花街夜話

@akamura

花街夜話

上機嫌に鼻唄を歌いながら、アズラエルの持った櫛が葬嗚の赤髪を梳かす。落ち着かない感覚に身じろごうにも、しっかりと肩を掴まれていては動きようがない。


「あの、アズラエル」 

「んー?」 

「まだ?」

「もうちょっとだから良い子で待ちな。姉さん、やっぱこっちより黒のが良いって。それか白………ぁー、紫もありか?」

「一回全部見てみましょ」

「マジか」

「もうちょっと長けりゃいじり甲斐があるんだがな」 

「むしろお前は何でそんな長い髪をきれいに保てんの」

「試しに伸ばしてみるか?」 

「勘弁」


ため息を漏らした葬嗚の髪、ひとつ結びをしたそこに、ちりめんの大きなリボンがついたコームが挿される。


「よし完成。立ってみろ」

「どーしても立たないと駄目か?」

「これも仕事だ、諦めろ」

「ぅー………」


いかにも渋々といった様子で立ち上がった葬嗚の服装は、仕事用のいつもの格好ではなかった。

朱色と白の格子模様の着物に袴、前掛け……所謂一昔前の女給風の格好である。顔には薄くではあるものの化粧まで施されていた。因みに一から十までアズラエルの仕業、もとい御業である。


「意外にお似合いですよ葬嗚くん」

「見ないで……」 

「しゃんとしろって。大丈夫、マジで普通に有りだぞ」 

「普通にナシだろ」

「そんなことないって!可愛いわよ!」   

「正直イケる」 

「はーいうちの大事な預かりモンにお手を触れませんようにー」


アズラエルに窘められて、女性達は鈴のような笑い声を上げて散っていく。


「なぁ」

「ん?」

「店のコンセプト的に和服はアリなのか?」 

「メイド服が良かったのか?」 

「違うけど!」  


だが、店の雰囲気はどう見ても洋装だ。この格好は合わないのではないだろうか。

不安げな葬嗚に、アズラエルは余裕の笑みを返した。


「大丈夫だ。今日はそういうフェアってことで、殆ど皆和服だから」 「良いのか!?」 

「普段着物なんか着ねぇからな。皆楽しそうだったし良いんじゃねぇ?」


くつくつと笑うアズラエルは、いつも通り細身のシャツとパンツにベストだ。流石に女装するには背が高すぎる、という至極真っ当な理由からである。


「そっちのが見栄えが良いからって、何人かはドレスやらワンピースのままだけどな。なかなか迫力あるぞ。見てくるか?」 

「いや、いい」 

「お可哀そうに葬嗚くん、若いみそらでもう枯れているなんて。青春を復讐に費やしたばかりに」 

「お前あとで殴るからな」

「さて、雌猫の方はどんな感じだかな。姉さん達がやりすぎてねぇと良いが」


ちょっと見てくる、と断って、アズラエルは部屋を出ていく。

残された葬嗚は鏡に映る自分の姿に、表情を引きつらせた。





何故こんなことをしているのかといえば、勿論趣味や悪ふざけではない。先にアズラエルの言ったとおり、仕事である。


ある国の、風俗店の並ぶ地域、昔で言う色街で、事件が起こっていると噂があった。その事態を詳しく調査するために、希とアズラエル、そして万一人外の仕業であったときのために、葬嗚が遣わされたのだ。


事件の内容としては、女の子が客に傷つけられた、というものである。

それも、短期間で何人も。しかも被害者は皆重体で、ベッドから起きられないという。

けれど掴めた噂はそれだけで、どこの店の誰が襲われたとか、どういう傷を負わされたとか、そういう話は聞こえてこない。

そこで直接街に潜入して、詳しく調べようということになったのだが


「このやり方は違うんじゃねぇかなあ」

「お前もこいつも女買うように見えねぇんだよ。客のフリが出来ないなら、こっちしかねぇだろ」  


聞き分けのない子を諭すように、アズラエルが告げる。 

そのアズラエルの隣には、葬嗚同様に女給の格好をした希がいた。



紫がかった赤い格子の着物に真紅の、巫女装束よりもかなりひだの多い袴。前髪がポンパドールに持ち上げられ、鈴のついた細いリボンで纏められている。カラーコンタクトでも入れているのだろう、その目は髪と同じ色をしていた。



(すごい普通に似合ってる)


