第25話「正竜騎士」

 ピスカータ村の生き残り、少年探検隊。

 親の言いつけを守らない悪ガキ共だったが、皮肉にもそのおかげで難を逃れた。


 神官共はこう言うだろう。

 神様が少年たちをお助け下さったのだ、と。


 いや、それは違う。

 神様が慈悲深いのは神官と熱心な信者に対してだけだ。

 それ以外の一般人に対しては非常に冷たい。


 自分で作った世界だろうに、面倒臭いことはすべて人間任せ。

 しかも基本的に人間の自腹で……


 それでも助けてくれたのだとしたら、それは神様の計画のためだ。

 まだ世界のために果たすべき使命が残っているからだ。


 見舞いに来てくれた竜騎士も、その計画に必要な者だった。

 彼の役目は、竜を取り上げること。


 ……レッシバルをいじめたいわけではない。

 でも、どうしてもそうせざるを得ないのだ。


 竜の翼はまだ治っていないが、破けた箇所は着実に回復している。

 そして、レッシバルは竜の回復より早く退院する。


 遠からず、彼らは大空に復帰できるだろう。

 陸軍竜騎士団として。


 小竜隊は海軍の竜騎士団だ。

 竜の扱いを学ぶためには陸軍に入るしかなかったのだが、これ以上の長居は計画に支障が出る。


 ゆえに彼と竜を引き離す。


 主が帰ってこないと知ったら、竜は悲しむが……



 ***



 退院当日、レッシバルとシグが病院の正門で揉めた。

 原因は、シグが預かっていた陸軍の命令書だ。


 書き方は物々しかったが、要するにレッシバルに除隊を命じるという内容だ。


「……何で?」


 それが率直な感想だろう。

 何か落ち度があっただろうか、と心当りを探ってみるが、何も見つからない。


 それはそうだろう。

 落ち度どころか、大活躍してきたくらいだ。


 だからこれは処罰ではない。

 お手柄だったから、階級を昇進させた上での名誉除隊と書いてある。


 他にも別紙があり、そこには年金を支給するとか、名誉除隊者の優遇措置について色々と……

 正直、除隊の文字が強烈すぎて、他の内容が頭に入っていかなかった。


 それでも怒りに震える手で一枚ずつ捲っていくと、ある一文が目に止まった。


「……何だよ、これ……何でっ⁉」


 怒りが頂点に達したレッシバルは、すべてをグシャグシャに丸めて地に叩きつけた。


 ザルハンスは海軍に入り、ネイギアス海賊と戦う日々を送っている。

 先日は休暇を利用して見舞いに来てくれたが、皆でキュクメロを食べた後、すぐに帰った。

 いま頃は帝国南方の海上だろう。


 エシトスとラーダはザルハンスほど忙しくはなかったので、退院を祝いに来たのだが、急な激昂に驚いていた。

 さっきまでの和やかさが嘘のようだ。


 命令書の紙玉がコロコロと、ラーダの足元に転がってきた。

 何が友をここまで変えたのか、と二人で皺を伸ばして読む。


「…………えっ?」


 二人とも、レッシバルと同じ箇所で衝撃を受けた。

 まずは〈除隊〉の文字。

 そして、〈以後、竜への接近を禁止する〉の一文。


 ここまで読んだ二人も、本人と同じ反応を示した。


「何で?」

「レッシバルに何の罪が?」


 驚いてレッシバルを見ると、彼はシグを睨んでいた。


 シグの様子がおかしい。

 友が急に怒り出したら、エシトスとラーダのように驚くのが普通ではないだろうか?


