アンドレの語り①




俺は裸だった。なので、小太りの男から服をもらうことにした。そうするのが一般的だということは覚えていた。


「僕のことは"教授"と呼ぶといい、いいね。」


"教授"はとても親切だった。"教授"は俺のことを記憶喪失だと言う。倒れているところを見つけたので、自分で作った治療用のカプセルで診察していたらしい。


俺たちは、暗くじめじめしていたあの部屋から出て、応接間のような場所にいた。

豪華そうな机と椅子が並んでいる。


"教授"が俺に座るよう言った。


ダボダボのカーキ色のズボンと白のシャツを着た俺は"教授"の向かい側の椅子に腰を下ろした。


「"教授"一体ここはどこなんだ?」


俺がそう尋ねると"教授"はニコリと笑った。そして自分の前に置かれた紅茶を手に取り、飲み込んだ。


「ここは、僕の研究施設だよ。」


「研究?一体何の?」


「あー…その前に君は何をどれだけ覚えているのかな?」


"教授"にそう問われ、俺は考える。この大陸の名はパプリカだ。堕獣と、不思議な力で出来ている。あとは…


「どうやら、大半のことはわかるみたいです。」


「ほう…ならば質問を変えようか。君は何をどれだけ忘れているのかな?違和感のある事柄だけでいいよ。」


俺はまた考え込んだ。"俺"ということは、俺は男だ。体だってゴツゴツしている。名前は…やはりわからない。どこで何をしていたのかもわからない。


「俺は…俺に関することだけ覚えていません。なんだか霞がかっているように記憶が曖昧なんです。」


「そうか…同情するよ。」


"教授"は紅茶の入ったカップを受け皿の上に乗せた。

カチャンと音が鳴り、俺はそこを見る。


「僕が研究しているのは、この世界を救うための力だよ。君は堕獣を知っているだろう?」


「ええ、それは覚えています。」


堕獣。パプリカに蔓延る化け物の通称であり、常人が立ち向かうのは不可能に近い異能の怪物だ。それらの討伐するのはサーグリッド教会の兵士"星架隊"と決まって…


「!」


ふと、そこで電流のような痛みが俺の脳内に走った。


「おいおい、大丈夫か?」


"教授"が心配そうに駆け寄ってくるのを俺は手で制した。頭痛は一時的なもので、だんだんとその痛みは緩やかなものになっていった。


「すいません、話を続けて。」


「……パプリカには現在、堕獣による被害が現在進行形で激増している。それは今も同様だ。このままでは人類は滅亡してしまうだろう。」


「………」


「堕獣に対抗するためには、もう大陸の人々が守られていては間に合わない。僕たちは自衛できる力を身につけるべきなんだ。僕はその手段を研究している。」


「…自衛の手段。」


"教授"の考えを反芻しながら俺は紅茶を飲んだ。


「…………」


「…どうしたのかな?」


「あ、いえ。この紅茶…味が……」


「ん?君は僕にとって客人だ。それに味覚障害の可能性もある。言ってみたまえ。」


「…味がしないんです、この紅茶。」


「……薄いではなく、しないのかい?」


「……はい。」

 

