第6話「届け!」
子供の前で喧嘩や悪口はやめた方がいい。
大人が思っている以上に、話の内容を理解している。
レッシバルは母の亡骸の前で項垂れながら、騎兵たちの会話を聞いていた。
本当は何も聞きたくないのだが、嫌でも耳に入ってきてしまう。
おかげで仇の名がわかった。
ネイギアス海賊だ。
奴らが出没し始めたのは、帝国が内陸から現在のルキシオ港に遷都してから。
名の由来はピスカータの遙か南、ネイギアス海から北上してくるからなのだが、いまはもう一つの理由の方が大きい。
ネイギアス海には大小様々な群島があり、島ごとに部族や都市国家があった。
あるときそれらが集まって、ネイギアス連邦という大きな一つの国になった。
そういう地形と成り立ちの国なので、海の交易路や領海といった〈海〉が重要だった。
陸の帝国と海の連邦。
うまく住み分けができていたこともあって、両国は当初、友好的な関係を築けていた。
その友情に亀裂が入ったのが、ルキシオ遷都だ。
征西軍がいくら勝利を積み上げようと、民を内陸へ帰還させられない以上、事業としては失敗続きだと言わざるを得ない。
窮した帝国は海洋進出へ方針転換したのだった。
遷都はその方針によるものだ。
新たな商売敵の出現に連邦の警戒は高まったが、それでいきなり険悪になったわけではない。
現在のような険悪な状態になったのは、遷都後にネイギアスの品に税をかけたからだ。
帝国がそうしたのにはわけがある。
陸の帝国だった時代、海の向こうのことはよくわからず、ネイギアス商人の言い値で取引するしかなかった。
ところが海の帝国を目指し、航海者たちが諸国を見てきた結果、法外な値だったことが判明したのだ。
その土地にない品を運び込むには、労力や費用がかかる。
仕入れ値に多少の利益が上乗せされてしまうのは致し方ないことだ。
ネイギアス側としてはこのような言い分になるのだが、帝国にしてみれば、その利益が法外過ぎるという言い分なのだ。
〈多少〉の解釈について何度も話し合われたが、折り合うことはなかった。
結局、ネイギアスも帝国の品に税をかけてしまい、両国不仲は決定的なものとなった。
とはいえ、まだ国交を結んでいる両国だ。
大義名分もなく戦いを仕掛けるわけにはいかない。
だから帝国の使者から求められれば、連邦は海賊を取り締まる振りをする。
取り締まる振り——
証拠はないし、あっても捏造だ、濡れ衣だと言い張って埒が明かないのだが、彼の海周辺の海賊を裏で束ねているのが連邦だという。
世界中で知られている公然の秘密だ。
これがネイギアス海賊と呼ばれている大きな理由だ。
だから連邦が本気で取り締まることはない。
振りをするだけだ。
そして本音では、北上して帝国の交易船を襲うように仕向けていた。
獲物は船だけではない。
時には沿岸の村や街も……
帝国はこの状況を座して見ていたわけではない。
他国だけでなく、国内からも弱小と嗤われているが、一応海軍らしきものがあり、第二艦隊が南北沿岸を警備していた。
だが、やる気も予算も少なく、警備は穴だらけだった。
その穴を突いて海賊が攻め寄せてくるのだ。
奴らは海軍のようにモタモタしない。
海岸に防備があれば艦砲を浴びせ、なければ素早く上陸して何もかもかっさらう。
金、食料、家畜……女子供も……
後は、皆殺しだ。
あまり激しく抵抗すると、女子供もその場で……
最後に火を放ち、のろまな海軍がやってくる前にずらかる。
それが遠くに霞んで見える海賊船だった。
——あいつらが!
幼いレッシバルの目に憎悪が灯った。
次の瞬間、近くにいた騎兵の腹目掛けて、体当たりのようにぶつかっていった。
けれども、軽い子供の力では騎兵を驚かせただけだ。
せいぜい二、三歩後退りさせたくらい。
「お、おい、落ち着けって!」
騎兵は、少年が母親を失って錯乱したのだと思い、宥めようとした。
だがそれは誤解だ。
別に抱きしめてほしくて飛び掛かったのではない。
お目当ては騎銃だ。
ホルスターから引き抜くと長銃のように両手で抱え、海に向かって走った。
「あ、コラ! やめろ!」
取られたことに気付いて追いかけるが、あっという間に波打ち際に立ち、撃鉄を起こして帆船を狙う。
守備隊がいなくなってから、父親たちは武器の手入れに余念がなかった。
あっちへ行けと追い払われながらも、少年たちは隠れてその様子を見ていた。
だから撃ち方を知っている。
実際に撃つのは今日が初めてだが……
涙に濡れる細い指が引き金にかかった。
……ここから撃っても当たるわけがない。
騎銃は至近からでなければ命中は期待できない。
それに、当たっても弾丸が木材にめり込むだけ……
ウ ル サ イ。
ダ マ レ。
当たるかどうかは瑣末な問題だ。
追いかけてきている騎兵が「肩が外れる!」と叫んでいるが、肩より、目の前の海賊を黙って見送ることの方が問題だ。
大事なことは撃つか、撃たないか。
それだけだ。
レッシバルは、撃った。
パァァァンッ!
