第11話「幼竜」

 どこの船でも見張り台は高い所に設置してある。

 主にメインマスト上方だ。

 普段なら甲板からでも、見張り員が望遠鏡で周辺を警戒する姿が見えるが、今日はダメだ。

 霧に霞んでよく見えない。


 姿が見えないのはわかったが、何の声もしないのはどういうわけか?

 まさか、霧に溶けて見張り員がいなくなってしまったのでは?

 ふと、そんな不安に駆られてしまう。


 そう思ってしまうのも仕方がないだろう。

 敵は何隻編成の艦隊なのか?

 敵の陣形は?

 さっきから、そういった情報を一向に伝えてこないのだから。


 しかしこれもまた仕方がないことだった。

 真っ白で何も見えないのだ。

 目視不能に陥っている現状では、見張り員にできることは何もなかった。


 それでも何か報告できることはないかと必死だった。

 そのとき、前方の海がまた光った。

 三度めの砲撃だ。


 火球は霧の中でも明るいので、近くまで飛来してくれば、着弾位置を予測できる。

 次に狙われている艦がわかった彼は、下に向かって叫んだ。


「火球来ます! 目標は我が方の兵槽船五番艦と六番艦!」


 レッシバルが見上げると、その火球群が見張り員の上空を飛び去るところだった。

 報告できたときにはもう手遅れなのだ。

 灯りの行先を目で追い、視線が下がって水平に——


 ガァン! ドォンッ! ゴガァッ!


 再び見張り台から、


「五番艦・六番艦共に大破、炎上!」


 戦隊は単縦陣で突撃中だ。

 五番艦の爆炎が邪魔で、さらに後方のことはわからない。

 その様子を確認できるのは見張り台のみ。

 ここにきて、見張り員の彼はようやく役に立つことができた。

 こんな形で役立っても嬉しくはないだろうが……


 僚艦撃沈の報は、生き残っている兵槽船に多少の動揺を与えた。

 ただし、あくまでも多少だ。

 心折れるほどではない。


 攻撃とは、敵に損害を与えるために行うものだ。

 その意味において、只今の砲撃は空振りと言わざるを得ない。

 なぜなら、いまやられた二艦は、帰りに歩兵隊を乗せるためのもので、騎兵は乗っていなかったからだ。

 我が方の戦力に何ら影響なし。


 それに、後ろで燃える僚艦を見て、皆の心が決まった。

 やはり活路は前にしかない。

 もうかなり進んできたのだから、もうすぐ接舷できるはずだ。


 そうと決まったら、グズグズしていられない。

 戦隊は全速力で突撃を続行した。



 ***



 一方、第三次砲撃を終えた魔法艦では、艦長が報告を受けていた。


 火球は全弾命中。

 五番艦は大破炎上し、傾斜が止まらない。

 六番艦は二つに割れた後、海中に没した。


 霧はリーベル軍も包み込んでいる。

 にも関わらず、まるで見て確認したかのような詳細な報告を受けられるのは魔法兵のおかげだ。

 彼らの探知魔法をもってすれば、どのような沈み方をしたかも克明に確認することが可能だった。


 戦果は上々だ。

 あと気になるのは——


「敵艦隊の動きはどうだ?」


 魔法艦は強力な艦船だが、帆船には違いない。

 左舷砲を撃ったら、次は右舷砲、終わったらまた左舷……

 その度に転舵して、風上に切り上がっていくのは楽な作業ではないのだ。


 そんな面倒なことを頑張ったのも、敵を怒らせて、まっすぐ誘き寄せるため。

 楽しいのはこれからなのに、帰ってもらっては困る。


「敵は現在、方位〇二〇から三三〇へ転針。本艦を追尾しています」


 それを聞いた艦長の口角が上がった。


「よし、掛かったぞ!」


 二回目の攻撃は帝国軍の怒りを煽るため。

 三回目は、後ろで火の手を上げて、もう前に進むしかないのだと決心させるためだった。


 敵を全滅させたいなら、前から順に撃っていってはいけない。次は自分の番だと尻込みした後方艦が、逃げ出すかもしれないではないか。


 作戦は図に当たった。

 あとは僚艦たちに任せて、戦見物していれば終わる。


 北一五戦隊は勇敢だった。

 人は死後、神様の前で生前の行いを裁かれるというが、そのときは胸を張るといい。

 きっと神様もお認め下さるだろう。

 おまえたちは最期まで勇敢だった、と。



 ***



 戦隊は一刻も早く接舷しようと、ひたすら霧をかき分けて北上していた。

 ところが突然——


 ドドドドォンッ——!