俺は紅茶の中を覗き込んだ。しっかりと色がついている…しかし匂いも味もしない。

"教授"は心配そうに俺を見てくる。


「もしかしたら、頭に異変があるのかもしれないな。さっきから頭痛がしてるのだろう?」


「異変ですか?」


俺は自分の頭を探るように触った。

"教授"は俺の頭を探るように見つめた。


「経過観察が必要なのかもね。君の容態が完治するまではここを出ない方がいいだろう。どうだい?僕の助手をしてみないかい?」


"教授"が俺に手を差し伸べてきた。


「助手……はぁ、俺に務まるでしょうか?」


「なぁに、簡単なことしかさせないよ。書類仕事とか、簡単な装置の実験相手とか…」


「それなら…確かに俺でも出来そうだ。」


見たところ、俺の体は"教授"に比べると筋肉質で丈夫そうだった。確かにこれなら役には立つかもしれない。


「君と僕で人類の救世主になろう。」


俺は、"教授"の差し出した手を握った。







俺の人生を変えたのは、一つの"死体"だった。

蠱惑的な"それ"から悪魔が生まれ、俺の心に棲みついた。そして悪魔は俺の耳元で囁くのだ。


"復讐"という標を。


しかし、悪魔はもういない。いても、消える。


天秤が揺れる音がした。俺の人生を掛けて揺れている。俺はそいつが傾くその先をただ眺めている。



これは、俺の一つ目の天秤が指し示した答えの話だ。






ソラとの一騎打ちに敗れた俺の元にレイジーたちが走り寄ってきた。泣きそうな顔をしている彼らを見て俺はなんだかおかしくなってしまった。


『心配はしたんだぞ!…その、もう試験は終わりってことでいいのか?』


にじり寄る彼女を見ながら俺は伝えた。


『……レイジー、いや、そうだな。終わりだ。』


レイジーが、そっと遠慮深そうに俺の体を支え立たせる。後ろからアルゴとタンジオも俺を支えてくれた。

少しだけ歩きにくかったが、嬉しかった。


『レイジー、お前ら。』


だから俺は言ったのだ。


『もう、復讐は止めよう。』


俺の思いは、清々しいほどに真っ直ぐで透明だった。それでも、レイジーたちは何も言わない。

不思議に思った俺は彼女たちを見た。


(え?)


レイジーは泣きそうな顔をしていた。どうしたんだ?と声をかけようとした俺の意識にかぶさるように彼女が口を開いた。


『やっぱり知ってたんだな、"首もぎ"が死んだこと。』



瞬間、俺は固まった。






俺は目の前のレイジーを見つめていた。


何かを言い淀む彼女から出てきた事実に俺は固まってしまっていた。



————————————"首もぎ"が死んだ。



「……アン…ドレ?」


レイジーが恐る恐るという風に顔を上げてくる。


俺は呆けたようにレイジーを見たあと、その顔に自分の手のひらを押し付ける。


むが、と呻くレイジーを見ながら俺は心を落ち着かせる。


(レイジーは、いや…アルゴもタンジオも、俺が"首もぎ"が死んだことを知ってると思っている。『やっぱり』ってレイジーは言った。そう確証を持つ何かがあったのか。)


ぐるぐると思考が回る。


("首もぎ"が死んだ…いや、それはもうどうでもいい。何から伝えるべき、か。)


"どうでもいい"


そうか、もう俺たちにとってはどうでもいいことなのか。


俺は意を決して口を開く。


「……まず、俺は"首もぎ"が死んだってこと知らなかった。」


「えっ」


「!?……アンドレ兄………?」


「……っ…………」


俺の一言に三者三様の反応が返ってきた。


レイジーが顔に引っ付いていた俺の手を払いのけるようにしてどける。


「アンドレ……じゃあなんで…………」


なんで復讐"だった"なんて言ったのか?


(そういうことなんだろうな…………)


俺はニコリと微笑んだ。

レイジーがそれを見て、目を見開く。


(俺が笑ったのがそんなに珍しいのか?いや、確かにそうなのかもな。)



「レイジーお前、あと1ヶ月で誕生日だろ?」



俺はできるだけ優しい声でレイジーに向けて言った。


「え、……あ、おう。」


次に、俺はアルゴとタンジオに顔を向けた。


「アルゴは今年で16か、タンジオも。」


「………うん」


アルゴが返し、タンジオはコクリと頷いた。


「そ、それがなんだって」


「この前お前たちの話を聞いてな。」


「……………」


天秤が揺れる。いや、それはもう傾いたのだ。 


俺の眉間に深い皺が刻まれていく。今から言うことは自分でも認めたくない汚点であるからだ。


「……俺は、お前たちの誕生日とか、年齢とか、好きなものも嫌いなものも、全部忘れてた。」


「!」

 

