第18話「ファランクス」

 フェイエルム側は、最初から帝国の話に耳を貸すつもりはない。

 親書?

 受け取る必要はない。

 読まなくても、中身はわかる。

「和睦しよう」とか「一緒にモンスター退治をしよう」といったところだろう。

 あとはリーベルについての泣き言か?


 すべて断る。


 断られる理由は、歴史を勉強すれば自ずとわかるだろう。

 帝国軍侵略の歴史を。


 いや、野蛮なブレシア族には、歴史などという高尚なものはないのかもしれない。

 ならば、蛮族にもわかるように教えてやらねば。

 このミスリル砲で。


 守備隊隊長の指揮刀が振り下ろされた。


「撃てぇぇぇっ!」


 ドオオオォォォンッ!

 ドオオオォォォンッ!

 ドオオオォォォンッ——!



 ***



 六戦隊はまだ遠く、長壁上の守備隊を目視できない。

 しかし連続する轟音は耳に届いた。


 ——砲音?


 自分たちに向かって?

 この距離で?


 三騎は油断していたわけではない。

 警戒はしていたが、まさかこの距離で、自分たちを狙って撃ってきたとは思えなかったのだ。

 リーベルの魔力砲ではあるまいし、ここまで届く砲などないと思い込んでいた。


 だが、戦場では何が起こるかわからない。

 非常識こそ常識という狂った世界だ。

 その世界に常識を持ち込んだ六戦隊が間違っていた。


 敵砲から撃ち出された砲弾は、十分な勢いを保ったまま、六戦隊の前方へ到達した。


 ——ほ、砲弾!?


 驚いたときにはもう遅い。

 思考が追い付かない隊長騎と二番騎は動きが止まった。


 反応できたのはレッシバルだけだった。

 素早く手綱を操り、急速に降下した。


 いや、反応できたのではない。

 北の海で魔力砲に狙われたときの光景が蘇ったのだ。

 思わず身が竦み、その動きを彼の若竜が降下の合図と勘違いしたのだ。

 単なる偶然だった。


 ともかく、レッシバルはそこからいなくなり、二騎だけが残された。

 飛んできた砲弾が彼らを襲う。


 バァァァンッ!


 二騎のすぐ近くで砲弾が炸裂した。

 さすがに頑丈さが取り柄の大型竜たちも痛かったらしい。

 苦悶の声を上げ、身をよじらせている。


 竜は痛いだけで済むかもしれないが、騎乗していた竜騎士たちは?


 爆風を凌いだレッシバルは、伏せていた顔を上げて彼らの安否を確かめた。

 まずは隊長。


「っ⁉ た、隊長―っ!」


 先頭で痛がっている竜の背に、隊長はいなかった……

 竜騎士の身体を鞍に固定するためにベルトが付いているのだが、途中で千切れて風に靡いていた。


 ——落ちた⁉


 下を見るが、どこにも隊長の姿はない。


 再び先頭竜に目を向ける。

 すると、鞍から後ろの竜鱗が赤黒く染まっているのに気付いた。

 かなり広範囲に、そして放射状に広がっている。

 それを見て悟った。


 隊長は、爆散したのだ……


 隣を飛んでいた二番騎も酷い有様だった。

 辛うじて跨ってはいたが、腰から上がなくなっていた……


 レッシバルは、また生き残った。

 軍人になってからは二度目、ピスカータ村も含めるなら三度目だ。

 彼はもう迷わない。

 こういうときはとにかく逃げるのだ。


 あれは大砲だ。

 どういう仕組みかわからないが、とにかくここまで届くのだ。

 そんな馬鹿な、と否定しても仕方がない。

 現に、二人の竜騎士を一瞬で葬ったのだから。


 ここはあの長距離砲の射程範囲内だ。

 いますぐ離脱することはできないが、せめて射角の外へ逃げなければ!


 レッシバルは左へ一八〇度旋回しながら、さらに高度を下げていった。

 大砲である以上、下へ向けて撃つのは苦手なはずだ。


 振り返ると、主を失った二頭の竜がまっすぐ長壁へ向かっていくのが見えた。

 残念だが、出来ることは何もない。


 再び轟音!


