第9話「北一五戦隊」
帝都の病院——
レッシバルは人の気配で目が覚めた。
「ん、んん……」
呻き声に気付いた気配の主は、ベッド横の椅子から立ち上がり、心配そうに覗き込んできた。
「気付いたか。どこか痛いところはないか?」
まだ目がぼやけていて、よく見えない。
それでも顔の輪郭と声でわかった。
シグだ。
彼はいま外交官をやっている。
外交官といえば、家族を連れて外国暮らしが長いという印象だが、いまのところは帝都勤めだった。
こうして見舞いに通えるのも、そのおかげだ。
登用試験合格後、彼はルキシオ港の検査官になった。
入港してきた船が禁制品を持ち込んでいないか、積み荷を調べるのだ。
世界各国から船がやってくるが、それぞれ言語が違う。
そのすべてに精通する必要はないが、彼らの船を調べる検査官は、いくつかの言語を習得する必要がある。
検査官は大変な仕事だ。
しかし、シグは持ち前の勤勉さで各国言語に精通していった。
大国だけでなく、小国の言語も。
ただ、それだけでは外務省から声を掛けてもらえない。
外交官といえばエリートだ。
才能と努力だけでは足りない。
孤児出身者が破格の出世をするには〈理由〉が必要だった。
この国で〈理由〉となり得るものは主に金。
その次が婚姻だ。
彼が検査官から外交官に出世できた〈理由〉——
それは妻だった。
***
シグは外務大臣の末娘と結婚し、いまは一児の父だ。
外交官に抜擢されたのは、彼の有能さもあるが、それ以上に妻の父が後ろ盾についたことが大きい。
大人になったシグは背が高く、美形で、女性たちが憧れる貴公子像に当てはまる人物だった。
ある日、末娘が馬車で港の近くを通ったとき、窓から検査官だった彼を見かけ、一目惚れした。
それが馴れ初めだ。
父親の大臣は反対だったが、娘から親子の縁を切ると脅迫されたのと、シグの噂が事実無根だとわかり、最終的には許した。
シグの噂——
帝都には彼の優秀な評判だけでなく、悪い噂もあった。
もてない男たちから、女たらしだという噂を流されていたのだ。
馬鹿げた噂だ。
少年探検隊は勇者の集団。
その隊長が女たらしのはずがないではないか。
いくら大臣が人と金を使って調べても、ない尻尾が掴めるはずがないのだ。
そして現在に至る。
シグが外交官に抜擢されたのは、結婚の翌年、もうすぐ第一子が産まれそうという頃のことだった。
嫌な話だが、娘の夫が小役人では、舅が宮廷で恥をかくということだ。
***
シグはレッシバルの意識が戻ったことに安堵した。
病院へ運び込まれたとき、全身痣だらけで肋骨も数本折れており、出血多量だった。
薬師の手当てだけでは足りず、神官が応援にやってきて、神聖魔法で傷口を塞がなければならないほどの重傷だった。
魔法のおかげで傷は治ったが、失われた血と体力は静養して回復させるしかない。
その間、意識が戻らない友を心配して、仕事が終わると真っ直ぐ見舞いに通っていたのだった。
「目が覚めて良かったよ」
「あ、ああ。心配かけて済まなかったな」
明瞭な言葉が返ってきたので、シグは一先ず安心した。
本調子に戻るのはまだ先だが、とりあえず大丈夫だろう。
そうなると、何があったのかが気になる。
なぜ一人だったのか?
他の仲間たちは?
どうして徒歩だったのだ?
馬はどうした?