レイジーが眉を八の字に曲げる。


レイジーはきっと、俺がそれらを忘れていることに気づいていたのだろう。気づいた上で、その分自分はそれらのものを大切にしようと思っていたのだろう。


弟分のためにも、俺のためにも。


最低でダメな俺でもお前がそう言うやつだってことはわかるから。


「7年だ。7年もの間、生まれてからずっと一緒に過ごしてきたお前たちのことを俺は見ていなかった。」


「アンドレ……でもそれは……お前が私たちのことを引っ張ってくれていたからで」


「俺はただ目を背けていただけだ。」


「!?」


「本当に謝らなきゃいけないのは俺の方なんだよ。」


そうだ。俺はお前たち3人を見ていなかった。

復讐に心を囚われて、皆同じ気持ちだと思っていた。


お前たちはあんなにも俺のことを思ってくれていたのに。






 ☆


星を見ていた。森の中、ある町の町長の依頼で積荷の運搬に来ていたのだ。


(今日は頭痛がひどいな。)


偏頭痛持ちの俺は痛む頭に手をやり少しだけ振った。

建て置いた簡易式のテントの床に手をつき、体を起こすと俺は少しだけ強く息を吐いた。


寝れたものではないな、と俺はうんざりする。


あたりを見渡すとアルゴがいない。


(見張りはタンジオだったはずだが)


俺は少し不思議に思ったものの、まあいいかと床についていた手に力を込めて立った。水を飲むためだ。


テントから出るとレイジーようの少し小さいテントが見えた。灯はついていない。


(もう寝たのか)


馬車を挟んだ向こう側にはタンジオが見張りをしているのだろう焚き火が火の粉を噴く音がしていた。


この先に川があったはずだと俺は暗闇の中歩き出した。一瞬灯りをもらってこようかと思ったが俺は夜目が効くので大丈夫かと水の音がする方へと向かった。



幸いなことに、川は俺の予想通りそこにあった。

チラチラと流れる小川だった。

水を飲もうと膝を折り、腰をかがめた。



水面に人影が映る。夜目が効くと言っても、夜の水面に映る影を克明に見れるほど化け物じみているわけではない。


人影は俺を見て笑った。


その顔は誰の顔だ?


俺か?レイジーか?アルゴか?タンジオか?


ミルコ姉さんか?


————————————"首もぎ"か?




ぴちゃんっっっっ




「っ」


俺は首を横に振る。


川に手を入れ水を掬うと顔を近づけ口に含んだ。冷たい水が胃の中に流れ込んでいくのと同時に俺の形容し難いドロドロとした感情が胸の奥にひき戻っていく。


そう、形容し難いのだ。


これは怒りなのだろうか?

きっと怒りだ。それでも、かつてほどの激情はない。


だから断言できない。


「ダメだ、揺れるな。」


揺れたら、あいつを殺せない。

レイジー達のためにもあいつを殺さないと。


俺は再度冷水を顔に押し当てた。




喉を潤したにも関わらず頭痛はあまり引いていなかった。テントにやや顔を俯きながら戻ってきた。


(ん?)


話し声に気づいたのはその時だった。



馬車を挟んだ向こう側。焚き火の方で話し声がした。


「レイジー姉、来月誕生日だな。」


アルゴの声だった。少し高めの掠れた声はわかりやすい。


「…ああ。私も17になるな。立派な大人だ。」


レイジーが答えていた。

まだ時間的に見張りはタンジオだったはずだ。


3人とも集まっていたのか。


顔を出そうかと思ったものの、頭痛は依然ひどいのでもう一眠りしようかとテントに向き直った。


「あれから7年か。」


俺は動きを止めた。

レイジーのその言葉が妙に頭にこびりつく。


「お前たちももう16だもんな。もう子供ではいられないな。」


「あのころは……まさかこんな日々になるとは思わなかった…」



あれから7年も経っていたのかと、俺は少しだけ驚く。

流れ行く月日を俺は見過ごしていた。



「色々なことがあったね、タンジオなんかもう立派な筋肉ダルマだ。」


「む」


アルゴの笑い声にダンジオが一文字で返す。


「アルゴだってあの頃のもやしっ子の面影はもうないな、立派な細マッチョだ。」


「まあ、ね。」


アルゴが笑う。



(寝るか……)


思わず立ち止まってしまったが、なぜ自分が立ち止まってしまったのか俺自身もわからなかった。


ただ仲間たちの笑い声を聞いて俺は安心した。



 —————————安心した?



