第10話「要撃」

 北一五戦隊は右八点逐次回頭。

 斜線陣から単縦陣へ艦列を整えながら、霧の中を突撃していった。

 旗艦の防盾艦を先頭に、ガレー二隻、その後ろに兵槽船が続く。


 モンスターに支配されているとはいえ、大陸北岸は帝国領だ。

 敵はその沖から撃ってきた。

 一体、何者だ?

 帝国軍と知った上で攻撃してきたのか?

 霧で旗が見えないので、これらが一切わからない。


 敵の規模もわからない。

 単艦なのか?

 あるいは艦隊なのか?


 わからないことだらけだが、一つだけわかっているのは、砲音が聞えなかったということだ。

 これは、砲音が聞えないほど遠くから命中させたということを意味する。


 相手はかなりの手練れだ。

 撃ち合いでは勝ち目がない。

 大砲がないから接近戦しかないのだが、却って正解だったかもしれない。


 レッシバルの兵槽船は先頭から四番目についている。

 彼はその甲板で片膝を付き、揺れに耐えながら考えていた。

 知っての通り、子供の頃からスリングが得意だ。

 だからこそ、疑問が拭えないのだ。


 投石も砲撃も、見えなければ方向や距離が測れない。

 これは素人も手練れも共通だ。


 だとしたら……

 この敵は、見えなくても照準を合わせることができるのか?

 もしくは、霧を見通す術がある?


 霧は迷いとなって、彼の心にも立ち込めようとしていた。


 困ったものだ。

 ごもっともな疑問だし、的確な考察ではあるが、これから斬り込みだ。

 皆、気合いを入れているというのに、これでは先が思いやられる。


 そのとき、余計な雑念を吹き払うように、前方でくぐもった音が連続した。


 ボッ! ボォッ! ボンッ……


 すぐ後に続く見張り員の叫び声。


「敵艦、発砲!」


 今度は一斉射撃のようだ。

 九個の火球がまっすぐこちらへ飛んでくる。


 軌道から、狙いは先頭を行く旗艦。

 旗艦も承知しており、「カンカンカン! カンカンカン!」と警鐘を打ち鳴らしている。


 艦首付近の兵たちは後方へ退避できただろうか……

 心配ではあるが、後続艦たちにできることは何もない。

 できるとしたら、少しでも多く外れてくれ、と祈ることだけだ。


 だが祈りというものは、危機のときほど通じないもの。

 手練れが放った火球は、全弾旗艦へ。


 ガァン! ゴォッ! ドガァッ!


 艦首に直撃して爆ぜ、その衝撃で艦前半部が少し浮いた。

 普通の船なら横転するか、さっきの補給艦のように砕けたことだろう。


 しかし旗艦は防盾艦だ。

 味方を敵甲板に送り届けるまで、盾は砕けない。

 横転もしない。


 ザザァン!


