第20話「長壁の謎」
レッシバルは戦場から離れ、南へ。
果たして彼の心当りは……
「……お、おい」
悪い予感は、外れなかった。
鏡を見ずとも、自分の顔から血の気が引いて行くのがわかる。
草原の先には、湿地が広がっていた。
湿地なので当然ぬかるんでおり、騎兵も歩兵も足を取られてしまう。
それも厄介だが、いま血の気が引いている原因は、そういうことではない。
大陸に住む者たちは、ここを〈油の湿原〉と呼んでいる。
遙か南の山脈から流れ込む水のおかげで、湿原南側は動植物の棲む普通の湿地帯だが、北側は違う。
どこかで油が湧いているらしく、それが山脈の水に押し流されて自然と北岸へ集まっていく。
おかげで北側は一年中淀んでいて、生命の気配がしない。
そこへ雷が落ちると、長期間、燃え続ける。
溜まっていた油を焼き尽くすか、大雨でも降らない限りずっと水面を焼き続けるので、大分断以前の旅人には良い目印だったらしい。
これがモンスター軍の狙いだ。
ここへ征西軍を追い込んで、火計を仕掛けるつもりなのだ。
「急いで知らせないと!」
レッシバルは竜を反転させ、北へ引き返した。
本隊と距離が離れてしまったので、ここからでは伝声筒が使えない。
通信可能領域まで戻るという判断は間違っていない。
だが、まだ常識に囚われている。
所詮、相手はモンスターだ。
獣同様、知性がないのだと心の底で侮っている。
だから間違えた。
この空には自分一人しかいない、と決めてかかってしまった。
北を向くと、前方に何か黒いものが見えた。
それも沢山。
「何だ?」
正体を知るために、速度を上げる必要はない。
互いに向き合うように飛んでいるのだから、一体何なのかはすぐにわかる。
モンスター軍は、竜が南へ飛び去るのを見逃さなかった。
有翼モンスターたちもすぐに飛び立ち、いまこうして追い付いた。
待ち伏せだ。
油のことを人間共に連絡されては困るのだ。
見られてしまった以上、生かして帰すわけにはいかない。
反応が遅れたレッシバルに空のモンスターたちが襲い掛かった。
竜は強い。
狙うは人間!
巨大な鳥型のもの、手足があり、背中から翼が生えているもの。
様々な形状のモンスターたちが、その爪や嘴で竜騎士の命を狙う。
——当たったら即死する!
咄嗟に判断したレッシバルは上昇をかけた。
突っ込んでくるモンスターに対して竜を直立させる。
成竜の鱗、特に背の鱗は防具の材料に使われるほど硬いが、腹部はそれほどでもない。
基本的に竜は地上の敵を攻撃するので、どうしてもその腹を敵に晒すことになってしまう。
そこで陸軍は、動きを妨害しないように加工した竜用の鎧を装備させていた。
直立した竜の背に隠れてすぐ、
ゴン、ドン、ドゴォ……
鞍を通して、モンスターが鎧に激突した衝撃が伝わってくる。
何匹かは竜に衝突し、残りはビュン、ビュンと唸りを上げながらすれ違っていった。
凌いだレッシバルは竜を水平飛行に戻し、吹き抜けていったモンスターの方へ向かせた。
彼の目の端に何かが映ったので見下ろすと、二匹のモンスターが血を噴きながら落ちていくのが見えた。
直立した竜の前脚で叩き落された奴らだ。
爪が直撃したのだろう。
一匹は頭が二つに割れ、もう一匹は胴体が破けたらしく、いろいろなものを撒き散らしながら墜落している。
あの二匹が、再び上昇してくることはない。
竜はさらにもう一匹を口に咥えていた。
まだ生きていて、何か騒いでいるが、すぐに仲間の後を追わせる。
顎に力を入れると、グシャッという震動が鞍に伝わってきた。
レッシバルの正面、竜の後頭部を中心にモンスターの鮮血が左右対称に迸る。
もしこれが剣術の試合なら、一回戦、猛攻を凌ぎつつ、すれ違い様に三発打ち込んだ彼の勝ちなのだが……
残念ながら実戦では、三匹やられたくらいで引き下がったりしない。
敵は吹き抜けた後、グルっと旋回し、再び攻撃態勢に入った。
だが、もうこの距離では初撃のような突進はできない。
あれをやるには助走が必要だ。
ここからは乱戦になる。
レッシバルは鞍に手を伸ばした。
戦闘開始から終了まで、竜騎士が手に握る物は基本的に手綱だ。
とはいえ、たとえば鳥型モンスターの群れに絡まれたとき、竜だけでは手数が足りない。
そのような場合に備えて、竜騎士の鞍には空戦の用意がしてあった。
