第17話「魔物とは」

 トロール共を殲滅した後も、征西軍の西進は順調だった。

 船で言うなら順風満帆といったところだ。


 竜は斥候より広い範囲を短時間に偵察でき、戦闘時は上空から竜炎を浴びせる。

 そして上に気を取られている敵の隙を、歩兵や騎兵が容易に突く。


 この戦法のおかげで、地上部隊に大きな犠牲は出ていない。

 皆、竜騎士団の力に全幅の信頼を寄せていた。


 竜騎士……


 レッシバルはあの後、どうなっただろうか?


 彼はあの惨劇の翌朝から、いつも通りに空を飛んでいる。

 内心はどうあれ……


 それでいい。

 戦士は痛みを忘れてはならないが、それはいつまでも引き摺れという意味ではない。


 ここは戦場だ。

 いつまでも引き摺っていると、敵を倒す手が鈍り、自分か味方が殺される。

 切り換えもまた戦士に必要なものだ。


 その点、毎日務めを果たしているのだから、彼についてはとりあえず心配無用と判断して良いだろう。


 では、西へ目を向けよう。

 先日、征西軍は更に西へ進み、ついに旧都を奪還した。


 廃棄されてから久しく、外も中もボロボロだった。

 そして予想通り、モンスターの巣窟と化していた。

 雑多な小型モンスターだけではない。

 キメラや一つ目巨人等、強敵も居座っていた。


 戦いは一週間に及んだ。

 今次征西一番の激戦となったが、征西軍は見事これらを一掃した。

 征西が始まって以来の快挙だ。

 皆、肩を抱き合って喜んだ。


 しかしこれで終わりではない。

 征西にはもう一つの使命がある。


 命に替えても果たしてこいとは言わないが、できれば果たすのが望ましいとされている使命。

 それは皇帝陛下の親書を西側諸国へ届けることだ。

 人間同士の争いを一旦、休戦しよう。

 そして、モンスター共を挟撃しようという共闘の呼び掛けだ。


 確かに、人間同士で争っている場合ではない。

 もっともな呼び掛けではある。

 しかしこれが聞き入れられる可能性は低い。

 内容は正しいが、それを提言している国が正しくない。


 そもそも大陸統一を企て、人間同士の争いを始めたのは帝国だ。

 どの口で争いをやめようとほざくのか。

 さすがにこれは白々しすぎる。


 だが、仕掛けた側から休戦を呼び掛けてはいけないという法はない。

 どちらから言い出しても良いはずだ。

 ゆえに毎回の征西軍は、西へ到達できたときに備え、親書を携えていた。


 今次征西も親書を携えている。

 ただ、今回の親書はいままでとは違う。

 西側諸国の中でも、特に大陸北西のフェイエルム王国にだけは何としても届けなければならない。


 北一五戦隊壊滅から一年。

 リーベル王国との話し合いは難航していた。


 向こうは濡れ衣の一点張り。

 いくら食い下がっても、確たる証拠を示せと突っ撥ねられてしまう。

 取り付く島がない。


 その間にも帝国の交易商人や航海者たちが、何とか通れる道を見つけようと出航していったが、彼らの勇気と船は東の海に消えていった……


 やはり帝国は北の航路を確保するしかない。

 そのためにはフェイエルムと和睦し、リーベルに出している援軍要請を取り下げてもらう必要がある。


 それでリーベルの連中が大人しく帰ってくれるかどうかは半々だが、以後の交渉が幾分楽になるはずだ。

 もう誰も頼んでいないのに、何の理由があって帝国の北を封鎖しているのか?