「あと何年かな?」



ハッとした。

これまで7年。ここから、あと何年?



「アルゴ。」


レイジーがアルゴの名前を呼ぶ。それはまるで嗜めるようであった。


「……………俺は、そんなつもりじゃ…ごめん。」


アルゴが謝る。レイジーも目を伏せる。


「…………夜は暗いから、悪いことを考えてしまう。」


タンジオが焚き火を見ながら言う。


レイジーが震える膝を抱きしめるかのように全身に力を込めたのを俺は感じた。


「私たちで決めたんだ。アンドレについていくって。だってきっとアンドレは、私たちがいなくなっても復讐を続けるから………どこかで死んだとしても私たちはわからないのは、怖い。」


「……うん、そうだった。」



俺はその言葉に愕然としていた。



(そんなことを思っていたのか……)


皆も俺と同じ気持ちだと思っていた。

"首もぎ"に復讐するために生きてきたのだと。


でも、皆が思っていたのは俺のことだった。


今までの記憶が想起されていく。


 初めて街を出たこと。

 依頼を受けたこと。

 武器を握ったこと。

 堕獣と戦ったこと。

 死にかけたこと。

 初めて、人を殺したこと。


皆は俺のためにここまでついてきてくれた。


俺はろくに感謝の言葉も伝えなかったじゃないか。



俺の中の天秤が揺れる。



『あと何年か?』


あと何年、俺は仲間たちにこんな思いをさせるんだ?



「…もうすぐ、星架隊入隊試験だな。」


レイジーの声がした。アルゴが不安そうな声で返す。


「もしも、もしアンドレだけ受かって、皆落ちたらどうする?」


「………………」


タンジオの沈黙は、自分も同じことを考えていたことを示していた。


レイジーが答える。


「そしたら、プラネットになろう。多分受かるから。プラネットになれなかったら……サテライトに。そして、出来るだけアンドレのそばにいよう。」



(ああ……俺は………………)



天秤は揺れ続けた。



頭痛は治った、けれど俺はその晩寝れなかった。






 ☆


「ずっと考えていたんだ。星架隊が終わったら話そうって。」


俺の声は、震えているか?震えないよう口角を上げた。


「アンドレ兄…………」



「それが、復讐を止めようってことだった。」


「ちょっと待てよアンドレ!!!」


俺呼び止めたのはレイジーだった。

俺の胸を掴み、ぎゅっと力を込める。


「お前……だって………7年もずっと復讐のためだけに。」


「7年も経ったんだ。」


「!」


俺はレイジーの手を取り抱きしめた。


「!?!?!?!?!?」


レイジーが固まる。その頰は赤い。


「お前らも来い。」


俺はアルゴとタンジオに手を伸ばす。おずおずと二人が歩み寄って来るのを焦ったく思い、一思いに抱きこんだ。



「どんなに狂おしい激情も、時間が経てば薄れて消える。」



「………でも」



天秤が揺れている。やがて傾いた。



"どうしようもない復讐心"


"仲間たちへの深まる愛"



二つをかけた天秤は、重かった片方はやがて削れて軽くなり、もう片方は、年月を重ねるごとに、重くなっていく。



「"首もぎ"も死んだ。もう俺を縛るものもない。」


空虚な鎖は全部、ソラが壊してくれた。


「レイジー、アルゴ、タンジオ。」


レイジーは、プリン頭にアーモンド型の目、厚い唇をワナワナと震わせている。


アルゴは、そのブロンドの癖っ毛を揺らして目を見開いていた。


タンジオは、唇を引き結び、何かに耐えるように形の良い眉を寄せていた。


みんな俺より小さい。俺の大切な仲間。



「今まで、側にいてくれてありがとう。」


声が震えた。なんだ、格好つかないな。


「これからは、お前たちと前を向いて生きていきたい。」



3人がぎゅっと俺を抱きしめ返してきた。それが返事だった。



きっと、復讐に囚われていたままじゃ見えなかった。


復讐者Aでは、この温かさは得られなかった。






天秤は傾いた。幸せだと思った。

それでも俺はまだ知らなかったのだ。


人生は、幸せなだけでは成り立たないのだと。

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