第46話 アナタガチュキダカラー

 6人で食事を終えた俺は、セレナーデと共に廊下を歩いていた。


 前回はここで、デスグラシアに謝罪をした方が良いのか尋ねられたが、お互い特に言葉を交わす事もなく、俺の自室の前へと到着してしまった。


「それではごきげんよう」

「――あ、待ってくれないか?」


 セレナーデは不思議そうな顔で俺を見る。


「第2試験で、君がデスグラシアに汚い言葉を吐いたのが聞こえてしまった。――何故、あんな事を?」

「ええっと、それは……」


 セレナーデは困り顔を見せる。

 まったく同じ反応だ。


「無理に聞くつもりはない。それじゃあ」


 俺は部屋のカギを開けて、中に入る。

 ん? 展開が違う。今回は謝らないのか。


 部屋でしばらくくつろいだ後、トレーニングをおこない、風呂に入る。


「今回はデスグラシアの奴と会わなかったな。まあ、その方が良いが」


 大浴場から出ると、丁度女湯からデスグラシアが出てきた。

 俺と目が合う。


『女湯にしたんだな』

『う、うむ……』


『女化しているのか?』

『多分……だが、おかしい事ではない! 私は母上に憧れ、女になりたいと思っているのだからな!』


 99周目より2か月も早く女化し始めているので、それだけが原因じゃない事は分かっている。

 だがその事には触れないのが、紳士というものだ。


『そうか、それは良かった。俺もその方が嬉しい』

『え……本当……?』


 俺は笑顔でうなずく。


『あの……ニル……』


 デスグラシアは前髪をいじりだした。


『どうした?』

『私も人間の言葉を覚えた方がいいよな?』


『おお! もちろんだ!』


 前の周では、最後まで通訳に頼りっぱなしで、結局話せないままだった。

 今回は違うようだぞ。


『えっと……その……私に、人間の言葉を教えてはくれまいか……?』

『いいぜ! じゃあ、早速始めるか?』


『本当か!? それは助かる!? じゃあ私の部屋に来るがいい!』

『おっけー!』


 入学初日で、彼女の部屋にお邪魔できるとは。

 今回は日記を盗み見しないよう、気をつけようっと!


     *     *     *


「こんにちは」

「コニチハ」


「こんにちは」

「コンチワ」


 俺達の言葉って、そんなに難しいのだろうか?

