第12話「上陸地点」
レッシバルの思いは届いた。
彼の左腕は動かず、絶え間ない砲撃で旗艦の周囲は波立っている。
それでも当たったのは、奇跡という他ない。
魔法艦隊は北から南へ向かって緩やかな半円を描き、戦隊の左側で待ち構えていた。
命中したのは、その先頭艦だった。
だが、銃弾は装甲板に届かない。
右舷側前方の空間に小さな波紋が生じさせただけに留まり、跳ね返って海に落ちた。
魔法兵による障壁だ。
本来、魔法艦には〈鋼化装甲板〉という魔法装甲が施されている。
鋼化装甲板は、表は鋼のように硬いが、裏は普通の木材のように柔らかく、好きな大きさに加工することができる便利な呪物だった。
世界中で製造されているが、最も質が良いのはリーベル製だ。
この装甲板のおかげで、昔の戦艦に至近距離から撃たれても耐えられるのだが、現在はさらに魔法兵によって障壁も張られていた。
これは万が一、敵艦隊に接近されたときの備えだ。
障壁と鋼化装甲板。
まさに鉄壁の守りとなった。
これを他国の通常砲が貫通することはできなかった。
できるとしたら魔力砲だが、王国の法律で門外不出とされ、他国の艦が搭載することはできない。
製造法がわからないので、見様見真似で密造してもリーベル製には及ばない。
ならば密輸すればと思うが、使うわけにはいかないので意味がなかった。
いや、せっかく手に入れたのだから、使えば良いではないか?
知らない者は簡単に言うが、王国以外、魔力砲を用いることは許されないのだ。
魔力砲が使われたらしいという噂が王国の耳に入れば、すぐに魔法艦隊がすべてを消滅させにやってくる。
そのとき、噂の真偽など確かめない。
他国の艦船は射程外から一方的に撃たれ、痛みに耐えて肉薄しても通常砲では歯が立たず、障壁が邪魔で接舷もできない。
全艦で一隻を滅多打ちにすれば、障壁を破って接舷できるかもしれないが、その前に他の魔法艦にやられる。
魔法艦は難攻不落の要塞だ。
だから、どれほど念を込めようと、銃弾は銃弾にすぎない。
残念だが、レッシバルの思いは障壁にさざ波を立てただけだった。
逆に、障壁を張っていた魔法兵に気付かれた。
「敵兵発見、左舷一〇時方向」
報告を受け、上段砲列が直ちに銃弾の発射元を狙う。
砲口の奥で五つの火球が赤々と燃える。
霧で霞んでいても、レッシバルにはその光がよく見えた。
彼が立つ艦尾に狙いを定めているのだから。
砲術士官の指揮刀が上がった。
「撃ち方用意!」
この距離で集中砲火を浴びれば、今度こそピスカータで幸せに暮らせるだろう。
ところが……
ガガガッ! バキバキッ!
指揮刀が振り下ろされる寸前、流されてきた別の兵槽船の残骸がレッシバルのところへ激突した。
「うわっ⁉」
射撃を終え、へたり込んでしまった彼に、踏ん張る力は残っていなかった。
衝撃に耐えられず、そのまま艦尾の頂から気絶していたところまで転がり落ちていく。
「撃てぇぇぇっ!」
砲列が火を吹き、レッシバルがいなくなった艦尾を砕く。
あと少しで海水に突っ込むというところで、衝撃が彼を突き上げた。
直撃は免れたものの、彼の身体が宙を舞う。
薄れていく意識の中、なぜか幼き日に見た海賊船を思い出した。
巡回隊の騎士が言う通りだ。
砂浜からでは銃弾も石弾も届かない。
遠すぎるのだ。
そして、遅すぎたのだ。
いまでも後悔している。
もっと早く帰ってくることができたら、間に合ったかもしれないのに!
