第24話「キュクメロが示す未来」
神聖魔法は便利なものだ。
こんな言い方をしたら神官が怒るかもしれないが、褒めているのだから喜んでもらいたい。
彼らが崇め奉れと強要するカミサマはいらんが、魔法は別だ。
神聖魔法はありがたい。
おかげでレッシバルが助かった。
帝都は戦場ではない。
ゆえに、ここでは重傷者が優先される。
彼が帰還すると、病院で待ち構えていた神官の〈治癒〉をすぐに受けることができた。
火傷や傷はこれで塞がった。
とはいえ、治癒すべき面積が広すぎて、二日を要したが……
あとは前回と同じだ。
失った血と体力は休息で回復させるしかない。
七日目——
今日はレッシバルとは別の戦隊の竜騎士が見舞いに来てくれた。
だが、その最中も彼の意識は戻らず、シグが門の外まで見送った。
病室へ戻ろうと廊下を歩いていると、複数人の楽しそうな声がする。
レッシバルのところからだ。
——意識が戻ったのか⁉
シグは駆け足になった。
壁に貼ってある『ここは病院です。廊下は走らず、静粛に』という張り紙が、あっという間に後方へ流れ去る。
いま病室には、少年探検隊の仲間たちが集まっていた。
入院など頻繁にするものではない。
それが短期間に二度も。
心配になった彼らが、各地から見舞いに来てくれていた。
さっきまで静かだった彼らが騒いでいるということは、レッシバルが目覚めたということだ。
良かった、と喜びながら病室に飛び込んだ。
ところが……
「……何してんだ? おまえら」
シグの喜びは消え去った。
彼らが騒いでいたのは、レッシバルの意識が戻ったからではなかった。
さっきの竜騎士が置いていった見舞いの品に喜んでいたのだ。
見舞いの品は、キュクメロというネイギアスの果物だった。
とても甘くて、香りが良い。
連邦は嫌いだが、キュクメロは好きだという者は多い。
元々高級品ではあったのだが、ネイギアス海賊が南で大暴れするようになってからは流通量が減った。
そこへ関税が重なり、庶民には手が届かないほど値が高騰している。
竜騎士が帰った途端、探検隊がお祭り騒ぎになったのはそのためだ。
シグが一点を見つめたまま動かない。
バツが悪そうに静まり返った一同がその視線を辿ると、ナイフが突き刺さっているキュクメロに到達した。
切り分け作業の途中だった。
「目が覚めないんだから、飾っておいても傷んじまうよ」
ザルハンスがそう正当化すると、
「そうだよ。せっかく持ってきてくれたのに、腐らせたら申し訳ないじゃないか」
と、エシトスも同調した。
かつて少年探検隊は、村近くの山に住み着いたゴブリン共へ、人間側の縄張りを主張しようと計画した。
山に到着した隊は二人一組に分かれたのだが、最初にゴブリンに見つかり、追いかけられた組を覚えているだろうか?
彼らがその組だ。
「…………」
シグの難しい顔が直らない。
「あの……ちゃんとシグの分もあるぞ?」
ナイフで切り分けようとしていたラーダも、恐る恐る言い訳を述べた。
彼はシグと一緒だった少年だ。
ちゃんと四等分にしようとしていた。
シグを除け者にしたわけではない。
「…………」
それでも、シグの顔は直らなかった。
思わず、三人が顔を見合せる。
行儀が悪かったかもしれないが、何もそんなに怒らなくても、と。
しかし、シグが難しい顔をしているのは、彼らの行儀のせいではない。
キュクメロを見て、気になったのだ。
近頃の高騰ぶりに。
値上がりの原因は、ネイギアス海賊による流通阻害と帝国の関税だと国中の者が知っている。
そのことは彼もわかっている。
ただ、物事には程度というものがあり、現在のキュクメロ高騰はその程度を大きく逸脱しているのだ。
目の前の三人が浮かれ騒ぐほどに。
彼が気になったのは、その逸脱の原因だ。
キュクメロの原産地はネイギアス地方だが、現在は他の地域でも生産している。
とはいえ、いずれの国も遠く、出航するときには庶民的な値だった物も、ルキシオ港で陸揚げするときには、高級品に変身している。
しかも日数がかかった分だけ鮮度が落ちる。
値が同じくらいなら、新鮮なネイギアス産が良い。
だから他国の商人は、キュクメロを帝国に持ち込もうとは思わない。
このようにルキシオ港は事実上、ネイギアス商人の独占市場と化していた。
だから関税は痛くも痒くもないはずだ。
関税で損した分を価格に上乗せして、帝国市民に払ってもらえば良いのだから。
ところが最近、港からネイギアスの船が消えた。
流通量激減と常軌を逸した高騰はそのためだ。
入荷がなく、現品を取り合うのだから、当然そうなる。
これは「大好きなキュクメロが食べられなくなって悲しい!」という微笑ましい話ではない。
ネイギアス船が持ち込む他の品々も不足し始めている。
遠からず枯渇する日が来るだろう。
ならばネイギアスに拘らず、他国へ仕入れに行きたいと思うのだが、どこへ向かうにもセルーリアス海を通らなければならず、そこにはリーベル海軍が……
大分断より前、帝国が支配していた土地からは様々な産物が手に入った。
これをモンスターから取り戻すことができれば、ネイギアスの品に頼らずとも、自給自足が可能となるはずだった。
そうなれば、ネイギアスやリーベルの海上封鎖は意味がなくなる。
だからこそ、今次征西にかけられていた期待は大きかったのだ。
モンスターに苦しめられているのは、西側諸国も同じだと思っていた。
