魔法使いだ。

 海では最強かもしれないが、陸ではこちらが最強だ。


 まずは艦砲の射程外から、砲兵隊が砲弾の雨を浴びせる。

 魔法は強力だが詠唱に時間が掛かる。

 対して大砲の装填作業は詠唱より早い。

 こちらが先に撃てる。


 砲弾が当たれば障壁が壊れるので魔法攻撃は中止だ。

 障壁を張り直さなければならない。

 当たらなかったとしても集中が途切れる者が続出するだろうから、そいつらは詠唱のやり直しだ。


 上陸部隊がここを突破するのは無理だと思うが、仮に抜けたとしても次は騎兵が待っている。


 正騎士の問題はあるが、それでもいまなお騎士団は強力な騎兵集団だ。

 魔法兵の初撃を食らってしまうが、それで怯むような準騎士たちではない。

 次の詠唱が完成するより早く斬り込む。

 あとは乱戦だ。

 そうなればもう魔法どころではない。


 リーベルは海戦に勝利することはできるが、肝心の市民たちを手に入れられないのではないか?

 なぜ攫いにくい相手を?


「そのことか……」


 トライシオスの言葉が続かない。

 問いに対して明瞭に答えたいとは思うが、肝心の語るべき事実が彼にはなかった。

 密偵たちが唯一掴めたことは、宮廷内で密かに「帝国討つべし」という機運が高まっているということだけだ。

 この件に関し、計画書のような形あるものは見つからなかった。


 はっきり言って、リーベルが帝国を標的に選んだ確たる理由は知らないのだ。


「知らない……か」

「期待に添えず申し訳ない。ただ——」


 これまでに入手した情報から目的を推測することはできる。


「それで良ければ話すが?」


 シグとザルハンスは頷いた。

 推測でも憶測でも、何でも構わない。

 どんな些細なことでも聞きたかった。


「わかった」


 トライシオスは〈老人たち〉の間で統一見解となっている推測を述べ始めた。



 ***



〈老人たち〉が分析した海上封鎖の理由。

 彼らの見解はこうだ。


 要するに、研究所は海賊共に払う金が惜しくなってきたのだ。

 いくら研究所が魔法王国の心臓部だといっても、望むままに追加予算が貰えるわけではない。

 追加で要求するには正当な理由を説明しなければならず、宮廷に内緒で進めている杖計画のことは明かせない。


 奴隷商人より高値で買うという約束だったが、研究所の資金だけでは次第に辛くなってきた。


 どうにかして質は落とさず、安価で大量に調達する方法はないものか?


 魔法使いたちは一計を案じた。


 それからしばらくして……

 宮廷内で噂が流れ始めた。


 帝国が我が国の〈庭〉を狙っている。

 征西軍で領土を奪還しつつ、セルーリアス海の覇権も奪うつもりだ。

 ルキシオ遷都も帆船の軍艦を建造しているのもそのためだ。

 帝国討つべし。


 元々、力で他国を従わせようという方針の国だ。

 誰も噂の真偽など確かめない。

 宮廷内は打倒帝国で盛り上がった。


 ネイギアスの密偵が作戦計画書を見つけられなかったのは当然だ。

 作戦も何も、魔法艦隊で大陸東岸まで押し込んでいくだけだ。

 計画書を作る必要があるだろうか?


 戦えば勝てるのだから、何事も雑になっていく。

 魔法使いたちが帝国を選んだ最大の理由は、単に近かったからだ。

 また、陸軍は強いが、海軍は弱小だということも第二の理由として挙げられるだろう。


 帝国の弱小海軍など、魔法艦隊の敵ではない。

 ルキシオも簡単に落とせるだろう。

 そこまでは楽勝だ。

 何も恐れるものはない。


 問題はその後だ。

 シグが指摘している通り、上陸後の陸戦をどうする?

