第5話「別れ」

 これまで少年たちが掲げていた「騎士になりたい」という夢は、文字通り夢だった。

 願望とか絵空事の類だ。

 死んでも本願を成就してみせるという執念はまだない。


 戦は武器のぶつかり合いだが、武器を通して、人と人が激突しているのだ。

 ゆえに意志の強い者が最後は勝つ。


 無敵艦隊にも強い意志はあった。

 決して楽な道を歩いて頂点に立ったのではない。

 様々な問題を解決し、難敵に打ち勝ってきたという誇りがある。


 その誇りに、竜将レッシバルは勝った。

 刺し違えてでも必ず滅ぼすという彼の執念が上だったからだ。


 ゴブリンに追いかけられ、馬蹄に怯えていた漁師の子供が?

 俄かには信じられない。

 だが歴史が証明している。


 だから、これからその執念が宿るような出来事が起こるのだ。

 それほど遠い将来ではない。

 もうすぐ……



 ***



 巡回隊に救われた少年たちは鞍の前や後ろに乗せてもらって、村まで送ってもらえることになった。

 ゴブリンの夜襲に備えるよう、村の大人たちに知らせるためでもある。

 騎兵同伴の方が、子供たちだけより真実味が増すというものだ。


 道中、少年たちはいろいろな話をした。

 将来の夢のこと。

 守備隊がいなくなってから、大人たちが困っていること。

 そして、少しでも役に立ちたかったこと。


 一通り聞き終えたところで、隊長は子供の無謀さを戒めた。


「役に立ちたいというのは偉いが、親の言いつけを破ったのは良くなかったな」

「……うん」


 少年たちに反論の余地はなかった。

 現に作戦は失敗し、もう少しで殺されるところだったのだから。


「僕たち、怒られる……よね?」


 できれば、親たちに取り成してほしい……

 騎兵の腕の間に乗せられているトトルが、そんな願いを込めて尋ねた。


 すがるような視線が下から突き刺さる。

 けれど、そのくらいのことでブレシア騎兵が折れることはない。


「それは覚悟しておくのだな」


 話を聞いてみると、賢い子供たちだということがわかった。

 特に縄張り作戦については、砦に持ち帰って検討する価値がある。


 しかし、お手柄だったと褒めるわけにはいかない。

 これを見逃がせば、再び自分たちだけで山へ行こうとするだろう。

 そのとき、今回のように救援が間に合うとは限らない。


 親の言いつけを破って山に入ったことは正当化できない。

 大人たちに知らせて、厳重に注意してもらう必要がある。


 覚悟しろと申し渡され、トトルを始めとする一同は観念した。

 少し元気を取り戻しかけていたのに、すっかり落ち込んでしまった。


「……まあ、あれだ」


 さすがに気の毒に思ったのか、先頭を行く隊長は振り返りながら、


「なるべくゲンコツが一発で済むように交渉してやろう」


 少年たちに向けての言葉だったのだが、騎兵たちにウケた。

 面白そうな笑い声が野に響く。


「…………」


 ただ、当人たちはまったく笑えなかった。

 笑えるはずがない。

 最低一発は確実だという話なのだから。



 ***



 なだらかな傾斜をしばらく下ると、遠くに海が見えてきた。

 ピスカータ村まであと少し。

 少年たちの目にも安堵の色が浮かぶ。

 たとえゲンコツが待っているとしてもだ。


 だが……


「おい、しっかり掴まってろ!」


 子どもたちにそう注意すると、巡回隊は速度を上げた。

 理由を尋ねずとも、少年たちにもわかった。

 同じものを見ていたのだから。


「村が!」


 シグが叫んだ。

 背が一番高かったので、鞍の後ろに乗せられていたが、騎兵の背中越しでもよく見えた。


 ピスカータ村が、燃えている。

 どの家からも煙が立ち上り、何軒かは屋根まで火が回っていた。


 突然、隊長が右手を上げた。

 全騎が減速し、その場に止まる。


 村を焼いた敵は何者か?