 にも関わらず、二人のように内容を知ろうともしない。

 それ以前に、驚いてすらいなかった。

 つまり、


「知っていたのか?」

「……ああ」


 ザルハンスたち三人が来るまで、基本的にシグが一人で病室に通っていた。

 そんなある日、陸軍から一人の士官が見舞いに来てくれた。


 レッシバルは陸軍の軍人なのだから、陸軍から人が来るのは珍しくない。

 まだ目覚めない本人に代わってシグは礼を述べたのだが、彼はただ見舞いに来たわけではなく、命令書を渡しに来たのだった。


 しかし本人はご覧の通りだ。

 仕方なく、士官はシグに命令書を託した。

 同時に、その内容も教えてくれた。


 竜騎士と竜の間には絆がある。

 これを断ち切ろうというのだ。

 すんなりと納得する竜騎士はいない。


 だがもし、竜舎にやってきたら命令違反の罪で逮捕しなければならない。

 陸軍としては、征西軍を全滅の危機から救ってくれた功労者に手荒なことはしたくない。


 そこで、シグに事情を明かし、頼んでいったのだ。

 どうかレッシバルを宥めてやってくれ、と。


「……おまえ、そんな酷い話を快く引き受けたのか?」

「そんなわけないだろ!」


 今度はシグが声を荒げた。


 何の落ち度もない友から、眠っている間に竜を取り上げる——


 これは、命がけで征西軍を救った者に対する冒涜だ。

 快諾どころか、思わずその場で士官を罵ってしまったくらいだ。


 聞けば、彼も準騎士だという。

 だから病院へ遣わされたのだ。

 こういう面倒事に正騎士は出てこない。


 彼は上からの命令を伝えに来ただけだ。

 頭では理解しているが、どうしても許せない。

 さすがのシグも我慢できず、つい罵ってしまったのだ。

 恥を知れ、と。


 士官は反論してこなかった。

 代わりに短く、


「あの若竜を引き継ぐのは、正騎士だ」


 帝国社会において、正騎士というのは殺し文句だ。

 どんな奇天烈な話も、正騎士という一語が加われば、それ以上の説明は不要になる。


 シグは「お大事に」と言って帰る士官を、黙って見送るしかなかった……



 ***



 正騎士は特権階級だ。

 あるいは、特権階級にある者が正騎士になれる。


 これが現代の常識だ。

 だが、初めからそうだったわけではない。


 かつて、正騎士の称号が純粋に能力を表していた時代があった。

 優秀なら平民でも正騎士になれるし、凡愚な貴族は準騎士止まりだ。

 下手をすれば、貴族でありながら準騎士にすらなれない可能性も。


 貴族たちにとって、これは良くない。

 これでは自分たちの威厳に傷がつく。


 そこで貴族たちは悪知恵を働かせ、どのような意味にも受け取れる言葉に解釈を付け加えた。

 彼らが着目したのは〈能力〉という言葉だ。


 能力とは——

 馬術や武芸の優劣だけにあらず。

 軍団を率いる将に相応しい〈格〉という意味も含む。

 彼らはそう主張した。


〈格〉を持ち出されたら、最初から平民に勝ち目はない。

 とんでもない言い草だ。

 しかし、意外にも平民の異議不服は小さかった。


 皆、妬ましかったのだ。

 同じ平民なのに、あいつだけうまく出世しやがって、と。

 中には功績が認められて爵位を授かる者もいたから、余計に……


 皆はズルいと妬むが、平民正騎士は決して楽になれるものではない。

 能力比べも、貴族の家に生まれた方が有利だ。

 貴族は良い先生をつけてもらえるが、平民にはそれがない。

 その不利を、才能と努力で覆した者が平民正騎士になれるのだ。


 しかし、心ない人間はその苦労を見ようとはしない。

 我が手にできなかったものを、彼は手に入れているという一点だけを憎む。

 苦しいのが嫌だから、彼のように努力しなかったくせに……


 貴族は、この悪心を見逃さなかった。


「能力はあっても格を備えていない平民が、同じ平民の上に立つべきではない」


 貴族が投げかけた〈能力〉についての解釈は、平民の悪心によく響き、受け入れられていった。


 そして現代まで引き継がれているあの戒めが生まれたのだ。


「正騎士は貴族や御大尽様がなるもの。平民は分を弁えるべき」


 これを生み出したのは貴族だが、帝国社会に定着させていったのは民衆だ。

 正騎士を貴族に独占させているのは、他でもない民衆なのだ。


 こうして貴族の思惑通り、平民の手で平民正騎士を絶滅させることに成功した。

 そしてこの成功によって、もう一つ思惑通りにいったものがある。


 金と力を手に入れた者が、次に求めるもの。

 尊敬……

 いや、崇拝だ。


 その後も帝国の子供たちは、正騎士に憧れ続けた。

 止める親たちも本心では応援したい。


 貴族にとってもこれは大変良いことだ。

 門戸は開いておくから、ぜひ目指すべし。

 結局、〈格〉が備わっていないのだから、彼らが正騎士になれることはないのだが……


 それでも何かに挑戦するということは無駄ではない。

 平民志願者にとっては無益だが、貴族にとっては有益だ。


 夢の残骸が裾野に積み重なった分だけ、正騎士という山の威容が増す。

 威容が増した分だけ、その頂に立つ貴族たちの尊さが増すではないか。



 ***



 人々の尊敬と憧れを一身に集めてきた正騎士が、他人の竜を巻き上げる。


 正騎士らしい行いだが、馬から竜に切り換えるのか?

