だい〝にじゅう〟わ【西洋は野蛮です】
「西洋ってのはどこのこと? アメリカ? ヨーロッパ?」山口先輩が先陣切って問い返す。
「その両方でしょう」と上伊集院さん。
「西洋は野蛮でもあり文明でもあると思うけど」山口先輩が答えた。
う〜ん答えになってるようなないような。ともかくまともに答えたくない感が満々だ。
「ではこの中の唯一の男子のあなたはどうです?」
次は僕か⁉ 上伊集院さんは僕に話しを振ってきた。
だけど僕には答えがなんとなしに分かる。現代日本人の一般常識からすれば『西洋は文明だ』で間違いない。しかし敢えてこういうことを訊くからには期待する答えはその逆だ。『西洋は野蛮』になるしかない。少なくともこの場で『西洋は文明だ』と答えたら罠にはまる。
僕は言った。
「西洋は野蛮な文明だ」
たいした理屈も思いつかず無理矢理に折衷させた。果たして上伊集院さんの反応は?
上伊集院さんはくっくっとその顔におよそ似合わないかみ殺したような笑いをしながら、
「みんなひねくれてますね。でも悪くないと思います。いまの質問はね、西郷さんがした話しが元ネタなんです。わたしはこの話しを知って西郷さんのファンになりました。男は外見じゃないですね」
「今の話しの続きはどうなるの?」僕は訊いた。
「昔々西郷さんが生きていた頃ある人が西郷さんにこう力説しました。『西洋は文明だ』と。すると西郷さんは言いました。『西洋は野蛮じゃ』と。しかしある人も諦めません。なおも『西洋は文明だ』と言い続けます。しかし西郷さんの応答は変わらず、『西洋は野蛮じゃ』と返ってくるばかり。これに根負けしたある人は『どうして西洋が野蛮だと決めつけるのか』とその理由を問い質します。そこで初めて西郷さんは答えました。文明とは人間として採るべき道が広く行われている様を指して褒め称えるためのことばであり、建物が立派だとか着ている服が綺麗だとか外観の華やかさを表すことばではない。世の中の連中の言うことときたら、なにが文明でなにが野蛮なのかちっとも分からんぞ。真の文明ならば未開の国に対しては慈愛を基本とし、懇懇と説諭して開明に導くべきところ、そんなことはせず、無知蒙昧の国に対するほどむごく残忍なことをして自分たちの国の利益としているのは野蛮じゃ。と言ったらそのある人はなにも言えなくなってしまいました、というお話し——。」
しかしなぜ上伊集院さんは、両手を広げたり胸の前で合わせたりポーズをつけながら喋るのでしょう?
「——これ、『南洲翁遺訓』という本に書いてあります」そう言って締めくくった。
ポーズはともかく言ってることの中身については『確かにそうかもしれん』という感じがする。僕のショボい知識でも西洋について思い当たることはある。こんなことを言える日本人は今存在していないかもしれない。
「カッコイイですね。カッコよすぎな日本人ですね」
迎合したわけじゃない。率直にそういう風に思ったから言っていた。
「ちなみに本のタイトルが『大西郷遺訓』になってるものもあるけど、わたしは『南洲おじさんの残した教え』っていう意味の方が好きかな。だから『南洲翁遺訓』。あっ、『南洲』ってのは〝西郷吉之助さー〟のことです」上伊集院さんは言った。
なんか言ってることが『歴女』っぽいぞ。
「南洲さんについては検索かけたんで僕でも知ってます」と言ったら上伊集院さんはなんと僕に笑顔をくれた。
「でもね——」と、表情を急に沈んだように変え上伊集院さんは語り出す。
「この話し西郷隆盛の話しの中ではかなり有名な話しなんだよね。わたしがこの話しをしかけたら『その話し知ってる』って言って欲しかったんだけど。まあ四人の人にできたからそれだけでもこうして集まって良かったのかもしれないけど」
「それはすっごくハードル高いです。だって大河ドラマでもそれはエピソードとしては取り上げてはいなかったし」と僕が言うと、
「今川さんも見ていたんですね」と上伊集院さん。
なぜか会話が盛り上がりつつあったようなその最中、突然パチパチと拍手の音。音の主は山口先輩だった。
「ほんと、おもしろいコ達が集まったよね。この会悪くないよね——」
たぶん好きな本読んで喋ったりするだけの会だろうけど、僕も悪くないと思う。なんとなくたった一人の男子にも気を使ってくれそうだし。
「じゃ、この五人の名前で先生のところに届けてくるから」と山口先輩が口を開いたとき——
「ちょっと待って」、それを言ったのは上伊集院さんだった。「確かあとふたりいるはずでしょう」と言いだしたのだった。
なるほど、例のリストはこの上伊集院さんも持ってるか。しかし入れるのか? あの『鎌倉!』のふたりを。ここは真実を告げる以外にない。
「その人達なら『いっしょにやろう』と誘ったんだけど既に断られちゃってる」僕は言った。新見さんに下手に答えられる前に僕が反応していた。新見さんは黙っていた。徳大寺さんも、山口先輩も黙っていてくれた。にもかかわらず——