 そしてもう立ち去った後なのか、まだ残っているのかも不明だ。

 そんなところへ子供たちを連れて行くわけにはいかない。


「様子を見てくる。おまえたちはここで待ってろ」


 少年たちの目が村に釘付けなのはわかっている。

 だから了解など待たない。

 騎兵が先に下り、さっさと両脇を持ち上げて鞍から下ろしていった。

 下し終えるとすぐに騎乗し、村へ向かった。


 取り残された少年たちはしばらく呆然と見ていたが、一人、二人と村へ歩き始めてしまった。

「父ちゃん……」とか、「母ちゃん……」等、家族の名を呟きながら……


 このとき、シグは偉かった。

 自分だって家族がどうなったか知りたかっただろうに、歩き始めた仲間たちを必死に食い止めた。

 辛うじて理性を保っていたレッシバルも加勢する。


「行くな! いま俺たちが行ったら邪魔になる!」

「退けよ! 邪魔すんな!」


 シグとレッシバル対それ以外の少年たちの押し合いが始まってしまった。

 良くない流れだ。

 こういうとき、些細な事が切っ掛けとなって、押し合いが殴り合いに発展してしまうのだ。


 心配していた矢先、少年の一人が振り回していた拳が、シグの頭に当たってしまった。

 害意があったわけではない。

 堪えきれない悲しみや憤りが発露していただけだ。


 だがそれはこの場にいる全員がそうだ。

 辛うじて我慢していたシグも、この一撃で限界を超えた。


「痛っ! 何すんだよ!」


 相手から殴ってきたから、こちらも殴り返す。

 シグにしてみればそういう言い分だが、相手にしてみれば手がぶつかってしまっただけで、殴ろうとしたわけではない。

 どちらも相手から先に殴ってきたという理屈になる。

 そうなったらもう止まらない。

 少年たちは大喧嘩になってしまった。


 終わったのは騎兵の一人が戻ってきたときだった。

 村を襲った奴らが残っていないか、確認しに行ってきただけだ。

 それほど長時間放置していたわけではない。

 その僅かな時間に何があったのか?

 行くときは呆然自失だった子供たちが、戻ってきたら大乱闘の真っ最中だ。

 騎兵は驚いて、仲裁に入った。


「やめんか! 落ち着け、手を放せ!」


 騎士も鎧の上から何発か殴られてしまったが、なんとか治めることができた。

 半分はのされて大の字に、もう半分も尻餅をついたまま動けない。

 立っているのはシグのみ。


 ようやく興奮が治まったところで、騎兵は本題を切り出した。

 急ぎの用があったのだ。


「レッシバルというのは、どの子だ?」


 全員の視線が尻餅の一人に集まる。

 レッシバルは疲労困憊で、膝を抱えてへたり込んでいたのだが、名を呼ばれて顔を上げた。

 騎兵と目が合う。


「おまえか?」

「うん、そうだけど……?」


 本人だと確認するなり、ひょいと担ぎ上げてさっきのように鞍の前の方に乗らせ、騎兵もすぐ後ろに跨った。


 馬首を村の方へ返す。


「なるべく早く迎えに来るから、それまで大人しくしていろ」


 それだけ告げると踵で馬腹を叩いた。

 みるみる仲間たちが小さくなっていく。


 軍馬の全速力はものすごい。

 落ちないように騎兵が抱えてくれているが、うっかり手が離れたらすぐに振り落されてしまうだろう。


 上下に揺れる視界の中、ふと、レッシバルは考えた。

 どうして自分だけ村に戻るのだろう、と。


 それに、この走りはさっきの突撃のときと同じだ。

 どうしてそんなに急いでいるのか?


 まだ村に敵が残っていて、戦っている最中だから?

 だとしたら、そもそも連れに戻ってきたことがおかしい。


 どういうことなのだろう、と首を傾げている間に村へ到着した。

 馬は迷わず直進し、手を振る隊長のところへ。


 ——!