 左舷、霧の向こうで、さっきまでの砲撃とは比較にならないほど大量の轟音が連なった。


「敵⁉」


 音に気付いたレッシバルたちが振り返ると、数えきれないほどの火球が目の前に迫っていた。


 回避……

 いまからでは間に合わない。


 総員、衝撃に備え……

 いや、もう……


 騎兵も水兵も、火球を凝視したまま動きが止まった……


 神殿が説く神様はいかめしく、優しさの欠片も感じられなかったが、本物の神様は慈悲深いものだったらしい。

 あと一秒後にこの世から旅立つ者たちへ、暫しの猶予を与えてくれた。


 命中までの刹那、甲板に静かで穏やかな時が流れる。

 皆、それぞれ愛する人と再会し、楽しかった時に還っていることだろう。


 レッシバルの眼前に広がっていたのは、懐かしきピスカータだった。


 心地よい波の音と、うみねこたちの歌声……

 男たちは網を直し、女たちは余った魚で昼飯の支度中だ。

 そこには両親の姿もあった。


「父ちゃん! 母ちゃん! 皆!」


 レッシバルの目から涙が溢れた。


 よかった。

 村は無事だ。

 皆生きている。

〈あれ〉は、幻だったんだ!


 ……幻覚?

 いいではないか。

 本人が幸せなら、それが一番だ。

 痛みに満ちた現実など知らなくていい……


 北へ引き込まれた戦隊は、待ち伏せていた魔法艦隊の一斉射撃を左舷に受け、旗艦を残して木端微塵に吹っ飛んだ。

 破片も人も空高く。


 残った旗艦もただでは済まない。

 魔法艦隊は、硬くて面倒な防盾艦を後回しにしていただけだ。

 すぐに仲間の後を追わせる。

 今日、ここであったことを報告されては困るのだ。


 北岸に上陸などさせない。

 そして姿はもちろん、火球を見た者も生かして帰さない。


 今日、ここには誰もいなかった。

 帝国の艦隊は一斉に激しく座礁して全滅したのだ。


 いやいや、座礁しただけで人は死なないだろう?


 それは、あれだ……ええっと……

 そうそう、モンスターか何かに襲われたのだろう。


 だから……


 これもそいつらの仕業なのだ。


 ドドドォンッ!

 ドドドドドォンッ!

 ドドド……



 ***



 レッシバルは波を被って目が覚めた。


「ゲホッ、ゲホッゴホッ!」


 どうやら気を失っている間、半開きの口に海水が入っていたようだ。

 塩辛さにむせてしまった。


 ぼやけた頭にいい気付けとなった。

 意識がはっきりしたので辺りを見渡すと、そこは兵槽船の残骸だった。


 火球の直撃を受けたとき、左舷にいた者たちは砕け散って即死した。

 右舷も悲惨な有様だったが、彼は五体満足で命が助かった。

 偶然にも、彼の配置が右舷メインマストの影だったからだ。


 それでも衝撃はかなりのもので、艦から投げ出され、気絶したまま漂流した。

 そして付近に散らばる大きめの残骸に引っかかって、いままで眠っていたのだった。


 夢だった……

 こっちが現実だった。


 そのとき——


 ドガァァァンッ!


 大きな爆発音。

 だが、ここからでは見えない。

 引っかかっていた残骸は艦尾が持ち上がり、中央部は水没していた。

 轟音は傾斜の頂、艦尾部分の向こうからだった。


 全身を強く打ってうまく動けないが、確認せずにはいられない。

 気合いで水から上がり、傾斜を上っていく。


 足を引き摺りながら、嫌な予感が充満していく。

 一方で味方の抗戦という微かな希望もあった。

 果たして……


「あ……あぁ……」


 それは左に大きく傾斜しながら燃え盛る旗艦の姿だった。


 残骸は旗艦の方へ流されていたらしい。

 おかげで濃霧の中でも、その輪郭と炎を確認することができた。


 ——あそこまで傾いてしまったらもうダメだ。


 ピスカータの子は幼い頃から、海と船に慣れ親しみながら育つ。

 だからこそわかる。

 転覆は確実だ。


 だがそこへ……


 ドン! ドンドドドドォン! ドドドンッ!


