勇者の御手は血に穢れ

@akamura

勇者の御手は血に穢れ

4階建てのショッピングモールになるはずであったその建物は計画中止により、コンクリートがうちっぱなしの哀れな素顔を晒している。幸いというべきか外装は整っているものの中は殺風景で、縦にも横にも広い空間には等間隔に並ぶ壁と、スタッフルームを予定していたらしい扉だけが存在している。


非常階段がひとつと、稼働していないエスカレーターが3つ、エスカレーターが4ヶ所。ただし今は各階ごとに、ひとつを残してバリケードが張られ、使用できなくなっている。


(立て籠もるのに慣れてるのか?いや、通路を絞るっていうのは別に慣れてなくても考えつくか)  


何にしても迷惑な話だ。こんな場所、下手をすれば一般人を巻き込むじゃないか。

扉のひとつに身を潜め、希はひっそりと息を吐いた。



妙な奴らがうろついているから調べて来いというのが、『表』の連中の指示だった。だが調べるだけ調べて帰るなど、希には有り得ない。

一般人に害が出るかもしれないのだ、呑気に解決を待っていられるわけがない。

故に遥に許可を得て、単身で乗り込んだのである。

まさか侵入して早々に血の海を見るとは思わなかったが、おかげですぐに此処が黒だと分かった。ならば後は潰すだけである。


不意に希の耳に、乾いた足音が響く。扉に耳を寄せて、足音に意識を集中した。大股の足音が、3人分。

隠れてやり過ごしても良いが、どうせやらなければならないのだ。ふ、と息を漏らすと、希は扉を開いた。


ひとりを後ろから蹴り飛ばし、一人の足を引っ掛けて転ばせる。


「お前、何――……う゛ぇっ!」


最後のひとりの喉に爪先をめり込ませ、喉を潰す。 

蹲った男の腹と顎に蹴りを叩き込んだ。  


「ァ……ぐ、ガ、」

「おや、意識はあるか。大したものだ」


だが、脳を揺らしてある以上動けはしないだろう。

両手足を掴むと、他のふたりとまとめて括りあげる。


ついでに装備を改めさせてもらおうと、この時期には少しばかり暑いであろうコートの前を開いた。


ナイフと小型の銃、スタンガン。そこまでは予想通りだ。催涙スプレーも出て来たが、これもそこまで意外ではない。

だが、手榴弾は流石に見逃せない。一般人あがりの犯罪者が持つには、危険すぎる道具だ。


「何処から買い付けたんだか、こんなもの」


独り言めいた呟きを漏らし、希はワイヤーで手榴弾を雁字搦めにする。こうしておけば、投げることはできないはずだ。


「大人しくしていてくれ。出来るなら殺しはしたくないんだ」


トリックスターを呼び出すと、希は彼に頼んで3人を倉庫へ放り込んでもらった。

いずれは見つかるか、帰ってこないことに不審を抱くかもしれないが、縛って放置するよりは時間稼ぎになるだろう。



さて、ここからどうしたものかと、希は白い天井を仰いだ。


1階にいるもの全員を戦闘不能にして完全に制圧してから2階へ上がるべきか、それともさっさと頭を潰しに行くべきか…………


(上がるか) 