 大陸最強と評判の陸軍を撃退できなければ、お目当てのブレシア人たちが手に入らない。


 もちろん上陸前に十分な艦砲射撃を行うが、騎兵も住人も避難が完了している無人の街に撃ち込んでも意味がない。

 欲しかったのは人だ。

 街や土地じゃない。


 内陸へ追いかけていくしかないが、そうなれば苦手な野戦に付き合わざるを得なくなる。

 上陸部隊の損害は甚大なものになるだろう。


 そこで、帝国に対して海上封鎖することが決まった。

 国を困窮させれば、御自慢の陸軍も縮小していかざるを得まい。

 十分弱らせてから仕掛ければ良い。


 リーベル王国は帝国を叩き、海洋進出を阻止したい。

 特に、〈庭〉へ手を出そうとしていることは断じて許し難し。


 研究所は大陸東岸に興味はないが、模神のためにブレシア人が欲しい。


 フェイエルム王国はブレシア人が大嫌いだ。

 全員追放して大陸東岸を手に入れたい。


 リーベル王国、海軍魔法研究所、フェイエルム王国。

 三者の利害が一致した。


 シグは、無駄だった交渉の日々を振り返った。


「なるほど……だからリーベル側の担当部と話が噛み合わなかったのか」

「時間を稼ぎたかったのだろうね」


 トライシオスの言う通りだ。

 時間稼ぎは功を奏していた。

 市民生活に影響が出始めているし、陸軍及び騎士団が強引に自分たちの予算を満額確保しようとするので、他のところが本来の予算を削られている。

 でも、いつかは陸軍の予算も……


 但しこれは全方位の封鎖が続いた場合の話だ。

 ここで今回の密盟が活きてくる。

 ネイギアスと帝国の密貿易により、海上封鎖は効果を失う。

 逆に、リーベルは沢山の魔法艦を展開し続けることで、軍費を無駄に垂れ流していくことになる。


 やはり〈老人たち〉は侮れん。

 強かな策を考える。


 シグとザルハンスは感心した。


 だが二人から褒められても、トライシオスの表情は変わらない。

 喜んでいる場合ではないのだ。

 リーベル王国と研究所が、その程度で諦めるはずがないではないか。


 密盟は一時凌ぎにしかならない。

 それでもいまの帝国は密貿易で生き永らえるしかないが、却ってそのことでリーベルに決断を迫ることになるのだ。


 上陸する魔法兵、特に先陣を切る魔法剣士隊の損害を抑えるため、本当は帝国陸軍を十分に弱らせてから仕掛けたい。

 しかし、いつまで経っても消耗する気配がなければ、リーベルは強引に攻め滅ぼしにくる。

 かつてのコタブレナ王国のときのように。


 野戦の問題はフェイエルム軍に任せれば良い。

 積年の恨み募るブレシア騎兵を滅ぼす好機だ。

 大陸東岸の領有も認めてやれば士気が高まる。


 どうせ模神が完成したら全世界を支配するのだ。

 どんなことでも約束できる。


 すべての問題に解決の目途が付いた。

 リーベル王国はそう遠くない未来、帝国に対して宣戦布告するだろう。


「宣戦布告……」


 シグたちの息を呑む音が、トライシオスの耳まで届いた。

 自分たちの国が、無敵艦隊に滅ぼされると宣言されたのだ。

 絶望するなという方が無理だろう。


 あとはそれがいつ頃になるのかだ。

〈老人たち〉は、おそらくリーベル派と研究所の関係が解消した直後だろうと予測している。


 神作りは秘密なのだから、予算と時間をすべて注ぎ込むことはできない。

 研究所本来の仕事も遅滞なくこなさなければならない。

 魔法の研究や新型魔法艦の開発等だ。


 杖計画はこれらの予算を誤魔化しながら進めている。

 急場を凌ぐために高価買取を約束していたが、もうすぐ限界を迎えるだろう。

 そのときこそが、ブレシア人という一つの民族を丸ごと原料にしようと決断するとき……


「だから私たちには、あまり時間が残されていないのだよ」


 とはいえ、今日、明日ということでもない。

 しばらくの間は大丈夫だ。


 追跡させているロミンガン海軍によると、リーベル派は今日も元気に活動中だ。

 つまり、まだ迎撃準備を整える猶予は残されている。

 僅かな時間ではあるが。


 リーベル派が頻繁に帝国南部を襲った結果、周辺の村から警戒されて襲いにくくなってしまった。

 現在は大陸南岸に沿って西へ向かい、他国の漁村を襲っているらしい。

 それらの村で活きの良い商品たちを積み込んだら一路東へ。


 連邦に見つかれば彼らにとってまずいかもしれないが、海上封鎖中の魔法艦に見つかったら研究所にとってもまずい。


 そこで海賊船は、帝国の哨戒網とネイギアス海賊の狩り場の間を通って、セルーリアス海へ抜けているらしい。

 大洋に出たら、魔法艦隊を避けて南へ大回りしながら待ち合わせ場所を目指す。


 研究所の船との待ち合せ場所は、コタブレナ近海の岩島——

 アレータ島だ。

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