喉元まで出かかった感想を、葬嗚は何とか飲み下す。

しかし葬嗚の表情で言わんとすることは察したのだろう、希が苦笑を浮かべた。


「頑張ろう葬嗚、これも仕事、世のため人のためだよ、うん」

「希……」 

「アズラエルの恩人のお店に、迷惑はかけられないし」 

「恩人っつぅか昔ちょっと世話になっただけだけどな」

「それを恩人ていうんだよ」

「はいはい」

「ふたりとも支度できた?そろそろお店開けるわよ」 

「「はーい!」」


袴の裾を翻し、ふたりがぱたぱたとかけていく。

それを見送ってから、アズラエルはフロアマネージャーに声をかけた。

オーナーと同じく、彼女も昔アズラエルが世話になったことのある女性だ。視線を合わせるように身をかがめると、彼女―ハンナの美しくなめらかな指がアズラエルの髪を撫でた。

三つ編みを解かれ、髪を弄ばれながら、アズラエルはハンナに耳打ちする。


「あいつらのこと、お願いします」

「はぁいはい。アズちゃんの大事な子だもの、私達も大事にするわ」

「もし万一にでもあいつらに手ぇ出すやつとか買いたいってやつが居たらマジお願いしますうまくあしらってください極力あいつらに誰も触らないように」 

「相変わらず好きな子には過保護なんだから。興味がないものには露骨に冷たいくせに」

「そこが良いって客は多かったですけどね。何とか振り向かせたいって馬鹿ばっかりで」

「生意気なのも変わらないのね」


くすくすと笑って、ハンナはアズラエルの頬に口付ける。

アズラエルもハンナにキスを返してから、店を出ていった。



昔なじみがやっている店は、他にいくつかある。

客、ウェイター、店によっては男娼も、か。とにかく、素性を隠して情報収集できる拠点が多いのは良いことだ。


「姉さんら元気かな……っと、」


つかつかと店へ急いでいた足を不意に止め、アズラエルは踵を返す。

まっすぐに歩み寄ったのは、アズラエルも若干年上に見える、甘い茶色の髪をした青年だ。にっこりと微笑んで見せると、青年は頬を赤らめた。


「俺のこと見てたの、お兄さん?」

「ご、ごめんなさい、綺麗なひとだったからつい」

「別に謝る必要はねぇけど。この辺てよく来るの?」 

「あ、は、はい」

「ふぅん、じゃあさ」


ちょっと話がしたいんだけど。



耳元で囁かれ、青年は真っ赤にした顔を縦に振った。





――――――――――――――――



可愛いアズラエルに任されたからには、しっかりあの子達を守ってあげないと。

そう意気込んでいたハンナは、実際の彼等の振る舞いを見て少なからず驚いていた。


この店は一階がバー、二階が個室となっている。

一階で酒を飲みながら女の子を物色し、気に入った子がいれば二階でお楽しみ、というシステムである。

一応ウエイトレスもその対象であるため、万が一を警戒していたのだが。



あしらいは下手、というかそもそも出来ていないが、不埒な手をすり抜けるのはふたりともとても上手い。他人にはぶつからないように、けれど男の手が自分に触れることはないように。偶然そう動いたように見せながら、上手くかわしている。

これなら、過剰に目を光らせておく必要はなさそうだ。


(じゃ、もうひとつの方でアズちゃんの手伝いをしたげようかな)