 遅れてやってくる爆発が竜たちを包み、地面に叩き落しているのが見えた。


 帝国の軍竜は火竜種だから熱には強い。

 だが、それは爆風の衝撃にも強いという意味ではない。

 大型なので耐久力は高いが、それを上回る衝撃で打ちのめされれば墜落するし、絶命もする。


 切なげな竜の遠吠えが、風に乗って彼のところまで流れてきた……


「くっ……!」


 いまはどうにもならない。

 戻って止めを刺してやることもできない。

 すまないと詫びながら、レッシバルは前を向いた。


 しかしまたすぐに後ろを振り返ることになる。


 三度目の砲音。


 ドオオオォォォンッ!

 ドオオオォォォンッ!

 ドオオオォォォンッ——!


 長壁に近付いてきた魔物は全部で三匹だった。

 二匹は仕留めたから、残りは……

 一匹だ。


 ヒュゥゥゥー……


 追い討ちの砲弾が風を切ってレッシバルの背に迫る。


 ——このままでは避けられない!


 彼は苦し紛れに翼を畳ませた。

 その途端、ストンと竜の巨体が高度を下げた。


 長壁の砲兵は良い腕だ。

 ちょうどレッシバルがいた辺りで砲弾が炸裂した。


 一つ。

 二つ。

 三つ。

 もっと……


「ぅぐっ……!」


 降り注ぐ煤と熱と爆圧が苦しくて、食いしばる歯の間から呻きが漏れた。


 ——何とか凌げた!


 しかし、それが束の間の休息であることを知っている。

 すぐに第四射の用意をしていることだろう。

 少しでも遠ざからなければ。


 幸い、彼が苦しかっただけで、若竜に異常はなかった。

 翼も千切れてはいない。


 爆風去った空に、竜は再び翼を広げた。


 ——急いで本隊に知らせなければ……


 奴らはいきなり撃ってきた。

 和睦どころではなかった。


 そしてあの長壁……

 帝国の陸軍は最強だというが、それは野戦での話だ。

 あの長壁を破るのは無理ではないか?


 竜騎士団が、上から守備隊に炎を浴びせればあるいは……

 だが、あの長距離砲をどうする?

 鈍重な大型竜で、あの砲撃を掻い潜るのは無理だ。


 大盾で身を守り、接近する敵は槍で突く。

 長壁を大盾に、長距離砲を槍に見立てれば、まるで古の歩兵戦術、ファランクスのようだ。


 遠ざかる長壁を背中越しに眺めながら、そんなことを考えていたときだった。

 伝声筒から六戦隊を呼ぶ声が聞こえてきた。


「竜六戦隊、応答せよ!」


 本隊の通信兵からだ。

 ……何か切羽詰まっている。


「こちら竜六戦隊レッシバル、どうぞ!」

「レッシバル? 隊長はどうした?」


 当然の疑問だろう。

 普通は隊長が応答するところなのに、新米竜騎士が出たのだから。

 レッシバルは六戦隊が全滅したことを告げた。


「全滅……」


 通信兵は言葉を失ってしまった。

 竜騎士団は従来の騎兵隊にかわる次期主力と目されていたのだから。


 しかしいまは呆然としている場合ではない。

 たとえ一騎だけでも、残っていて重畳だった。

 なぜなら、


「大至急戻ってきてくれ。本隊が——」


 本隊が、モンスターの大群に囲まれて身動きが取れない。


 モンスター共は当初、左右から挟み撃ちを仕掛けに来ていたが、徐々に後方へ流れて合流し、半月状に囲みながら北西に向かって押してきているという。


 話を聞いていたレッシバルは、背筋に冷たいものが流れた。

 そのまま押されて行ったら、あの長距離砲が待っているではないか。

 それも、あと少しで。


 上を見ると、まだあの炸裂弾が弾けている。

 射角の下にいるので直撃はしないが、爆風を浴びせようというつもりなのか。

 諦める気配がない。


 そして帝国の伝声筒はあまり遠くまで届かない。

 なのに、話ができるということは、本隊は近くまで押されてきているということだ。


 将軍たちの決断は早く、征西軍は退却戦に移行しているという。

 そこで、


「六戦隊は直ちに引き返し、退路を塞いでいる大群を攻撃せよ」


 これが通信兵から伝えられた命令だった。


「了解!」


 レッシバルは味方を救うために、速度を上げた。


 あのとき——

 北一五戦隊潰滅によって、征西軍は力押しを決断した。

 後で知ったが、やはり歩兵隊に多くの犠牲が出てしまった。


 ——今度こそ辿り着く!