帝国に対して歴史的な抵抗感があるかもしれないが、共通の敵を倒すため、人間同士共闘できるのではと考えていたのだが……
認識が甘かった。
これが西側の答えだ。
西方に辿り着いたレッシバルが、ボロボロになって帰ってきた。
南には海賊。
東と北には無敵艦隊。
そして今回、西も長壁とモンスター〈軍〉で塞がれているとわかった。
シグは外交官だ。
国の際に立ち、他国との交渉の最前線で働いているからこそ、国民より先に自国が置かれている状況がわかる。
そう遠くない日、帝国の住人たちも知るだろう。
この国が枯れるのだ、と。
キュクメロはその象徴だ。
彼は、仲間たちが自分抜きで切り分け始めたことを怒っていたのではない。
海の向こうからやってくるこの果物を見て、気を引き締めていたのだ。
交渉相手はセルーリアス海の向こう。
もう、レッシバルたち陸軍にできることはない。
あとは難航しているリーベルとの交渉を、何としても成功させるしか道はないのだ。
これが決裂したとき、帝国の命運は尽きる。
そのときだった。
「ちゃんと五等分にしろよ。ラーダ」
予期せぬ声が病室の不穏な空気を破った。
一同が声の方へ注目する。
「レッシバル!」
帝都帰還から七日目、彼は意識を取り戻した。
ちょうど眠りが浅くなっていたのと、三人のお祭り騒ぎが重なった。
目覚めたというより、起こされたのだ。
全員喜びに沸き、キュクメロの揉め事など、どこかへ飛んでいった。
神聖魔法は傷を治してくれるし、体力も多少は回復させてくれる。
しかしこれは、あくまでも信者を苦しみから救う神の御業なのだ。
人体の修理術ではない。
修理ではないから、減った生命を補給してはくれない。
たとえば〈生命の消耗〉とでも表現しようか?
そのような消耗は時間をかけて、自然に癒していくしかない。
ゆえに回復できず、傷は治っているのに亡くなってしまうということが起こり得る。
今回のレッシバルも危なかったのだ。
それだけに、友の生還が仲間たちには嬉しかった。
だが、病院でこれだけ騒いでいれば他の患者に迷惑なので、薬師が注意しに来る。
そこで患者の意識が戻ったことを知り、急遽、診察することになった。
シグたちは廊下に出された。
病室が狭いので、このままでは薬師とその助手が入れない。
と薬師たちから言われたが、たぶんこれは建前だ。
本当は……
室内から診察の声が聞こえる。
痛いところはないか?
手足は動くか?
目が霞んだりしないか?
四人は壁に沿って整列し、大人しく終わるのを待った。
「…………」
質問攻めが終わらない。
本人が「大丈夫だ」と答えているのに、「それじゃ、ここは?」と薬師がしつこい。
診察の邪魔にならないようにと静かにしていたのだが、三人は段々我慢できなくなってきた。
「なあ、シグ」
「ん?」
暇を持て余したエシトスが、右で静かに立っていたシグに話しかけた。
「俺たち、大人になったのに…… なんで廊下に立たされてるんだ?」
それは邪魔だったからだろう。
「部屋が狭いから」というのは建前で、本当はうるさいから追い出されたのだ。
薬師の見立ては間違っていない。
退屈になったこいつらが、薬師の器具を勝手にいじり始めるのは明白だ。
病院で騒いでいる奴はお馬鹿だ。
お馬鹿だから外に立たされたのだ。
しかし、シグはそれを口にすることはなかった。
言えば矛盾に陥ってしまう。
一緒に立っているのだから、自分もその一員ではないか。
代わりに出た言葉は——
「知らん。自分で考えろ」
突き放されたエシトスは左のザルハンスとヒソヒソ。
(シグが怒ってる)
(やっぱりキュクメロのことを?)
(ラーダが勝手に……)
ザルハンスの左で聞いていたラーダは慌てた。
シグが遅いから切り始めようという雰囲気だったのに、自分一人に罪を擦り付けられてはたまらない。
(俺のせいにするな!)
隣で聞きながら、呆れたシグの口から溜め息が漏れた。
——こいつら本当にお馬鹿だな。
でも……
シグは隣の擦り付け合いには加わらず、静かに目を閉じた。
彼らのやり取りを聞いていると、瞼の裏に、なつかしきピスカータ村が浮かんでくる。
毎日こうやってお馬鹿をやって、親父たちに怒られて、それでも懲りずにまたお馬鹿を……
楽しかった。
あんな出来事がなければ、いま頃、皆と楽しく暮らしていたのだろうか?
あるいは予定通り、正騎士を目指して村を出たが、夢が破れて帰ってきた頃だろうか?
しばらくは不貞腐れているだろうが、そのうち心を入れ替えて親父と漁に……
彼はそこで目を開き、現実に帰ってきた。
村は滅ぼされ、自分たちは大きく変わり、これから海の敵によって国が滅ぼされようとしている。
——もう、あんな思いを誰にもさせてはならない!
シグは決意を新たにするのだった。
ところがその横で、ヒソヒソ揉め事が終わらない。
せっかく、カッコ良く決めたのに、これではしまらない。
「おい、鬱陶しいからやめろ。犯人はおまえら三人だ」
判決には全員不服だったが、シグ裁判長から有無を言わせない迫力が滲み出ていた。
有罪判決が確定した三人は、口を尖らせながらも渋々静かになった。
何歳になっても、立場や身分が変わっても、少年探検隊はいつまでも少年探検隊なのだ。
彼らにとってシグは、帝国外務省リーベル王国担当官ではなく、ピスカータ村少年探検隊の隊長だった。
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