着物の胸元を大きく広げると、ハンナは一人で飲んでいる男の隣に腰掛ける。何度か店で見た顔だ。


「来てくださって嬉しいわ。妙な事件のせいで、客足が随分減ってしまって」 

「あの噂って本当なの?」


小声で交わされる会話に、しかし希も葬嗚もしっかりと意識を集中させる。

ふたりを横目で伺い、ハンナは男に身を寄せた。


「噂って?」

「傷害事件があったんだろ」  

「ああ、やっぱり知ってるのね」   

「色々言われてるよ。痴情のもつれとか、店とのトラブルがあったんだろうとか」

「その噂俺も知ってるぜ。切り裂きジャックの真似とかも言われてるよな」

「俺はやばい性癖のやつって聞いたけど」

「………ホントのとこどうなの?」

「正直なところ、私達も殆ど何も知らないのよ。事件があったお店がどこかも知らなくて」

「そうなの?え、じゃあもしかしてデマ?」

「でも、それなら誰がなんでそんな噂を流したのかって話よ。大迷惑だわ」


「今のところ有りがちな噂って感じだな……お待たせいたしました、ブラッディマリーでございます」

「そうだな………お待たせいたしました、こちら鬼殺しでございます」

「その髪染めてるんだよね?綺麗だけど、何でそんな真っ赤にしたの?」

「え、えーっと………成り行き?」 

「はは、何それ!詳しく聞かせてよ。ここ座って」 

「えぇえ、あの、」


助けを求めて、葬嗚は希を見やる。しかし希は希で、他の客に捕まっていた。


「申し訳ありませんがお客様、手を放していただけませんか?仕事がありますので」

「仕事?客に奉仕するのがお前らの仕事だろ?」

「私は禿のようなものなので、まだ床入りは出来ないのです」

「………何語だ今の」

「ごめんなさいね、この子達今日入ったばっかりだから今日はとりあえずウェイターなのよ」

「「つまり処女か」」


―男は大抵処女が好き。

いつかのアズラエルの言葉を思い返しながら、希と葬嗚はそろそろとその場を離れた。





―――――――――――――



「姉さんらが飯作ってくれたぞ」


トレイを両手で持って、アズラエルは3人のために貸し出された部屋にずかずかと入ってくる。

私服に着替えた葬嗚と希は、ベッドに突っ伏していた。


「あとでたべます」

「アズラエルおれのぶんたべていいよ」

「疲れてんのは分かってるから飯を食え茶を飲めとりあえず起きろ」  


テーブルに料理を起き、アズラエルはふたりを引っ張り上げる。いつもの俊敏さが嘘のように、ふたりは緩慢な動作で体を起こし料理を食べ始めた。


「大丈夫かお前ら」

「あんまり大丈夫じゃない。今日1日でめちゃくちゃ精神すり減った」

「意外に指名多かったんだって?悪かったな」

「アズラエルは何も悪くないけどちょっと怖かった」 

「お店にも迷惑かけたよな」

「いや、姉さんらは別に気にしてねぇよ?新入りはしばらくウェイターってのもマジだし。それより、変なことされてねぇか」

「「変なこと?」」

「よし、大丈夫だな」

「ああ、そうだアズラエル聞きたいんだが」

「何だ?」  

「口でするって意味分かるか?」  

「誰がそんなこと言ったかだけ俺に教えて今すぐ忘れろ」

「⁉」


温かい料理とお茶を補給しているうち、萎えた精神も少しずつ回復してくる。デザートを口にする頃には、葬嗚も希もいつもの調子を取り戻していた。


「「「ごちそうさまでした」」」

「それで、どうだ?何か聞けたか?」

「あんまり有力っぽい話は正直全然」 

「こういうことが起こるとながれがちな噂ばっかりだったな。怨恨とか痴情のもつれとか」

「あ、ひとりだけ被害者のお見舞いに行ったって人が。でもお店のオーナーさんに断られたらしい」

「その店の名前って分かるか?」

「確か、ベラドンナだったかな」

「アズラエルは?」

「被害者に話を聞いた」

「「え!?」」

「どうした?」

「もう被害者に行き着いたのか?」

「あ、ああ」

「はやい……すごい……」

「俺たち役立たずでごめん……」

「は?ぁー、気にすんな、こういうのは俺のが慣れてるってだけだろ」


遥に倣って、アズラエルは落ち込むふたりの頭を撫でてやる。


言った通りこの界隈―人間の欲望、特に性欲が剥き出しになったような界隈は、アズラエルは慣れている。そして、ふたりには慣れてほしくなどない。出来るなら踏み入らせるのすら嫌だった。過保護と言われようが知ったことか。無垢で純粋で可愛らしい、惚れた相手と友人だ。大事にしたいではないか。


だからアズラエルは頑張った。

目についた店に入ってはどちらが客か分からない勢いで女を口説きたらしこみ、客の男にも媚びて見せ、そういうのが好きそうならば高飛車な態度もしおらしいフリもしてみせて、とにかく情報をかき集めた。

流石にセックスはしていないが、捜査が長引きそうなら手段のひとつとして考えてはいる。仕方ない。べッドの中では男も女もどいつもこいつも口が軽くなるのはよく知っているのだから。


何はさておき、その努力のかいあってアズラエルは早々に―とはいえ1日がかりだったが―被害者を見つけることができた。居場所さえ分かれば接触は容易い。店の女の子に金を握らせて、ついでにちょっと甘えて見せて、無事に被害者の下へ辿り着いた。