一人頷き、階段へ走る。


その時不意に、曲がり角から人影が現れた。

咄嗟に希は止まったものの、相手は勢いを殺しきれずに激突する。

勢いに負けて、希は後ろへ吹っ飛ばされた。


「ぃったた………あっ、ご、ごめ」

「静かに」

「、」


希の指示に相手は両手で口を塞ぎ頷く。

体を起こしつつ、希は相手を見やった。


顔立ちは恐らくだが、希と同じ日本人のそれだ。

服装は薄手のシャツにジャケット、黒のパンツ。

希より明るい茶髪といい幼さが残る表情といい……何より丸腰な辺り、ここに立てこもっている奴らの仲間ではなさそうだ。

ならば何故一般人がこんな所にいるのだろう。もしかして人質だろうか?いや、それにしては落ち着いて見える。


「おい」

「、」

「大丈夫か?どっか怪我したのか?」

「いや、大丈夫」


差し出された手をさり気なく拒んだ希だが、相手は宙ぶらりんになっていた手を伸ばすと希を引っ張り起こしてくれた。


相手もまた、隣に立つ希をまじまじと見つめる。その視線に驚きが強く混じっているのを感じて、希は恥ずかしそうに視線を反らした。

言いたいことは分かる、けれど出来たら言わないでほしい。希にだって男子としてのプライドくらいある。


「え……っと、」

「一応言っておくと、俺これでも17だからね」

「じゅ……え、嘘だろ、えっ俺?」

「静かにしなって」


幸い近くに人の気配はないが、あまり声を上げると危険だ。

とりあえず青年の手を引いて、希は壁に身を潜めた。


「あのね、君が何をしに来たのか分からないけど、早く出た方が良い。ここは」

「分かってる」

「え?」

「分かってるから来たんだ」

「……どういうこと?」


警戒を帯びた声で問いながら、希はホルスターにしまったままのナイフに手をかける。

答えによっては―連中の仲間になりに来た、などの場合には―彼を止めなくてはいけない。


先程までの幼い顔から一転、表情を引き締め、青年はまっすぐ希を見下ろした。その表情は痛みに耐えるようにしかめられている。


「知り合いが連れて行かれた。それに、………」

「それに、何?」

「……友人が、ひとり………」

「………殺された?」

「そうじゃないけど、騙されて、連中の仲間にされたんだ」

「騙された?」

「割の良い買い物代行のバイトだって紹介されたみたいなんだ。そこからズルズル引きずり込まれて、脅されて………逆らったり逃げようとしたら殺されるって」

「なるほど」


食事や水はどうしているのかと思ったら、そういうことか。


小さく息を漏らした希に、今度は青年が問うてきた。


「アンタこそなんでこんな所にいるんだ」

「ん?ぁー……俺はねぇ」

「もしかしてアンタも誘拐されて、逃げてきたのか?」

「いや、違う違う」


苦笑を浮かべて、希は首を横に振る。

一般人を騙すのは気が引けるが、仕方ない。


「俺も君とおんなじようなもんだよ」

「たったひとりで?」

「それ、君が言う?」

「俺は、その、一応コレがあるし」


気まずそうにしながら、青年は銃を取り出した。

この国では拳銃の所持は法律違反ではないのだが、やはり日本人として銃を持つのは気後れするらしい。

希としても、一般人に武器など持たせたくないのだが……そんなことを言える状況でもない。人に向かって使わせなければ良いだけだ。なんとなく言い訳のように、心の中で呟いた。


「俺も腕に覚えはあるから。いくつか武器もあるしね」

「腕……」

「何が言いたいの」

「ぃ、いや、何も。それより、それなら一緒に行こう」


希の手を掴み、青年は微笑む。その顔に微かな安堵が見えるのは、気のせいではないだろう。

当たり前といえば当たり前だ。彼は恐らく一般人。こんなところ、忍び込むのさえ相当勇気を振り絞ったのだろう。


本当ならば帰れというべきだろう。けれど、言ったところで恐らく聞いてはくれない。なら、一緒に行く方が彼を守れる。


「分かった、よろしくね」

「よろしく。俺は境蓮適。適(かなえ)・ガードナーでもいいけど……正直慣れないんだよなぁ」

「適君?」

「うん」

「良い名前だね。俺は希」

「希。………」


頷いた適が目がちらりと、希の赫い目を見つめる。

肩をすくめると、希はうっすらと微笑んで見せた。


「これ、自前だから。……怖いかな?」

「あっ、ごめんそうじゃなくて、その」

「?」

「ちょっとびっくりしたけど、綺麗だなって、本当に。似合ってる。けどジロジロ見てごめん」


頭を下げた適に、希は目を丸くする。

異形の赤目なんて、日本人なら尚の事、怯えられて当たり前だと思っていたのに、まさか褒められるとは。咄嗟に返事が出来ずに、声が詰まった。


「……ぁ、ありがとう。じゃあその、ええと、行こうか。階段あっちにあったから。バリケード張ってあるけど、くぐれなくはないし」

「分かった」


頷くと、適は希の手を引いて歩き出す。

解こうとして、けれどその手が震えているのに気付いた希は、何も言わずその手を握り返した。






バリケードを崩すのではなく、小さな隙間から潜ってくる人間というのは想定してしなかったのだろうか。階段とは違い、見張りの人間はひとりしかいなかった。

その一人を素早く昏倒させ、希は適を引き上げる。


「大丈夫、適君?怪我はない?」

「ああ」 

「良かった。なるべく俺の後ろにいてね」  

「待てよ」


先導しようとする希の手を引き、適は睨むように希を見下ろす。

何か失礼があったかと首を傾げた希を、適は自分の後ろへ回した。



「お前のが小さいんだから、お前が後ろにいるべきだろ」

「多分、俺のが強いよ?」

「それでも、だ。俺はこれでも打たれ強いし。それこそお前よりは。それに何かあったとき、どっちかは生きてる必要があるだろ」  



それはその通りだと、希は頷く。

けれど、その場合生き残るべきは自分ではなく適の方だ。どちらかが盾になる必要があると言うなら、それは自分の役目でなくてはならない。

震えながらも勇気を振り絞って友人を助けに来た勇敢な青年を見殺しにするなど、絶対にあってはならない。


「分かったら」

「でもね、適君」 

「何だ?」

「適君が前に行くと、俺、前見えないよ」

「あ」


困った顔で笑う希に、適は間の抜けた声をあげる。


あくまで多少ではあるが、適は身長も体格も希よりも優れている。彼の後ろに回されると、冗談ではなく希は適の背中しか見えなくなってしまう。それは流石に、歩くのにも戦うにも支障を来す。

―そういうことにしておけば、彼も納得してくれるだろう。

案の定、適は若干躊躇いながらも希の手を引いて前へ押してくれた。


「本当は背中合わせで動くのが良いんだろうけど」

「無茶言うなよ」

「だよね。さて、じゃあ……」


制圧よりも、まずは適の友人達を見つけて彼等を安全な場所へ避難させるのが先か。ただ上を目指すよりも時間はかかるが仕方がない。

適の手を引いて、希は極力足音を抑えて歩く。

盗み見るように視線を向ければ、適の表情は強張って、眉間にシワが寄っていた。希の手を掴む手にも、痛いくらい力が入っている。



「ねぇ、適君。聞いてもいいかな」

「何だ?」

「銃、撃ったことあるの」

「……当たり前だろ」

「そっか」


泳いだ目といい上擦った声色といい、誤魔化しきれていない。本当は撃ったことなどないのだろう。もしかしたら、持つのさえ初めてなのでは……というのは、希望的観測が過ぎるだろうか。