危険な状態を脱したのだと思うと、つい遠慮がなくなり、次々と質問を重ねてしまう。
だが、元気なときだってこんなに畳みかけられたら、一遍には答えられない。
病み上がりの友は俯いてしまった。
「あ、すまん。つい……」
「いや……」
俯いてしまったのは、矢継ぎ早な質問に困ってしまっただけではない。
友の質問に答えようと思い出していたら、一緒に地獄の光景が蘇ってきてしまったからだった。
「辛かったら、無理に話さなくていいんだぞ?」
気遣ってくれてありがたいが、そうもいかない。
どうせ今夜か明日、話さなければならなくなるのだ。
意識が回復したと知ったら、すぐに陸軍から人が来る。
連絡が途絶えてしまったから、司令部は何があったのか知りたいはずだ。
だから報告しなければならない。
先月、内陸で孤立してしまった部隊を救うべく、帝都から出発した救援艦隊が全滅した、と。
***
一ヶ月前——
元々、準騎士レッシバルが所属していたのは、騎兵第七一戦隊という。
ある日、内陸で孤立してしまった味方を救えという命令が下った。
彼は戦隊ごと征西軍北部第一五戦隊〈北一五戦隊〉に入り、船で出航した。
騎兵が船で出航?
これには少し説明が要る。
先日、征西軍の歩兵隊五〇〇が、トロールの群れと遭遇。
歩兵隊は見事勝利し、追撃戦に移行した。
ところがその直後、別の大群に背後を突かれ、味方から切り離されてしまった。
西へ進撃を続けても、ひたすらモンスターの領域が続くのみ。
南は山脈に阻まれ、残るは北。
しかし西へ敗走していた群れが、東から現れた援軍に呼応し、北を塞いだ。
歩兵隊は、東西南北すべての退路を断たれてしまった。
そこで司令部は、いくつかの騎兵隊を集め、援軍を送ることにした。
これが北一五戦隊だ。
味方を救うには囲んでいるトロール共を突破し、脱出路を切り拓かなければならない。
そのために援軍がとれる道は二つ。
陸路、西へ進み、東の大群の背後を突く。
あるいは海路、北岸から上陸して南進し、北の群れを後ろから叩く。
騎兵なのだから得意な陸路をとりたい。
だが東は層が厚く、無理に押せば味方の方へ雪崩れ込む危険性がある。
北から攻めても同じことだが、こちらは東より数が少ない。
司令部で検討の結果、海路案が採用された。
救援艦隊の内訳は——
上陸する騎兵が、三個戦隊合計三〇〇騎。
彼らを運ぶ兵槽船と、救出した歩兵隊を乗せる兵槽船が合計六隻。
補給艦が一隻。
これらの護衛として防盾艦が一隻。
ガレーが二隻。
合計一〇隻は直ちに帝都より抜錨。
東風を受けて出撃した。
——あのときの隊長たちのように、歩兵隊の皆を救ってみせるぞ!
レッシバルの士気は高かった。
モンスターによって脅かされている人たちを救う。
これこそが子供の頃から憧れていたものだ。
——モンスター共をなぎ倒し、いつの日か南方砦の司令官に!
士気が高いというのを通り越して、舞い上がっていたというのが正しいかもしれない。
我こそは敵も城も踏みつぶす最強の騎兵、と闘志に燃えていた。
このときはまだ、負ける可能性など微塵も考えていなかった。
***
北一五戦隊は順調に北上していき、三日目の夕方には大陸北東端に到達した。
そこから艦隊は西へ転舵。
風を遮らないよう、斜線陣で上陸地点を目指した。
ここまでの天気は晴れ。
しかしこの辺りから暗雲が立ち込めていく。
空にも、艦隊にも……
曇り空の下、艦隊は大陸北岸沿いを西進し続けた。
目標とする地点まであと一日。
その辺りで甲板員たちが気付いた。
空気が粘り出している。
徐々に視界が悪くなっていき、やがて完全に濃霧が艦隊を包み込んだ。
甲板員同士も接近しなければ互いの姿が見えない。
これが敵艦隊に奇襲を仕掛けに行くなら、天の助けと喜ぶところなのだが……
厄介なことになってしまった。
停船か、進軍か。
艦長たちは伝声筒を使って話し合った。
伝声筒——
材質や形状は様々だが、大体手に収まるくらいの筒状の物であることが多い。
