第23話「主に成り代わって……」

 レッシバルが投じた炸裂弾のおかげで、征西軍は湿原のことを思い出した。


 油は天を衝く勢いで燃え上がり、炎の長壁となって人間たちを阻む。

 また傭術兵操るモンスター軍も、再び東、北、西と半月状に退路を塞ぐ。


 逃げ場はない……

 自分たちの置かれている状況を理解した征西軍は、北に向かって鋒矢陣形で突撃した。


 騎兵の槍がモンスターの鱗と肉を貫き、モンスターの力は鎧と人間を粉々に砕く。

 正視に耐えない地獄の潰し合い。

 制したのは征西軍だった。


 死を覚悟した兵の前に立つな、というのは本当だ。

 凡そ生物は逃げ道が残っているなら、無理に戦おうとはしないが、退路を断たれたら死に物狂いで戦う。

 相手に勝つ以外、生き延びる道がないからだ。


 モンスター軍の間違いは、全方位を塞いでしまったことだ。


 傭術で心を支配されているモンスターは、確かに死を恐れない。

 だが、これは死んでも勝ちたいという意味ではない。

 征西軍のように、生きたければ勝つしかないという強い気持ちはなかった。


 それでも多勢であることと、気合いが入らない代わりに何があっても黙々と攻め続けることができるというのは強かった。

 両軍は拮抗していたが、予期せぬ味方が現れたことで流れが征西軍に傾いたのだった。


 予期せぬ味方——

 空からいなくなっていたレッシバル騎だ。

 翼が破れているらしく、東の地上に四足歩行で現れた。


 現れたとき、すでに顎は膨らみ、牙から炎が漏れていた。

 モンスターは南から突き上げてくる人間共への対応で手一杯だ。

 ガラ空きの敵側面へ、竜はありったけの炎を吐き出した。


 ゴォォォッ!


 南の炎は絶望を齎したが、この炎は征西軍を勢い付かせた。


「竜だ!」

「これなら勝てるぞ!」


 この戦場を隠れて見ていた傭術兵は、帝国軍に対しても術をかけようとしていた。

 しかし、生きたいという根源的な衝動と、生きられるかもしれないという希望の前に、傭術の囁きはあまりにもか細かった。


 敵左翼は壊滅した。


 これを見た傭術兵は、層が厚かった中央の群れを分け、新たな左翼にしようとした。

 そうしなければ征西軍を逃がしてしまう。


 ……判断の難しいところだ。

 空いた東を抜けようと、征西軍は北から北東へ進路を変更しようとしていた。

 これを塞ごうとするのは間違いではない。

 しかしその分だけ北を塞ぐ中央が薄くなる。


 傭術兵は傭術の専門家であって、一軍の指揮官ではない。

 指揮について素人同然の傭術兵が、この微妙な加減を臨機応変に行うのは無理だった。


 対する征西軍は違う。

 騎兵は臨機応変の連続だ。

 進路も陣形も目紛しく変化していくので、彼らは状況に即応するということに慣れていた。


 だから敵中央の乱れを見逃さなかった。

 北東へ転じかけた進路を北へ戻し、中央を突破。

 征西軍は退却に成功した。



 ***



 囲みを突破した後、征西軍は進路を東へ変更。

 帝都へ帰還する。


 帰る道々、奪還した要地警備に残していた竜騎士団の各戦隊にも帰還を命じた。

 せっかく取り戻したのだが、モンスターが多すぎる。

 しかも中央部へ進むほど、大型で強力な種族が増えていく。

 これでは復興に入った民間人を守りきれない。


 また、驚くべきは旧都の西で受けた計画的な襲撃だ。

 大陸東側でも強いモンスターが群れを率いていることはあるが、あくまでも同族内での話だ。


 対して、西側で出会ったあのモンスターたちは違う。

 多種多様なモンスターが一つの意思の下、統率されていた。

 あれは〈群〉ではなく、〈軍〉と言って良いだろう。

 これらを一掃するには西側諸国と挟撃するしかないのだが、親書を渡すどころではなかった。


 今次征西も失敗に終った……


 多大な犠牲を払いながら、主要な街を取り戻すこともできず、普段より多めにモンスターを駆除できただけだった。


 それでも幸いだったといえるだろう。

 もしかしたら、湿原で全滅していたかもしれなかったのだから。


「彼が、命がけで報せてくれたおかげだ」


 レッシバルの病室へ見舞いに来た征西軍の者たちは、口々にそう称えた。

 本人が聞けば喜んだかもしれないが、まだ意識が戻らない。


「ありがとう。目覚めたら本人に伝えておく」


 帝都に血の繋がった身内はいないので、シグが代わりにそう答えるしかなかった。

 こんなやり取りが、征西軍帰還から今日で五日目になる。


 ここは帝都の病院。

 以前、レッシバルが入院したのと同じ病院だ。

 意識不明の重体で帰還した彼は、今日もその一室で眠り続けていた。



 ***



 時を、炸裂弾投擲後まで遡る。


 レッシバルは投擲後、左旋回で湿原から離脱しようとした。

 炸裂弾はまだ爆発していないが、見届ける必要はない。


 的は広い湿原だ。

 精密に一点を狙う必要はないし、スリングから抜けていく手応えで、ちゃんと湿原に向かって飛んでいったという確信があった。


 その確信は正しい。

 ただ……


 ゴオオオォォォッ!