繋いだままの手を開き、希は軽く手を振るう。しかし適はしっかりと希の手を握っていて離さない。


「どうした?」

「いや、別に。それよりもうひとつ聞いていい?」

「良いぞ」

「何で、こんなところにひとりで来ようと思ったの?」

「だから、友達を」

「そうじゃなくてさ。大人の人とか警察じゃなくて、どうして君が?」


見たところ、そして話を聞く限り、彼は普通の青年だ。

どこにでもいる、人を殺したこともない、殺されかかったこともない青年。それが忍び込むには、ここは危険すぎる。

頼れる相手がいるなら、頼るべきだろう。それは決して恥じることではない。


じっと見つめてくる希に、適は顔をしかめた


希の言いたいことは分かる。警察に任せるべきだと、頭では理解している。……けれど。


「あいつ、本当に騙されただけなんだ」


絞り出すような声で、適は呟いた。


体が不自由な人やお年寄りのための買い物代行。求人のポスターには確かにそう書いてあったのだ。

給料も高く、困っているひとの役に立つならと、友人はその求人に応募したのだ。

籠城している犯罪者に手を貸す仕事だなんて、夢にも思っていなかったはずだ。知っていたら絶対に応募したりしなかった。


「警察に言ったりしたら、多分あいつも逮捕される。そんなのおかしいだろ」

「…………」

「だから、俺がなんとかしないとって」

「……それは、急がないとね」


目をそらすように前に向き直り、希は足早に歩く。

繋がれた手を振り払おうとしてはいるのだが、うまくいかない。

縋るように希の手を掴んだまま、適は言葉を続ける。


「あいつら、平気で人を殺すし、傷付けるし、大事なものでも躊躇なく奪うんだ。そんな奴等」

「!」

「ぅわっ!?」


不意に感じた殺気に、希は繋がれた手を引いた。

急に腕を引かれ、適は仰向けに倒れる。その身体が一瞬前まで立っていた空間を、鉄パイプが通過した。


「あっ」

「何やってんだ馬鹿」


もうひとりが振り下ろした角材を、希は腕で受け止める。

にやりと笑った男の脇腹に回し蹴りを叩き込む。

反撃を予想していなかったらしい男は隣の男ともども吹っ飛び、手摺に激突した。


落下を危惧したが、幸いそこまで勢いはつかなかったらしい。へたり込むように崩れ落ちたふたりに、希は安心したように息を漏らした。


「ごめん適君、大丈夫?咄嗟だったから」

「ぁ、うん大丈夫……っていうか、お前こそ怪我」

「かすり傷だから。それより、無事ならこの人達の上着剥ぐの手伝ってくれる?」

「上着?……ああ、そっか」 

「もっと早く気付くべきだったね」


肩をすくめた希に適も苦笑を返しながら、男達の上着を脱がせる。

完全に同じものではないが、真っ黒な色と胸元のマークが同じだ。この組織への所属を示す格好と見て間違いはないだろう。

動きやすい代わりに些か薄く軽いジャケットを自分で纏い、希はやや厚めのコートを適に渡す。防弾かはわからないが、多少なら身を守るのに役立つはずだ。


差し出されたコートを受け取ってから、適は希の腕を掴む。


「適君?」

「コートのポケットに応急処置の道具があった。さっきのトコ、手当するから見せろ」

「自分でやるよ」

「手だぞ、やりにくいだろ」

「大丈夫」

「いいから」


袖をまくろうとする適の手を、希は慌てて制する。

ナイフはともかくとしても、袖の下には暗記が仕込んである。流石にそれを見られるのはまずい。


「昔の傷があって、あんまり人に見せたくないんだ、体」


咄嗟についた嘘―まるきり嘘でもないが―に、適の手が止まった。

鳶色の瞳が、不安げに揺れる。


「お前、そんな腕でアレ受け止めたのか!?何してるんだよ!」

「ぇ、ぁ…………も、もう痛くはないから」

「それにしたって!自分の体は大事にしろよ!家族とか友達とか、心配するだろ!?」

「――………」


彼には心配してくれる家族がいるのか。

それならやはり、彼には傷ひとつつけさせてはいけない。それに彼に人は撃たせられない。

漂う鉄錆の匂いの方を見てしまわないように意識して、希は足を進めた。


「そんなことより、お友達を探さないと。ほら、急ごう。念の為にフード、被っといてね」

「なっ……ま、待てって!」


希の腕に、適が手を伸ばす。

い一瞬躊躇ったその手は結局、腕ではなく掌を掴んだ。








ふたりが奪った上着は予想通り、制服のような役割を果たすものだったらしい。

銃やら鉄パイプやらを手にした連中は、希達を気にする様子もなく横を通り過ぎていく。


同じ服を着ているからって、少しも疑ったりはしないのか。

呆れた表情を浮かべる希の横で、適は安堵の息を吐いた。


「この格好なら、話聞いたりもできるんじゃないか?もしかした」

「ストップ」


表情を緩めた適のフードを掴んで顔を隠させ、希は表情をしかめる。



迂回路でもあれば良いのに、生憎とここは一本道だ。

どうすれば適に、あれを見せずにいられるだろう。

数十メートル前の赤黒い汚れを見つめ、希は必死に頭を働かせた。

他のものに見間違えようもないその汚れは、床に数メートルの線を描き、窓の向こうへ続いている。窓硝子にはホラー映画のように、掌の跡が残っていた。


今までの階は迂回なり視線から隠すなりしてきたが、あれはどうにもならない。

引き返すのも不自然だろう。


ぐるぐると考え込む希は思案に耽りすぎて、適がフードを外したのに気が付けなかった。

希の視線を辿り、そこに見える赤に、適の喉が掠れた音を立てた。


「………だよ、あれ」

「臨君、」