 優等生のデスグラシアが、ここまでできないとは。


「フォンゼルは糞野郎」

「フォンゼルハ、ウンコ」


『惜しい。意味は通じてる』


「リリーハ、ガチレズ」

『今のは良かった』


「クーデリカハ、パイオツカイデー」

『「デカパイ」だぞ? なんでそうなった?』


 まだ全然ダメだが、デスグラシアは楽しそうだ。

 子供のように無邪気に笑う彼女の姿を見ていると、とても愛おしくなってくる。


「あなたが好きです」

「アナタガチュキダカラー」


『ちょっと違う』

『あはは、人間の言葉は難しいな。ちなみに今の言葉はどんな意味だ?』


『分かってからのお楽しみという事で』

『なんだ、気になるな。いやらしい言葉ではあるまいな?』


『それはないから安心しろ。――じゃあ、もう遅いし。俺は帰るよ』

『うむ。良い夢を、ニル』


 俺はデスグラシアの部屋を後にし、廊下に出る。

 自分の部屋の前まで行くと、セレナーデがいた。


「セレナーデ嬢。――どうしました?」

「セレナーデでいいですよ。――あの……ちょっとお話が……」


 暴言の件だろう。このタイミングで来るのか。


「分かった。立ち話だとマズいか?」

「はい、できればお部屋の中で……」


 そうなるのか。

 前回はセレナーデとそこそこ良い関係だったが、それでも彼女が俺の部屋に入る事はなかった。これは意外な展開だ。


「……分かった。じゃあ入ってくれ」

「ありがとうございます」


 俺はドアを開け、彼女を招き入れる。


「――わあ、男の人の部屋ってこんな感じなんですね」

「何にもなくてつまらないだろう。――今、お茶を淹れるよ」


 俺は安い茶葉を使い紅茶を淹れる。これで十分なのだ。


「はい、お待たせ」


 俺がティーカップを2つ並べると、セレナーデはすぐに口をつけた。


「……美味しいです!」

「それは良かった」


 俺はにこりと笑う。茶道LV9の俺の茶は、ビビるほど美味いのだ。


「……あの、実は私……第2試験で魔王太子殿下に汚い言葉を吐いてしまって……」


 今さら、「何故?」や「何て言ったの?」とは聞くまい。

 黙ってうなずいている事にしよう。


「殿下はそれほどお怒りにはなられていないようなのですが、やはりきちんと謝罪をしたいのです。どうかお力を貸していただけないでしょうか?」

「喜んで。間に入ればいいって事かな?」


「はい。よろしくお願いします。あと一つ聞きたいのですが……」

「何だ?」


「何故デスグラシア殿下は、急に女性の恰好をし始めたのでしょうか? ニル君の影響ですか?」


 セレナーデは俺の眼をのぞき込んでくる。――この子は、これが怖いんだよな。


「いや、あいつは元々女になりたがっていたから、そのせいじゃないか?」

「そうでしょうか……2人は恋仲だったりしませんか……?」


 こわっ! 俺はお前の彼氏じゃないんだから、そこまで追求するなよ!


「いや、そんな事はないよ」

「分かりました。――紅茶ごちそうさまでした」


 セレナーデはニコリと笑うと、立ち上がった。

 俺は彼女を玄関まで送り、ドアを開ける。


「ニル君、本当にありがとうございました」

「ああ、じゃあまたな」


 セレナーデはチラリと横目で何かを見た。


「今度は私の部屋に遊びにきてくださいね? では、おやすみなさい――」


――チュッ。

 彼女は軽く俺にキスをした。


「お、おい! 君は侯爵令嬢だぞ!」

「うふふ、ではごきげんようニル君。――殿下」


 セレナーデはニコッと笑うと、自分の部屋へと戻って行った。

――殿下!? 俺は慌てて廊下に出る。


 そこには、目を大きく見開いたデスグラシアが立っていた。

 手には、俺の学生証を持っている。どうやら忘れ物を届けに来てくれたようだ。


 セレナーデの奴、何考えてやがるんだ!?

 謝罪するどころか、明らかに挑発しているじゃないか!


『デスグラシア、今のは――』

『忘れものだ』


 彼女は俺に学生証を無理矢理渡すと、すぐにきびすを返し、立ち去ろうとする。


『待ってくれ!』


 俺は彼女の肩を押さえる。


『私はもう寝る。放してくれ』


 ここで言う通りにしてしまうのは、愚かな選択だ。

 誤解はすぐに解くべきである。


『デスグラシア、誤解だ』

『別に気にしていない。お前がどの女と親密になろうが、私には関係ない事だ』


 そうは言っているが、彼女の目は、邪神祭の時と一緒で悲しみを帯びている。


『お前が気にしていなくても、俺が気にする。とりあえず、話を聞いてくれ』

『あっ、ちょっと――』


 俺は強引に彼女の手を引いて、自分の部屋へと連れ込んだ。

 死罪になってもおかしくない行為である。



『――という訳なんだ』

『ふーん……』


 俺は事の経緯を説明したが、デスグラシアは疑いの目で俺を見ている。

 相談を受けただけで、何故キスするまでに至るのかと怪しんでいるのだろう。


 まったくだ。俺も聞きたいぐらいである。


『まさかキスされるなんて思ってもいなった。ただ真面目に話を聞いていただけなんだぜ?』

『お前が好意を抱かせるような言葉を言ったのではないか? ――まあ、私は別にどうでもいいのだが?』


『俺がそんな奴に思えるのか?』

『思う! 私にも、そういう事を言うからな!』


『――お?』

『あっ! い、いや違う! 実際に好意を抱いた訳ではないぞ!』


 デスグラシアの顔がどんどん赤くなる。――可愛い。


『じゃあ、嫌いか?』

『え? ……いや、嫌いじゃないけど……』


 髪をクリクリし始めた。――可愛い。


『じゃあ何? 好きでも嫌いでもないって事か?』

『ん……信頼できる人間……だとは思っているが……』


 デスグラシアは恥ずかしそうにうつむく。――可愛い。


『お前は、私の事をどう思っているのだ……?』

『好きだよ』


『え!? え!? 即答!? え、あ、でもそれってどういう――あ! やっぱりいい! もう眠いから帰る!』


 デスグラシアは慌てて飛び出て行った。

 玄関の扉をぶち壊して。


「……おいおい、これの修理で、今夜は眠れないんじゃねえか?」


 まあ、誤解は解けたっぽいし、まあいいか。


 俺は工具箱からトンカチを取り出した。

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