第28話「けじめより大事なこと」

 帝都陸軍竜舎の正門前——


 団長はラーダの案を却下した。

 非常に悩ましかったが、組織の長として悪しき前例を作るわけにはいかないという判断が勝った。

 竜騎士の納得より、竜が生き延びられる道を選んだ。


 誰も悪くない。

 土下座する者、される者、その様子を見ている者。

 そこに悪人はいなかった。


 これは困った。

 仕方がないので、無理にでも悪者を選抜しようか?

 そうでもしなければ、この場が収まらない。


 最適任者は、やはりレッシバルか?

 命令に逆らい、竜に接近しようとしている。

 本心はともかく、ここは割り切って逮捕してしまえば良い。

 これにて一件落着。


 いや、そう簡単ではない。


 逮捕というが、何の罪で?

 命令内容は、除隊と竜への接近禁止だ。

 逮捕するには、これらに違反しているといえなければならない。


 除隊後、その者は軍人ではなくなるので、許可なく陸軍敷地内に立ち入ることはできない。

 にも関わらず、門番の制止を振り切って踏み込んできたというなら逮捕できるが、レッシバルは敷地内へ入っていない。

 土下座の位置は正門前の一般道だ。


 一本道なので、竜舎に餌を納入する馬車くらいしか通らないが、陸軍専用道路というわけではない。

 一般道なのだから、一般人が通行しても構わない道だ。

 レッシバルも一般人だ。


 馬車の往来を妨げているわけでもないのに、道でへたり込んでいるだけの一般人を逮捕することはできない。


 随分と頭脳的だが、いまのレッシバルがそこまで悪賢いことを考えたわけではない。

 団長が門にいたから、その前で止まっただけだ。

 偶然にもそれで良かったのだが、反面、ややこしいことになってしまった。


〈除隊〉が無理そうなら、接近禁止違反はどうか?


 ……だから、さっきから言っているではないか。

 一般人レッシバルが道でへたり込んでいるだけだ、と。

 へたり込みは接近ではない。


 それに、命令は〈竜〉への接近禁止だ。

〈竜舎〉ではない。

 仮に竜舎も含めるのだと解釈しても、竜舎は門を越えた先にあり、門の外にいるレッシバルはどちらにも違反していない。


 敷地に立ち入っていないのだとしても、陸軍施設の近くで騒いでいるが?


 レッシバルの声は大きいので、確かにうるさい。

 だが、軍を批判しているわけでもないし、侮辱するようなことも言っていない。

 それに、会わせろとも言っていない。

 命令の撤回を懇願しているだけだ。


 声が大きいということだけで、逮捕することはできない。

 うるさくて迷惑だというなら、竜騎士団の方が遥かに近隣住民の迷惑になっている。


 竜舎の中で、隣の竜が気に入らないと咆え、もっと餌が欲しいと咆える。

 その上、訓練が始まれば普段の咆哮に加え、羽ばたきで起きた強風が屋根を吹きとばし、着地の震動で壁にヒビが走る。

 ……竜騎士団に、他人をうるさいと糾弾する資格はない。


 レッシバルを悪者にすることはできそうにない。

 彼が無理なら、友人二人も竜騎士団側もすべて無理だ。

 事態は解決不能に陥ってしまった。


 そこへ助っ人が現れる。

 キュクメロをもって見舞いに来た正竜騎士だ。


 彼は竜舎にいたのだが、周囲の竜騎士たちが誘い合って正門の方へ駆けて行くのが見えた。

 一体、何事だろうと行ってみると、そこには土下座するレッシバルの姿が。


「あいつ……」


 互いに挨拶を交わしたことはなかったが、病室で眠っている彼を見たし、征西軍での活躍と彼の竜を引き継いだので、名と顔は知っていた。


 あの日、病院に行ったが意識が戻っておらず、見舞いの品を置いて帰ってきた。

 だがこの先、彼と直接会う機会があったら、ぜひ言いたかったことがある。


 彼は人混みを掻き分けて、近付いていった。



 ***



 正騎士を羨む者は多いが、憎んでいる者も多い。

 金に意地汚く、血は平民たちに流させるが、手柄は横取りする。


 征西で大物を千匹仕留めてきた豪傑様が、少し走っただけで息が上がるなんておかしいではないか?