「あれ、血、だろ?何で………」


うわ言のような口調とは逆にしっかりとした足取りで、適は血の痕へ駆け寄る。

希が適の腕を引いて止めようとするが、力が足りず逆に引きずられる。


窓枠に手をかけ適は下を覗こうとする。希は咄嗟に手を伸ばして、適の目を覆った。


「離してくれ!希!」

「駄目だ」 

「何で」

「夢に出るぞ」


その一言で理解してくれたらしい。

抵抗をやめた適は、震える声で希、と呼んだ。


「……………死……ん、でる、のか……?」

「…ばらばらにされて死んでる」

「…………そんな………」


壁に背を預け、適はずるずると床に座り込んでいく。

見開かれた目は混乱と絶望を浮かべていた。


服装からして死体は皆警察官だろう。適の友人ではなさそうだ。

けれどそれが今、なんの励ましになるだろう。


こんなことになるなら、無理にでも追い返しておくか、安全なところで待っていてもらうべきだった。

己の判断の甘さに、希は唇を噛んだ。


「適………」


何とか声をかけようと試みる希の声を、発砲音が遮る。

俯いていた適は、銃に手をかけ顔を上げた。


「今の、銃声か?」

「多分」

「――………ざけんな」

「適君!」


希の制止を振り切り、適は弾かれたように駆け出していく。


適を追いながら、希は密かに眉をひそめる。

嫌な匂いがする。血の匂いだ。間に合うだろうか。

せめて、適だけは守らなくては。


やがて視線の先に、黒い服を纏った連中が円になって何かを囲んでいるのが見えた。


この距離なら、投具は十分当てられる距離だ。 

希が構えようとした矢先、適が天井に向けて銃を撃った。


円の中心を見下ろしていた連中が一斉に適達を見やる。

適と希は円の中心に蹲っている相手を見た。


シャツを破られ両腕を縛られた女性は、怯えた目でふたりを見つめてくる。

銃を構え直し、適は男たちを睨んだ。


「その人から離れろ」

「は?何だよお前」

「離れろって言ってるだろ!」


同じ制服を纏いながら自分達に銃を向ける適に、男達は困惑の表情を浮かべる。

しかしその表情はすぐに敵意に変わった。

元々利益で繋がった者同士。仲間意識など、ないに等しい。


「何だか知らないが、邪魔すんなよ。殺すぞ?」


武器を振り上げ、男達が詰め寄ってくる。

咄嗟に引き金を引こうとした適の手を、希が掴んだ。

目を見開いて希を見やった適を、希の分身であり半身である人ならざるもの―トリックスターが抱えあげ、希と同時に後ろへ跳んだ。


「ありがとう、スター!」

【どういたしまして。ついでにあいつら殺す?】


男たちを指し、トリックスターはこともなげに言う。慌てて希は首を横に振った。


「あとはやるから大丈夫」

【分かった、気を付けてね】


にっこりと笑って、トリックスターは希の中へ戻る。


見えない何かに掴まれたと思ったら勝手に後ろへ下がらされ、適は目を白黒させていた。その適の肩を叩き、希は言葉少なに告げる。


「こっちは俺が。君はあの人を」

「だ、駄目だ!」

「⁉何で!」

「お前怪我人だろうが!」


まっすぐ希を見つめて言い放つ適に、希は言葉を失った。

目を丸くして見上げてくる希を背に庇い、適はコートから警棒のような武器を抜く。


「さっきから庇われてばっかりだし。借りはちゃんと返さないと」

「適君………」

「大丈夫、大丈夫だから。俺も、実は強いんだ」



強張った表情で、適はぎこちなく希に笑いかける。震えているくせに、足はしっかりと踏ん張っている。

その姿の、なんと勇ましく、優しいこと。


ああ、だからこそ。

彼に人を傷つけさせたくない。




男等に足と、脇腹を殴られ、適が床に倒れる。

その適に向かって、鈍く光るナイフが振り下ろされた。

希の前へ踊り出た希は、それを掌で受け止めた。


「な………」 

「希!?」


柄に引っかかるまで深く、自分の手でナイフを受け止めた希に、適のみならずそこにいた全員が固まる。

目の前の男を蹴り飛ばして下がらせると、希は適を振り向いた。


「適君」

「何……」

「こっち、使って」


適のコートから引き抜いたのは、催涙スプレー。これなら適の危険は少なく、相手に必要以上の怪我も負わせる必要がない。


希の意図を汲んでくれたのか、適は希に頷いて返すと、スプレーを噴射した。


「うわっ!?」

「ぁ、目、あああ!」 

「テメ……ぅああっ、」  


霧状の催涙スプレーをまともにくらい、男たちは目を押さえて身悶える。

目を真っ赤にして涙を流す様に、適は顔を青ざめさせた。


「やりすぎた?」

「大丈夫。それより、あの人を」

「う、うん」


不安げに男達と、希とを見やりながら、適は倒れている女性に駆け寄る。

男達を気絶させ、手に突き刺したナイフをおざなりに引き抜いてから、希も適の後を追った。


床に倒れたままの女性を、適が抱き起こす。


女性の身体には擦り傷や切り傷、殴られたような痕がいくつもあった。

唇も切れて血が滲んでいる。長い髪もぐちゃぐちゃに絡まっていた。


「もう大丈夫だからな」

「ぁ………ぁ、ぁ、イヤぁ……」

「落ち着いてください。俺達は貴方達を助けに来たものです」

「とりあえず、これを。嫌だろうけど」


適と希は、自分が着ていたコートとジャケットを女性に羽織らせる。

身体を震わせ、表情を凍りつかせたままコートを受取った女性は、それを羽織るなり意識を失った。



閉じられた瞼から涙が溢れ、赤く腫れた頬を滑る。

応急処置の準備を始めようとする希の手を、適が掴んだ。

 

