第26話「竜の代価」

 キュクメロを食ってしまった。

 何も知らずに「うまい、うまい」と皆で舌鼓を打った。


 ……うまかったよ。

 竜の代価にもらった汚いキュクメロは最高にうまかったよ!


 シグの話を聞き終えたレッシバルは蹲り、口に指を突っ込んで吐き始めた。


「オゴェェェッ!」


 突っ込んでは吐き、嘔吐が止まったらまた指を突っ込む、という拷問を繰り返す。


「ゲェェェッ!」


 そんなことをしても、お目当ての物が出るわけがないのに……

 とっくに排便済みだろう。


 しかしそれは理屈だ。

 いまの彼には通用しない。

 出すと決めたら、無理にでも出す。

 力尽きるか、おぞましいキュクメロが体内から排除された、と納得するまでやめない。


 異様な光景だった。

 大の男が苦しみか、悲しみかわからない涙を流しながら、病院の外で絶叫しながら吐き続けているのだ。

 何事かと野次馬が集まり始めた。


 周囲に気付いたエシトスとラーダが止めに入る。


「お、おい、落ち着けって!」

「やめろよ!」


 シグはそこに加わらなかった。


 この件について、彼は何も悪くない。

 でも、人間の心情として、制止に加わればレッシバルの興奮が却って増しかねない。

 そう考え、二人に任せてしまった。


 二人掛かりで両脇を抱えて強引に引き上げると、涙と鼻水と嘔吐物でグチャグチャになった顔が露わになった。

 二人共、あまりの形相にギョッとした。


「放せ! 俺に触るな!」


 レッシバルは暴れて逃れようとするが、二人は必死に制し続けた。

 友は今日で退院だが、本調子までしばらくかかる。

 これ以上、この拷問をさせるわけにはいかない。


 しばらく揉み合いが続いた。

 人だかりも大きくなっていく。


 二対一。

 されど勝ったのはレッシバルだった。

 病み上がりとはいえ、竜騎士といえば精鋭だった者だ。

 常人に押さえきれるものではなかった。


 また地獄絵図が……


 だが、周囲の予想に反して、彼はもう吐こうとはしなかった。

 代わりに、虚ろな目でフラフラとどこかへ歩き始めた。


 それを見たシグが、慌てて二人に声をかける。


「頼む、行ってくれ」


 レッシバルの力が思いの他強く、二人共へたり込んでしまったが、彼はもうそこの角を曲がろうとしている。


 あの状態で見失っては大変だ。

 二人は疲れた身体に鞭打ち、後を追った。


「おい、待てよ! レッシバル!」


 彼らはお馬鹿ではあったが、愚か者ではない。

 説明してもらわなくても、シグの考えていることは理解できている。

 だから「シグは来ないのか?」と尋ねたりしなかった。


 あまりにも強烈な話だった。

 レッシバルがおかしくなるのも無理はない。

 落ち着くまで、シグの姿を見せない方が良いだろう。



 ***



 エシトスとラーダはすぐに追いつき、レッシバルを止めた。


「戻るぞ! レッシバル」

「落ち着けって……うわっ⁉」


 腕を掴んでいたエシトスが、手首の一捻りで投げ飛ばされた。

 羽交い絞めにしていたラーダもその後を追わされる。


「痛ってぇ……」

「くそっ、どこからこんな力が……」


 力ではない。

 近接戦闘術だ。


 忘れているようだが、竜騎士になる前のレッシバルは準騎士だったのだ。

 騎兵は、銃や弓で敵を崩すことだけが仕事ではない。

 崩した後は突撃する。


 乱戦では剣が折れることもあるだろう。

 敵味方が密集しすぎて、剣が振り回せない状況にも陥るだろう。

 そんなときは無理に武器で倒すことに拘らず、格闘術に切り替えた方が良い。


 そこで帝国軍では、武器の他に近接戦闘術を訓練していた。

 朦朧とした意識の中でも、身に染み付いていた動きが出たのだ。


 掴みかかると危険なので、二人は前に立ち塞がる作戦に変更した。

 それでもヨロヨロと近付いて来られると、咄嗟に手が前に出してしまい、その度に投げ飛ばされてしまうのだが……


 そうしている内に、二人は気が付いた。

 レッシバルは彷徨っているのではない。

 足取りはおぼつかないが、目的地に向かって歩いている。


 一体、どこへ?


 二人は取り押さえるのをやめ、付いていくことにした。

 大通りを横断し、何度か角を曲がる。


「おい、こいつは……」

「ああ、やばいぞ」


 友がどこを目指しているのかわかった。

 もうこの先に曲がり角はなく、目的地まで一本道だ。

 身体を張ってでも止めなければ!


「おい、やめとけって……うわぁっ!」

「逮捕されちまうだろ……痛てててっ!」


 本日何度目かわからない妨害の排除を完了し、レッシバルはヨロヨロと目的地へ。

 陸軍の竜舎へ。


 門番はすでに気付き、異常を報せる鐘を打ち鳴らしている。

 三人の男たちが揉めながら、こちらに接近してくるのだ。

 当然だろう。


 中からワラワラと武装した兵士たちが出てきてしまった。

 正面には彼らの上官らしき人影も。


 二人にもその様子が見えた。


 ——これ以上進んだら、こいつが逮捕されてしまう!


 取り押さえる手に一層力が入った。

 投げ飛ばされようが、関節を極められようが、へこたれずに。


「いい加減にしろよ! ……痛い痛い痛い!」


 二人は全力を尽くした。

 けれども奮闘空しく、とうとうレッシバルが門前に辿り着いてしまった。

 あと一歩前進したら、友は逮捕される。


 しかし、意外にも彼はそこで立ち止った。

 そして、正面の上官らしき中年軍人に向かって土下座した。


「……何の真似だ?」

「教えてください。団長」


 ——団長、この人が?


