第27話「献花」

 ラーダから竜騎士団長への提案——

 それは、竜の翼が全快するまで、レッシバルに介抱させてもらえないか、というものだった。


 団長は困ってしまった。

 初対面の若者に言われるまでもない。

 実は、将軍と散々揉めた後なのだ。


「レッシバルから竜を取り上げることは、陸軍にとって大損失になる!」


 連日、そう説得し続けた。


 意見具申を通り越して反抗に近かったかもしれない。

 それでも命令書が病室へ届けられてしまった。


 団長個人はラーダ案を採用したい。

 だが、立場がそれを許さない。

 例外を一つ作れば、それが前例になっていく。


 陸軍は、これからも平民竜騎士から竜を取り上げていくだろう。

 そんなことはするべきではない。

 するべきではないのだが、どうしてもするというなら、別れの時間を与えないというのも、一理あるように思えるのだ。


 別れの日が近付くにつれ、「やっぱり手放したくない!」とゴネる奴は必ず出るだろう。

 親たる竜騎士がゴネれば、子たる竜もグズる。


 その後、竜はどうなる?

 親が連行された後も、竜は帰ってくるはずのない親を待ち続ける。

 正竜騎士を、決して受け入れはしないだろう。


 どうしても人を乗せない竜は、駄竜だ。

 駄竜には……駆除が待っている。


 それだけは絶対に避けたい。

 より大きな悲劇を生みかねない前例を作るべきではない。


 かわいそうだから、別れの時間を与えたいという思いやり。

 かわいそうだから、互いが無事に済むよう、非情になるべきという思いやり。

 団長の中で、この二つが取っ組み合いの喧嘩を繰り広げていた。


 余計な葛藤だ。

 ラーダはなぜ?


 それは、彼が友の土下座に共感するところがあったからだ。

 彼自身も似たような目に遭わされていた。

 それも、つい最近……



 ***



 ラーダは孤児院時代、帝都の街角で芸を見た。


 テーブルに三つの陶器製コップを逆さに並べ、その内の一つには硬貨が一枚入っている。

 それらの位置を見物客に次々と素早く入れ替えてもらった後、芸人が硬貨入りのコップを当てるのだ。


 余程、目が良い者でなければ追いきれるものではない。

 ラーダには無理だった。


 ところが、その芸人は何回やっても正解し続けた。

 探検隊の皆は感心しただけで終わったが、彼は心惹かれた。


 それから毎日通い続け、次第に芸人と顔見知りになっていった。


 そんなある日、芸人がついに教えてくれた。

 実は神業でも何でもなく、探知魔法という物探しの魔法だった。

 それを発動して、硬貨を見つけていただけなのだ。

 彼は、リーベルの魔法使いだった。


 つまり、ずっとインチキに目を輝かせていたということになる。

 知った瞬間、ガッカリした。


 だがすぐに、あることに気付いた。

 このインチキは、魔法を使える者なら、誰でもできるということだ。


 ラーダは魔法に興味を持った。

 その日から彼を師匠とし、探知魔法の手解きを受けた。


 ラーダの真剣さに対して、当初、芸人はあまり真剣ではなかった。

 弟子を導こうという真面目な気持ちはない。

 正直、ブレシア人には難しいのでは、と侮っていた。


 でも、見物客が集まるまでは暇だったので、良い暇つぶしになると思って引き受けたのだ。

 師弟ごっこのつもりだった。


 ところが意外にも、弟子には魔法の才能があった。

 すぐに探知魔法を使えるようになり、他にも〈暗視〉などの生活が便利になる魔法も習得していった。


 師匠が教えるのは、攻撃魔法以外。

 危害にならない魔法のみだったが、孤児院退所の頃には、教えることがなくなってしまった。


 とても飲み込みが早い弟子だった。

 ブレシア人風情が、と侮る気持ちはもうない。

 このまま帝国で埋もれさせるには惜しい才能だ。


 そこで、本場でもっと高度な魔法を学んではどうか、と勧めた。

 魔法の本場、リーベル王国だ。


 王国は、魔法を学びたいという外国人に門戸を開いていた。

 意欲と能力がある者は、誰でも学べるのだ。


 しかし、ラーダは金がかかりそうだと怯んだ。

 その点は師匠もちゃんと考えていた。


 王国には奨学制度がある。

 これを利用すれば、外国人でも学費と生活費の面倒を見てもらえるのだ。


 ただ、これには難しい試験がある。

 これに合格できなければ、話はそこで終了となる。


 難しいと聞いて弟子は再び怯む。

 師匠はそんな弟子を励ました。

 ずっと弟子を見てきて、こいつなら絶対に合格できるという確信があったからだ。


 結果は、見事合格。

 ラーダは、魔法使いを目指せることになった。



 ***



 探検隊の前ではお馬鹿に戻ってしまうが、リーベルでのラーダは勤勉な学生で、教官たちからの評判も良かった。


 どこの国でも、大貴族のドラ息子という奴は優秀な成績が保証されているのでやる気がない。

 それだけにラーダの真面目さが光った。


 卒業が近付くと、教官たちから王国に仕官してはどうかと勧められ、陸軍魔法兵の道へ進むことになった。


 ……陸軍?