 なぜ自分だけ連れて来られたのか理解できた。

 説明の必要はない。


 隊長が待っていた場所は、レッシバルの家の前。

 正確には、燃える玄関から二〇歩程。

 彼は仰向けに横たわる人影の傍らで片膝を付いていた。


 人影は、母親だった。


「母ちゃん!」


 鞍から飛び降りようとするレッシバルを隊長が受け止め、地に下した。

 足が着いた途端、母親に駆け寄る。


「母ちゃん! 母ちゃん!」


 彼女は背を深く斬られていた。

 その血を吸って地面が赤黒い。

 先に巡回隊が到着したとき、彼女は息も絶え絶え、息子の名を呟いていた。

 騎兵が急いでいたのはそのためだ。


 顔は血の気を失い、目を瞑って永眠しているかのようだったが、我が子の声と身体を揺さぶられたことで、息を吹き返した。


「あぁ……無事だったんだね……良かった」


 右手を伸ばして息子の小さな頬に触れた。

 頬を伝う涙が、生気を失っている掌を潤す。

 涙を親指で拭ってやるが、すぐに次の涙が伝ってくる。


 レッシバルは頬に添えられた母の手に、自分の左手を上から重ねた。


「か、母ちゃん……し」


 唇が震えてうまく喋れない。

 彼は母に「死んじゃ嫌だ」と言うことができなかった。


 後に、彼は竜騎士団の新兵たちに語っている。

 たとえ下手でも、やるべきことはやっておけ。

 うまく喋れなくても、言うべきことは言っておけ。

 でないと、後で後悔する、と……


 あのとき、母が受けていた傷は致命傷だった。

 偶然、名医がいたとしても彼女の命を救うことはできなかった。

 そのことは理解している。

 だが、頭の理解と心の納得は別だ。


 もし、ちゃんと「死んじゃ嫌だ」と言えていたら、母は何とか持ち堪えたのではないか、という後悔が消えることはなかったのだ。


 母子に別れのときがやってきた。


 彼女はもう声を発することができない。

 それでも息子の目を見て、懸命に唇を動かした。

「生きて」と。


 言い終えた彼女の全身から力が抜け落ちていった。

 息子の頬に添えていた右手からも。


 ——!


 レッシバルはずり落ちようとする母の右手を、頬と左手で挟んで断固拒否した。

 こうしている間はまだ死んでいない!

 その一念で。


「う……母ちゃん、起きて……ぅうぐ……」


 痛ましい……

 敵に対しては不屈の精神を発揮できる騎兵たちも、こういうことには弱かった。

 居たたまれずに、一人の騎兵が母の右手を取り上げ、左手と一緒に彼女の胸の上で組ませた。


「ずっと痛くて苦しんでいたんだ。もうゆっくり休ませてやれ」

「~~~っ!」


 レッシバルは咄嗟にその騎兵を睨んでしまった。

 だが叫ぶことができない。


 何と叫べば良いのだ?

「もうやめろ」と言うなら「邪魔するな」と言い返せる。

「もう死んでいる」だったら「勝手に殺すな」と拒絶できる。


 では、「休ませてやれ」と言われたら?

 幼子に対して厳しすぎる言葉だった。

 これでは何も叫べない。

 八つ当たりもできない。


 そのときだった。


「隊長!」


 別の騎兵が海を指差した。

 人差し指の遥か先、南の水平線上で帆船が霞んでいる。

 見ているとジワジワと小さくなっていくので、こちらへ向っているのではなく、遠ざかっているようだ。


 望遠鏡で確認していた隊長は忌々しそうに唾を吐いた。


「くそ、奴らの仕業か!」


 傍らで一緒に望遠鏡を覗いていた騎兵も隊長に賛同した。


「間違いないかと」


 他の騎兵たちも、


「こんな辺鄙な村を襲っても仕方がないだろうに……」

「海軍め! 何をモタモタしている!」


 村を襲った犯人はゴブリンではなかった。

 頼りないと歯噛みしつつも、海軍に任せる他ない敵。

 海賊だ。

 奴らはピスカータの遙か南、ネイギアス海から北上してきた。


 昼はネイギアス海賊、夜はゴブリン。

 この日、村は二つの敵から狙われていたのだった。

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