「適君」 

「手当、させてくれ」

「………お願い」

「うん」


希の手を両手で包み、臨は包帯を巻いていく。

自分の血で汚れていく適の手を、希はじっと見つめていた。

怒っているようにも、泣きそうにも見えるその表情に、希はどう声をかけたら良いか分からず目を泳がせた。

張り詰めた空気の中、適が漸く口を開く。


「何なんだよ、これ」

「…………」

「絶対おかしいだろ、酷すぎるだろ、こんなの。何でこんなことができるんだ」

「適君……」

「こんなの………自分の勝手で人を傷付けるなんて……殺すなんて、絶対許せない」


適に触れようとした希の手が、空を掴む。

背後から撃たれた人間の表情を浮かべた希に、俯いていた適は気付けなかった。


「何なんだよ。何で人殺しなんて出来るんだよ、何で平気で人を傷つけられるんだよ。分かんねぇよ」


堪えきれずに、適の目から一粒、涙が落ちる。

希は感情のない表情で、それを見つめていた。

適に聞こえないように、希はひっそりと息を漏らす。


適の言葉は、とても正しい。


人が人を傷つける、人が人を殺す。そんなことはおかしいし、あってはならない。

希だって、罪のない人々が、殺されることも、殺す側に回ることも、あってほしくない。血の匂いなど、肉を貫く感覚など人の死にゆく感覚など、濁った目に満ちる怨嗟など、誰も知らなくて良い。



