第4話「正義の味方」

 這々の体で山を駆け下りるレッシバルたち四人。

 前方に集合場所が見えてきた。

 シグたちの姿が見える。


 向こうも四人に気付いたのか、一斉に手を振り始めた。

 ……ように見えるが、それは違う。

 戦闘態勢に入っているのだ。


 皆、山の中で呼笛と咆え声を聞いている。

 だからそれぞれスリングを用意して四人を待っていたのだ。

 手を振っているように見える動きは、回転を始めた動きだった。


 目標は四人の背後に迫るゴブリン四匹。

 射出するにはまだ遠い。


 スリングの欠点は回転音だけではない。

 命中率の低さもだ。

 もっと引き付けなければ。


 助けてもらう側もそのことを理解している。

 手に手にブンブンと唸りをあげる仲間たちへ一直線に逃げていく。


 逃げながら、レッシバルは肩越しにチラッと振り返った。

 ゴブリン共は何も警戒せずに追いかけている。

 頭に血が上っていてスリングに気付かないのか、それともガキ共の投石など大したことないと見くびっているのか?


 ——よし、いいぞ!


 ゴブリンとの距離がわかったので前を向いた。

 少年探検隊は勇者の集団だ。

 時には獣などの敵と遭遇し、撃退しなければならない場合だってある。

 そんなときに備えてシグ隊長の下、日々訓練を積んでいた。


 いまこそ、その成果を発揮するとき!


