第43話「真の仇」

 元老から友人という言葉が飛び出した。

 いや、「私個人の望み」というのだから、元老ではなくトライシオスの口から飛び出したというのが正しいか。


 ザルハンスの眉間に縦皺が寄る。

 それまで帝国に関わることだからと冷静に聞いてきたのに、まさか結論が戯言だったとは……


 こちらが大人しくしているから、自分が仇の一人だということを忘れているのか?

 もしくは自分が元老の一員であることを鼻にかけ、取るに足らん連中だと侮っているのか?

 どちらだったとしても聞き捨てならない。


「友人?」


 どうしても尋ねる声に殺気が籠ってしまう。

 しかし余裕のトライシオスは怯えも緊張もせず、さらりと受け流した。


「知らんのか? 友人というものは一緒に釣りをしたり、酒を酌み交わしたり——」

「トライシオス、冗談がすぎるわ」


 女将が思わず止めに入った。

 ザルハンスが握りしめている拳から「ゴキッ、ゴキン」という恐ろしい音がしている。

 あんな戦鎚のような拳で殴られたらトライシオスが死んでしまう。


 彼女が仲裁に入ったことは英断だった。

 猟犬の眉間から縦皺が一本減った。


「さっさと本当の目的を言え!」


 雷鳴のような怒鳴り声だ。

 さすがは海賊から恐れられるだけのことはある。

 隣でシグの耳が一瞬「キィーン」となった。


 一喝して少しは気が晴れたのか、拳を解いて腕組みをすると、後はそのまま黙り込んだ。

 代わりに注意してくれた女将に免じて、だ。


 本心は出入り禁止になっても構わないから、いまこの場でむかつく元老の頭蓋骨をかち割ってやりたかった。


「失礼をお詫びする。ザルハンス殿、シグ殿」


 トライシオスは席を立ち、順番に非礼を詫びた。

 詫びを受けた二人はキョトンとしてしまったが、これから友人になる相手の気分を害してしまったのなら、素直に謝る。

 それが人間らしい付き合いというものだ。


 釣りや酒の話は冗談が過ぎたが、友人になりたいというのは本気だ。


 人はネイギアスを悪く言う。

 特に〈老人たち〉は冷酷非道だ、と。

 確かにそう言われても仕方がない行いをしている。

 悪人と指差されても言い訳はするまい。


 だが、悪人はあくまでも人間なのだ。

 人としての一線を踏み越え、神になろうという悪魔共とは違う。

 その悪魔共を退治するため、同じ人間と友人になりたい。


 彼の言う〈友人〉というのは利害が一致している者同士、密盟を結ぼうということだ。

 もちろん時々、宿屋号に集まって三人で釣り糸を垂らす仲というのも悪くはないが。


 帝国の存命を考えたら受けるしかない話だ。

 だが、人は時として個人的感情を優先する場合がある。


 今日という日を迎える前、トライシオスは女将からザルハンスの故郷、ピスカータ村の話を聞いた。

 紹介してもらう担当官も同郷だという。

 二人にとってトライシオスは仇の一人だということになる。


 このままでは密盟を結べそうにない。

 言い訳がましい話になるかもしれないが、二人にはネイギアスの事情を知ってもらう必要がありそうだ。

 それでも許せないというなら、そのときは仕方がない……


 トライシオスは話を続けた。



 ***



 模神の形が決まり、魂の集積も順調。

 研究所に平穏が戻ったある日のこと、再び問題が発生した。

〈原料〉が足りなくなった。


 条約違反の懸念を表していた国々から横槍が入ったわけではない。

 研究所自身のせいだ。


 奴隷というものは、いつでも欲しいだけ買えるものではない。


 奴隷の両親から生まれた者でない限り、平民は一生平民の身分で終わるのが普通だ。

 それが奴隷に落ちぶれるとしたら、主な原因は借金だろう。

 しかし、そのような状況に陥るほど借りる者は少ない。


 これは奴隷商人にとってまずいことだ。

 商品が手に入らなければ商売にならない。


 しかし世に奴隷は沢山いる。

 商売として成り立っている。

 一体、どうやって?


