第4話 旅たちと別れ 2
「かくれろっ!」
グレンが言葉を発した瞬間エレクの膝はがくりと折れ、地面に倒れこんだ。
なんだ、なんだこれは。
体が硬直して動かない。がたがたと手足が震える。隣のグレンを伺い見る余裕すらなかった。
こちらに歩いてくる人影。まだ距離はあるはずなのに、上から大きな岩で体を押さえつけられているかのように自分の意志では指ひとつうごかすことはできなかった。
森の精霊たちの気は衰弱しきり、感じる精霊たちの気配はどうしていいかわからないと訴えるようにエレクの周りを飛びまわる。
精霊の姿も見えない、声も聞こえない。わかるのは気配だけだが、エレクには十分な困惑が伝わってきた。
「たくさん集まりましたね、隊長!」
「抵抗できずにこと切れていくやつらを見るのは傑作でした」
話し声がきこえてくる。近づいてくるのはどうやら四人のようだ。一人の男を中心に三人のフードをかぶったやつらが歩いてくる。その周りをよくわからない原型をとどめていない『何か』がふよふよと飛んでいる。薄汚れた灰色の羽織に見覚えはないが、この先忘れることはないだろう。
「これはあの方も喜ばれることでしょう」
中心の男の右を歩く男が麻の袋をとりだす。その袋からかすかに光が漏れた。
「……っぅ」
麻の袋の中身など簡単に想像がついた。
麻の袋が血で汚れているのも、『侵入者』が村をでていくというのに村の人間が誰も出てこないのも。やけに森が静かなのも、すべて納得がいく。
混乱する頭の片隅で、最悪の事態が起きてしまったことを理解した。
あの袋の中身は、村のひとたちの『紋章』だ。『紋章』の欠片だ。
『ウィンドーウッド』に生を受けた者は、その体のどこかに『紋章』が刻まれている。その『紋章』は、その者の生が終わりを迎えたとき、『紋章の欠片』になる。普通は、『紋章の欠片』は火葬の時に一緒に燃やし、残った欠片は森の奥の祠にそなえるというのが、ならわしだ。
ノアの言葉を思い出す。何度目かの村を抜け出す計画に失敗した時だ。
「紋章を!紋章を見られたらどうするんですか!」
荒々しく声を荒げたノア。普段とのギャップにすごく驚いたから今でも鮮明に思い出せる。思えばあそこまで怒ったノアを見たのはあの時だけだった。
こうなると、わかっていたからだろうか。掟も、紋章の存在をかくすようなものだった。『紋章の欠片』は人を殺してでも、狙われるものだったのか。
エレクは絶望にひたりながら、もう目の前まで来ている男たちを見上げた。生い茂る木々たたちに隠れて、向こうからエレクたちの姿は確認できないだろう。
「グレ……」
一目、その顔をおがんでやろうとフードに隠れた男の顔を覗き込んだ。その瞬間、エレクの目は大きく見開かれ、口は無意識にその男の名を紡ぎそうになり、こらえた。
反射しそうなくらいきれいな黒髪に、透き通るファイアーレッドの瞳。
「グレン」と。
押しつぶされそうな重圧にたえながらどうにか隣を伺い見ると、グレン顔いっぱいに広がるのは、まさしく『絶望』の二文字だった。
男たちが過ぎ去り、体を支配していた重圧からは解放されたものの、二人はしばらく放心状態だった。圧倒的力の前にひれ伏していたのだ。疲労がたまっていて当然である。
でも、体の疲労より、起こっている出来事に頭がついていっていなかった。それでも、村の状況を確かめなければならない。
エレクは膝に手を当て、起き上がる。気を抜けば今にも倒れこんでしまいそうだったが足に力を入れどうにか耐えた。
「グレン。いくぞ」
頭を垂れているグレンの背中に手を当てるとぐっしょりと濡れていた。エレクの背中も似たようなことになっているだろう。もう一度、今度は叩くようにグレンに触る。
「す、すまん。いこう」
はっとしたように顔をあげたグレンは二、三度頭を振るともう前をむいていた。
二人で、いままでのような慎重な足取りはとりはらい、駆けるように村へむかった。
オーーーン。
どこか遠くで獣のなく声がした。
「……ぅおえ……っ」
目の前に広がる凄惨な光景に、エレクは胃からこみあげてくる酸を我慢することなくはきだした。びしゃ、びしゃ、っとエレクの口から内容物があふれ出てくるたびにそんな音が耳を刺激する。胃をひっくり返されるような感覚に吐き出される内容物はとどまるところを知らなかった。
エレクたち二人は村の中心である噴水の前で立ち尽くしていた。
倒れている村人たちは怒りと恐怖にあふれた顔のままこときれていた。
噴水の傍に積みあがる女性と子供。それを取り囲むように男たちが倒れている。男たちは致命傷だとうたがわれる傷くらいしか傷がないが、女性と子供は見るに堪えないものだった。亡くなった原因は出血多量とかだろう。
何が起きたのかはわからない。女性と子供たちを人質にとられ、痛めつけられるのを見せつけられながら、男たちはなすすべなく殺されたのだろうか。考えなくてもわかるのは、ここに倒れているひとたちは皆、もう言葉を交わすことすらできないということだ。
「無事なひとを探すぞ」
グレンは、泣き崩れるエレクの腕をひき、自分の足でたたせる。
「なぁ。なんでだよ。昨日まで、ここで……っ。みんなで笑ってたのに……っ。なんで」
エレクの顔は涙と胃からの分泌物でぐしゃぐしゃだった。それでもなんとか自分の足で地を踏みしめる。足の裏に感じる暖かな、大地の精霊の気がエレクの心を少し落ち着けてくれた。
一通り村を回るが、生存者はいなかった。残されている場所は、エレクとグレンの家だけだ。
「もう時間もない。行くぞ」
村を囲む火はどんどん村全域を焼き尽くしている。急がなければ、エレクたちも火の渦にまきこまれてこときれることだろう。
エレクは燃え盛る炎の熱気で熱くなった扉の金具を握りしめると、一思いにすべて開け放った。
「誰だ……!……エレク!グレン……」
そこには父、アーレンスと、ノアがよりそうようにたたずんでいた。
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