 このまま敵を引き付け、近すぎず、遠すぎず、丁度良い距離で急に左右へ分かれる。

 それが投石の合図だ。


 敵は勢いがついているから急には止まれない。

 自分から石を貰いに行く恰好となる。


 まだ遠い……


 もう少し……


「いまだ!」


 レッシバルの合図で四人は一斉に左右へ分かれた。

 同時にシグたちも射出した。


 果たして、その結果は……


「皆、逃げろーっ!」


 失敗だ。

 作戦は読まれていた。

 四人が分かれるのに合わせて、四匹も分かれて追走を続けてきた。

 シグたちの石弾は一発も当たらなかった。


 彼らは少年たちと違い、実戦経験豊富だ。

 だから逃げているガキ共が伏せるか、横に退いて射線を空けるつもりだということもお見通しだった。


 見事、投石を躱したゴブリンたち。

 一匹が赤錆だらけの小剣を抜き放って叫んだ。


「ギャジ! ジゲゴワギャ! ガギガギガギィッ!」


 たぶん「皆殺しだ!」とか、「生かして帰すな!」といった意味だろう。

 ガキ共に対して反撃開始だ。


「う……」


 村ではどんなに勇ましいことを言っても、やっても許されてきた。

 親たちに見つかれば怒られるし、ゲンコツは痛かったが、それだけだ。


 しかしゴブリン共は違う。

 小剣が脅しでないことは明らかだ。


 少年達は、明確な殺意を生まれて初めて向けられた。

 足が竦まなかっただけでも、勇敢だったといえるだろう。


「うわぁぁぁっ!」


 少年たちは総崩れとなった。

 体面など気にしている場合ではない。


 自称、村の勇者たちは、モンスターに追われて逃げ惑う非力な人間の子供に戻ってしまった。



 ***



 少年たちの敗走は続く。

 もう随分走っているのに、ゴブリン共はまだ追いかけてきていた。

 当然だろう。

 仲間の血が流れたのだから。


 異種族同士が衝突した後、話し合いで解決できることは稀だ。

 普通は、〈血には血を、死には死を!〉という流れになる。

 そんな事態を避けるためのレッシバル案だったのだが、今日は運が悪かった。


 ただ、運良く奴らと遭遇せずに作戦を完了できたとしても、結末はそれほど違わなかっただろう。

 偵察を出していたのは、進路が確定次第、村へ夜襲を仕掛けるためだ。

 縄張りなど無視される運命だったのだ。


 少年たちのしたことは後でゲンコツを免れないが、村にとってはお手柄だ。

 おかげで夜襲が計画されていることを知ることができた。


 だが少年たちにそんなことを考える余裕はない。

 夜襲どころか、いま襲われている最中なのだから。


「助けてぇーっ!」

「ギャッギャッ! ガギ、ガジダギィッ!」


「待ちやがれ、糞ガキ共!」といったところだろうか。


 小鬼と形容されるように、何でもないときでもゴブリンの顔は恐ろしい。

 それが忿怒の形相で背後に迫っているのだ。

 少年たちは生きた心地がしなかった。

 皆、恐ろしさの余り、涙と鼻水で顔がグチャグチャだ。

 最年長のシグですら涙目になっている。

 臆病なトトルはもう涙だけでなく、ズボンの尻の部分が膨らんでいた。


 ゴブリンたちの言う通りだ。

 少年たちは泣きべそかきから、本当に糞ガキと化していた。


 山に行っていたことについて父親からゲンコツを貰い、母親からはお漏らしについて叱られることになるだろう。

 だが幸か不幸か、トトルはどちらも貰わずに済みそうだ。

 なぜなら……


「あっ!」


 ゴブリンに捕まってしまった。

 お漏らしのせいで走りにくくなり、足が鈍ってしまったのだ。

 地面に引き倒され、一匹が馬乗りになって身動きを封じる。


「あぁっ! 嫌だ! 助けて、助けてぇっ!」


 悲鳴に気付いた少年たちは急停止し、すぐに取り返そうと戻りかけるが、他のゴブリンたちが立ちはだかる。

 手に手に小剣や棍棒を握っているので、近付くことができない。


 睨み合いの後ろでは、馬乗りになったゴブリンが小剣を逆手に振り上げ、トトルの命を狙う。


「……あ……あぁ……」


 探検隊の仲間は間に合わない。

 言葉が通じないから命乞いができない。

 通じたとしても、見逃してくれるような奴らではない。


 死が、確定した。

 それが理解できた瞬間、恐怖と絶望が思考と喉を縛り上げた。


 悲鳴が、止んだ。


「ゲッジャ、ギゴワゲ!」


 ついに獲物が観念した。

 そう見て取った馬乗りのゴブリンは口角をニィッと上げた後、子供の小さな胸に目掛けて、逆手の小剣を一気に突き下ろす。


「トトルーッ!」


 少年たちは叫んだ。

 ずっと一緒だった仲間が死ぬ。

 目の前で殺される!


 そのときだった。


 パァンンンッ!


 突然、山野に破裂音が響いた。


 ドサッ!


 音の後、小剣を振り下ろしていたゴブリンが横にズレて倒れた。

 まるでレッシバルの石弾を食らったように。

 しかし彼ではない。


 見れば側頭に小さな穴が開いており、そこから血が溢れ出ている。

 銃弾で頭を撃ち抜かれたのだ。


 一体誰が?

 音は少年たちの背後からした。

 振り返ると、そこには——


「撃てぇぇぇっ!」


 パパパァン!