文字通り、遠くにいる相手と話すための呪物だ。
どのくらい遠くまで声が届くかは、作者たる魔法使いの能力次第だ。
最も性能が高いのは魔法王国リーベルの物だが、まさか他国製を輸入して使うわけにはいかない。
帝国軍内部の話をリーベル軍にも聞かせることになってしまう。
海軍だけでなく、魔法も軽んじてきた帝国は、粗悪でも自国製を使うしかなかった。
それでも艦隊内で使うには十分な性能だ。
おかげで艦長たちは濃霧の中、ボートを漕いで旗艦に集まるという危険を冒さずに済んだ。
さて、その会議だが、それほど時間は掛からなかった。
このまま進撃する。
衝突しないように艦同士の間隔を開け、座礁を避けるためにもう少し沖合を進むことに決まった。
艦隊は面舵を切りながら、間隔を開けていく。
といっても難しいことはない。
先頭を行く防盾艦の後ろに、ガレー、兵槽船、補給艦、ガレーと続いている。
だから、最後尾のガレーから順に速度を落としていけば、自然と間隔が開いていくのだ。
その減速が始まったとき、レッシバルは右舷欄干で頬杖をついていた。
湿っぽくて気持ち悪いが、それでも外の風に当たりたかったのだ。
おかげで気付くことができた。
一面真っ白な視界の中、ポッと現れた小さな鬼火に。
「おいおい、明日上陸なのに縁起でもない……」
子供の頃、親から教わった言い伝えを思い出して毒づいた。
なんでも、海で死んだ者は、鬼火となって化けて出るらしい。
夜明け前、水平線の彼方に鬼火が出たら、網を引き揚げて帰った方がいい。
さもないと鬼火に捕まって、あの世に連れて行かれる……という迷信だ。
少年探検隊でこの話を信じる者は一人もいなかった。
……内心はどうあれ……
しかし、迷信呼ばわりは撤回すべきだ。
鬼火に捕まって、あの世に連れて行かれるという件は、あながち間違いではない。
あの鬼火は、そのつもりで灯ったのだから。
鬼火はあっという間に大きくなり、補給艦目掛けて飛んでいった。
正面ではわからなかったが、横に流れていったのでわかった。
あれは鬼火ではない。
火球だ。
ドォォォンッ!
後方から爆発音と火柱が上がった。
濃霧でぼやけているが、それでも火柱の大きさで悟った。
補給艦には水・食料だけでなく、護衛艦のための弾薬も積んでいた。
あれは、その弾薬が爆発した火柱だ。
補給艦が、一撃でやられた……
「敵襲!」
各艦メインマストに立つ見張り員たちが、甲板に向かって叫んだ。
もう撃たれた後なので、全員知っているのだが。
各艦甲板は大騒ぎとなった。
レッシバルたちの兵槽船も。
だが、その騒ぎ声の中から一際大きなものが他を制した。
艦長や副長だ。
「総員、戦闘配備!」
弱小海軍とはいえ、歴とした軍人たちだ。
命令が下ったことで秩序を取り戻していった。
戦闘配備といっても、兵槽船は出航時に大砲を下してきた。
できることは銃撃と斬り込みくらいだ。
少しでも兵員の場所を確保するためだったのだが、裏目となった。
だが、反省するのは後だ。
生命があったら、ヤケ酒でも呷りながら反省会をやれば良い。
いまは濃霧の向こうにいる敵を何とかしなければ。
船室からワラワラと騎兵が上がってきて、水兵から順に長銃を受け取っていく。
レッシバルも大急ぎで武装を整え、長銃を受け取った。
皆、舷側に沿って横一列にしゃがみ、黙々と長銃に弾薬を装填していく。
そのとき、甲板が大きく傾いた。
面舵一杯だ。
しゃがんだまま顔を上げると、旗艦の防盾艦が先頭に立っているのが見えた。
装甲の厚い防盾艦を先頭に全艦が続き、接近戦を仕掛けるのだ。
どうやら砲撃は敵が上のようだが、こちらは精強な騎兵が大勢いる。
騎兵は馬を下りれば、手練れの剣士に早変わりする。
距離を潰し、接舷できれば斬り込み要員で勝る帝国軍が有利だ。
確かにそうだ。
接舷できれば、レッシバルたちの勝利は間違いないだろう。
うまく接舷できればだが……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます