第32話「フラダーカ」

 レッシバルは稚竜を伴って下山した。

 いや、〈伴って〉というより、〈担いで〉という方が正しいか。


 あれから大変だった……


 結局、噛まれた右手が解放されたのは、口の中の干し肉がなくなった後。

 手は血まみれになり、包帯で手当てしている僅かな間に、ザックへ頭を突っ込んで食料をすべて食われた。


 食料はエシトスに貰うことができるので不問とする。

 すべて無くなることは予想していたし。

 問題はその後だ。


 いろいろあったが、とりあえず初めての食事を終えて落ち着いたようなので、馬のところへ向かうことにしたのだが……


 その道中がうるさかった。


 高低差があると転げ落ちて泣き、歩幅を合わせてやらないと、疲れて泣く。

 何とか宥めながら馬のところへ辿り着いたら、今度は初めて見た馬の大きさに驚いて威嚇する。


 唐突に始まってしまった馬と稚竜の喧嘩を、冷静に仲裁していたのだが、段々、面倒臭くなってきた。


 悪いのは、喧嘩を売った稚竜だ。

 食い尽くされて丁度空いていたザックに、稚竜の首から下を突っ込んで革紐で縛った。


「クルルゥ……」


 可哀想な声で鳴いてもダメだ。

 反省するまで出してやらん。


 その後、興奮している馬を落ち着かせ、やっと麓まで下りてくることができた。


 さっきまで背中越しにうるさかったが、いまはスヤスヤと寝息が聞こえる。

 たらふく食った後、元気一杯喧嘩して疲れたのだろう。


 タンコブ岩に着くまで、除隊のことと壊滅した村のことで沈んでいたのに……

 こいつの大騒ぎのせいで、悲しい気持ちがどこかへ飛んで行ってしまった。


 今日は初日だ。

 初日でこれだけやかましいのだ。

 明日から……


 レッシバルは馬に揺られながら、覚悟を決めるのだった。



 ***



 トトルの船は風に恵まれ、思っていたより早く村へ到着することができた。

 レッシバルが戻ってきたのは、エシトスと荷の受け渡しを行っているときのことだった。


「もしかして、レッシバルか?」


 一目でわからず、確認してしまうのも無理はない。

 孤児院退所以来だから、お互いに随分と顔つきが変わってしまった。

 子供の頃の面影も残っているが、どちらかというとそれぞれの親の顔つきに近い。


 お互いがわかると、しばらく再会の喜びと近況報告が続いた。


 まずは、トトルから。

 エシトスの待ち人とは、彼のことだった。

 それにも驚いたが、レッシバルが一番驚いたのは、自前の帆船を所有する交易商人になっていたことだ。


 待ち合せの時刻を定めるのが難しい相手とは、どんな奴なのだろうと訝しんでいたが、停泊している船を見て理解できた。

 確かに、細かな日時を定めるのが難しい相手だ。


「自前といっても中型船で、しかも中古だから……」


 トトルは謙遜するが、それでも十分すごいことだ。

 レッシバルは仲間の成功を自分のことのように喜んだ。


 本当に皆すごい。

 最も出世したのはシグだが、他も着実に成功を積み重ねている。

 例外は、自分とラーダだけだ。


 ただ、ラーダは魔法使いだ。

 しかもリーベル帰りの肩書を持つ。

 偏見はあるが、魔法の価値を認め、仕事を依頼するブレシア人も多い。

 出番はすぐにやってくる。


 トトルの近況報告が終わると、次はレッシバルの番だ。

 ところが、


「…………」


 元準騎士、元竜騎士、すべて〈元〉が付く。

 いまは何者でもない。

 二度も死にかけるほど頑張ったのだが、結果としては何も残らなかった。


 気まずい……

 エシトスも味わったが、今度はトトルが味わうことになった。

 どう励ましたものか……


 二人は悩むが、心配無用だ。

 墓参りの後、別行動になるまでは落ち込んでいたのだが、いまは違う。


 確かにすべてを失ったが、新たに手に入ったものがある。

 それが、ザックに涎を垂らしながら幸せそうに眠っているこの稚竜だ。


 どうしてザックに詰められているのか、その経緯を説明すると、二人にとてもウケた。


「仲良くしろよ、レッシバル」

「そうだ、そうだ。悪ガキだった奴が、悪ガキを批判するな」


 レッシバルに降りかかった災難が面白くて、二人掛かりで冷やかす。


「くそ、おまえら……他人事だと思って勝手なことを……」


 親の苦悩も知らず、稚竜は寝息を立て続けている。


 陸軍竜騎士団が創設されてから、帝国領上空を大型竜が飛行するのは珍しいことではなくなった。

 竜を見慣れていない外国人は珍しがるが、帝国の住人は慣れている。