 この世界には借金よりも簡単に、多くの者たちを奴隷に変える方法がある。

 戦争だ。


 戦争になれば、敵兵や占領地の住人を捕虜にできる。

 これが奴隷商人たちの商品になるのだ。

 世界から完全に戦争がなくなることはないので、彼らが廃業になることもない。


 とはいっても物事には限度がある。

 研究所の要求量は膨大だ。

 片っ端から買い占めていけば、いつかは活きの良い奴隷が枯渇する。

 世界では平和が続いていて、大戦争が起こる気配はない。


 計画に再び中止の危機が迫った。

 そこで魔法使いたちが目を付けたのが、ネイギアス海賊だった。


 一口にネイギアス海賊といっても、大小様々な海賊団がおり、それぞれ都市国家と契約している。


 団の性格も様々だ。

 都市と契約したことで正規海軍のように振舞う者、契約後もいままで通りに振舞う者……


 元々社会からはみ出して海賊になった者たちだ。

 どちらの性格でも、細かい約束は守れない。

 なので、通達は簡潔を心掛けていた。


 関税問題勃発後、彼らに対して出していた通達も簡潔だった。

 襲っていいのは一日一隻、領海に入った船だけにしろ、と。

 これだけだ。


 しかし、たったこれだけのことすら守れないのだ。


 ある海賊団がリーベルと通じた。

 どちらから話を持ち掛けたのか知らないが、連邦の方針に従わず、リーベルの依頼に応じて活動するようになってしまった。


 依頼の内容は——

 活きの良い人間の調達だ。


〈リーベル派〉の海賊団は、いとも簡単に北の国境を越えた。


 都市が誰とどんな契約をしようと基本的に自由だ。

 ただし、契約書には「連邦の方針に従う」という内容を必ず含めることになっている。


 リーベル派は所属都市との契約を破り、連邦に背いた。

 違反者には罰が待っている。

 ゆえに都市は直ちに契約を破棄して関係を解消するのだが、彼らは別に困らない。

 余計な縛りがなくなって動きやすくなるだけだ。


 そんな些細なことより、リーベルから得られる利益の方が大事だ。

 沿岸の村々から若者を生け捕りにしてくれば、奴隷商人より高値で買ってくれる。


 つまり——


「おい……ちょっと待てよ」


 ザルハンスは話を遮ってしまった。

 異議があるのではない。

 話の筋は通っていたし、理解もできた。

 ただ、少しでいいから受け止める時間がほしい。


 シグは静かだったが、決して心穏やかに聞いていたわけではない。

 目の前にあの日の惨劇が蘇っていた。

 何度思い返しても吐き気を催す……

 そこをグッと堪えながらトライシオスの話を検証した。


 言われてみれば、確かにそうだ。


 同年代の子供や若者の遺体が殆どなかった。

 中年や老人に混じり、数人の若者が血だらけで倒れていたのは徹底抗戦したためだろう。


 つまり、ピスカータ村を襲ったのはリーベル派だったということだ。



 ***



 故郷壊滅の真相を知ったシグは震える声で尋ねた。


「そいつらはいまものうのうとネイギアスにいるのか?」

「いや、いまはもういない」


 連邦は海賊と名乗らなければ寛大だ。

 襲う相手と日時場所の指示を守り、報告と稼ぎに応じた上納さえすれば。


 ところがリーベル派は報告と上納を怠った。


 ピスカータの村人たちは良い稼ぎになったが、領海外での仕事だ。

 政府から咎められるのは明白だ。

 怒られるような報告をわざわざするはずがなかった。


 これだけでも相当まずいのだがさらに罪を重ね、稼ぎを丸ごと懐に収めてしまった。

 セルーリアス海で取り引きするのだから、黙っていれば政府にバレない、と考えたらしい。


 このまま大人しくしていれば、本当に誰も気が付かなかったかもしれない。


 だが、海賊という連中は基本的に後先を考えない。

 儲かったからと有頂天になって豪遊するから、すぐに怪しまれた。


 密偵は他国だけでなく、国内の海賊共にも目を光らせている。

 すぐに一派の違反が発覚し、全員捕らえられた。

 厳しい尋問の末、一派はリーベルとの取引とピスカータ村を襲ったことを自白した。


 その後、裁判で海賊であると認定され、後日全員処刑された。

〈老人たち〉の方針に背いた罰だ。


「連邦に、少々気の荒い武装商船は居ても良いが、海賊はダメだ。ただでさえ各国から元締めだと疑われているのに……」