巡回隊のせいではない。
あれ以上速度を上げたら、シグ以外は振り落されてしまっただろう。
子供たちを抱えた状態では、あれが限界だったのだ。
あの日以来、騎士を目指す理由が変わってしまった。
一つの執着が正騎士の夢を上回った。
——もっと、もっと速くなりたい。
帝国一速い騎兵になりたい。
その速さの中でも、騎射を命中させられる名人になりたい。
速さを目指すなら、正騎士ではダメだ。
宮仕えになるか、安全な拠点で白髪になるまで欠伸をして暮らすことになる。
ゆえに準騎士を目指した。
速さを手に入れるために、夢を捨てたのだ。
——すべては〈間に合う〉ため、〈届かせる〉ため……だったのに……
そこで意識が途絶えた。
気絶した彼の目から一筋の涙が流れ落ちた。
…………
その様子を上から見ていた神様は、溜め息を一つ吐いた。
未熟者め、と。
恨み、大義、夢、功名心、奇跡。
そんなものでリーベル海軍に勝てるなら、とっくの昔に誰かがやっている。
銃弾一発では何にもならない。
神出鬼没の海賊共、無敵のリーベル海軍。
こいつらに攻撃を届かせるため、もっと速くなるという考えは間違っていない。
だが、馬の全速力程度では足りないのだ。
もっと……
***
どれくらい眠っていたのだろう。
二、三時間?
それとも丸一日?
レッシバルは砂浜に打ち上げられていた。
いつの間にか霧は晴れ、謎の敵の姿はもうどこにもなかった。
青い空と海は、何もなかったように穏やかさを取り戻していた。
——あれは、幻だったのか?
ふと、そんな錯覚を覚えてしまうほど静かだが、砂浜を見渡してみればすぐにわかる。
幻ではなく、現実の出来事だったのだ、と。
大小様々な木片と樽が、打ち寄せる波に弄ばれている。
先に撃沈された補給艦のものだ。
沿岸に近かったから沖ではなく、砂浜に漂着したのだ。
ここは大陸北岸。
ここが目指していた上陸地点だ。
レッシバルは、近くに落ちていた長い流木を杖代わりに立ち上がると、残骸を一つ一つ見て回った。
さっきから生きている者の気配がしない。
それが恐ろしくて探し回った。
自分のように漂着した者がいるかもしれない、と信じて。
すべて見て回った後、受け入れざるを得なかった。
生者は自分一人。
ここは死の浜なのだと。
——これからどうしよう?
樽の一つから手に入れた食料を齧りながら、彼はぼんやりと今後の進路を考えた。
味方に全滅を知らせなければ。
考えられる進路は二つ。
南と南東だ。
ここへやってきた目的を考えたら南だが、北岸と歩兵隊の間にトロール共がいる。
単騎では突破できない。
「ん? ……何言ってんだ、俺……」
レッシバルは間違いに気付いて自嘲した。
馬は今頃、海の底だ。
〈単騎〉ではなく〈一人〉ではないか……
歩兵隊との合流は諦めざるを得ない。
残るは南東。
東側で攻めあぐねている征西軍を目指すことにした。
それから他の樽を順に開けていき、見つけた包帯や医療品で可能な限りの手当てをした。
左腕は、やはり折れているようだった。
この場で治すのは諦め、手頃な補給艦の木片で添え木をしておく。
そして運べるだけの食料と酒を皮革のザックに詰め、杖代わりの流木を支えに立ち上がった。
出発だ。
最期に、海と補給艦の残骸へ向かって敬礼した。
沈んでしまった者たちへの弔いと、漂着している者たちに対しての詫びを込めて。
北一五戦隊は急拵えの部隊だった。
互いに言葉を交わす間もなく出撃したので、この砂浜で初めて見る顔ばかりだった。
それでも一緒に航海した仲間だ。
せめて砂浜に埋葬してやりたかったが、そうしてやれるだけの体力と時間がない。
きっと歩兵隊は、いまも北からの援軍を待っているはずだ。
来るはずもない援軍を。
征西軍がこのままトロール共と睨み合っていても、歩兵隊が消耗するだけだ。
一刻も早く援軍の全滅を報せ、別の救出策を講じてもらわなければならない。
野晒しにしたまま立ち去るのは心残りだが、いまは生きている者の命が優先だ。
敬礼する右手を下ろし、彼なりの弔いを終えた。
——急がなければ。
彼が進む先は、人の法より弱肉強食の掟が支配するモンスターの領域、リューレシア大陸内陸部。
無事に征西軍と合流できると良いが……
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