 ズキズキ痛む身体をさすりながら、エシトスとラーダはレッシバルを見下ろすその軍人を見た。


 騎士団長とか、将軍と呼ばれる高級軍人は、初老に差し掛かった貫禄のあるおじさんが多いが、目の前の竜騎士団長はそれより若い。

 まだ出来たばかりの軍団なので、団長が若いのかもしれない。


「命令書は読んだのだろう?」

「はい。でも……」


 団長はそれ以上言わせない。

 そこに書いてあった通りだ、と話を打ち切ろうとする。


 だが、それで納得できるはずがない。

 金をやるから竜を手放せとは、あんまりな仕打ちだ。

 レッシバルは引き下がらなかった。



 ***



 ピスカータ村の少年たちは皆、正騎士に憧れていた。

 レッシバルもその一人だった。


 その夢を諦め、準騎士の道を目指したのは、モンスターや海賊を撃退するためだ。

 もう、ピスカータのような村が出ないように。


 だが、いくら陸で強くなっても、海の敵には届かない。

 そのことを北の海で思い知った。


 自分には無理だったのかと諦めかけた。


 そのときに示されたのが空だった。

 竜なら、地形の制限を受けず、真っ直ぐ最短距離で駆け付けることができる。


 これだ。

 これこそが、ずっと探し求めてきたものだ。


 一戦隊、いや、一騎だけでもいい。

 これを南方や北方の辺境に配備するだけで、ネイギアス海賊やモンスターからピスカータのような村を救うことができる。


 子供の頃からずっと探してきた答えにやっと辿り着けたのに、なぜ取り上げようとする?


 何か足りないものがあるというなら、命懸けで改善する。

 謝れというなら、許してくれるまで土下座する。

 だから、


「だから、俺から竜を取り上げないでください!」


 言い終わるなり、額を地に付け、


「お願いします! お願いします! お願いします——」


 懇願が延々と続く……


 大の男が土下座しながら喚き散らしているというのは、無様な光景だ。

 でも、いまこの場で彼を嗤う者は一人もいなかった。

 全員、その迫力に呑まれていた。


 団長は必死の願いを聞いている内に胸が詰まり、目頭が熱くなってきた。

 レッシバルに足りないものはない。

 謝らなければならないのは、帝国の方だ。


 団長も内心ではおかしいと思っている。

 それでも正騎士が欲しているなら、黙って引き渡すしかない。


 今日はレッシバルの番だったが、明日は誰の竜が取り上げられるかわからない。

 手っ取り早く、団長の座を寄越せと言って来るかもしれない。


 彼ら自身が法だ。

 逆らえば、処罰が待っている。

 それがこの国だ。


 しばらくは正騎士の皆様が、竜騎士団を独占なされるだろう。

 再び平民の手に返ってくるのは、団として機能しなくなった頃か、あるいは……

 無体な扱いをしすぎて竜の逆襲に遭ったり、腕が未熟で墜落したり、そういった被害が見過ごせないほど増えた頃か。


 そのときも団長や幹部の座は手放すまい。

 竜騎士団は、現在の騎士団と似たような組織に落ち着くだろう。


 おそらく平民団長は一代限りだ。

 最近、ようやく団として機能するようになった。

 もう、平民団長は用済みだ。


 あとはいつ取り上げるかなのだが、正騎士たちも馬鹿ばかりではない。

 いきなり団長交代では、まだ大多数を占める平民竜騎士の反発を招く。

 そこで、末端の竜騎士から少しずつ交代させているのだろう。


 いまは少数派だが、段々と貴族竜騎士の割合が増えていき、やがて拮抗する日がやってくる。

 団は正騎士派と平民派に分かれ、作戦にも支障が出るようになっていく。


 正騎士派は平民団長の言う事には従わない。

 だが、それを正そうとすれば、各実家から横槍が入る。


 彼らは口々に叫ぶだろう。


「処罰で部下を脅すことしかできない無能な団長だ!」

「竜騎士団を率いる器ではない!」


 たぶん、団長罷免の筋書きはこんな感じだろうと予測している。

 ……くだらん。


 常々、そんな思いを抱えながら団長職を務めてきた。

 だから、レッシバルの気持ちはよくわかる。


 わかるからこそ、言いたい。

 これ以上、レッシバルのような優秀な若者が、くだらない社会の犠牲になるな、と。


 金をくれるというのだから、大人しく受け取り、軍のことも、竜のことも忘れて、どこかで幸せに暮らしてほしい。


 ただ、これをそのまま語るわけにはいかない。

 騒ぎが収まらないので、人が増えてしまった。

 野次馬の中には〈正〉竜騎士も混ざっている。


 彼らに聞こえてしまうので、いまこの場で話せることは少ない。

 しかし、そんな限られた言葉では、レッシバルを納得させられない。


 どうやってこの状況を収めようか?

 団長は瞑目して考えた。


「…………」


 グズグズしていると、騒ぎを聞きつけた憲兵がやってくる。

 そうなれば、何の罪もないレッシバルが投獄されてしまう。


 とりあえず自分たちの手で逮捕しておき、落ち着いた頃によく言い聞かせるしかなさそうだ。

 正直、それも不本意だが仕方ない。

 憲兵の手に落ちるよりはマシだ。


 そんな考えが纏まりかけたときだった。


「あの、一つよろしいでしょうか?」


 土下座が始まってから、友人二人がレッシバルの両脇を抱え上げ、必死にやめさせようとしていた。

 その片割れが、何か妙案を思い付いたのか、団長に向き直った。

 ラーダだ。

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