 リーベル王国といえば〈海の魔法〉だ。

 世界最強の魔法艦隊。

 英雄ロレッタ卿を祖とする海軍魔法兵団。


 ラーダは漁師の息子だ。

 海も船も苦にならないだろう。

 せっかくリーベルに来たのだから、海軍魔法兵になれば良かったのに……


 もちろん彼もそうしたかった。

 教官たちから仕官を勧められたとき、元気一杯に答えたくらいだ。

「ぜひ、海軍魔法兵になりたいです!」と。


 だが、〈海の魔法〉はリーベル王国の奥義だ。

 王国は、魔法を学びたいという外国人に門戸を開いているが、〈海の魔法〉に関わることを許さない。


 ブレシア人のラーダには陸軍魔法兵の道しかなかった。

 これは差別だ。

 本人には解決しようがない、出身に着目した差別だ。


 彼は怒っていい。

 だが、帝国にも貴族正騎士の差別があった。

 リーベルにもあって当然だと考えた。


 しかも王国の差別は祖国と違って、国防のためという明確な理由による差別だ。

 彼は怒らなかった。


〈海の魔法〉に興味がなかったといえば嘘になるが、リーベルには魔法を学びに来たのだ。

〈海の魔法〉を学べなかったからといって、本懐が遂げられなくなったというわけではない。


 海軍でなくても魔法は学べるし、活かす道がある。

 彼はそう切り替えたのだった。



 ***



 進路が決まり、あとは卒業するのみ。

 そんなある休みの日、ラーダは学友たちに誘われ、ウェンドア市内にある〈三賢者の霊廟〉へ参拝しに行った。


 三賢者とは、滅びの道を歩んでいた小国リーベルに海洋進出を示し、繁栄に導いたという三人の英雄たちだ。

 つまり〈海の魔法〉の創始者たちということだ。


 リーベル人たちは出航前に、ここで航海の無事と成功を祈っていく。

 霊廟は祈りの場だが、観光地でもあったので、ブレシア人も立ち入ることが許されていた。


 中に入ると、三体の大きな像が参拝者を出迎える。

 中央にロレッタ卿、向かって右にデシリア卿、反対側にアルシール卿。

 三体の足元には献花が山と積まれており、人々の信仰の厚さが窺えた。


 ただ、その山の高さは均一ではなく、最も高いのはロレッタ卿の像で、次はデシリア卿だった。


 学友によると、探知魔法の達人だったデシリア卿は、いつの頃からか、学業成就の御利益が追加されたのだという。


 信仰しているリーベル人たちは気にならないのかもしれないが、外国人ゆえに客観視できるラーダは、その話に小さな違和感を覚えた。


 探知魔法の神に学業成就を祈願する……

 試験の正解が探知できますように、ということか?

 それって、不正……いや、やめておこう。

 デシリア卿に失礼なのではと思うが、リーベル人の信仰について他国の人間がとやかく言うべきではない。


 信仰は主観的なもの。

 要は、信じている者が救われたと感じられれば、それで良いのだ。


 学友たちは、ロレッタ卿やデシリア卿に献花した。

 ラーダも参道で花を買ってきたが、どちらに献花しようか?


 彼の夢は魔法使いになることだ。

 そのために海を渡った。

 師匠の言う通り、本場の魔法を学びに来て良かったと思う。

 試験が難しくて大変だったが……


 ここまでの試験も難しかったが、陸軍魔法兵になるということは、より高度な魔法を習得していくということだ。

 いまよりもっと難しい試験が待っている。


 そうなると、デシリア卿の加護が欲しいところだ。

 しかし、献花したのはアルシール卿の足元だった。


 アルシール卿は、島蛸と呼ばれる大頭足や海賊等、海の脅威を撃退した雷撃魔法の達人だ。

 その功績から、この霊廟で海難除けの神として祀られている。


 学友たちは意外そうだった。

 陸軍魔法兵は、沿岸街道の警備が任務だ。

 それなのに、どうして海難除けの御利益を?


 ラーダは献花の相手を御利益で選んだわけではない。

 不遜だと怒られそうなので胸にしまっておくが、アルシール卿に親近感を感じたのだ。


 ロレッタ卿と出会う前の彼は、漁村出身の陸軍魔法兵だった。

 ラーダも漁村出身で、これから陸軍魔法兵になろうとしている。

 似ていると思わないか?


