だい〝にじゅうさん〟わ【あだ名相互承認タイム】
放課後、僕たちはまたしても例の応接室にいた。いつまで自由に使わせてくれるんだろう。でも今のところ『出て行け』、とは言われていない。
「あのさぁ、なんでわたし達ここにいるのかな? なにかするべき予定ってあったっけ?」徳大寺さんが言った。
「暇だから」そう言ったのは僕。身も蓋もない言い草だが。
「ここにいても暇でしょ?」徳大寺さんは問う。
「ここにいなくても暇だからここでもいいだろう」と僕が返す。まあ本来なら勉強でもすべきだけど。
くすくすくすくす新見さんが笑い出している。箸が転がっても笑うってやつだ。ウケをとろうとしてませんけど。
「でも用事があれば帰ってもいいんじゃないの」僕は言った。
誰も帰らない。
「今日は塾は?」そう言ったのは山口先輩だった。言われたのは間違いなく上伊集院さん。
「ありませんけど」
「じゃ、今日は時間あるわよね」
「はい」
「じゃ、か・み・い・し・ゆ・う・い・ん、さんっ。あだ名披露して」
「あぁ、まだ覚えていたんですか?」
「当然っ」
「でもあだ名は自分で名乗るものなんでしょうか?」
「まさか考えてこなかったの?」
「名前呼び捨てでいいですよ。『よしの』で」
「あの〜」と手を挙げたのは僕だった。
「僕、男ですけど呼び捨てでいいんですか?」
この僕の言い草にまたくすくすくすくす新見さんが笑い出している。
「そこまで考えていませんでした」と上伊集院さん。
まあね、そう来ると思ったけど。
「じゃ、はやく考えなさいよ」山口先輩が言った。
しかし自分のことをなんと呼んで欲しいのかを自分で考えるのは非常に難しいのか本格的に上伊集院さんは悩み始めていた。
「じゃあ単純に『吉乃ちゃん』でいいんじゃないかな」僕は言った。しかしまだ上伊集院さんはためらってる様子。やっぱりそれほど親しくもない男子に『本名+ちゃん付け』で呼ばれるのに抵抗があるのかな。
「では——くらちゃんで」上伊集院さんの小さな声。
「え? よく聞こえなかった」徳大寺さんがリピートを求めた。
「さくらちゃんで」今度は大きな声で上伊集院さんは言った。
「どっから来たのよ、その名前?」山口先輩が問い質す。
「『よしの』と言えば?」と上伊集院さんが誘導。
「よしの・ヶ里遺跡?」と山口先輩。
「……」
「はい却下ー」山口先輩、あっさりと!
「どうしてです?」
「本名の名残がまるで感じられないから。まったくの偽名は禁止します」
上伊集院さんは呆然と無言のまま。だけど僕の方は内心ほっこり。だって『ちゃん付け』でいいって言ってくれた。つまり僕がそう呼んでも構わないということじゃないか。『さくらちゃん』、いいと思うんだけどなぁ。
「じゃあ『ういの』または『ういのちゃん』で決定ってことで」山口先輩が勝手に決めた。
「それこそどこから来たんですか?」と上伊集院さんの異議アリ。
「『う』は「上」の字から。『い』は伊集院の「伊」の字から。『の』は名前の一番最後の文字、吉乃の「乃」の字から。全部合わせて『ういの』になるんだけど」
「……じゃあわたしは先輩のことをなんと呼べばいいんですか?」
「先輩でいいけど」と山口先輩。
う〜ん、上級生がたったひとりしかいないと便利だ。
「と思ったけど、親しみが今ひとつだから、『まとめ先輩』でね」と微修正。
「じゃあ、まとめ先輩、他の人はどう呼ぶことになってるんですか?」と〝かみいしゅ—〟、いや、ういのちゃん。
しかし僕自身のあだ名となると——
「自分のことは『今川くん』でいい」
僕はあさっての方を見ながらそう言っていた。複数の女子にあだ名で呼ばれたら玩ばれてるようにしか思えないし。
山口先輩、じゃない、まとめ先輩も敢えてなのか異議は唱えない。
「じゃあわたしは『にーにーちゃん』で」と言ったのは新見さんだった。
「どういう理屈で?」とまとめ先輩。
「わたし、名字も名前も『に』で始まるから」
「ふぅん。それはありね」まとめ先輩が承認してしまった。なんか猫っぽい。
あと、残っているのは……徳大寺さんか。
「徳大寺さん、あなたは?」まとめ先輩が最後の一人を指名する。
『ういのちゃん』に『にーにーちゃん』ね————
「『せいこちゃん』でお願いします」徳大寺さんは言った。僕もそう呼ぶの?
「はい却下ー」山口先輩、じゃないっ、まとめ先輩、えらくあっさりと!