 陰で嗤われて当然だ。

 市民から嫌われて当然だ。


 いま必死に人混みを掻き分けている彼も、正騎士が嫌いだった。

 正騎士なのに、騎士団のそういうところが嫌いで、自分もそう見られているかもしれないと思うと、我慢ならなかったのだ。


 腐敗している騎士団より、まだ生まれたばかりの竜騎士団で真っ当な騎士になろう。

 そう考えて竜騎士に転向してきた。


 それなのに……


 竜騎士団に転向してくる正騎士には、二種類の人間がいる。

 一つは、心機一転して励んでいこうとする者たち。

 もう一つは、騎士団でうだつが上がらないから、新しいところで手っ取り早く出世したい者たちだ。


 中流貴族以上であれば一応、正騎士にはなれる。

 なれるが、騎士団の上層部は大貴族で占められており、大手柄を立てなければそこに食い込むのは難しい。

 またそれだけの武勇も才能もない。


 そこで目を付けたのが竜騎士団だった。

 とはいえ、騎士団時代に妬むばかりで努力しなかった連中が、新しいところで一念発起などするはずがない。


 彼らは面倒臭いことが大嫌いなので、孵化に立ち会わない。

 その後の飼育などまっぴらごめんだ。


 これでは竜騎士なのに、自分の竜がないという、みっともないことになってしまう。

 面倒臭いのは嫌だが、みっともないのはもっと嫌だ。


 そこで、この相反する二つをまとめて解決する。

 立派に育った竜を頂けばよいのだ。


 自分の竜がないのに、臭い、汚い、と文句を垂れながら竜舎に通っていたのはそのためだった。

 平民竜騎士から頂く竜の品定めに来ていたのだ。


 彼は、騎士団に集っている〈蛆〉が嫌で、竜騎士団にやってきた。

 だから蛆共に誘われても、品定めには加わらない。


 ちゃんと孵化に立ち会って、自分の竜を手に入れた。

 その後は、団長や先輩の〈準〉竜騎士に教わりながら大事に育てていた。


 蛆共はそれが気に入らなかったらしい。

 奴らは一計企てた。

 それが今回の出来事だ。


 計略により、レッシバルは竜を奪われたが、彼も幼竜を奪われた。

 ある日、世話をするために竜舎に行くと、そこに幼竜の姿はなく、代わりに翼が破けた若竜と命令書があった。


『傷ついたレッシバルの竜を手当てし、己の騎竜として手懐けよ』


 気付かぬうちに謀られていたことを、このとき知った。

 蛆共から妬まれていたのだ。


 真っ当な竜騎士としてやれていることが妬ましい。

 団長や他の竜騎士たちと良好な関係を築けているのが妬ましい。

 そして——

 まだ汚れていないのが妬ましい。


 おそらく、蛆共から実家へ、実家から常々機嫌を取っている大貴族へ、大貴族から陸軍という流れで発令されたのだろう。


 やられた。

 これで蛆共と同じになった。

 どう言い繕おうと、同僚たちの見る目が変わることはないだろう。

 なーんだ、やっぱりあいつも正騎士〈様〉だったか、と。


 こうして幼竜は準竜騎士の一人が引き継ぎ、彼は孤独と引き換えにレッシバルの竜を引き継ぐことになってしまった。


 本心では断りたかった。

 だが彼が断われば、蛆が引き継ぐ。


 蛆に任せたら、すべて駄竜になってしまう。

 レッシバルの竜は良い竜だ。

 奴らが不潔な手で駆除して良いものではない。


 悩んだ挙句、彼は計略に乗り、若竜を引き継ぐことにしたのだった。


 まだ付き合いは始まったばかりだ。

 近付くと威嚇の唸り声をあげられる。

 翼の具合を見ようとしたら尻尾でぶっ飛ばされ、餌を持って行けば爪で弾かれて、毎日餌まみれになっている。


 この段階、いや、もっと前の段階で蛆共は駄竜だと罵る。

 しかし彼は心に決めていた。

 何が起きても、この竜を決して駄竜とは呼ぶまい、と。


 結局、最後までこの若竜に信用されないかもしれない。

 いつか殺されるかもしれない。

 それでも、駄竜呼ばわりだけは絶対にするまい。


 それが、親子の絆を引き裂いてしまった駄人の罰だ。



 ***



 彼はレッシバルに言いたいことがあった。

 本当は静かな病院で言いたかったが、こうなったら仕方がない。

 人混みを掻き分け、団長とレッシバルの間に出た。


 レッシバルは、誰かが自分のすぐ前で膝をついているのに気付き、顔を上げた。


 相手と目が合う。


 ——誰だ? こいつ。


 同じ竜騎士団に所属していても、戦隊が違えば面識がないというのは珍しくなかった。


 同じ方面に戦隊をいくつも飛ばすということはなく、通常、一個戦隊で出撃する。

 そして一度出撃したら、しばらく帰ってこないので、すべての竜騎士が一堂に会することはない。

 二人共、初対面だった。


 いまは私服だが、レッシバルもつい最近まで同じ服装だったので、跪いている男が竜騎士だとわかった。

 顔は見覚えがないから別の戦隊なのだろう。


 目の前に、その男の手が見えた。

 傷だらけだ。

 手の甲は噛み傷、青痣、黒痣だらけ。

 すべての指に包帯が巻かれている。


 生傷が絶えない、竜騎士らしい手だ。

 この傷がなくなる頃、ようやく騎竜として一人前になるのだ。


 それにしても……

 目の前の手は、いままで見た中で一番ひどい。

 幼竜の程度を遥かに超えている傷だ。

 彼が育てているのは、相当なやんちゃ坊主らしい。


 見てわかったことはそれだけだ。

 いくら思い返しても、この竜騎士とは初対面であり、この状況については部外者のはずだ。

 団長より前に進み出てきた理由がわからない。


 困惑しているレッシバルに、彼は言った。

 病室で言いたかったことを。


「すまない。おまえの竜は、俺が大切にする」


 わかった。

 こいつだ。

 こいつが、キュクメロを持ってきた正竜騎士だ。


 理解できた途端、レッシバルの目から再び大粒の涙が零れた。

 怒りから?