 ブレシア人の誇りを捨てるのか?


 いや、馬はいまでも彼らの誇りを表す大切なものだ。

 心変わりしたわけではない。


 ところが最近、社会の空気が変わってきた。

 子供たちが、竜騎士になりたいと言い始めたのだ。


 幸い、その数はまだ少ない。

 騎兵より危険だから、親も基本的に止める。


 そう、〈基本的に〉だ。

 これが問題だった。

 竜騎士に憧れる子供を止めない親が出てきたのだ。


 平民は正騎士になれない。

 そこで件の親たちは、出世の見込みがない騎士団より、まだ始まったばかりの竜騎士団へ、と考えを改め始めていた。


 事実、危険を嫌がった正騎士たちが尻込みしている間に、竜騎士団は実力本位の集団になりつつあった。

 準騎士からの転向者や、最初から竜騎士団志望だった平民竜騎士が集まれば、自然とそうなっていく。


 だから竜騎士団は強い。

 その活躍は、皇帝陛下のお耳にも入っている。

 遠からず、彼らの中から爵位を授かる者が出てくるだろう。

 これでは平民正騎士の時代に逆戻りだ。


 悪い芽だ。

 早く摘まねば……


 貴族たちは考えた。

 自分の身に何かあっては一大事と、竜を避けてきたが、社会が〈悪い〉方向へ流れていくのを看過しているわけにはいかない。

 馬から竜へ切り換えるのではなく、馬も竜も、貴族正騎士が押さえなければ。


 それから見たくもなかった竜騎士団を真面目に見るようになった。

 そんなある日、彼らは気が付いた。


 最も危険なのは、育った若竜に鞍を付け、騎乗に慣れさせる訓練のときだ。

 訓練後、どこかへ出撃して無事に帰ってくれば、もう人に馴れたと判断して良いだろう。


 ここまでが平民竜騎士の仕事。

〈正〉竜騎士は、人間に馴れたその竜を引き継げば良かったのだ。


 馬とは違い、新しい主に馴れさせるのに時間はかかるが、初騎乗の大暴れからやるよりはマシだ。

 好きな餌でもやりながら優しくしていれば、そのうち馴れる。


 だから、今後も子供たちは好きな方に憧れるといい。

 正騎士でも、正竜騎士でも……


 士官がシグに語った殺し文句。


「あの若竜を引き継ぐのは、正騎士だ」


 この短い一文に帝国社会を蝕む病が表れていた。



 ***



 シグは平民出身の外交官。

 士官も平民出身の準騎士。

 平民二人が言い争っても仕方がない。


 これがブレシア帝国だ。

 二人共、「お大事に」と静かに終わるしかないのだ。


 後日、別隊の竜騎士がキュクメロを持って見舞いに来たが、彼がレッシバルの竜を引き継ぐ〈正〉竜騎士だ。

 見舞いを終え、門まで見送ったときに明かされた。


 彼の隊長からは行かない方が良いと止められていたそうだが、若竜を引き継ぐ者として、筋を通しにきたのだという。


 シグは正直、「こいつがレッシバルの竜を!」と頭に血が上った。


 しかし、冷静になって考えてみた。

 そもそも彼が名乗り出る必要はなかったし、病院に来る必要もなかったのではないか?


 命令を盾に、他人が育てた竜を我が物顔で乗り回しても構わないのだ。

 他の〈正〉竜騎士たちはそうしている。


 でも、彼はそうしなかった。

 正騎士でありながら、平民のところへ罵られに来たのだ。


 彼の話し方、佇まいからは正騎士特有の荒んだ雰囲気が感じられない。

 騎士団長だった孤児院の院長先生に近いものを感じた。


 それでも彼は陸軍竜騎士だ。

 軍人だから命令に従い、他人の竜を引き継ぐ。

 たとえ本心では不本意だったとしても。


 一方、レッシバルから見れば、どう言い繕おうと、彼は竜泥棒だ。

 ブレシア族の時代なら、馬泥棒は大罪だ。


 思うに、彼は命令を盾にお咎めなしというのが気持ち悪く、明日から正々堂々乗るため、筋を通しに来たのではないだろうか?


 これは考えすぎかもしれないが……

 あのキュクメロは、ぶつけてもらうために持参したのかもしれない。

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