第31話「絆」
木々の間から差し込む日差しはまだ明るいが、西へ傾き始めていた。
これから夕方になる。
早く、エシトスのところへ戻らねば。
レッシバルはこの後、洞窟の確認を予定していたのだが、もう必要ない。
なぜなら、
「クゥーッ!」
こいつだ。
この稚竜のおかげでわかった。
稚竜がいるということは、付近に親たちがいるということだ。
きっと、洞窟を住処にしているはずだ。
小型といえど、竜は竜。
最強の種族だ。
山からゴブリンや肉食獣が消えたのも頷ける。
「クゥー、クゥーッ!」
……さて、困った。
こいつをどうしようか。
さっきから足元に纏わりついて、小さな口を大きく開いて催促している。
餌が欲しい、と。
竜は生まれるとすぐに餌を食べ始める。
陸軍竜騎士団でもそうだった。
大型種の稚竜に一日中、餌を運んだ。
大変な重労働だ。
正竜騎士たちは嫌がったが、これは他人任せにはできない大事な絆作りだった。
慣れれば、親以外も乗せてくれるようになるのだが……
誰も乗せたことがない若竜が、何の絆もない人間をいきなり受け入れることは絶対にない。
初騎乗だけは、育ての親がやるしかないのだ。
ゆえに腰が痛くても、騎乗予定の竜騎士自らが、満腹になるまで餌を運び続けるしかなかった。
陸軍には大型種しかいなかったので、小型種を初めて見た。
先輩竜騎士の話によれば、大型種も小型種も生態は大差ないという。
違うのは身体の大きさと餌の量だけで、育て方はほぼ同じだ。
生まれてすぐ餌をねだっているところからも、先輩の話は正しかったらしい。
ということは、大型種を立派に育て上げた経験を持つレッシバルなら、この稚竜を育てることができるということだ。
いまも、背負っているザックの中には、隣村で買った一日分の食料が入っている。
竜は肉食なので、干し肉を与えれば喜ぶだろう。
与えるのは簡単だ。
エシトスは待ち人が現れるまで村で待機するつもりなので、大量に買い込んできた。
だから、いま携行している分をすべて与えても、食料が不足する心配はない。
ただ……
レッシバルは迷っていた。
たとえ、干し肉の欠片一つでもこいつに与えたら、親になるということを意味する。
もう少しで親が帰ってくるかもしれないのに、余計な手出しをして良いのだろうか、と悩む。
それと、もう一つ。
帝都を離れるとき、竜とは関わるまいと決めていた。
あんな悲しい思いは、もうしたくない。
——やはり、何もせずに立ち去るべきだな。
親竜も、その内、帰ってくるはずだ。
心が決まった。
ただ出来れば、親がちゃんと帰ってくるところを見届けてから去りたい。
稚竜が足元でうるさいが気にせず、木々の間から覗く青空に、親の姿を探した。
「…………」
本日は、朝から快晴。
空には、小さな雲と鳥しかいない。
竜らしき黒点は、見つからなかった。
孵化してから随分経つ。
その間に何度も空を見上げているが、親は一向に帰ってくる気配がない。
これはもう、放棄されたのだと解するべきだろう。
こうなったら……
——砦に届けようか?
砦から陸軍の竜舎へ送ってもらい、あそこで育ててもらえば良い。
これなら心が痛まないし、最も収まりが良い。
レッシバルの中で解決しかけた。
だが……
——ダメだ。
自分で出した解決案だったが、自分で却下した。
陸軍竜騎士団に、小型種は不要だ。
大型種は館のように大きいが、小型種は民家ほどしかない。
身体の大きさは、そのまま戦闘力の強弱に比例する。
陸軍が大型種を採用し、その後、小型種を探そうとしなかったのは、希少で数を揃えるのが難しかったからではない。
野戦においては広範囲を焼き払える方が有利だし、攻城戦においては大火力と城壁を崩せる破壊力が欲しい。
どちらも小型種より、大型種が優れている。
近所に竜がいたら市民が怖がるから、持って行けば引き取ってくれるだろうが、その後は……
結局、この場で見捨てるか、陸軍に捨ててきてもらうかが違うだけだ。
「クゥーッ! クルルゥーッ!」
……何だか段々、「クゥーッ!」ではなく、「食うーっ!」に聞こえてきた。
本来ならもう、親竜から腹一杯に餌を貰っている頃だ。
それが、いつまで経っても、くれる気配がない。
不穏な気配を感じ取り始めているのか、稚竜は涙目になりながら、小さな翼を大きく広げてみせている。
見て、こんなに見事な翼だよ。
大きくなったら、立派な竜に必ずなれるよ。
だから見捨てないで、と……
竜に限らず、親から養育を拒否された子供は基本的に死ぬ。
自然は、捨て子に食事を与えるほど甘くない。
目の前の命を、誰も必要とはしていなかった。
それでもこいつは……
こいつは、懸命に生きようとしている。
ドサッ!
