第21話「環境が育む魔法」
長壁建設を成功に導いたフェイエルムの魔法……
一体、どんなものなのか?
魔法というと、リーベル王国が真っ先に思い浮かぶ。
海軍魔法兵、そして魔法艦……
現在、魔法が最も発達している国だ。
彼の国がそうなれたのは、イスルード島がなだらかな地形の島だったからだ。
大陸で大分断が起きたように、この島でもモンスターが溢れた。
もし険峻な山だらけの島だったら、島民たちはモンスターだらけの平野を捨て、山岳民族に進化していったはずだ。
急な斜面は天然の要塞となって、翼や手指のないモンスターの侵入を阻止してくれる。
山という地形を味方につけるだけで、対処しなければならないモンスターを減らすことができるのだ。
これなら詠唱や集中の手間がかかる魔法など必要ない。
ところが、島にそんな山はなく、ブレシア馬のような強い馬やミスリルもなかった。
そして周囲は大洋に囲まれているので、他所の土地へ避難することも難しい。
対抗する術も、逃げ場もなかった島民たちは、様々な魔法に長けていくしかなかったのだ。
だがその魔法も、モンスターを押し返せるほどのものではなかった。
次第に沿岸部もジワジワと削られていき、追い詰められたリーベル人たちは海へ進出していかざるを得なくなった。
あとは、世界中が知っている通りだ。
海の脅威に対抗するため、海へ魔法を持ち込み、やがて世界中の海に睨みを利かせる強国となった。
このように、魔法と環境は深く関係している。
馬もミスリルも、何もない島だったからこそ、その不足を補うために様々な魔法が発達していったのだ。
リーベルの魔法は、イスルード島という地形が育んだと言える。
これは他の土地でもあり得ることだ。
魔法は環境の影響を強く受けるものなのだ。
特に、不足を補う魔法が発達する。
では、フェイエルムの場合は?
フェイエルムはミスリルに恵まれ、その装甲を活かした重装歩兵でブレシア族に対抗してきた。
この頃はまだ魔法に着目していない。
ミスリル歩兵さえ健在なら、何の問題もない。
状況が変わったのは大分断後だ。
モンスターは当初、東西へ均等に広がっていったのだが、しばらくすると西へ多く偏りだした。
原因は、ブレシア〈族〉の時代から始まり、〈帝国〉になった後も続いていた征西だ。
均等に西へ広がってきたモンスターだけでも大変なのに、「あっちへ行け」と東から追い立てられた分まで追加されたら……
ミスリル装甲のファランクスは強かったが、この大群を押し返せるほどではない。
死人は増え、人間の生活圏は減っていった。
どこぞの魔法王国と状況が似てないか?
苦境を打開するため、リーベル王国が海軍魔法兵と魔法艦を誕生させたように、フェイエルム王国では、ある魔法に着目した。
大陸北西部の少数部族に伝わる珍しい魔法。
〈使役魔法〉だ。
使役魔法とは、モンスターを支配し、意のままに操る魔法だ。
群れのリーダーを支配できれば、群れ全体を支配することも可能だ。
対象はモンスターだが、意思がある生物なら他にも効力がある。
獣や人間、竜にも。
ただ、本能に忠実なモンスターや獣と違い、強い意思を持つ人間は支配に抵抗するので、術がかかりにくい。
また、発動中は対象を視界内に収めておく必要があり、その間、ずっと集中していなければならない。
永続的に支配できるものではなかった。
元々は、精霊や獣と心を通わせる交信術の一種だった。
ところが、ブレシア族に良い馬を独占され、件の部族は馬不足で困っていた。
そこで、ただの交信術だったものを使役魔法に発展させ、モンスターや大型の獣を支配して、馬代わりに用いるようになった。
〈傭術〉——
術者と対象は永続的な主従関係ではなく、雇い主と傭兵の一時的な関係に似ているので、部族はこの使役魔法をそう呼んだ。
やはりその地の事情が魔法に影響している。
ここでもそうだ。
馬不足という環境が、傭術誕生の原因となった。
傭術の価値に気付いたフェイエルム王国は、この部族を手厚く扱い、自軍へ取り込むことに成功した。
モンスターが巨大であろうが、大群であろうが、傭術師たちの前では何の脅威にもならない。
小人数で防衛線を張ることができるのだから、莫大な金を垂れ流しながら、ミスリル歩兵を並べる必要はない。
同盟諸国の防衛へ派遣しても、その経費は微々たるものだ。
帝国が諦めざるを得なかった長壁建設を、西側諸国はどうやって成し遂げたのか?