「前に断られたからといってわたし達だけが学校公認の同好会になるのは人の道に反する」上伊集院さんは躊躇いを感じもさせず即座に言い切った。
「……」
正にコントロール不能女子。うえー、西郷隆盛さんのファンはやっかいだな。『人の道に反する』ってことばが実際の人の口から出たの生まれて初めて聞いたよ。
とは言え誰もなにも言わない。さすがに『あいつらは断ったんだから仲間はずれにしてやれ!』などとはこの正論過ぎる正論の前には非常に言いにくい。実は心の中ではちょっとだけ思ってたりするけど。直接断られた僕がなにも言わないんじゃ他人がなお言うわけない。正義感あふれる正統派黒髪美少女のなんと強いこと。
「で、誰があのふたりを誘うの?」山口先輩が訊いた。
ことばに少し毒が入ってますよセンパイっ。
「こいを言いだしたのは、おい、ごわんで、ま、しかたごわはん」
それ言ったの上伊集院さんだった。僕も含めみんなあっけにとられてぽかんとしている。しかし上伊集院さんもたいしたものだった。テヘペロ気味に舌を出し、
「薩摩弁、使えるシチュがあったらできるだけ使おうと思って」などと言っていた。
読めない。完全美少女なのに……しかし敢えて口にする方言喋りについては僕にも心当たりが——
「あぁ、そういうの、はまっていたことがあったな」気づいた時にはそう口にしていた。
しまった! 口が滑ってた。なに変なことに共感してんだ! 僕はっ!
「そういうのって?」とすかさず上伊集院さんに反応されていた。
「いや一種の厨弐病で……」言いたくはないが一旦口にした以上はこの話し、言い切るしかない。
「ワシも土佐弁に細かいことを気にせん豪快さを感じたもんじゃき、いっときよぅ使ったもんぜよ」と怪しげな土佐弁を喋っていた。
「今川くん……ぜったいに土佐弁喋る人=全員坂本龍馬って思ってるよね」と徳大寺さんの突っ込みが来る。やらなくていい! だけど、
「はぃ、そいと似たようなもんでおわす」とにっこり笑って上伊集院さん。
ここに集まってる人って……
「で、上伊集院さん、いつ声かけるの?」山口先輩が話しを元に戻す。
「今日は無理でしょうから明日の昼休みで」
「そう、どんな作戦なの?」
「作戦なんてありません」
「そんないい加減なことでいいのかしら」
どうせ『作戦』など概要に過ぎず臨機応変に変えてやれ、と思ってるに違いないのに山口先輩こだわるなぁ。
「会ってみないとどんな人たちか分かりませんから」
一段落なのだろうか? しかし僕と新見さんはそのふたりに会ってる。なにか言うべきだろうか? まあよしておこう。
「じゃ、そろそろ今日はお開きにしますか」山口先輩が言う。
「そうですね塾もありますし」
え? と凍りついたような僕たち。こんな普通程度でしかない高校でも真面目な人は真面目だという当たり前の現実に初めて遭遇したような。新見さんはよく分からないけどそれ以外の二人(徳大寺さん・山口先輩)は確実に行ってないっぽい。ちなみにかく言う僕も塾になんか行ってないので。なんか見えない壁があるような。
「ところでさ、上伊集院さん最後ちょっといい?」山口先輩がまだ絡んでる。
「なんでしょう?」
「〝かみいしゅういんさん〟って呼ぶとき少し長すぎると思うんだけど、なんて呼ばれたいか考えてきて。四文字以下で」
「え、えぇ」上伊集院さんは慌てたような返事をした。
これで一矢報いた?
僕たちは職員室横の応接室から出た。それを目ざとく見つけた先生が声を掛けてくる。
「五人揃ったみたいで良かったじゃないか」と。
いや、良くはないような。上伊集院さんを除いてみんながみんな変な作り笑いをしていたような。
その上伊集院さんとは職員室前の廊下で別れた。あの二人との交渉は上伊集院さん本人がやるって言ってるからまぁ任せておくしかない。今日はもはや図書館に寄る用事も無いと家に帰ろうと思ったその時、
「今日も図書館だから」と山口先輩が言い始めた。
これには僕がすぐさま反対声明。
「隠れてコソコソなにかやってるなど良くない」
「西郷さんが伝染ったわけ?」と山口先輩。
「そういう人を怒らせると後でたいへんだけど」これは率直な思い。
「まさか今川クン、『顔』で態度を変えてたりしないよね?」山口先輩がどぎついことを言ってきた。やっぱり顔は見て気になりますか。
「誓ってそんなことは無い。なにしろ既に五人揃っているんだ。上伊集院さんがあのふたりの説得に失敗したとしても条件は満たしている。しかしその上伊集院さんを怒らせたら規定以下の四人になっちゃうじゃないか」
山口先輩は少し考える風になり、「まあそれもそうね」と言い、「仕方ない今日は解散で」で締めくくられた。
各自がそれぞれ家路につく。
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