 一人、北の浜に漂着したときは諦めるしかなかった。

 馬を失った準騎士に何ができる?


 でも、いまは違う。

 一人でも味方の退路を切り開くことができる。

 こいつとなら、竜となら!


 焼けた砲弾の破片が降ってくるので、彼自身は所々に小さな火傷を負っていたが、竜は無傷だ。

 そして若い竜だから、体力もまだまだ残っている。

 無傷のまま本隊後方へ辿り着ければ、一騎でも十分な戦力になる。

 竜を守るため、彼の目は忙しく上と下を行き来した。


 上ではまだ爆発が止まない。

 少しでも高度を上げれば兜が焦げるだろう。


 だが、下げ過ぎれば樹木の先端に翼が引っかかる。

 翼膜は破け、速度が落ちるだろう。

 最悪、墜落の危険性も……


 神経が磨り減る。

 それでも彼は絶妙な手綱さばきで、その僅かな隙間を吹き抜けていった。



 ***



 フェイエルム王国の国名、〈フェイエルム〉とは、古代語で〈鉄〉という意味だ。

 言い換えれば、鉄の王国ということになる。


 ただ、古代において、鉄という単語は多義的であり、貴金属を除いた金属全般を指していた。

 だからミスリルも鉄だ。


 ミスリル——

 霊銀とも呼ばれるとても硬い金属で、加工するには鉄を加工するときより高い温度を要する。

 古来より、この地ではミスリルが採れ、加工技術が発達していった。

 つまり鉄の王国は、ミスリルの王国という意味も併せ持っている。


 神はブレシア族に馬を与え、フェイエルム族にはミスリルを与えた。


 彼らが強力な騎兵隊を作ることはできなかったが、代わりにミスリル装甲の重装歩兵隊を揃えた。

 歩兵戦術についても研究が進み、その中で編み出されたのが密集方陣、ファランクスだった。


 密集した歩兵が大盾を隙間なく並べ、飛んでくる騎射を耐え凌ぐ。

 騎射を終えた騎兵は突撃してくるので、ミスリルの長槍で突く。


 歴史学者たちによれば、大陸中央部で暮らしていたブレシア族が、西ではなく、東へ勢力を広げていったのは、この戦術に手を焼いたからではないか、と言われている。


 しかし、人は月日が経つと痛みを忘れるものだ。


 二つの部族は、それぞれの地で帝国と王国になり、何度も激突することになった。

 苦戦の記憶が薄れていた帝国が、東部全域を支配下に置いた後、何の疑問もなく西へ目を向けたからだ。


 足は速いが、攻め手に欠ける帝国軍。

 守りは硬いが、追い足がないフェイエルム軍。

 決着が着かないまま、やがて大分断の日がやってきた……


 図らずも戦が終わることになった両国は、その後、独自の進化を続けた。

 帝国は、騎兵の強化を。

 フェイエルム王国は、ミスリルの加工技術の向上を。


 そうして生まれたのがミスリル砲だった。

 ミスリルは鉄や青銅より強靭で、大口径、長砲身を可能にした。

 総合的にはリーベル製魔力砲が世界一だが、射程距離だけなら引けを取らない通常砲に仕上がった。

 六戦隊はこれにやられたのだ。


 ミスリル砲から逃れる道すがら、レッシバルが抱いた感想は正しかった。


 歩兵同士の団結は国同士の同盟に姿を変え、大盾たる長壁を繋げて庇い合う。

 そして、騎兵を突いていた槍は、竜騎士を撃ち落とすミスリル砲に進化した。


 古のファランクスは形を変えて、いまもミスリル王国の中でいき続けている……

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