 そんなエシトスたちでも、小竜の稚竜は珍しかった。

 さらに、雷竜種であることを伝えると、より一層珍しがられた。


「雷竜か。随分と珍しいものを拾ったんだな」

「ああ。まだ馬を驚かす程度だけどな」


 山での喧嘩にて——

 払い除けるような前脚の一蹴りで、軽々と弾き飛ばされた稚竜は、小さな雷を吐いて対抗した。

 それも雷撃と呼べるような立派なものではなかったし、二発目は出なかったが。


 山の主は小型雷竜種だったらしい。

 随分と珍しい種族が住んでいたものだ。

 もっともいまは、さらに強い種族に追い出されてしまった後だが。


 山での話は大体そんなところだ。


 エシトスは微笑ましそうに聞いていたが、トトルは途中から真顔になって何か考え込んでいるようだった。

 そして話が終わるのを待って、その考えを述べ始めた。


 考えというのは一つの提案だ。


「この稚竜、街や村へ連れて行ったら騒ぎになるから、ここで育ててはどうか?」


 船に修理用の資材があるから、それで飼育小屋を作ってやれば良い。

 餌は隣村に馬を走らせれば手に入る。


「ここか……」


 言われてみれば、確かにここは帝都の竜舎と立地が似ている。


 騒音、墜落、誤射、火災……

 竜の近くは危険だ。


 竜舎を立てる場所は、人間の住居から少しでも遠くへ離れており、付近に壊れるような構造物がないところが良い。

 そして、できれば近くに水があると尚良い。

 そうすれば、すぐに消火できる。


 本来なら、こんな物騒な施設を帝都の近くに作るべきではない。

 だが帝国は現在、周囲を敵に囲まれている。

 帝都に敵が押し寄せてきたら、直ちに迎撃しなければならない。

 そこで、帝都の街外れに竜舎が建てられることになった。


 この条件にピスカータ村も当てはまっていた。


 滅んでいるのだから、住人はいない。

 構造物というか、瓦礫はエシトスによって撤去済み。

 水は、南にいくらでもある。


 また、これからは二人が様子を見に来てくれるというし、隣村で手に入らない物は調達してきてもらえる。


 気掛かりなのは、親竜を追い払った存在だ。

 小竜を撃退できる生物は多くない。

 真っ先に挙がるのは大型竜だ。


 山からの帰り道、襲われないように地上だけでなく、空も警戒したのだが、一頭も見かけなかった。

 親竜が敵に追い払われた可能性しか考えていなかったが、ここまで影も形も見えないと、他の可能性が有力になってくる。


 崖崩れで地形が変わってしまったとか、程良い大きさの獲物を狩り滅ぼしてしまったとか……

 単に暮らしにくくなったから、他所へ移っただけなのかもしれないという可能性だ。

 その場合、稚竜の親はとんでもない薄情者だということになってしまうのだが……


 だとすると、何の心配もいらないことになる。

 新たな主と目する大型竜の姿は見かけないし、餌は隣村へ買い出しに行くので問題ない。


 レッシバルの心は決まった。


「それで、だ。こいつが大きくなったら——」


 トトルの話には続きがあった。


 竜の成長は早い。

 一年あれば稚竜が若竜になる。

 小竜といえど民家程の大きさになる。

 そうなれば、いよいよ騎乗だ。


 そこで、だ。

 トトルは海担当。

 エシトスは陸担当。


「レッシバルには空を担当してもらって、三人で一緒にやらないか?」


 エシトスとトトルが組み始めてから、よく話題に上っていたのだ。

 道が険しくて、どうしても配達できないところがある。

 あぁ、鳥や竜のように空を飛べたらいいのに、と。


 そこへ、レッシバルが竜を背負って現れた。

 大型種は陸軍による管理が厳しいが、小竜なら文句を言われることはない。

 トトルは眠っている竜を一目見て、空の配達を思い付いたのだった。


 話を聞いて、エシトスが最も食いついた。

 陸・海・空、あらゆる場所への配達が可能になる。


「おお、すごいことだ! やろうぜ、レッシバル!」


 竜が荷物を届けてくれるという珍しさも手伝って、この事業拡大は必ず成功する。

 確信に目を輝かせながら、エシトスもトトルと共に説得に加わった。


 さて、説得の相手方、レッシバルは……


 ——空の配達屋か……


 面白そうだ。

 稚竜の親になると決めたが、その後のことは考えていなかったので、トトルたちの申し出はありがたかった。

 ただ、この仕事に対して、一つだけ気掛かりがある。


 仕事というものは、うまくいけば少しずつ拡大していくものだ。

 商売のことはよくわからないが、二人が目を輝かせているのだから、きっとうまくいきそうなのだろう。


 喜んで二人の役に立ちたいと思うし、若竜になったら、大空を飛ばせてやりたいと思っていたので丁度良い話だ。


 気掛かりなのは……


 レッシバルは二人の熱心な説得を聞きながら、彼らの後方に見える両親たちの共同墓が目に入った。


 この仕事がうまくいったら、小竜がもっと必要になる。

 今回は山から連れ帰ったこいつの飼育小屋だけだが、これからは村に何棟も竜舎が並ぶことになりそうだ。


 いまはどこかわからないが、山と条件が似ているところが付近にあるはず。

 おそらく、親竜たちの群れはそこだ。

 その群れを手懐け、この村で騎竜として殖やしていけば、大繁盛間違いなしだ。


 でも……


 いまは空き地だから小竜の育成拠点でも良いが、いよいよ復興しようという話になったとき、どこへ移転させるのか?


 現在のピスカータ村のような条件の場所はなかなかない。

 おそらくそのときになったら、この場所を諦めるのではなく、復興を諦めることになるのではないだろうか。


 沿岸防備の大砲や騎兵を用意できなかったのだから、大口を叩くつもりはない。

 これらを欠いて復興を始めても、また海賊にやられるだけだ。

 現状、復興の目途は立っていないと言わざるを得ない。

 それよりも有効に活用した方が良いという意見は、理に適っている。


 ただ、いつか村を元通りにすると墓前に誓ってから孤児院へ発ったのだ。

 小竜の群れを村に連れてきたら、村が元通りになることはないだろう。

 永遠に。


 だから心の中で両親たちに尋ねた。

 いまの俺たちにはこの場所が必要だ。

 だが俺たちの商売が繁盛したら、もう漁村に戻ることはない。

 約束を反故にしてしまうが、許してくれるか、と。


「…………」


 墓参りのときの繰り返しになるが、ここに巫女がいなくて残念だ。


 許すも、何も……

 これから誰も敵わなかった強敵と相対するのに、小竜単騎でどうする?


 来るべき時に備え、隊をいくつも編成できるようにしておかなければ。

 それも、あまり多くの時は残されていない。


 両親たちはむしろ、グズグズするなと怒っているくらいなのだが、霊感がないレッシバルにはわからなかった。


 結局、友人たちの熱心な説得と、彼自身も何かやりたいという思いがあり、この二つが後押しとなった。


「よし、これで決まりだ!」


 三人はエシトスが買い込んできた酒で乾杯した。

 レッシバルにとっては、久しぶりのうまい酒だった。

 少々値が高い酒だったということではなく、失敗や挫折の後にやってきた新しい始まりを祝う酒だったからだ。


 この酒宴で大事なことが二つ決まった。

 一つは、三人でやっていく配達屋の名前だ。

 エシトスは自分の名前でやっていたので、配達屋としての名前は特にない。

 でも、これからはちゃんとした名前が必要になる。


 陸・海・空の内、海の役割が大きい。

 よって、『トトル商会』に決まった。

 この事業の軸であるトトルが代表、他二人はその商会員だ。


 エシトスとレッシバルだけで話が纏まり、「商会長! 商会長!」と拍手喝采を浴びせて確定してしまった。

 酔っ払いは質が悪い。


 あと一つは、稚竜の名前だ。

 こちらはレッシバルが道々考えてきた名前があった。

 二人に発表してみたところ、「良い名だ! 良い名だ!」と同じく拍手喝采だったので、そのまま決まってしまった。


 エシトスだけでなく、トトルもかなり出来上がっていたので、果たしてちゃんと理解できていたかどうか……

 だが、後で酔いが醒めてから改めて聞いても、良い名だと賛成してくれるはずだ。


 稚竜の名は、フラダーカ。

 二つのリューレシア大陸南部の方言、〈フラド〉と〈アーカ〉を組み合わせた。


 フラドは〈雷〉を意味し、アーカは〈大きい〉とか〈偉大な〉といった広い意味を持つ形容詞だ。

 合わせるとフラダーカ、〈偉大な雷〉となる。


 この名には、「立派な雷竜になれ」というレッシバルの願いが込められていた。


 確かに良い名だ。

 そして、フラダーカは幸運だった。


 名を考えてくれたのが、山からの帰り道で助かった。

 もし酒宴が始まった後だったら、悪ノリ三人衆が寄ってたかって面白い名前を競い合った挙句……


「よし! こいつの名前は〈うるさい革袋〉にしよう!」

「良い名だ! 良い名だ!」


 ……となっていた可能性もあったのだ。


 良かったな、フラダーカよ。

 危うく歴史が変わるところだった。

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