第8話「宿命」

 孤児院からシグが去った後、次に去ったのはレッシバルだった。

 これは次に年長者だったからというわけではない。

 やりたいことがある孤児は、出ていく順番が前後しても構わなかった。


 ただし、何をやりたいのかを院長に明かさなければならない。

 正直に。

 これが鬼門だった。


 院長は基本的にどんな仕事でも励ます。

 孤児たちに明かすよう求めているのも、未熟な体力では厳しい職もあるからだ。

 そのことを説明し、やがて十分やっていける歳になったら、心から門出を祝う。

 反対するのは、法に違反する仕事と騎士だけだ。


 これだけ聞くと鬼門でも何でもないように思えるが、レッシバルが目指しているのは騎士だ。

 彼にだけは鬼門となりえるのだ。


 それでも彼は告げた。

「騎士になりたい」と。


 対する院長は、


「…………」


 即座に反対を述べることはなかったが、その渋い表情が物語っていた。

 反対だ、と……


 予想通りだ。

 同時に、誤解されているのだということもわかった。


 シグの推薦状の件は、まだ記憶に新しい。

 皆と一緒にその場にいたのだから、反対する理由はよく覚えている。

 レッシバルは結論が出ている話を掘り返し、正騎士になりたいとゴネに来たのではない。


 誤解があるなら、解かねばならなかった。

 騎士になりたいというのは、金に汚い正騎士の世界に入りたいという意味ではない。


 彼がなりたい騎士というのは、準騎士のことだった。



 ***



 帝国では正騎士になれさえすれば、後は薔薇色の人生だと信じられているが、とんだ迷信だ。

 なれた後は、帝都の総司令部に配属される〈明〉と、帝都の外、現場に配属される〈暗〉に分かれる。

 当然だが、出世していくのは〈明〉の方だ。


 帝国の子供たちが憧れているのは前者だが、上流貴族の子でない時点で無理だし、漁師の子には後者も無理だった。


 また、各地の重要拠点の司令官は現場組正騎士だが、それほど重要ではない拠点は、高位の準騎士が司令官を務める。

 あの砦の司令官がまさにそうだ。

 もちろん巡回隊の隊長も準騎士だ。


 帝国にとってあの一帯は、正騎士を配属させる価値もない地域だったということだ。


 亡くなった者たちに大変失礼な話だ。

 しかし、いま着目すべきはそこではない。

 着目すべきは、要地でなければ、司令官になれるかもしれないという点だ。


 上限はあるが、準騎士なら手柄次第で出世できる。

 頑張れば砦の司令官になれるかもしれない。

 もしそうなれれば、もっと巡回隊を増やすように命じたり、漁村に大砲を配備して海賊を撃退することもできる。


 自分の手で、モンスターや海賊から、あの一帯を守りたい。

 それがいまのレッシバルの夢だった。



 ***



 院長は途中で遮ったりせず、レッシバルの話を最後まで聞いた。


「…………」


 悩ましい。

 孤児たちから騎士になりたい、と訴えられるのには慣れているし、反対することにはもっと慣れている。

 だが、この子の話は……


 庶民の子に、なぜ騎士になりたいのかと尋ねると、大体どちらかを理由として挙げる。


 一つは、己の武勇で国を守り、弱き民を救いたいから。

 もう一つは、大きな館に住み、ご馳走を食べて暮らしていけそうだから。


 どちらも正騎士である必要はない。

 言い方は悪いが、立派になった自分の姿を周囲にみせびらかしたい、というのが本音だろう。


 そんな理由で、踏み込んで良い世界ではない。

 正騎士になること自体を最終目標としているから、その後、目標を見失って私利私欲に走るのだ。


 その点、レッシバルの目標は真面だ。

 特に、正騎士に拘ることはやめ、目標を本願成就に繋がる準騎士に切り換えていることが素晴らしい。


 だからこそ悩ましかった。

 いっそ、故郷を守りたいから正騎士を目指すと言ってくれたら、矛盾を指摘して即時反対できたのに……


 しばらく悩んだ末、院長の心は決まった。


「頑張りなさい」


 レッシバルは目を丸くして驚いた。

 どうせ反対されるに決まっているから、孤児院を飛び出していこうと覚悟していたのに。

 まさか応援の言葉が返ってくるとは……


 頭脳明晰だったシグに注目が集まりやすかったが、院長は武勇という点ではレッシバルが一番だと見ていた。

 ブレシア人の子供は親から馬術を習うので、孤児院でも教えていたが、最も優秀だったのが彼だった。