 一瞬のけぞりはしたものの、すぐに着水した。

 帆はまだ風を掴んでいる。

 突撃続行。


「全艦、我二続ケ」


 旗艦は艦尾からランタンで信号を送った。

 直後でその信号を受け取ったガレーは、後続ガレーへ。

 後続ガレーから兵槽船へ。

 霧の中で、旗艦から発せられた信号は順々に伝わっていった。


「オオオォォォッ!」


 伝わった艦から順に鬨の声が上がる。

 旗艦の無事を喜んでいるのと、これなら敵砲撃を掻い潜り、接舷できそうだという希望の雄叫びだ。


 ……後に、教官となったレッシバルは、学生たちにこう語る。


 獲物を楽に仕留めたかったら、完全には包囲せず、生き延びられる道を一つだけ残しておいてやれ。

 追い詰められた獲物は、それが罠だとも知らずに踏み込んでくる。

 あの日の私たちのように……



 ***



 敵艦は、レッシバルたちが接近してくることに気付いていた。

 戦隊が霧に包まれるよりずっと前、水平線の向こうから。

 距離も濃霧も、彼らにとっては何の妨げにもならない。


 敵艦は、まっすぐ突っ込んでこられることに慣れていた。

 軍艦は勇敢だ。

 撃ち負けても退かず、守りを固めて接近戦を挑んでくる。


 左舷側砲を撃ち終えた敵艦は面舵を切り、右舷を向けた。

 獲物の踏み込みが浅い。

 もう少し深入りさせるために右舷側砲もお見舞いする。


 補給艦を沈められ、帝国軍は頭に来ていることだろう。

 だが、まだ冷静な奴がいて、即時退却を提督に具申しているかもしれない。


 それでは困る。

 僚艦たちが張っている罠が無駄になってしまうではないか。


 もっと、もっと怒ってもらわなければ。

 だからあと二隻ほど沈めてやれ。

 そうすれば怒り心頭になって、臆病風に吹かれた退却具申など、どこかへ吹っ飛ぶ。


 大丈夫だ。

 帝国の盾は九発撃たれても耐えたではないか。

 自信をもって突っ込んで来い……


 敵艦の艦長は、リーベル製伝声筒を取り出した。


「右舷上段は二番艦、下段は三番艦を狙え!」


 リーベル製……

 先述の通り、いくら高性能でも輸入して使う軍はない。

 使えるとしたら、それは……

 自国製だから。


 彼らはリーベル海軍セルーリアス艦隊の魔法艦。

 ブレシア騎兵は敵も城も踏み潰すというが、魔法艦は気に障ったものすべてを海の底に沈める。

 そこが他国の領海だったとしてもお構いなしだ。


 とんでもない理不尽だが、誰も抗議することはできない。

 逆らえば、いまのレッシバルたちのように超長距離から魔法で攻撃される。


 海は波と揺れに晒されて、魔法の詠唱どころではない場所だ。

 しかしリーベル人は、その魔法に不向きな海上であっても詠唱できる方法を編み出した。

 その方法というのが魔法艦だ。


 魔法艦の上でなら、波と揺れに妨げられず、詠唱を完成できる。

 ただ、さすがの彼らも陸上とまったく同じというわけにはいかず、半減した魔力を補うため、魔法艦には魔力砲という特殊な砲が搭載されていた。

 魔力砲は通常の砲弾も発射できるが、魔法を装填することで陸上と同じ威力に増幅してくれる兵器だ。


 軍所属の魔法使いを魔法兵と呼ぶが、彼らは魔法艦のおかげで海でも十分に魔法を使うことができる。

 だから目視不可の状況でも狙いを定め、魔力砲で超長距離から一方的に攻撃できるのだ。


 陸上で魔法使いに距離をとられたら、誰も敵わない。

 これは海でも同じだ。

 海の魔法使いたる彼らには誰も敵わない。


 ゆえに、無敵艦隊と恐れられていた。



 ***



 もし、自分が剣と盾で武装した戦士だったとして、魔法使いと対峙することになったら、どう戦おう?

 やはり、盾を構えて突撃し、距離を潰すしかないと思う。


 しかし魔法使いもそのことは百も承知だ。

 だから工夫する。

 たとえば……


 海の魔法使いたるリーベル艦の艦長は、取り出した伝声筒を掴んだままだ。

 さっき上下段砲列に出した指示の報告を待っていた。


 この艦に限らず、無敵艦隊の砲手たちは優秀だ。

 すぐに彼の伝声筒へ、砲術士官たちの声が返ってきた。


「右舷一番から五番、誘導射撃用意よし!」

「右舷六番から一〇番——」


 さっきは戦士の立場。

 今度は魔法使いの立場で考えてみる。


 もし、自分が魔法使いだったら……

 火球に耐え得ると判明した盾へ、二発目をまっすぐ撃ち込もうとは考えない。


 そこで別の手を考える。


 たとえば、曲げて撃つというのはどうだろうか?