彼が取り出したのは、連弩だった。
連弩といっても歩兵隊で使う大型のものではなく、竜騎士用に小型軽量化したものだ。
帝都で、竜に跨った竜騎士が斧槍を構えている像や絵画を見かけるが、あれは式典のときだけだ。
かっこいい武器ではあるが、誰も空に持って行かない。
重いからというだけではなく、その長さも風が乱れる原因になるからだ。
空戦では近接武器より飛び道具の方が良い。
飛び道具といって真っ先に思い浮かぶのは銃だが、これも空では実用的でない。
威力も狙いやすさも悪くないが、一発撃つ毎に時間のかかる装填作業が待っている。
そうやって消去していき、残ったものが弓や弩だった。
この小型連弩こそが、竜騎士の主武器だ。
連弩も矢を補充する手間はあるが、風が吹き荒れる空中で、細い筒に粉末と小粒を詰める作業よりマシだ。
連弩の準備が整った。
竜もモンスターを噛み砕き、空いた口に再び炎を溜めた。
二回戦の開始だ。
レッシバルは炎と矢で群れに穴を開け、なんとか突破しようとする。
しかしモンスター共はそれを許さない。
彼と竜を球状に包囲し続け、様々な角度から攻撃を仕掛ける。
さながら、巣に近付いた大きな動物に腹を立てている蜂のようだ。
だが、あまり深く踏み込んでこない。
右を向けば左から、左を向けば右から、爪や嘴で兜や背中を引っ掻いてはすぐに離れる。
それを交代で繰り返すのみ。
勝とう、仕留めようという気が感じられない。
攻撃というより、ただ相手を煩わせるだけの冷やかしという方が正しいだろう。
正直、モンスター共にとってこの空戦の勝敗はどうでも良かった。
何だったら、負けでも構わない。
征西軍が湿原に押し込まれるまで、ここで大人しく空戦ごっこに付き合っていてくれれば。
彼もそのことはわかっている。
たとえこいつらを全滅させても、その勝利には何の意味もない。
このままでは火計の報告を忘れ、魔物退治に夢中だったお空の大馬鹿野郎に成り下がる。
「邪魔だ! 退けぇっ!」
素晴らしい気迫だった。
だが、奴らはモンスターだ。
そんなことで恐れ入ったりしない。
奴らは蜂のように執念深く、蠅のように鬱陶しく、ずっとつきまとって離れなかった。
湿原の空に、竜騎士の気迫が空しく空回りしていた……
***
大分断後、大陸西側で結ばれた同盟は〈西側同盟〉と略したり、単に〈同盟〉と呼ばれているが、ちゃんとした正式名がある。
正式には〈西部リューレシア大陸諸国同盟〉という。
盟主はフェイエルム王国。
長壁建設を同盟諸国に提案したのも彼の国だ。
帝国は端から諦めていたのに、同盟はよくぞ成し遂げた。
……いや、おかしい。
皆で力を合わせればというが、同盟国をすべて合わせても帝国より小さい。
帝国が作れなかったものを、小国の群れがどうやって作ったのか?
これは大きな謎だ。
大陸中央で大発生したモンスターは、東西へ等しく広がっていった。
奴らは人間の都合などお構いなしだ。
工事は、奴らを追い払いながら進めていくことになるだろう。
防衛部隊の守備範囲は、大陸沿岸部の北端から南端までだ。
広すぎる。
守れるとしたら機動力に優れる騎兵だ。
それに、騎兵なら歩兵より間隔を開けて配備することが可能なので、一日当たりの経費を抑えることもできる。
それでも莫大な額になるが……
装備代、兵糧、怪我をすれば傷病手当、戦死すれば遺族へ支払う弔慰金、他にもいろいろ……
フェイエルムでも同じ計算をしたはずだ。
残念ながら、彼の国の騎兵では数も能力も足りない。
ご自慢のミスリル歩兵でやるしかないが、人数が増える分、その費用は帝国の見積もりを遥かに超えるだろう。
騎兵はダメ。
歩兵は長期間配備し続ける金がない。
ミスリル砲は強力だが、野戦で使うなら、砲撃準備が整うまで歩兵が大盾で守る必要がある。
これでは守りに行ったのか、守られに行ったのか、訳がわからなくなる。
どれでもないなら、あとは……運?
いや、国の命運が掛かっている事業を、運任せにはしない。
フェイエルム軍はちゃんと防衛していた。
モンスターが一匹たりとも工事現場へ行かないように。
騎兵や歩兵ではなく、魔法使いが。
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