適の言い分は正しい。


正しいからこそ。自分は、彼の手を掴んでいてはいけない。




「適君。その人を連れて、先に帰っておいてくれないかな」 

「え?」

「君の友人は、必ず君の所に帰すから」


淡々と告げて、希は適の手を振り払い立ち上がる。

包帯の巻かれた手は、問題なく動いた。


背を向けて立ち去ろうとする希の腕を、適が掴んだ。


「何言ってんだよ」

「それ着てれば多分外には出られるだろうし。それか2階に非常用の梯子が」

「希!」


希の肩を掴み、適は強引に、希に自分の方を向かせる。構われることを厭う猫のように、希は身を捩った。けれど適の手はしっかりと希を掴んで、放してくれない。



「そんなこと出来るわけないだろ。今更お前ひとりに任せるなんて……わかってるのか、お前大怪我してるんだぞ?」

「………」

「さっきも言っただろ!お前に何かあったら、家族とか友達だって悲しむんだぞ?」

「適君。放して?」

「何で……」

「それはね」


適の手を払い除け、希はナイフを取り出すとそれを投擲した。

円を描きながらまっすぐに飛んだナイフは、背後から適に銃を向けていた黒服2人の腕を斬りつけ、銃を落とさせる。


「ぁ゛っ…」

「くそっ」

「遅い」


黒服達がナイフを取り出す前に、希は間合いを詰める。

投げた二本のナイフを拾い上げると、希はそれをふたりの右手に突き立てた。


「ぎゃあああああああ!」


響き渡る絶叫に、適はびくりと身をすくめる。

見開かれた瞳の視線の先、希は極めて冷静な動作でふたりの腕からナイフを抜き、今度は足を裂いた。

噴き出した血に赤く汚れた顔で、希は適を振り返る。


「分かった?」

「…………ぇ、」

「俺も躊躇いなく人を傷つけられる人間なんだよ」

「…………―――待、」

「ごめんね」


酷薄な笑みを残して、希は適に背を向ける。

手を伸ばすことも出来ず、適は呆然とその背中を見送った。







階段を上る希を、不意に現れたトリックスターが後ろから抱きしめる。

子供が親に甘えるように、或いは、親が子どもを慰めるように。抱きしめ、頬ずりしてくるトリックスターを、希はそっと撫でた。


「スター」

【……………】

「俺は大丈夫だよ」

【嘘だ】


断言するトリックスターに、希は苦笑するしかない。


【希】 

「うん、なに?」

【俺はいつだって希の味方だからね】  

「うん、知ってるよ。ありがとうね、スター」







催事場にでもする予定だったのか、或いは映画館か、はたまた簡易ホールか。

観音開きの扉を開いた先にあったのは、だだっ広い空間だった。

其処に十数人ほどの人間が座っている。動物の群れを思い浮かべ、希はくつりと笑った。


「よく来たなぁお嬢ちゃん」


最奥に座った男が薄く笑って、希を手招きする。

その男を見やり、希はぱちくりと目を瞬いた。


「お前は確か指名手配されていた男だったな。確か、ソワレ・アリベルディ」

「へぇ、知ってくれてるとは光栄だ」

「そっちの男はブラッドリィ・エリオット」


ソワレの隣に立つ男は答える代わりに笑みを浮かべる。人を見下す、嫌な笑みだ。

ふたりをまっすぐに見据え、希は歩みを進める。周りの男達はニヤニヤと見つめるばかりで、襲いかかってくる気配はない。


「ちょっと聞いても良いかな」

「何だ?」

「この階、見張りが誰もいなかったんだけど。何のつもりだ?」

「何、ちょっとした余興だ」 

「余興」 

「かわい子ちゃんが来てくれたんだ、歓迎しねぇとだろ?」 

「……」


自分が男だと分かっていないのか、分かっていてわざと言っているのか、何にしても不快だ。


「それに、最近俺に逆らう奴等もいなくてな、退屈してたんだよ」

「成程」

「安心しな。なるべく顔は傷付けねぇからよ」

「お気遣いいただかなくても結構。言っとくけど俺は普通に顔面いくよ」


つい苛立ちの滲んだ声に、嘲笑めいた笑いが上がる。 

深呼吸を繰り返し何とか平成を保ちながら、希は室内を見回した。


ニヤついた笑みを浮かべた男たちと別に、怯えたような、希を案じるような目を向けてくる数人の少年、青年達と、女の子達。

恐らく彼等が臨の言っていた、拐われた、あるいは騙された人達なのだろう。


「適君のお友達、いる?」


希の言葉に、ひとりの青年とひとりの少女が反応した。

彼らに向かって、希はにっこりと笑いかける。


「適君心配してたから、帰ったらしっかり謝りなね」


恐らくは二度と会うことはないだろう優しい青年の怯えきった顔が、希の脳裏に過る。

胸の痛みをこらえて、希は精一杯におどけてみせた。



「帰れると思ってるのか?」  


希の言葉に返したのはソワレではなく、傍らに控えていたブラッドリィだった。

嘲るように笑って見せ、希はナイフを構える。


「そう簡単にいくとは思ってないよ。お前とあの男を倒さないとだから……30分くらいかかるかな?」

「やってみろ」


ブラッドリィの手には、メリケンサックとジャックナイフ。接近戦が得意なのだとしたらやりやすい。


振り下ろされた拳をかわし、お返しに蹴りを放つ。約束通り顔を狙った一撃は、紙一重でかわされた。


「「チッ」」



殆ど同じタイミングで舌打ちを漏らし、体勢を整える。小回りが利く希が一足先に構え直し、その場でターンしナイフを振るった。

防御の間に合わなかったブラッドリィの右腕が裂け、血が滲む。

その瞬間、希の右腕にも切り傷が走った。


「――………!」


後ろへ飛び退き、希は右腕を確認する。

服は無傷だ。なのに腕はすっぱりと裂かれ血をにじませている。

ブラッドリィのナイフによるものではない。右手にナイフを持った状態でこの傷をつけるのは不可能だ。

当然外野でもない。投具や銃でつけられる傷でもない。

と、なると―――


「能力者か」


間合いを詰めてきたブラッドリィの頬を、薄く裂く。やはり同じところから血が流れる感覚に、希は目を細めた。


「厄介な能力だな」

「えらく落ち着いてるな、つまらない。大抵の奴は笑えるくらい取り乱すんだが」

「生憎見慣れててね」


くつりと笑って、ブラッドリィの腕にナイフを突き立てようと試みる。

ぎょっと目を見開いて、ブラッドリィは何とかそれを弾いた。


「お前……正気か?」


こちらを傷つければ自分も傷を負う。それを理解した上で、何故躊躇わずに斬りつけてくることが出来るのか。普通の人間ならまず竦んで何も出来なくなるか、仮に反撃をしてきても威力は抑えるはずだ。間違っても、まともに受けていたら腕が切り落とされていたような攻撃など撃てるはずがないのに。