 要は盾を構えている戦士を倒せれば良いのだ。

 無理に硬い盾を割る必要はない。


 各魔力砲に一人ずつ付いている魔法兵が、発射後も砲弾や火球等の魔法弾を誘導し、防盾艦の後ろに隠れている敵艦へ命中させる。

 リーベル海軍では、これを誘導射撃と呼んでいた。


 誰だって、初見の敵には苦戦するものだ。

 魔法艦が初めて防盾艦と遭遇したときは、攻撃を凌がれてしまい、至近砲撃を食らってしまった。


 幸い、魔法艦自体の装甲と、魔法兵が展開する障壁のおかげで、損害は軽微で済んだ。

 だが、接近を許してしまったということは、魔法使いにとって看過できない重大事。

 すぐに対策を講じ、編み出されたのが誘導射撃だった。


 その用意が整った。

 艦長の号令が飛ぶ。


「撃ち方始め!」


 間髪入れず、甲板上段砲列の士官が指揮刀を振り下ろす。


「一番から五番、撃ちー方始めー!」


 ドォンッ! ドンッ! ドォッ! ゴォッ! ドォンッ!


 五個の火球が尾を引いて、砲口から一斉に飛び出していく。

 上から見たら、炎の巨人が五本指で空中を引っ掻いているように見えることだろう。


 続いて下段砲列。


「六番から一〇番、てぇぇぇっ!」


 再び連続する轟音。

 普通の砲弾ならまっすぐ飛んでいくだけだが、リーベル海軍の誘導射撃はここからが違う。


 上段より放たれた火球は右へ、下段は左へ、弧を描いて防盾艦を躱し、それぞれの目標へ飛んでいく。


 その様子は帝国軍からも見えていた。

 補給艦を一撃で沈めた火球が各五発ずつ……

 直撃を受けたガレー二隻は、何もできないまま四方八方に爆散した。


 ドガァァァンンンッ!


 爆風が後ろの兵槽船を舐めていく。


「うわっ!」


 甲板にいる騎兵たちは首をすくめて耐えた。


 音と圧力がものすごい。

 とはいえ、嵐のようにいつまでも吹き荒れたりせず、一瞬で吹き去るものだ。


 豪風はすぐに去り、静けさを取り戻した甲板で誰かが呟いた。


「いま、曲がったよな?」


 これでは防盾艦の後ろに続いても意味がない。

 まったく安全ではないのだから。


「どうするんだよ……」


 爆風止んだ甲板に、今度は臆病風が吹き始めた。

 これは厄介だ。

 臆病風は一瞬で吹き去ってくれるものではない。

 いつまでも停滞し、その場の空気を覆い尽くさんとする。


 これを吹き飛ばすには喝が必要だ。

 レッシバルは立ち上がった。


「怯むな! 剣が届きさえすれば、俺たちに敵う奴はいないんだ!」


 効果はあった。

 誰より、乗っている兵槽船の艦長に最も効果があった。


 実は、艦長も曲がる砲撃を見たのは、これが初めてだった。

 率直に驚いた。

 そして迷いが生じていた。


 引き続き、旗艦に続くのか?

 あるいは、旗艦に退却を提案すべきか?


 だが、立ち上がった若い騎兵の一喝で目が覚めた。


 ……そうだ。

 我らは最強の騎兵の子孫。

 突撃して敵を蹴散らすのがブレシア人だ。

 大草原が大海原に変わっても、そのことに変わりはない。


 迷いが晴れた。

 レッシバルに負けじと、艦長も大音量で叫ぶ。


「持ち場を離れるな! 全速前進! 旗艦に続けぇっ!」

「オオオォォォッ!」


 臆病風一転、士気は最高潮に達した。


 敵の正体は不明のままだが、卑怯な弱虫共であることは確かだ。

 弱虫だから名乗らず、警告も出さず、いきなり撃ってきたのだ。

 すぐにとっ捕まえて、補給艦とガレーにしたことを後悔させてやる!


 兵槽船の甲板で、騎兵も水兵も皆、闘志に燃えていた。


 剣が届きさえすれば……


 その通りだ。

 先人たちが磨き上げてきたブレシアの剣術、特に片手で振るう騎兵剣術は、きっと揺れる甲板でも通用するはずだ。


 ただし、レッシバルが自分で言ったように、届けばの話。

 彼はこれから思い知るだろう。

 その剣を届かせることが、世界一難しい相手なのだ、と……

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