「ただ、ちょっと変なんだよな」 

「………アズラエル、本当にすごいなお前……」 

「んっ……あ、ありがと。ぇーと、話を進めるな?」


希の無垢な尊敬の眼差しが嬉しくも痛い。

咳払いをして、アズラエルは再びことの顛末を語り始めた。








「初めましてシンシア。私はミハイ、警察です。制服ではあまりに目立つので、こんな格好で失礼いたします」


10年以上前の記憶を引っ張り出し、アズラエルは品行方正なミハイル少年に倣って笑みを浮かべた。

突然の来訪者に驚いたシンシアも、警察と聞いて表情を和らげる。


「怪我の具合は如何ですか?」

「あの、それなんですけど」

「はい」

「私、どこも怪我してないんです」

「はい?」


思わず、アズラエルは目を瞬いた。

被害者は皆重症だと聞いていた。なのにいざ話を聞いてみると、怪我などしていないとは、一体どういうことなのか。

困惑するアズラエルの前で、シンシアはシャツを脱いでみせた。


「マジか」


彼女の言った通り、シンシアの体にはどこも傷などないし、傷痕もない。

彼女が襲われたのは1週間ほど前と聞いていた。治るにしても早すぎる。


「失礼ながら、被害にあったのはあなたで間違いないんですよね?」

「はい。お客さんに刃物で切られたところまでは、はっきり覚えています」

「……………」


意味が分からない。

流石に口に出すわけには行かないが、言っていいなら正直にそう言いたかった。

切っても傷のつかない刃物。何だそれは。手品か?


「おかしいのはそれだけじゃないんです」

「というと?」

「あの人に切られた後、何だか前より気分が良くなった気がして。体が軽くなったっていうか」

「それは休んだからではなく?」

「多分違います。何がどう違うかは上手く言えないんですけど……」



いよいよ意味が分からない。

傷がつかないうえに切られると気分が良くなる刃物。

そんなものあるはずがない。もしあるならそれは葬嗚の領域だ。



「本当はもう働けるんですけど、デボラさんがもう少し休んだ方が良いって言ってくれて」 

「………デボラさんとは?」

「ベラドンナのオーナーさんです」

「成程」






「で、あとは2、3他愛ない質問して出てきたわけだが……」

「怪我がないっていうのと気分が良くなったっていうのは、どういう……いや、それをこれから調べないといけないのか」


眉間にシワを寄せて、希はとりあえずお茶を口にする。

葬嗚も同じくお茶を飲み、天井を仰いだ。


傷が残らない刃物。曰く付きの武器やら何やらはトカラが詳しい。心当たりがないかを聞いてみようか。もしかしたら何かあるかもしれない。

だが切られて気分が良くなるというのは………



「―――………もしかして」

「「?」」

「………分った、かも」

「「え?」」


確信はまだないが、確かめる方法はある。確か「アレ」を持ってきていたはずだ。

荷物から葬嗚が取り出したものを見て、アズラエルと希は目を瞬いた。






―嫌な匂いがする。嫌な感覚が身体に走っている。毛が逆立つような、ちくちくと棘が刺さるような感覚だ。

不機嫌に顔をしかめ、男は匂いをたどって店へ足を踏み入れた。


酒と化粧の匂いでも掻き消せない悪臭に引っ張られるようにして、男は足を進めた。


「お前、ちょっと良いか」

「はい?」   


いきなりに腕を掴んだせいだろう、赤い髪のウェイターは肩を跳ねさせた。

振り返った表情は、困惑しているように見える。


笑顔の一つでも向けてやれば少しは気が楽になるのかもしれない。が、生憎と笑うのは得意ではない。

ましてやこの酷い匂いの中で笑うなど不可能だ。


「相手をしてくれ」

「え、あ、はい」

「ウェイター、部屋を借りる」

「妙な真似したらぶっ殺すからな」


近くにいたウェイターに金を渡し、男は赤毛のウェイターの手を引いて階段を上がる。

掴んだ腕が痛いのか、赤毛は小さく呻いた。だが今離して、万が一にでも逃げられたら困る。後で軟膏でも塗っておいてやろう。そんなことを考えながら、扉の開いている部屋へ駆け込み、鍵を閉めた。