悍ましいものでも見るような眼差しに、希はにっこりと微笑みを返した。


「当方痛みに鈍いもので」  

「っ……なら、感じるまでやってやるよ」


メリケンサックをはめた拳が、希の薄い腹にめり込む。衝撃と共に、希の身体が吹っ飛んだ。


噎せこんだ希の腕をめがけて、ナイフが振り上げられる。

それを受け流し、希は相手の顎を掌底でかちあげた。

勢いのままに両手を床につき、喉を狙って蹴りを放つ。

だがその足は喉に触れる寸前で掴まれた。ミシリと嫌な音が聞こえて、希は顔をしかめる。

右手に持たれたナイフが、触り心地を確かめるように希の足を滑る。戯れに刃先を引っ掻けられ、細かな切り傷が刻まれた。


「細い足だな」

「うるっさいな」

「簡単に折れそうだ」

「やってみな」


フン、と鼻を鳴らし、希は目の前にあるブラッドリィの足の甲にナイフを突き立てた。


「ぐっ……」


力が抜けた一瞬の隙に足を引き抜くと、希は両腕を振るう。

袖の下に仕込んでいた、バーベキューの串のような細長い暗器。使うことになるとは思わなかったそれを、希は指の間に挟み構える。


足の甲に突き立てられたナイフを引き抜くため、ブラッドリィはしゃがみこんでいた。その横面を、希は一切の躊躇なく蹴り飛ばす。


「がはっ……」


完全に転倒させるつもりで放った蹴りだが、ブラッドリィは両手のひらと肩肘を床についた程度で体勢を保っていた。

だが、それならそれで構わない。


「悪いが、痛いぞ」


ブラッドリィが体を起こすより先に、床についた手の甲に、肘に、暗記を突き立てる。


「ギッ、ィ、あああああ!?あ、あ゛あ゛あ!」


唯一自由な右足をばたつかせ、ブラッドリィはひび割れた悲鳴を上げる。

或いはそれは、自傷を微塵も躊躇わない希に対する恐怖の悲鳴だったのかもしれない。

脂汗を浮かべ、劈くような絶叫を上げるブラッドリィ。

その鳩尾を、希は強かに蹴りつけた。


「ぁ――………」


一度痙攣したかと思えば、ブラッドリィの体は力を失い床へ倒れ込んだ。

見開かれた目は白目をむいて、うっすらと涙を浮かべている。


死人扱いする気はないが、希は手を伸ばすと彼の目を閉じてやった。


それから漸く、高みの見物をしていた男に向き直る。

ソワレは特に怯む様子もなく、依然変わらぬ余裕の笑みを浮かべて希を見つめていた。

腕から溢れる血をぞんざいに払い、希はソワレへ手を伸ばす。


「そろそろ夜公演ソワレの時間では?それとも、フィナーレの時間かな?」



希の挑発に、ソワレはくつくつと笑いながら立ち上がる。

側近であろう男を倒された怒りも焦りも、その表情からは見受けられない。悪戯をする猫を見るような目で、希を見下ろしていた。


「そういや聞きそびれてたな。嬢ちゃん、名前は?」

「シルヴィア」

「シルヴィアちゃん、ちょっとだけ待ってくれな」


にんまりと笑って、ソワレが右腕を振るう。

次の瞬間、彼の影が波のように揺れたかと思うと、頭をもたげた。


「……!」


地面から浮き上がったそれは蛇のような形に転じたかと思うと、滑るように床を這っていく。

そして、扉を開けようとしていた3人の黒服に食らいついた。


大蛇に食いちぎられ、残った膝から下だけが扉の前に立ち尽くす。 


睨みつけてくる希に、ソワレは平然と答えた。


「あいつら、逃げようとしてたからな」

「逃げる」 

「あんたがブラッドを倒したもんでビビったんだろうな。そんな腰抜けはいらねぇんだわ」

「部下としても、そんな暴君が上司は嫌だろうな」

「忠実な部下には優しいんだぜ?それと可愛い女」

「へぇ」

「あんたも可愛いからな。優しくしてやるぜ?」

「優しくはしていらないから、おとなしく投降しろ」

「それは無理だな」

「だろうな」


フン、と鼻を鳴らし、希はステップを踏むように後退する。

ソワレの影は既にただの影へと戻っていた。けれど、あれがこの男の能力と見て間違いないだろう。



「魔法みたいな能力だね」


からかうように告げた希に、ソワレは冷静な態度のまま、先程のように腕を掲げる。

ソワレの影が再び波打ったかと思うと、武器を持った複数の人影に変わった。


「変幻自在なのか、厄介だな」


ぐるりと周りを見回す希に、影達が剣を振り下ろす。

その攻撃を回避し、影達の隙間を抜けて、希はまっすぐにソワレに向かう。

ぱちりと一度目を瞬いてから、ソワレはナイフと警棒を構えた。希が振るったナイフを、刃渡りの太いナイフが受け止める。


「お前、普通直球でこっち来るか?あっち構ってやれよ」

「どうしてだ?お前を殺せば終わるのに」


陽動に気を取られず本隊を叩く。それが最短だと言うことは既に知っている、ならば躊躇はない。

醒めた表情で言い放つ希に、ソワレは苦笑を浮かべた。 


「つれねぇなぁ」


希の背後へ迫った影の兵士が、横凪に剣を振るう。

半身を切って紙一重で回避し、希は影の首を切り落とした。


首を落とされた影は泥のように溶け、ただの影へ戻る。

しかしそれも数秒のことで、すぐに再び立ち上がった。


他の影達も、武器を振り上げ希へ迫ってくる。

希の背後に立つ影の頭を、極彩色の手が掴んだ。

折れそうに細く異様に長いその手は、まるで紙でも掴むように、影の頭を握りつぶす。


【希、こっちは俺がやるから本体を】

「分かった」

【それ一本頂戴?】

「はい」

【ありがとう】  


微笑んで希にひらひらと手を振りながら、トリックスターは容赦なく影の頭を潰し、首を引きちぎっていく。

兵士たちが一度、全員影に溶けた。

かと思うと大型の豹のような獣になり、トリックスターに襲いかかってきた。


【鬱陶しい】


希にしか聞こえない声で吐き捨てると、トリックスターは影の背中に飛び乗る。

無防備な首に、先程希から借り受けた暗器を突き立てた。


再び溶けた影は、今度は動かない。

無駄だと悟ったか、或いは何か策があるのか。警戒しつつ、希もトリックスターを呼び戻した。


「ありがとうね、スター」