 左傾斜ということは、そちら側に大穴が開き、浸水が止まらないということだ。

 甲板はすでに火の海。

 下からは海水が水位を上げてくる。

 退路を断たれた生存者は、大穴から海に飛び込むしかない。


 ところが謎の敵はその穴目掛けて間断なく火球を撃ち込んでいた。

 あれでは、逃げられない。


 レッシバルは震える声で尋ねた。

 質問というより訴えと言った方が正しい。


「お、おい、やめろよ……なんでそこまでする⁉」


 勝負はもうついた。

 誰が見ても旗艦は戦闘不能だ。

 あとは全員捕虜にすれば良いではないか?


 ……これはもう戦闘じゃない。

 虐殺だ。


 レッシバルの中で何かが弾けた。

 振り返り、キョロキョロと何かを探し始める。


 銃だ。

 長銃が要る。

 自分のは気絶している間に失くした。


 ——水を被ってない長銃がどこかにないか⁉


 探し物は意外と近くにあった。

 舵輪に寄りかかって息絶えている水兵が抱えていた。

 彼から遺銃を借り、痛む足を引き摺って頂へ戻る。


 旗艦への集中砲火はまだ続いている。

 跡形なくなるまで続けるつもりらしい。

 酷いが、おかげで位置がわかった。

 ただ、かなり遠い……


 いや、遠くても構わない。

 一矢報いるのだ。


 確認すると、装填は完了していて、後は火蓋を切るだけだった。

 長銃を構える。

 ところが……


 ゴトッ!


 右手を中心点に、銃口が縦に弧を描いて、床に落ちた。


 ——⁉


 長銃は両手で構えるもの。

 右手で持ち上げた後、左手で支えなければ落ちるのは当然だ。

 彼の左腕は、肩から先がダランと下がり、力が入らなくなっていた。


 折れたか?


 手当てしようかという考えが一瞬過ったものの、それで左腕が力を取り戻すわけではない。

 時間の無駄なのでやめた。


 そんな些細なことより、いまは射撃の方が大事だ。


 長銃の先を艦尾の欄干に乗せ、左手の代わりとした。

 下顎と鎖骨で上手く挟み、右手で素早く火蓋を切る。

 発射の用意が整った。


 片目を瞑り、砲炎と照星が重なるように狙いを定める。


「…………」


 揺れのせいで、なかなか重なってくれない。

 仕方がない。

 ここは海だ。

 波を読み、後はその一瞬を待つしかない。


 とはいえ、それほど長い時間ではない。

 引き金を引くまで、長くても三秒ほどだろう。

 それでもいまのレッシバルには、気が遠くなるほどじれったい時間だ。


 その僅かな時間、彼はさっきまでいたピスカータ村の穏やかな風景を思い出していた。


 神様は無慈悲だ。

 目が覚めなければ、あのまま幸せな時が続いていたのに……

 天界へ迎え入れる気がないなら、どうして懐かしい故郷など見せたのか?


 ……まだ終わっていないからだ。

 彼には為すべきことが残っている。

 それを思い出してもらうためだ。


 準騎士になり、人助けの英雄になること?

 故郷や戦隊の仇討ち?


 英雄ごっこは不正解だが、仇討ちについては五〇点だ。

 ただ、為し遂げるにはあと五〇点足りない。

 戦っている相手を〈謎の敵〉と呼んでいるようでは……


 地上や海上からではわからない。

 高空から世界を見渡せるようになったとき、真に倒すべき敵を知るだろう。

 残念だが、それは今日ではない。


 いまのレッシバルは幼竜のようなもの。

 まだ空高く羽ばたくことはできない。

 でも、いつかは……


 そのときだった。

 砲炎と照星と彼の目が直列に並んだ。


 ——っ!!


 パァァァンッ!


 その一瞬を見逃さない。

 火薬の爆発力と彼の思いに後押しされ、弾丸は敵艦目掛けて飛び出していった。


 あの日、水平線に霞む海賊船に届かなかった。

 騎銃の弾丸も得意の石弾も。

 砂浜からでは遠すぎたのだ。


 今日はあの日よりは近い。

 そして遠くまで届く長銃で撃った。

 だから届け。

 お願いだ。

 今日こそ、


「届けぇぇぇっ!」

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