 リーベルは説明に窮するだろう。


 旧都を越え、征西軍の西進は続く。



 ***



 太古よりこの世界にモンスターはいたが、人間が沿岸部に追いやられるほどの数ではなかった。

 それがある日、奴らが世界に満ち溢れ、リューレシア大陸でも〈大分断〉が起きた。


 それから数百年が経過した現在、レッシバルたち六戦隊は大陸西部の空を飛んでいた。

 もうこの辺りはフェイエルム領だ。


 本隊もすでに国境を越え、竜の後を追うように行軍中だ。

 このままでは帝国軍の侵略と取られかねない。

 そこで六戦隊が先行し、首都ケイクロイを目指していた。

 この行軍が侵略ではないことを伝えるのだ。


 下を見ると、大分断に領土を削り取られたのが、帝国だけではなかったことに気付く。


 地上の村落から人間の気配がない。

 この国も帝国と同じ道を辿ったのだ。

 人々は沿岸部に追いやられた。


 村落を越えると再び緑色の草原。

 そこに、黒や茶色の点が現れては消え、現れては消え……

 風に乗っている竜は速く、あっという間に通り過ぎてしまうが、確かめる必要はない。


 正体はわかっている。

 モンスターだ。

 高空のレッシバルたちが見つけられるのだから、大型の奴だ。


 フェイエルムの民だって生身の人間だ。

 こんなところでは暮らせない。

 民の安寧を考えるなら、親書はこの国にとっても悪い話ではないと思うのだが……


 まずは征西軍の領内通行許可をとらなければ。

 モンスターの野を将軍が一人で親書を届けにいくのは無理だ。

 征西軍を首都近郊まで通してもらう必要がある。


 ただ、地上に点々とするモンスター共を見ながら、レッシバルは一抹の不安を覚えていた。


「多いな」


 モンスターの数が多い。

 正確には一定範囲内の密度が高い。


 これは自分たちを棚に上げて、大口を叩こうというのではない。

 現帝国領を抜けて旧領に入り、西へ進めば進むほど、ここと似たような状況になっていく。

 そのことは十分自覚している。


 それでも定期的に征西軍を派遣していたことが、結果として増加抑止になっていた。

 モンスターの領域といっても、ここまで高い密度になってはいない。


 フェイエルムは、奪還を諦めているのか?

 眼下の光景は、出発前に聞いたシグの話に符号している。


 かつてこの国は陸の王国だった。

 ゆえに大陸の覇権を賭けて、帝国と対決を繰り返すことになった。

 ところが、大分断以降は海の王国に転換しているという。

 内陸より海が大事なのだ。


 だとしたら、帝国と共にモンスターを挟撃しようなどという話は通らないのではないか?

 現在のフェイエルムに何の得がある?


 それどころか、海洋国家を目指すなら帝国との和睦より、リーベルとの関係の方が重要だろう。

 そんな国に帝国はお願いしようとしているのだ。


 昔のことは忘れて仲直りしよう。

 リーベル艦隊には帰るように言ってくれ。

 その上で、モンスター挟撃の金と兵を出してくれ、と。


 ——無理だろう……


 仲良しの友人だったとしても、自分勝手な要求ばかりされたら嫌気が差す。

 ましてや、それが険悪な関係だった奴なら、唾を吐いてやりたい。


 レッシバルは外交に関しては素人だ。

 それでもこれが無理筋だということはわかる。


 そんな国へ出向いて行って無事に済むのだろうか?

 そんなことを考えていたときだった。


 前方に一本の線が見えた。


「何だ? あれ」


 黄土色で、左右にどこまでも伸びる長い線。


「隊長、あの線は一体……」

「わからん。もう少し近くで見てみよう」


 確かにその通りだ。

 たまらず尋ねてしまったが、隊長だって初めて来たのだからわかるはずがない。

 隊形を維持しながら、確認に向かう。


 近付くにつれ、それが線ではないことに気付いた。

 黄土色の城壁だ。

 それが横に長く続き、終わりが見えない。

 おそらく南北に大陸を縦断しているのではないだろうか?