 再び銃声。

 そして、


「ギャヒッ!」

「グゲッ!」


 銃弾を浴びせられ、ゴブリンたちが後方へ弾き飛ばされていく。

 一匹は頭に命中。

 残りは肩や腕に受けてのたうち回る。


 間一髪だった。

 トトルも少年たちも命を落とさずに済んだ。


 救ってくれたのは騎兵の一隊。

 守備隊がいなくなった村やその周辺の警備を任務とする巡回隊だ。


 平時の彼らに対して、少年たちの印象は良くなかった。

 村のことをちっとも気にかけてくれず、ただ守備隊の報告だけ受けてすぐに立ち去ってしまう。


 しかし、これでわかっただろう。

 別に職務怠慢だったわけではない。


 守備隊が去り、村は確かに手薄になってしまった。

 それでもまだ大人たちがいる。


 だが野外で襲われている者は孤立無援だ。

 ……いまの少年たちのように。

 そんな危機に瀕している者たちを救おうと、日々山野を駆け巡っていたのだ。


 偶然、この辺を通り掛かったとき、子供とゴブリンの叫び声が一緒に聞こえてきたので、駆け付けてきたのだった。


 ——間に合って良かった……


 巡回隊の隊長は、銃口から立ち上る煙の向こうで、トトルが起き上がるのを見て安堵した。


 騎銃は命中率が低い。

 それでも子供たちからゴブリンの気を逸らすために撃った。

 期待はしていなかったが、うまく側頭に命中してくれて良かった。


 致命傷を免れたゴブリンたちは戦意を喪失し、肩を押さえながら逃げ始めた。

 さらにその後方ではゴブリン共の援軍がこちらに向かって駆け下りてきていたが、銃声でその動きが止まった。

 何か内輪揉めのような事が始まっているようだ。


 騎兵から逃げようという奴と、突撃を主張する血気盛んな奴とで意見が分かれてしまったのだろう。

 取り込み中、申し訳ないが、隊長たちは終わるまで待ってやるつもりはなかった。


 ——奴らは浮足立った。


 騎兵たちはそう判断し、騎銃をホルスターに差し込んだ。

 そして空いた右手で剣の柄を握る。


 会敵したらまずは銃撃だ。

 先述の通り、命中率が悪いので当たるかどうかは運任せだ。

 それでも撃つ意味はある。


 運任せということは、運が悪ければ当たるし、即死もあり得るのだ。

 どんなに僅かな可能性だったとしても、その恐怖が撃たれる側に降りかかる。

 それこそが騎銃を撃つ意味だ。


 銃で敵の出鼻を挫いたら、次は剣の出番だ。


 銃声に怯んだ——

 勢いが削がれた——

 そうやってできた僅かな乱れに楔を打ち込んで、敵の陣形を破壊する。


 その楔が騎兵だ。

 これからその本分を全うする。


 騎兵たちは握った柄を一気に引き抜いた。

 現れた白刃が陽光に煌めき、剣の平に当たったその光がゴブリンたちに向かって反射した。


 細長い光が届いて怖気づいたのか、騒ぎ声が一層大きくなった。

 やかましいが、少しの辛抱だ。

 すぐに、静かになる。


 隊長は掲げた剣を奴らに向かって振り下ろした。


「突撃―っ!」


 大型で力が強いブレシア馬の中でも、特に騎士団の軍馬は人も城も踏みつぶすと恐れられている。

 その軍馬が二列の風となって、少年たちの左右を吹き抜けていった。


「わあぁぁぁっ!」


 村でどんなに粋がっていようとも、やはり子供。

 重厚な馬蹄の響きに怯え、小さく蹲って泣き叫んだ。


 騎兵たちは子供を踏まないように気を付けながら、一瞬で横を駆け抜け、逃げ遅れたゴブリンに迫る。


 騎兵を見て逃げ出したということは、おそらく征西軍に蹴散らされ、ここまで落ち延びてきたのだろう。

 ならば人間の子供を見かけても少し驚かすくらいに留め、静かに隠れ住んでいれば良かったのだ。

 それを日の下まで追いかけてくるからこうなる。


 追い付いた騎兵の白刃が、振り返ったゴブリンの顔面を切り裂いた。


「ギャ……」


 ギャァァァッ、と最後まで言うことはできなかった。

 それどころではない。


 まず左の騎兵に斬られて右へよろめいた。

 二列で挟むように走っていたのだから、よろめいた先にも馬が迫っている。

 子供のように小さな身体は、進路前方に吹っ飛んだ。


 斬られた傷からか、口から吐き出したのかわからないが、蹴られたゴブリンは空中に血を撒き散らしながら、真っ直ぐ進路前方に落下した。


 運が悪い。

 せめて左右どちらかに飛んでいたら……

 もっとも、すでに即死しているのかもしれないが……


 騎兵たちは前方でグッタリしていることに気付いているが、減速も回避もしない。

 人も城もゴブリンも、敵対するものは皆踏み潰して通る。

 例外はない。


 大きな蹄が骨肉も命も踏みしだいていった。

 二頭目まではバキバキと骨が砕ける音だったが、三頭目からはビチャ、グチャという液体をよく含んだ柔らかい物を踏む音に。


 一匹を一瞬で肉塊に変えた突撃はまだ始まったばかり。

 次は残りの連中だ。


 遠いが、放心状態の少年たちにもその様子がぼんやりと見えた。

 山で散々聞いたあの叫び声の後、首か腕かよくわからない何かが宙を舞い、静かになる。

 そしてまた叫び声……


 しばらくすると何も聞こえなくなった。

 全滅したのか、馬で追えない木々の奥へ逃げ込まれてしまったのか?

 あるいは子供たちを残したままなので、深追いしなかったのかもしれない。

 彼らは一騎も欠けることなく、子供たちのところへ戻ってきた。


 隊長はへたり込んでいる少年たちを見渡し、一番身体が大きいシグに尋ねた。


「怪我はないか? 奴らの刃で斬りつけられた者はいないか?」


 ゴブリンの武器には毒が塗られている場合がある。

 かすり傷でも命を落とす危険があった。

 そのための確認だ。

 奴らが用いる毒のいくつかは判明しているので、巡回隊は解毒薬を携帯しているのだ。


 尋ねられたシグは弾かれたように立ち上がり、気を付けの姿勢になった。


「は、はい! 大丈夫です!」


 呆けていたので、呂律がうまく回らない。

 それでも何とか答えたのはさすが年長者だった。

 レッシバルも含めて、他の少年たちは全員ダメだ。

 放心状態が治らない。


 ただしその放心は恐怖が原因ではない。

 憧れだ。


 へたり込んだままのレッシバルは、騎兵を見上げながら呟いた。


「かっこいい……」


 騎兵を初めて見たわけではない。

 巡回隊は以前から定期的に村へ立ち寄っていた。

 幼い頃から何度もその姿を見てきた。

 そして、そのかっこ悪さも……


 カッポ、カッポとやってきて、「眠い、辛い、尻が痛い」と守備隊に愚痴を零し、カッポ、カッポとどこかへ去って行く暇なおじさんたち——


 だが今日、その認識が改まった。

 実は本当の騎兵を見たことは一度もなかったのだと悟った。


 ——これだ!


 子供たちの目が感激に潤んでいる。

 いつも騎士になりたいと皆で話していたのはこの姿だ。

 まさに、こういう正義の味方になりたかったのだ。

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