 炸裂弾はレッシバルが確信していた通り、落下寸前で爆発し、湿原表面の油が一気に燃え上がった。

 ただ、その火勢を読み違えた。


 無理もあるまい。

 一人の人間の一生で、見渡す限りの油に火を点ける機会など、一回あるかどうかだろう。


 彼も生まれて初めてだった。

 ゆえにどれくらいの速度で、どのくらい大きな爆発が起きるのか、見当がつかなかった。


 爆炎が、無知なレッシバルと竜を呑み込んだ。

 投擲後、もし見届けようと東を向いて飛び続けていたら、一瞬で焼き殺されていたことだろう。


 彼の命を救ったのは、投擲後、すぐに左旋回をかけていたことだった。

 竜の腹が湿原へ向き、彼はその陰に隠れる格好となった。


 そして大爆発が起き、想定を超える速度で届いた爆炎に呑み込まれた。

 竜の胴体を突き抜けて伝わってきた「ドンッ!」という強い衝撃の後、炎に全身が包まれた。


 思わず叫びそうになったが、グッと悲鳴を飲み込んで耐えた。

 口を開けば、炎が飛び込んできて喉と肺を焼かれる。


 爆発前、遠ざかるように飛行していたので、竜は炎に包まれながらも、その通りに飛び続けていた。

 だから焼かれる時間は僅かだった。

 それでも全身に大小多数の火傷を負ってしまったが……


 一方、レッシバルの竜は火竜種なので、炎を苦にはしない。

 だが、爆発の衝撃まで平気というわけではない。


 翼が破れた。

 特に湿原側だった右翼の被害が甚大だ。

 すべての翼膜がズタズタになり、風を捉えることができない。

 炎から脱出できた人と竜は、悲鳴を上げながらクルクルと地上へ……


 何とか態勢を立て直すも、目の前に林が迫る。


 ベキバキキッ!


 高度が下がった竜の腹が、林の木々に接触。

 その巨体で枝や幹をなぎ倒しながら、林を抜けた先の草原に墜落した。


 ドォォォンッ……!


 大きな墜落音と濛々と立ち込める土煙。

 二度、三度と弾んだ後、草原に長い引っ掻き傷を作りながら、ようやく止まった。

 そのまま、人竜共に動かない……


 どちらも死んでしまったのか?

 そんな不安を覚えるほど、グッタリとしているが、竜用の大きな鉄板で守られている腹から墜落したのが幸いした。

 両者とも、生きている。


 竜が動けなかったのは、鉄板越しとはいえ、墜落の衝撃で呼吸ができなかったためだ。

 少し休んだ後、活動を再開した。


 一方、レッシバルは意識が戻らない。

 竜でさえ、息ができなくなるほどの衝撃だったのだ。

 生身の人間が無事で済むわけがない。

 生きているというより、即死しなかったというだけだ。


 空中で負った火傷の他、爆発と墜落により骨折多数、出血多量……

 意識不明の重体だ。

 ゆえにこの後、竜が敵側面に放射したのは彼の指示ではない。

 竜自身の判断だ。


 若いが賢い竜だったので、動かない主を人間たちのところへ運ぼうとした。

 ところが、人間たちはモンスターとの戦闘で忙しく、主を助けてもらうどころではない。


 ——先にモンスター共を片付けなければ、人間たちは取り合ってくれない。


 そう判断した竜は、いつも主たちがやっていたことを思い出し、敵側面に回り込んで放射を始めたのだった。

 竜の賢さと、レッシバルの日頃の接し方が良かったことで起きた奇跡だった。


 征西軍は敵中央を突破した後も駆け続け、止まったのは敵影が完全に見えなくなってからだった。

 そこでようやくレッシバルは鞍から下ろされた。


 すぐに手当てを……

 ところが、そうはいかない。

 征西軍では、すぐに復帰できそうな軽傷者が優先だ。

 手当てしても戦力になれない重傷者はその後だ。


 一般人の感覚からすると酷い話だ。

 しかし、戦場ではそうせざるを得ないのだ。


 仮に、重傷者を優先すべきだとする。

 もし、その手当中にモンスターの群れが襲撃してきたら?


 もちろん健常者たちが率先して戦う。

 でも、今回のように怪我人多数の場合、兵が足りなければ軽傷者も戦うしかない。

 そのとき、止血済みと流血中では、どちらがより過酷だろうか?

 レッシバルの手当てが後回しになってしまったのは、そういう理由だった。


 ただ、これはずっとほったらかしにするということではない。

 やがて彼が手当てを受ける番がやってきた。

 手当てといっても、止血し、傷に包帯を巻いてやるくらいしかできないのだが……


 終わった後、包帯で全身グルグル巻きにされた主を、竜は不思議そうに鼻でつついていた。


 すべての手当てが完了した征西軍は、負傷兵たちを馬車に乗せ、帝都帰還の途に就いた。

 レッシバルの横を心配そうに付いて来る、馬車より大きな竜を伴いながら……

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