「西側では、こんなものを作っていたのか」


 隊長の呟きが、伝声筒を通してレッシバルたちにも届いた。


 驚いたのは隊長だけではない。

 二人の部下も同様だ。


 その長大さにも驚いたが、これほどモンスターの密度が高いところで、よくぞ作れたものだと驚いていた。

 工事中もお構いなしに、モンスター共がやってきただろうに。


 壁を築いてモンスターの侵入を阻止する。

 できるならば、これが最も簡単で確実なやり方だ。


〈西側諸国〉だからできたのだろう。

 これを一国で成し遂げる必要はなく、各国が自国領の分だけ作っていけば、自然と南北を縦断する長壁が完成する。


 対して、帝国がやろうと思ったら、一国で南北縦断させなければならず、莫大な費用がかかる。

 工事中の防衛費も征西軍一回分を優に超える。

 それを完成の日まで垂れ流していくのだ。

 何十年も……


 帝国に壁を作る力はない。

 だから征西軍という定期的な駆除を続けてきた。


 いつしかブレシア人は、壁で防ぐという発想自体を失っていった。

 レッシバルもその一人だ。

 自分たちにない発想を見せられ、純粋に「なるほど!」と感心していた。



 ***



 殆どのブレシア人は知らないかもしれないが、西側ではこの壁を〈防魔の長壁〉と呼んでいる。


 六戦隊の明察の通り、大分断後の西側諸国はフェイエルムを盟主として同盟を結び、各国が分担してこの長壁を築いた。

 目的はただ一つ、〈魔〉の侵略を阻止すること。


 防魔——

 文字を素直に読むと、魔物を防ぐという意味に解せる。

 もちろんその解釈で正しいのだが、人はどうして魔物を防いだり、退治しようとするのだろう?


 退治とは言い換えれば殺害するということであり、死に至らなかったとしても、敵意や殺意を抱いて加害するということだ。


 殺生や加害は、神意に背く罪だ。

 神殿では人々にそう説いている。


 ところが、神官や神殿魔法兵が巡礼中にゴブリンと遭遇したら、鎚矛でその頭蓋を粉砕する。

 浄化とか、救済とか、いろんな言葉に言い換えているが、殺害は殺害だ。


 大変な矛盾だが、いまはいい。

 別にその矛盾を突いてやろうというのではない。

 仕方がないことだと言いたいのだ。


 襲われる側にしてみれば、それがモンスターだったか、人間だったかなど、些細な違いだ。

 話し合いが通じず、どうあってもこちらを襲うというなら、退治するしかないではないか。


 そう考えると、狭義の魔物はモンスターを指すが、広義では危害を加えにくるすべてのものが魔物に含まれる。

 これを当てはめると、東からやってくるものはすべて魔物だという解釈になる。

 たとえば、帝国軍とか……


 防魔の長壁は、広義の魔物を防ぐために築かれた。

 長壁上には守備隊が常駐して、東を睨んでいる。

 草原だけでなく、空も。


 だから、まだ点のように小さい六戦隊の接近にも気付いていた。

 望遠鏡を下した守備隊隊長の号令が轟く。


「対空戦闘用意!」



 ***



 レッシバルは竜騎士になったことで〈遠く〉の敵にも攻撃が〈届く〉ようになった。

 だが、まだ足りない。


 リーベル海軍は遠近共に無敵だ。

 これに勝ちたければ、電光石火の〈速さ〉を備えるしかない。

 肉眼で追うのは無理だ、と無敵艦隊の心が折れるほどの速さを。


 そんな遠い未来の敵より、目の前のフェイエルム軍をどうするかが先だろう?

 そんな指摘を受けそうだが、関係があるからリーベルのことを持ち出したのだ。


 帝国が交易商人を通して西側の情報を得たのと同様、西側も帝国の近況を知っている。


 竜騎士団増強に注力していること。

 その新たな力を西へ向けていること。


 すべて筒抜けだ。

 伝わっていないのは、和睦したいと願っていることくらいか。


 だから西側にしてみれば、六戦隊の飛来は、ついに侵略の魔の手が長壁に及んできたことを意味するのだ。


 モンスターも帝国軍も、長壁に近付くものはすべて魔物だ。

 奴らに対する防備は万全だった。

 件の竜騎士団襲来に備え、対空迎撃の用意もしている。


 何も知らずに接近する六戦隊は、これからその攻撃を受ける。

 これを凌ぎ、無事生還するには、無敵艦隊を翻弄するのと同じ速さが必要だ。


 敵を翻弄する速さ——

 俊敏性だ。


 帝国陸軍の大型竜は、直線での飛行速度は悪くないが、その巨体ゆえに上下左右への俊敏性は低い。


 このときのレッシバルは陸軍の竜騎士だ。

 騎竜は、もちろん大型種だ。

 俊敏ではない。


 長壁上では、先の隊長の号令に対して、木霊がいくつも帰ってきていた。

 語尾に「よし」を付けて……


「対空戦闘用意よし!」

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