 違う。

 安堵の涙だ。


 竜は、生涯一人しか乗せないというわけではない。

 中にはそういう癖の強い奴もいるが、ほとんどの個体はいつか馴れる。

 個体によって要する時間の長短が違うだけだ。


 だが、待たされるということが許せない正騎士たちに、その辛抱強さはない。

 突然気まぐれで乗ると決め、直ちに従わない者は無礼者だし、竜なら駄竜だ。


 命令書を読んだ直後は、竜を奪われた怒りで頭に血が上っていたのだが、歩いている内に段々と、怒りが心配にとって代わった。


 あの竜は賢かったが、幼竜の頃から警戒心が強い。

 信じられない者に、決してその背を許すことはない。


 正とか、準とか、そんなことは通用しない。

 人間を従わせるのと同じ感覚で近付けば、必ずや反撃を受けるだろう。

 痛い目に遭わされた正竜騎士は、必ず駄竜だと騒ぐ。


 レッシバルは途中から、駆除されることを心配していたのだった。


 だが、差し出された傷だらけの手を見て安堵した。


 治りかけると傷つき、その傷が治りかける頃にはまた次の傷……

 よく見れば、傷ついているのは手だけではない。

 全身もだ。

 怪我をしていない箇所がない。


 この満身創痍の姿こそ、竜が納得してくれるまで付き合うという意思の表れだった。


 ——こいつなら駆除される心配はない。


 包帯に滲む血の赤が鮮やかだ。

 今日、それもおそらくは、ついさっき追加された傷だ。

 他の正竜騎士だったら、間違いなく駆除される所業だ。

 いや、ここまで怪我だらけになる前に処分するだろう。


 レッシバルはヨロヨロと立ち上がった。


 こいつは竜を大切に〈する〉と言ったが、もうすでに〈している〉し、これからも〈し続ける〉だろう。

 竜に対して誠実な男だ。

 そして、人に対しても誠実だ。


 他の正竜騎士たちのように、「喜んで差し出せ! 名誉に思え!」と上から怒鳴りつけてしまえば良いのだ。

 今日の面倒事も、平民団長に任せて、高みの見物を決め込んでいても良かったのだ。


 病院へ見舞いに来る必要はなかったし、いまも前に出てくる必要は全くない。

 しかしこいつはそうしなかった。


 本意ではなかったとしても、結果として竜を横取りしてしまった。

 だから——

 あの日の見舞いは、そのけじめを付けに来たのではないだろうか?


 ただ、あの日は残念ながら、本人が意識不明だった。

 そこで今日改めて、前に出てきた。

 正騎士から謝りに行ったのに、皆が見ている前で準騎士に殴られるという恥をかきに。


 けじめ……

 鉄拳制裁か?

 すでに傷だらけのこいつを?


 鉄拳制裁というものは本来、悪いことだとわかっていない奴に、痛みでわからせるためのものだ。

 わかりすぎているこいつには不要だ。

 それよりも——


 立ち上がったレッシバルは手を伸ばし、続いて立ち上がった彼の、傷だらけの手を握った。


「あいつは警戒心が強い。どうか気長に見守ってやってほしい」


 この正竜騎士は、自分の身体か心が痛い目に遭うけじめのことしか考えていないようだが、もっと大事なことがある。

 それは、先任者と後任者、双方が終わりと始まりを実感できる引き継ぎだ。

 その方が、鉄拳制裁より遥かに意義がある。


 後任者もそれで異論はない。

 了承の意を込めて、レッシバルの手を握り返した。


「わかった」


 心なしか、二人の表情が和らいで見える。

 正竜騎士の彼からは、冗談も。


「ご覧の通り、毎日わからされているよ」


 場を笑いが包み、一つの騒動が収まった。

 いや、厳密には誰も違反行為をしていなかったのだから、何も起きていないのだが……


 レッシバルにもようやく笑顔が戻った。

 それでも、一瞬だけ竜舎の方角を見て、その笑顔に僅かな寂しさが差す。


 会えなくても平気だと言えば嘘になる。

 やはり最後に一目会いたかった。


 だが、育ての親と手当てをしてくれた人が並んだら、竜が混乱する。

 後任の彼は信頼できる人物だと確認できたのだから、もう自分は一切姿を見せない方が良い。

 見せれば、彼と竜の絆作りの邪魔になる。


 それが、孤児院上がりの準竜騎士へ誠意を尽くしてくれた彼に対する誠意だ。


 レッシバルは、騒がせたことを詫びると竜舎に背を向け、一本道を歩き始めた。

 門から小さくなって見えなくなるまで、一度も振り返ることはなかった。


 陸軍竜騎士レッシバルが、こうして終わった。

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