 後半を冗談めかしていたが、誰も笑わない。

 話すトライシオスの目が冷たかった。


 確かに連邦もリーベル同様、海上封鎖を行っていた。

 だがこれは関税問題を有利に解決すべく、帝国に圧力をかけていただけだ。

 本格的な通商破壊をやりたかったわけではない。

 独断で沿岸攻撃など以ての外だった。


 ピスカータ村を襲った海賊はもう、この世にはいない……


「君たちと出会うとわかっていたら手土産として連れてきたのだが、私が元老になった時にはすでに……」


 恐ろしいことをさらりと言うが、これが都市と海賊の関係だ。

 契約は主従関係を意味しない。

 海賊側は儲け話のためなら平気で都市に背くし、都市側も邪魔だと思ったら排除するし、交渉相手に引き渡しもする。


 トライシオスは久しぶりに沢山話して喉が渇いてしまった。


 さっき給仕が取り替えてくれたお茶からは仄かに湯気が立っている。

 熱すぎず、ちょうど飲み頃のようだ。


 器を手に取り、口へ運ぶと顔が自然に上がるので、二人と目が合った。

 何か得体の知れない化け物を見るような目で見つめている。


 ——まあ、気持ちはわかるが……


 彼自身も子供の頃は自分の国が恐ろしかったが、人はいつか慣れていくものだ。

 大人になる頃にはそういうものだと割り切れるようになった。

 一々気にしていたら元老などやっていられない。


 とはいえ、これから〈友人〉同士になろうという者に対して、あんまりな目付きだ。

 仲良しになろうとは言わないが、無意味な警戒心は解いてもらわねば。


「だって、仕方なかろう——」


 主人に「掛かれ!」と命じられてから敵に飛び掛かるべきで、「待て」と言われたら大人しく待つべきなのだ。

 口で言ってもダメ。

 罰してもダメ。

 後は粛清するしかないではないか。

 契約期間中に知ったことを他所で喋られては困る。


 ——ん? ダメだったか?


 シグとザルハンスの表情がさらに硬さを増していた。

 当たり前だろう。

 いまの話を聞いて「なーんだ、そういうことか」と緊張が解れるのは〈老人たち〉だけだ。

 シグたちを含めた一般人が聞いたら、物騒だと思うだけだ。


「ま、まあ、そういうわけで〈私たち〉に大陸南岸を攻撃する意思はなかったのだ」


 連邦にとって不測の出来事だった。

 その点は理解した。

 だが、トライシオスを怖がるなというのは無理だ。

 何を聞かされても、ヤバい奴なのだという確信が深まる。

 それよりも——


 シグはここまでのことを纏めた。


 連邦は関税問題の交渉を有利に運びたかったので、海賊を使って帝国に圧力をかけていた。

 目指していたのは、あくまでも和解なので海賊がやりすぎないように目を光らせていた。


 海賊は自分の利益が第一なので、いつ裏切るかわからない意思の弱い連中だ。

 その意思の弱さにリーベルの研究所が目を付け、密かに懐柔した。


 リーベル王国と通じた海賊の一派、リーベル派は連邦が禁じていた大陸南岸への襲撃を敢行。

 奴隷商人より高値で買ってくれる研究所へ、ピスカータ村の若者たちを売り渡した。

 後日、違反が発覚し、全員処刑された。


「——ということか?」

「その通りだ。シグ殿」


 トライシオスはニコリと微笑みながら頷いた。


 ——理解が早くて助かる。


 ザルハンス殿も愚か者ではないから、理解はできているのだろう。

 内心、複雑な思いはあるだろうが……


 彼らの恨みに口を出すつもりはないし、仇討ちを手伝う気もない。

 だが、仇討ちというものは寡兵対大軍という図式になりやすい。

 あいつもこいつもと拡大して仇に含めていくと、肝心の中心人物を討ち損じる虞がある。


 二人の表情はまだ険しいが、トライシオスに対する敵意は幾分和らいだようだ。


 受け入れるしかない……


 連邦は彼らの仇ではなかった。

 この若き元老もだ。

 探検隊最年長のシグより少し年上だが、襲撃当時はまだ二〇歳にも満たない少年だっただろう。

 彼が海賊に命じて襲わせることなどできるはずがない。


 連邦が謀略を弄する悪い国だからといって、濡れ衣を着せて良いことにはならない。

 それは八つ当たりだ。


 真の仇は、海賊に人攫いを依頼したリーベル王国だった。

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