【どう致しまして!】

「なるほどなぁ。お前もこの力があったわけか。ならここまで来たのも納得だ」


希と打ち合いながら、ソワレは頷いてみせる。警棒をナイフで受け流し、希はソワレを睨みあげた。  


「安心しろ。俺は殺しにスターの力は使わない」 

「は?何で?」

「言ったところでお前には分からないだろう」


冷たい声で吐き捨て、希はナイフを振りかぶろうとする。

だがその手が、希の意思とは無関係に動かなくなった。


「っ!?」

「はは、隙あり」


ソワレのナイフの刃先が、希の腕に触れる。咄嗟に希は床を蹴って飛び上がり、ソワレにサマーソルトキックを叩き込んだ。


「ぐっ………ぁ、」

「………!」


ソワレがたたらを踏み下がると同時に、希の腕も自由を取り戻す。

間合いを開けようとした希の足に、ソワレの影が絡みついた。


「あっ⁉」

「捕まえた」


にんまりと笑って、ソワレが希の腕と腰とに腕を回す。

蹴飛ばしてやりたいのに、足が動かない。初めて困惑を見せた希に、ソワレが愉快そうに笑った。



「無理だって。動けねぇよ」

「何をした」

「別に何も?」


にやにやと笑うソワレの手を振り払おうと、希は上半身を攀じる。


無駄な抵抗だというように笑い、ソワレは希を抱き寄せた。


「なぁシルヴィア。うちに入らないか?」

「寝言は寝てから言ってくれるか」

「そう邪険にするなよ。頷いてくれりゃあ、それなりの待遇は約束するぜ?」

「嫌って言ったら?」


答える代わりに、ソワレのナイフが希の背中を撫でた。


猫なで声で話しかける割には、やることは脅しか。呆れたように、希は息を漏らす。


「答える前にひとつ聞きたいんだが」

「ん?」

「俺に何をしてる?」

「何も?」


へらりと笑ったソワレに顔をしかめ、希は視線を下へ向ける。

動かない足はソワレに踏まれているわけでも、影に抑えられているわけでもない。


(影……そうだ、こいつの能力は影だ)


ならばそこに何かあるはず。

俯いた希の視界に、己の影の丁度足の部分を踏みつけるソワレの足が見えた。


「成程」


ひとつ頷いてみせると、希は心の中でトリックスターを呼んだ。

呼びかけに応じたトリックスターは、希の腕に絡みつく影を引きちぎった。


「形勢逆転だ」

「ハッ、片手だけで何が出来る」

「例えば、こんなことかな」


腕を振るい取り出した暗器を、希は天井に目がけて投げる。

鋭い刃は蛍光灯を割り、部屋を一瞬で暗転させた。



真っ暗になった視界の中、ソワレはつまらなさそうにため息を漏らすと、懐から銃を取り出した。

適当なところに銃口を向け、躊躇いなく引き金を引く。


真っ暗な中聞こえた銃声に、まばらに悲鳴が上がった。


「それで?こっからどうすんだよシルヴィアちゃん?」


室内を歩き回りながら、ソワレはでたらめに引き金を引いていく。 弾が当たって困るものなど、自分以外いないのだ。遠慮も躊躇も必要ない。


「早く何とかしねぇと、お前以外の誰かに当たるぞ?俺は別に困らねぇしな」


動揺を誘う言葉に返事はない。

もしや逃げたのかと不安になるが、扉の音はしていない。


「確かに俺の能力は封じたけど、これお前も詰みだろ?それともこのなかで俺が見えるとか」

「そんなところだ」

「ぇ―――」


背後から聞こえた声に振り返りかけたソワレの首を、希のナイフが正確に掻き切る。


崩れ落ちた死体に、希はやはり抑揚のない声で告げた。


「生憎、明るいよりは暗いところの方がよっぽどよく見えるんだよ」


加えて、明るいところではあまり目の見えぬ身。それを補うためか、聴覚は鋭いと自負している。

そうでなければ、いくら相手の能力を封じるためでも灯りを消したりするものか。

溜息を漏らし、希は血にまみれたナイフを払った。








現地の警官や軍隊の人々が、ビルへ駆け込んでいく。

希に気付いた何人かは希に敬礼をした後、痛ましげに顔を歪めた。


にっかりと笑って敬礼を返し、希は先に進むよう彼等を促す。


後は彼等に任せておけば大丈夫だろう。さっさと帰ろうと立ち上がる希の体は随分と重い。

その理由を思い浮かべかけて、希は自嘲的に笑うと頭を振った。



「ノゾムさん!」

「⁉」


不意に聞こえた声に、希は足を止めて振り返る。

そこには3人の人影が立って、希を見つめていた。


うちふたりは4階のホールで見た顔だ。

そして、もうひとりは。



「助けてくれてありがとうございました」

「ありがとうございました」


青年と少女が、深々と頭を下げる。

その真ん中に立って、適はもの言いたげに希を睨んでいた。

青年が適の背中を叩き、何かを囁く。適は顔をしかめ、ぎゅっと唇を噛んだ。


「………の、希、ぁの、」

「適君」

「、」

「気にすることないからね。正しいのは君なんだから」


憂いも、悲しみも、怒りも感じさせない表情で、希は微笑む。

せの顔に浮かぶのは自嘲と、諦観だ。


目を見開いて、適はそんな希を見つめる。

何か言わなくては。

違うんだと、傷つけるつもりはなかったと、友達を助けてくれてありがとうと言わなければ。

なのに喉は貼りついて、上手く声が出せない。体が冷たくて、頭と心臓だけが熱い。


「希、」

「さようなら。君がもう二度と銃を持つことがないよう祈ってるよ」


伸ばされた適の手をすり抜けて、希は適に背を向ける。


掌を覆っていた包帯はほどけ、生々しく痛々しい傷が見えている。

適を守ってくれた背中も傷が走り、渇いた血を張りつけていた。



「希!待………」


適の声は警察官達の足音に掻き消され、希には届かない。

一度も振り返ることなく、足を止めることもせず、希は消えるように立ち去った。



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勇者の御手は血に穢れ @akamura

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