その答えがこれだ。
フェイエルム軍傭術兵団だ。
***
傭術兵団なくして、長壁の完成はあり得なかっただろう。
彼らの力は偉大だ。
その力が、いまは征西軍の迎撃に向けられていた。
傭術は本来、攻撃に用いる魔法だ。
支配したモンスターを敵陣へ突撃させたり、ブレシア馬を凌駕する機動力で奇襲を仕掛けたり……
野戦でこそ、傭術は光る。
いまもそうだ。
油の湿原から少し離れた林に一人の傭術兵が隠れていた。
そこから、湿原上空がよく見える。
支配下の有翼モンスターたちは指示通り、レッシバルと竜に纏わり続けている。
上出来だ。
あとは、このまま征西軍が湿地に追い込まれるまで遊んでいれば良い。
……と考えていたのだが、甘かったようだ。
囲みが徐々に薄くなっている。
やはり竜は強い。
そして跨っている竜騎士の腕が良い。
有翼モンスターたちは、一匹、また一匹と、地に落されていった。
このままでは突破されてしまう。
だが傭術兵は動じない。
傭術師だからこそ、形勢を逆転させる手段がある。
あの竜を、支配するのだ。
彼は左手で空中の配下を操りながら、右手を竜に翳して新たな詠唱を始めた。
竜は年月が経つと老竜になってしまうが、中には古竜という存在になるものがいる。
古竜は自我を持っているので、これを支配するのは困難だ。
だが、いま支配しようとしているのは、人に御されている下等な竜だ。
獣やモンスターと変わらない。
いつも通りにするだけだ。
詠唱の完成と共に、見えない力が竜に向かって伸びていった。
***
レッシバルと竜の奮闘は実を結びつつあった。
三六〇度、どっちを向いてもモンスターだらけだったのに、随分とまばらになってきた。
次第に周囲を見渡す余裕も出てきた。
彼は東西南北の内、最も気になる北へ目を向けた。
征西軍は……
「くそっ! やっぱりこうなるのか!」
北で立ち上る土煙に向かって毒づいた。
征西軍は、南へ押されていた。
上から見下ろしているからよく見えたのだが、湿原までまだ距離はある。
しかし、それも時間の問題だろう。
レッシバルは伝声筒で通信を試みた。
この距離なら届くかもしれない。
「こちら竜六戦隊、本隊応答せよ!」
「…………」
ダメだ。
まだ微妙に遠かったのか?
あるいは乱戦で気付かないのか?
「止むを得ん!」
南へ向かっていることは、本隊も自覚しているはずだ。
でも、乱戦の騒ぎで、湿原のことを失念しているのかもしれない。
すぐに飛んでいきたいが、有翼モンスター共が立ち塞がっている。
特に、北の層が厚い。
もう少し時間があれば突破できそうなのだが、その分だけ本隊が死地に近付く。
——いますぐ本隊へ報せるにはこれしかない!
レッシバルは竜を南へ旋回させながら、高度も少しだけ下げる。
湿原への広域放射だ。
油は特に沿岸に集まっているから、巻き込まれないように右か左へ旋回しながら放射すれば一面火の海になる。
湿原が燃え盛る様は、北からも見えるはずだ。
放火などと、荒っぽいことはしたくなかったが、こうなっては仕方がない。
レッシバルが焼かなくても、そのうち雷が焼く。
どうせ頻繁に燃えている湿原なのだ。
気持ちを切り替え、竜に炎を溜めるよう合図を出した。
そのときだった。
「どうした?」
竜の顎が膨らまない。
それどころか合図が気に入らなかったのか、振り返ってレッシバルを睨みつけてきた。
「何だ? 一体どうしたんだ?」
訳が分からず、狼狽えてしまう。
竜は一睨みしただけで、すぐに前を向いたが、あの目は明らかに敵を見る目だった。
竜が、竜騎士に敵意を?
竜騎士が未熟で、竜の手綱をきちんと握れていないのだろう。
知らない者はそう嗤うかもしれない。
だがこれは異常事態だった。
竜は本来、馬のように従う生物ではない。
ゆえに竜騎士は稚竜の頃から世話をして、親だと刷り込ませてきた。
竜騎士と竜は親子なのだ。
子たる竜が、竜騎士を睨みつけることなどあり得ない。
軍竜としての訓練が始まった頃は、多少関係が悪くなるが、次第に息が合うコンビになっていく。
レッシバルの竜もそうだった。
合図の通りにしてもらえれば彼は助かるし、うまくできれば褒めてもらえるので、竜も嬉しい。
なのに、いまさら反抗?
竜は油の匂いが気に入らなかったらしく、高度を上げ始めた。
完全に、彼の制御から離れてしまった。
——なぜ? どうして?
さっきから頭の中で、この二つがグルグルと旋回し続けている。
だが、傭術のことを知らないのに、いくら考えても答えが出るはずはなかった。
竜は、地上から傭術で支配されてしまったのだ。
魔法の範囲内にいる限り、彼より傭術兵の指示に従う。
支配から逃れたければ、術者が目で追えないほど速く飛ぶか、あるいは……
何の手も打てないレッシバルに成り代わり、傭術兵が竜へ指示を出した。
(竜騎士を殺せ!)
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