 ロレッタ卿とデシリア卿の御利益はすごいと思うが、あやかるなら彼がいい。

 彼のような魔法兵になりたい。

 そう思っての選択だった。



 ***



 果たして、本当にアルシール卿の御利益があったのかはわからないが、ラーダは兵団に入ってからも一生懸命に励み、優秀な魔法兵になった。


 リーベル王国で兵団の一員として数えられる。

 これは、正式に魔法使いになれたと解釈して良いだろう。

 師匠のインチキ芸と出会ってから、随分と時間が掛かってしまったが、彼はついに本場の魔法使いになれたのだ。


 順調だった。

 このまま順調な日々が続くと思っていた。


 ところが……


 ラーダはある日突然、兵団から追放された。

 団長室に呼び出され、団長、副団長、直属の隊長立ち合いの下で申し渡された。

 理由は告げず、結論だけを。


 レッシバルのように発狂はしなかったが、こんな理不尽な話に大人しく敬礼できるわけがない。

 何か落ち度があったなら、それを知る権利がある。

 ラーダは理由の説明を求めた。


 しかし三人共、気まずそうに目を伏せるだけで、誰も答えようとしない。


 その様子を見て悟った。

 これは落ち度ゆえではない。

 何の非もないことで追放せざるを得なくなったのだ、と。

 考えられることは、外国人排斥か?


 ほぼ正解だ。

 正確には、外国人排斥ではなく、ブレシア人排斥だが。


 団長は引き出しから一通の封筒を取り出し、ラーダに渡した。

 中を見るよう促されたので、従うと、


「ウェンドア発、ルキシオ着?」


 封筒の中身は、定期船の一等乗船券だった。

 航海中、綺麗な一等船室に宿泊できるらしい。


 ただ、乗船日時まであまり日数がない。

 あと数日で、この国から出て行けということだ。


 ラーダの目が乗船券に釘付けになっている間に、団長は背を向けてしまった。


 視界前方の窓からウェンドア沖がよく見える。

 リーベル人にとっては、見飽きている風景だ。

 わざわざこんなときに見なくても良いものだが、居たたまれなくて、目のやり場に困っていたのだ。

 何せ、追放したくない者を追放しなければならないのだから……


 乗船券は団長の個人的な餞別だった。

 兵団長として一魔法兵を優遇するわけにはいかないが、私財の中からだったら問題あるまい。


 ロレッタ卿登場以前はエリート集団だったが、現在の陸軍魔法兵団は閑職だ。

 それでも沿岸街道やウェンドア市内を警備するという重要な役割を担っているので、まったくの端役というわけでもない。


 その団長なので、特に許可を得ずとも宮廷に入ることができる。

 だから最近、宮廷内に漂う不穏な空気を感じ取っていたのだ。


 フェイエルム王国からの使節を手厚くもてなしたかと思えば、次の週には、ネイギアスの使者と会談……


 フェイエルムは友好国の一つではあるが、国同士が離れすぎているので、互いに重要な相手ではない。

 なぜ急に親しくなった?


 ネイギアスは不気味だ。

 利益が大きければ怨敵とも手を組むし、利益のためなら恩人でも躊躇いなく裏切る。

 コタブレナの件もあるし、本当は関わり合いにならない方が良い。


 他方、帝国とは距離を取ろうとしている。

 帝国の使者を冷遇したり、ブレシア人だけ各種手続きを厳格化してみたり。


 ネイギアスと帝国は海賊の問題で揉めている。

 フェイエルムと帝国は歴史的な敵同士だ。

 この二国と親しくし、帝国を蔑ろにするということは、おそらくこれから……


 もう、ラーダに残された時間は多くない。


 若者の夢が潰れてかわいそうだが、命の方が大事だ。

 そこで、団長たち三人で協議の上、苦渋の追放を決めたのだった。


 最近、帝国船がウェンドアに来なくなったが、リーベル船はルキシオから無事に帰ってくる。

 つまり、セルーリアス海はそういう海になってしまったということだ。


 どうやら物騒な時代がやってくるらしい。

 こちらから出る定期船も、遠からず運航停止になるだろう。

 一日も早く帰らせた方がよい。


 こうしてラーダは、突然帰国の途につかされたのだった。


 何もかも中途半端だ。

 たとえば契約期間が満了したとか、そういう区切りも何もない。


 荷造りすら中途半端だった。

 家具類の処分をリーベルの友人たちに頼み、貴重品と思い出の品、それと魔導書だけまとめて定期船に飛び乗った。


 そのせいで、終わったという感じがしない。

 夢破れて帰国したのだという実感が湧かないのだ。


 身体はルキシオにあるが、心はウェンドアにある。

 帰国後、そんな状態がずっと続いている。


 だからレッシバルの気持ちがわかる。

 終わるのに必要なものは、金や理屈ではない。

 実感だ。


 それゆえの竜騎士団長への提案だった。

 どうか、レッシバルが終わったと実感できるように、竜との別れの時間を与えてください、と。

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