撃ってすぐ、小さな身体が後ろに弾けた。
騎銃は片手銃なので、威力も反動も小さいが、あくまでも成人を想定している。
子供には衝撃が強すぎた。
受け身が取れずに後頭部から落ちてしまったが、柔らかい砂浜のおかげで怪我はなかった。
ただ、右肩はダランと外れてしまった。
それでも泣かない。
憎悪と興奮が痛みを忘れさせていた。
思いはただ一つ。
「当たれぇぇぇっ!」
左手で半身を起こしながら、撃った弾丸に向かって叫んだ。
…………
海賊船に異常なし。
なぜだ⁉
そんな当惑の目で凝視しているが、当然だろう。
気迫は素晴らしいが、当たるかどうかは撃ち手の技能と銃の性能による。
そもそも衝撃で銃口がぶれて、弾丸は斜め上に飛んでいった。
最初から当たるはずがなかった。
しかし、彼の攻撃は、これで終わりではない。
左手でスリングを取り出し、石を探し始めた。
「う……ぅうぅっ!」
獣のような唸り声を上げながら、左手で砂をまさぐるが、指の間をサラサラと通り過ぎていくだけ。
石が見つからない。
そこへ騎兵が追い付いた。
「やめろ! ここからでは銃も石も届かない! 届かないんだ!」
砂に没している左手を強引に引き抜き、やめさせた。
歯痒い気持ちは皆一緒だ。
だが、届かない攻撃を繰り返しても空しいだけだ。
騎兵の話は正しい。
動転していても、そのことは理解できた。
その瞬間、敗北感が少年を打ちのめし、スリングの紐を掴む左手から力が抜けた。
しかし安心するのはまだ早い。
「だったら——」
「ん?」
騎兵の言っていることは正論だ。
しかし正しさだけでは、人は救われない。
いま必要なのは納得だ。
納得できていない以上、投石の代わりに難問が騎兵目掛けて飛ぶのは当然だった。
「だったら、どこから撃てば届く?」
「——っ⁉」
騎兵は即答できなかった。
陸から船を沈めたければ、長射程の大砲を用意するしかない。
それでもあそこまで遠ざかった敵船には届かない。
届かせるには……
騎兵は助けを求めるように海を見た。
まずは南東の方角。
……いない。
次に東の方角。
「来たか」
そこに答えと目していたものはあった。
帝国第二艦隊南方警備隊のガレー船だ。
だが……
「ちっ、いま頃——!」
東の海に現れた味方の船に向かって隊長たちは毒づいた。
ピスカータの煙に気付いてやってきたのだろうが、遅いのだ。
現時点で南を追走していなければならない。
いまからでは、捕捉する前にネイギアス領へ逃げ込まれてしまうだろう。
ガレーもそのことがわかっているので、櫂の動きが鈍い。
追う気は全くない。
沿岸の村が海から攻撃されたのに、見にも行かなかったとあってはあまりにもかっこ悪い。
体裁のために見に来ただけなのだ。
煙が見えたので急行したが、海賊船はすでに南へ離脱した後だったと記し、あとは村の被害状況をいくつか列記しておけば、報告書が完成する。
海軍はお利口さんだ。
追い付けそうにないものを追いかけても労力の無駄。
死んだ村人たちが生き返るわけでもない。
予算も少ないことだし、無駄なことはしないのだ。
左旋回して、元の場所へ戻るつもりらしい。
遠目にも、やる気のなさがひしひしと伝わってくる。
巡回隊の唾棄が止まらない。
「せめて、追撃する振りくらいしろ!」
酷い有様だが、これがロイエス以前の第二艦隊だ。
元々陸軍偏重の帝国において、海軍はずっと軽んじられてきた。
その姿勢が最も色濃く出るのが予算だ。
遷都の費用、征西の軍費……
何かある毎、真っ先に削られるのが海軍の予算だった。
やる気が出るわけがない。
砂浜では味方海軍への悪態が続いている。
だが、興奮が冷めたレッシバルは加わらず、騎兵たちとガレーを眺めながら、さっきの問いについて考えていた。
海賊船には、海軍のガレー船でも追い付けないらしい。
ならば、やはり陸から攻撃するしかない。
では、何をどこから撃てば届かせることができる?
石でも弾丸でも、どんなものでも良い。
届くなら、断崖絶壁でもどこへでも行こう。
「…………」
わかっている。
騎兵に答えてもらわなくても、自ら悟った。
そんな都合の良いものはないのだ、と。
陸からできることは、何もなかった……
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