手を放すと、赤毛は困惑したような緊張したような顔で男を見上げてきた。


もしかしたら、部屋に連れ込まれるのは初めて、若しくは久し振りなのだろうか。だとしたら悪いことをした。


「目を閉じろ」

「あの」

「大丈夫だ、すぐに終わる。目を閉じて横になっていれば良い」


男がベッドを指さすが、赤毛は動く気配がない。

もしかして本当に初めてなのだろうか。内心で冷や汗をかきながら、男は赤毛の腕を掴んだ。

寝ていてくれ、と言いかけた男の声に先んじて、赤毛の、女にしては少しばかり低い声が響く。


「お兄さん、悪魔祓いの人ですか?」


男の目が、丸く見開かれた。

一瞬身構えたものの、赤毛の目に敵意は見えない。むしろ、知り合いを見るような親しさがある。


「どこかで会ったか?」

「いえ、初対面ですけど」

「なら何で俺が悪魔祓いだって知ってる」

「知ってるっていうか、今までの話からしてそうかなって。あ、ちょっと失礼」


気安い断りの言葉を入れると、赤毛は纏っていた着物を脱ぎ、布団の下に放り込まれていた黒のノースリーブと赤いジャケット、黒のパンツを纏った。

最後に3本のベルトを巻いてから、男に向き直り頭を下げる。


「ごめんなさい、誘わせてもらいました。これ、鬼……えーと、魔物 に似た気を纏うための香なんです」


臭かったですよね、と苦笑する赤毛に、男は再び目を丸くした。

魔物の気を纏う香など、一般人が持っているわけがない。持っていたとしても、効力など知らないだろう。


「……お前、何者だ?」

「初めまして。日本で妖怪退治人をしております葬嗚です。ここにいるのは成り行きというか、傷害事件を調べてて」

「傷害事件?」

「お店の女の子が切りつけられたって」

「な………ちょっと待て、俺は」

「分かってます」


男の言葉を遮り、葬嗚がひとつ頷いてみせた。


「貴方が切ったのは、被害者に取り憑いていたものですよね。だから被害者に傷はないし、貴方に切られてからむしろ具合が良くなった」

「そうだ」


部屋に連れ込んだ女達は皆、魔物に取り憑かれていた。そう強いものではないが、憑かれていて良いものではないだろうと思い祓ったのだ。

だが、その際に人間を傷付けるなどというヘマはしていない。そもそも男の仕事道具では、人間は切れない。

男の説明に、葬嗚は神妙な顔で頷いた。


「一応確認なんですけど、その時って誰か他に部屋にいました?」

「いや、俺と相手だけだ」

「そうですか」    


それはおかしい。

彼の言葉と噂には矛盾がある。いやそもそも彼の言葉が本当なら、噂が広まること自体がおかしい。


「お兄さん、お名前は」

「イーヴォだ」

「イーヴォさん。あとは俺達に任せてもらえませんか?」

「後、だと?」

「はい」


こっくりと頷き、葬嗚はまっすぐにイーヴォを見上げる。


数秒の思案の後、イーヴォは葬嗚の赤い髪を撫でた。

この子供が完全に自体を把握しているなら、自分が下手に首を突っ込むよりも彼に任せたほうが賢明だろう。


「手を取らせるが、頼んだ」

「はい!」

 