「どうしてです⁉」と徳大寺さん。
「それって名前にちゃんを付けただけだよね」
「いいじゃないですか! 『しんぷる・いず・べすと』ですよ!」
「そんなにシンプルがいいなら『徳大寺さん』で」
「それじゃあいままでと変わってないじゃないですか!」
「意味が変わっているのよ」
「音は同じで意味が違うってどういう意味ですか⁉」
「せっかく『徳大寺』なんて勘違いされる名字名乗ってるのにそれを捨てるなんてばかげていると思わない? こんなにインパクトがあるのに」
「インパクト重視なんですか?」
「『せいこちゃん』よりよっぽどあるでしょ?」
「あくまで『徳大寺さん』で呼び捨ての『徳大寺』ではないってことですよね?」上伊集—違った、ういのちゃんが言った。
「ういの、良いところに気づくよね。そう。せっかく高貴そうな名字を名乗っているのに呼び捨てにしたら価値が半減以下になるから。そこは高貴性を失わないために敢えて『さん』を付けるの。『徳大寺さん』は名字にさんづけで呼んでいるんじゃなくて、これ自体がひとつのかたまりだから」
「今川くんは他のふたりをちゃん付けで呼ぶんだよね——」徳大寺さんが不思議なことを言う。
この時、ういのちゃんが発言した。
「まとめ先輩、『鎌倉!』のふたりはなんて呼ぶんでしょう?」
さっきのふたりをまだ諦めていないってのがこういうトコからも分かる。
「本人がいないからもちろん後回し!」
まとめ先輩あだ名付ける気満々だ。つまり加入を前提をしているってことだけど……どこまでホンキで言ってるのか。
「じゃあ、あまりだらだらしていてもダレるだけだから本日は解散! 家で勉強に励むこと。いい? 卑しくも歴史系の同好会をやっていて歴史のテストの点数が低いなんてユルされない。限りなく満点に近くなるよう、各員一層奮励努力せよっ、以上っ!」
素でこういうセリフが出るんだな。山口せ……じゃなかったまとめ先輩は。
「解散の前にあらかじめ断っておきたいんですけど」上伊集院……じゃなかったういのちゃんが言う。
「もしあのふたりが参加しないのならわたし達も考え直した方がいいと思うんです」と続けた。
なに? この超バクダン発言は? なにをどう考え直すというのだろう? しかし誰も敢えて異議は唱えない。下手になにかを言えばこの雰囲気はもちろん『会』自体がバラバラになるかもしれないという予感がする。それをみんなも感じているということだろうか? 誰か異議を唱えてくれよ。
僕たちは廊下に出、解散した。各員カバンとか身の回りの荷物を取りに行ってしまった。目の前を歩いている最も頼りになる女子に声を掛ける。
「徳大寺さんっ」
くるりと振り返る徳大寺さん。
「今川くんかぁ。そうよねクラスは同じだから歩く方向も同じだよね」
「『徳大寺さん』で良かったよ、呼び方」
「そう? わたし名字が立派で、名前が恥ずかしいのかな?」徳大寺さんは自虐的なことを言った。
「いやっそんなことない。僕が呼ぶとき、僕がさ。名前の方だと呼びにくいっていうか恥ずかしいっていうか、それに『徳大寺さん』って羨ましいんだよ。なんかみんな『貴族みたいだね』って言ってるし。僕もさ『今川』じゃなくて『出』の字一文字足して『今出川』だったら貴族だと勘違いされたのにって」
「貴族? それあんまり良くないよ」
「えっ? そう?」
「だって顔を白く塗りたくって『ホホホホ』とか笑って、『おじゃる』って言うんでしょ?」
「……」
おじゃる、って実はあんまし使ってないって聞いたけど……
「あのさ今川くん、『徳大寺さん』じゃない方、一度言ってみて欲しいんだけど」
えぇっ?
「——コちゃん……」
「聞こえない」
「聖子ちゃんっっ」ヤケで言った。
「うん、なんかいま言った方が良いような気がする」徳大寺さんは言った。
「いま相当ハズかったんだけど」本当に凄く、もの凄く恥ずかしかった。こんなんでドキドキしてちゃ女子とは付き合えないよなぁ。
「まあ仕方ないかぁ『徳大寺さん』で」
「なに言ってんの? 仕方なくないよ。僕だっていままで通り『今川くん』で通るみたいだし、変わらないのふたりだけだよ」
「ふたりだけ——ふたりだけなんだ。そうよね、ふたりだけかぁ————」
「実はヒヤヒヤもんだったんだ。まさか『ウジザネ』なんてあだ名付けられたりしないだろうなって。なまじみんな歴史に詳しそうだから。名字じゃなくて名前の方に一字足すだけで今川氏真になるから。いくら同じく蹴鞠の名手で実はなにげに親近感もあっても、呼ばれるのに『ウジザネ』はちょっと嫌だなって思うから」
「今川くん——ちょっとほんわりした気分が台無し」
「あっ、ごめん」
徳大寺さんはふうっと息をして、
「そんなことより『ういのちゃん』がね、あのふたりが参加しないと、今川くんの希望なんて消えちゃうかもしれないよ」
徳大寺さんにたしなめられた。そんなあだ名のことなんかよりもっと重要なことがあったでしょっ! と言いたいんだろう。
「こんなことを本人がいないとこで言うのはどうかと思うけど——」と断りを入れ徳大寺さんが話しを切り替えてきた。「なんで『ういのちゃん』があのコにこだわるのか、そんな『ういのちゃん』にもやもやするというのか……」
「確かにね」ここについては僕も同意だ。今までの努力もたったひとり(ういのちゃん)の考えでパーになりかねない。
教室に戻りカバンを肩に掛け靴箱のところに行ってみれば、帰る方向が途中まで同じ新見さ……違った、『にーにーちゃん』が待っていた。はにかんだようなその仕草に気づいた徳大寺さんは間髪入れず〝にーにーちゃん〟に声を掛けていた。
「では徳大寺さん。アテプレ〜ベ、オブリガ〜ド」僕は靴を持ちそう言ってふたりの横を通り過ぎた。野暮はしないということさ。女子同士なんですけどね。
こうして金曜日が終わっていく。
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