 特に騎射に関しては、現役の騎兵も舌を巻く腕前だ。


 試験は余裕で受かるだろう。

 その後の家柄審査も問題ない。

 漁村出身の孤児は不適合、と判定してもらえるはずだ。

 準騎士になりたいという彼の願いは必ず叶う。


 しかしそれだけで応援の言葉を述べたわけではない。

 ある予感を抱いていたからだ。


 孤児は皆平等に扱わなければならず、彼だけを支援するわけにいかない。

 正騎士になる道は最初から閉ざされていた。


 常人ならそこから大きく人生が変わっていくだろう。

 だが彼の場合、それくらいのことでは何の影響もないと思うのだ。


 どの道を辿ろうと、必ず同じ地点に辿り着く。

 宿命——

 彼はそういう宿命を背負って生れてきたのではないだろうか。


 そう感じたのは確か、レッシバルが騎射に初挑戦した日だった。

 騎射は難しい。

 初日からうまくできる者はいない。

 当然、彼もすべての的を外してしまった。


 けれどもその姿を見て、なぜか予感したのだ。

 この子は、誰も敵わない強大な敵を倒すために生まれてきたのではないだろうか、と。


 ならば、自分如き凡人が異議を唱えてはならない……

 院長はそう肝に銘じていたのだった。


 ただ、「頑張りなさい」とは言ったものの、やはり悩ましかった。

 出来れば、騎士はやめてほしかったというのが親心だ。

 準騎士と歩兵は優先的に西へ送られてしまう。

 本当は「危険だから、やめておきなさい」と言いたかった。


 でも……

 もしかしたら、彼こそが不毛な征西に終止符を打てる騎士なのかもしれない。


 反対の言葉を飲み込み、逆のことを言ったのは、彼の宿命に賭けてみようと思ったからだった。



 ***



 一〇年後、帝都西門——


 門番の欠伸が止まらない。


 ……暇だ。


 帝都の東西南北に大きな門があるが、その内、一番暇なのがこの西門だった。

 何せ、その先に広がるのはモンスターの領域なのだから、普通の人間は用がない。

 門を通るのは、征西軍か冒険者一行くらいだ。


 基本的に出発していく門であり、生還して再び通ることが少ない門なので、地獄門とか不帰の門と揶揄されていた。


 そういうところなので、門番は日々退屈していた。

 毎日、何か暇つぶしになることはないかと、周辺警戒に余念がない。


 本当は、不審なことはないかという意識で警戒していなければならないのだが……

 動機はどうあれ、結果として門番の本分が全うされているのだから、細かいことは問うまい。

 おかげで西からやってくる人影に気付けた。


 その人影は長い枝を杖代わりに、足を引き摺っているようだった。

 足を怪我しているのか、あるいは憔悴しきっているのか。


 門番たちが見守る中、段々と人影の輪郭がはっきりしてきた。

 人影は男性だ。

 そしてボロボロの服装を見て、男が何者なのかわかった。

 門番の一人が後方の詰所に向かって叫ぶ。


「負傷兵だ!」


 暇すぎて一日中眠たいが、それでも彼らは正規の帝国兵だ。

 破れていようが、血に染まっていようが、見間違えたりしない。

 男の衣服は、帝国陸軍騎兵軍装だった。


 男にも叫び声が聞こえたのか、力尽きてその場に倒れ込んでしまった。


「お、おい! しっかりしろ!」


 それを見た門番たちは慌てて駆け寄った。


「…………」


 男は呼び掛けても反応がない。

 胸が上下に動いているから死んではいないようだ。

 気を失っている。


 とはいえ、疲労の限界で眠り込んでしまったのではなく、満身創痍で昏睡状態に陥っているのだ。

 危険な状態だった。

 門番たちは急いで病院へ運んだ。


 男は二〇代前半の若者だった。

 そして飾りの少ない軍装だったので、準騎士だとわかった。


 正騎士など、後ろで威張り散らしているだけで、何の役にも立たない連中だ。

 準騎士こそが、騎士団の主力だといえる。

 ゆえに、優秀で屈強な者でなければ務まらない。


 その屈強な体力のおかげで、若者は息を吹き返した。

 西門の外で倒れてから二日を要したが。


 幸い、頭に怪我はなかったので記憶喪失等の問題はなかった。

 だから尋ねられたことに、はっきりと答えることができる。


 男の名はレッシバル。

 征西軍北部第一五戦隊に配属されたばかりの準騎士だ。

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