空が白み始めた早朝。

客が全員帰った店を閉め、デボラは帰路につこうとしていた。

長い金髪をかきあげた彼女の表情は憂いを帯びている。原因は言わずもがな、例の事件のせいで客が減っていることだ。

しかも、自分のところから被害者まで出た。本当に腹立たしい。


「何とかしないとね……」

「今晩は」

「、」


不意にかけられた声に、デボラはうつむいていた顔を上げる。

デボラの行く手を塞ぐように、3人の人影が立っていた。金髪を長い三つ編みに纏めた男が、にっこりと笑いかける。


「少しお話を伺いたいんですが、宜しいでしょうか」

「話?」

「貴方のお店の方も被害にあった事件について」

「!」


鞄を握るデボラの手に力が籠もる。

良いとも嫌とも言わないうちに、奇妙な面をつけた赤髪の青年が口を開いた。


「彼女が被害にあったとき、一番に駆けつけたのは貴方だそうですね」

「ええ。時間になっても戻ってこないから見に行ったの。そしたらあの子が気を失っていて」

「他の従業員にも事情を説明したんですか?彼女が客に襲われたって」

「ええ、そうよ」

「何故?」

「え?」

「何故『襲われた』と分かったんですか?被害者には傷ひとつないのに」


赤い瞳が爛々と輝いて、シンシアを見上げてくる。腹の中をすべて見透かすような眼差しに、デボラは後退った。


「貴方のお店の方に聞きました。貴方から、「ライラが客に刃物で襲われて気を失っている」と聞いたと」

「それは」

「怪我もしていない、凶器が落ちていたわけでもないに何故分かるんです?彼女が『刃物で』『客に襲われた』と」

「それは……それは………」

「『怪しいものは、知らないはずのことを知っている』、なんちゃって」

「……………私、」

「それともうひとつ聞きたいんだけど」

「まだ何か」

「あんたとアフターした連中、全員、今入院中なんだけど………どういうことか、教えてくれるか?」

「―――――…………」



3対の目が射るように、デボラを見据える。  

ため息を漏らすと、デボラは据わった目で3人を睨み返した。  


「そう。もう全部お見通しなわけ」

「残念だったな」

「ええ、本当に残念で腹が立つ」


デボラの身体から、紫色の靄が立ち上る。その靄はデボラの身を包み、やがて扇情的な服装の女が現れた。


腰に提げていた武器を抜き、葬嗚がデボラの前に立ちはだかった。 


「下がっててくれ。トトリ、お前も一応下がれ」

「分かりましたけど、下がる必要ありますかね。葬嗚くんみたいに枯れてる人には無力ですよ、アレ………あいたっ!」 

「枯れてない!多分!」  

「大丈夫だ葬嗚、雌猫も一度も咲かないまま枯れてる」  

「枯れ……?」 

「それに盛りのついたサルよりは枯れてる方が全然アリだぞ」 

「だそうですよ。それにしても勿体無い、わざわざ用意してくださったんですから女給服で戦えばよろしいのに」 

「外野うるさい!」  


このままでは緊迫感も何もあったもんじゃない。 

一喝し、葬嗚は改めてデボラに向き直る。


「イーヴォさんが祓ったのはお前の使い魔だな」

「ええそうよ。ちょっと人間の生気を貰うだけの子たちなのに祓うなんてひどいわ」

「それであんな噂を流したのか。警察か、俺達みたいのがあの人を追っ払ってくれるように」

「結果はコレだけど。仕方ないわね」


ばさりと翼を広げ、デボラは空へ舞い上がる。


ここで逃がせば、デボラはまた他の人にとりつき、同じようなことを繰り返すのだろう。それを許すわけにはいかない。


炎を灯した黒鉄を、葬嗚はデボラに向かって投げつけた。

その刃先はデボラの翼を裂き、その傷から走った炎がデボラを包んだ。


「ぎゃああああああ!」


炎に巻かれて、デボラがどしゃりと地に落ちてくる。

その首に、葬嗚は武器を突きつけた。


「ま、待って、待ってよ。私は、ちょっとお客から生気をもらっただけで」

「だけ、じゃないだろ」 

「ヒッ」 

「お前の店の従業員、お前の使い魔を取りつけた人達、店に来る商売人、皆から生気を吸ってるよな?」

「ぁ………」


蒼白の顔で、女悪魔は葬嗚を見上げる。

既に自分のしてきたことはバレている。誤魔化しなど無意味だ。


「ゆ、ゆ、許して、お願い殺さないで。もう死にかけるまで生気を吸ったりしないし、使い魔もつけたりしないから」

「………本当か?」

「本当です、約束します!だから殺さないで!」

「…………」


ため息を漏らし、葬嗚は武器を引く。

鬼面の下の目が、諌めるようにデボラを睨んだ。


「お前達も食わなきゃ死ぬ。それは分かるけどな、限度と手段は守れ。吸われた人間が体調不良にならない程度にしろ。わかったな?」 


命が助かると分かって、デボラの顔が晴れる。まるで少女のような顔をして、こくこくと頷いた。


「はーい!分かりました!」

「魔族の使い魔なんて、憑けられただけで人間には負担なんだ。その上生気まで奪うなんて」 

「ごめんなさい、もうしませんから」 

「約束だからな」

「はーい!ごめんなさーい!」

「希、アズラエル。良いか?」

「まぁ、死人も出てないしな」

「次に同じことしたら殺すけど」 

「ヒッ………」


最後にしっかり釘を刺してから、3人は葬嗚が呼んだ継留卷に乗り込んだ。






継留卷に揺られながら、アズラエルはお世話になった店のオーナーであるシェリルに無事解決したことを伝え、葬嗚はイーヴォに、ことの顛末をかいつまんで説明する。

希は希で、さっさと報告書を書き始めていた。




「はーい、はぁーい。姉さんらもお元気で。また遊びに行きますね。はーい。……雌猫、葬嗚」

「「?」」

「姉さんらから伝言。次に店に来る時にはサービスしてやるってよ」

「サービス?」

「よく分からないけど多分いらない」


あまりにも予想通りなふたりの返事に、アズラエルはからからと笑った。

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