「クルル?」
「ああ、ちょっと待ってろ」
レッシバルはザックを下ろし、革紐をほどき始めた。
こいつに干し肉をやる。
自分もこいつと一緒だ。
ピスカータ村の子供たちは、親に捨てられたわけではないが、ある日突然、親の助けがなくなったという点では同じだ。
自分たちの院長先生が、真面な人で助かった。
引き受けた孤児を奴隷扱いするご主人様院長が、なんと多いことか……
そんなところへ流れ着いたら、どんな目に遭わされても、孤児だから仕方がない、と耐えるしかなかった。
自分たちは運が良かっただけだ。
だから、目の前の稚竜に向かって、「親竜に捨てられたのだから、仕方がないね」とは言えない。
思えば、下らないことで悩んでいたものだ。
引き取るべきか、置き去りにすべきか迷った挙句、必要の有無など。
帝都の正騎士共ではあるまいし……
それに、陸軍で小型種を欲しがる者はいない。
だから、また命令書一枚で奪われるのではないか、と心配することはなかったのだ。
稚竜の懸命に生きようとする姿を見て、目が覚めた。
元騎士団長の院長が見捨てなかったように、元竜騎士の自分もこの稚竜を見捨てない。
たったそれだけのことではないか。
ただの感傷?
人間の自己満足?
だったら何だ?
守ってくれる親がいないのだと思い知ったときの絶望は、味わった者にしかわからない。
それがわからない奴がほざいていることは、冷静な意見ではなく、冷酷な戯言だ。
戯言は聞かなくて良い。
革紐が、なかなか解けない。
固く結び過ぎたようだ。
悪戦苦闘の最中、稚竜とその後方に転がっている卵の殻が目に止まった。
見ていると、放棄とは別の可能性が浮かんできた。
こいつはとても元気だ。
孵化寸前まで大事に温めていたからだろう。
あと少しで、対面できたのに……
放棄と決め付けていたが、実はそうではなく、どこかへ運んでいる最中に落してしまったのではないだろうか?
もしかしたら、この山の主は小型種だったのだが、最近になって、大型種が取って代わったのかもしれない。
侵略者は、先住者が二度と縄張りへ戻ってこないように、遠くまで追い立てる。
親竜は温めていた卵を抱えて逃げたのだが、この辺で落としてしまったのでは?
最強の種族というだけあって、小型種といえど、卵の殻は頑丈だ。
高空ではさすがに割れてしまうから、きっと低空で落としてしまったのだろう。
岩の周辺は枯れ葉でフカフカしている。
卵は運良くその上に落ちて助かり、そのままタンコブ岩まで転がった——というのが真相なのかもしれない。
だとすると、やはりレッシバルが育ててやるしかなさそうだ。
親竜に返してやるのが一番だが、どこにいるのかわからないし、卵を拾いに帰ってきたら、新たな主に殺される。
きっと、泣く泣く諦めたに違いない。
その時、ついに革紐が解けた。
稚竜が見守る中、親たるレッシバルは中から干し肉を取り出した。
「さあ、食え」
「クルルルル!」
泣きべそから一転、大喜びに変わった。
小さな口を大きく開いて一気に、
カプッ!
「痛てててっ! 放せ、この野郎!」
稚竜は勢い余って、親の手まで頬張ってしまった。
竜の餌付けは注意を要する。
小型種だから痛いだけで済んでいるが、大型種の稚竜だったら食い千切られているところだ。
陸軍では餌付けの際は、鉄製の籠手を装着するか、棒の先に引っ掛けて与えること、と定められている。
傷心を癒やしに来ていた人間に少し酷かもしれないが、竜騎士団で学んだことを忘れて、素手で餌付けしようとしたレッシバルが悪い。
「くそっ! 俺の手を食おうとするな!」
「クルルル!」
構わん。
もう少し噛んでやれ。
相棒を不安がらせた罰だ。
能力とか、必要性とか、そんなものはすべて理屈だ。
理屈に基づく結び付きは、ただの利害関係だ。
相棒ではない。
相棒を結び付けるものは唯一つ。
絆だ。
今日、レッシバルと小竜は絆で結ばれた。
少々、カッコ悪かったが……
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