第10話 ヤンデレな後輩の様子がおかしい件

 前回までのあらすじ。

 休日に九段坂くだんざかにサプライズでお化け屋敷に連れていかれた。私はブチギレて九段坂と喧嘩別れした。


 さて、どうしたものか……。

 私は九段坂と仲直りして、彼から借りたハンカチを返す方法を考えていた。

 私が一方的に激怒した状況だったので、私が折れて謝れば済む話かと思っていたのだが、九段坂は出社途中でもいつものように何処からか現れて一緒に会社へ行く、ということもなく私ひとりで会社に着いてしまったし、仕事中も声を掛けようとすると暗い顔で避けられてしまう。これは九段坂を怒らせてしまったのかもしれない。私が激怒する内容だったとはいえ、彼は少なくとも私にサプライズをするために色々と準備していたはずだ。悪いことをしてしまった。

 そんな私を、九段坂はじっとりと湿った眼差しで見つめている。新入社員歓迎会で嘔吐騒ぎを起こしたあと、私が面倒を見るようになるまで、九段坂はあんな暗い顔をしていた。あの頃に逆行したようであった。

 謝りたい。謝って、彼から借りたハンカチを返したい。しかし、彼はそのチャンスすら与えてはくれなかった。仕事中に声をかけても無視するかその場を立ち去ってしまうし、昼休みになればいつの間にかいなくなってしまう。会社帰りに一緒に駅まで帰ることもなくなった。これは本気で怒っている。私は困ってしまった。

「ふう……」

 そんな日が続いていたある日。

 休憩室で缶コーヒーを啜っていると、

「やあ、あかねさん。どうしたんだい、なんだか物憂げな顔をしているけれど」

「社長……」

 偶然やってきたみなもとひかる社長が私に声を掛けた。

「いつもくっついている九段坂くんもいないね。何かあったのかな?」

「実は……」

 私は社長に現在の状況を伝える。

「ははぁ、九段坂くんはどうしようもない馬鹿だね」

「社長、九段坂くんを貶すのはやめていただきたい」

「おっと失礼。しかし、相手の嫌いなものもリサーチせず、怯える君を見たいという我欲のまま、そんなところに連れ込むなんて、神経を疑うよ」

 それはそうなので反論は出来ない。

 社長とは大学時代に親交があったので、私がホラー嫌いなことはよくご存知である。私の弱点を知った社長は、決してそういう施設には連れていかなかった。とてもありがたい。

「茜さん、九段坂はやめて僕にしておきたまえ」

「え?」

「君は僕に婚約者がいると思い込んでいるようだけど、まだ席は空いているよ」

 社長は慈しむような表情で、私の左手を撫でる。

「ずっと、君のために空けてあるんだ。縁談を断るたびに父は恐い顔をするけれどね」

「それは――」

 恋愛ごとにはおよそ鈍感な私でもわかる。アプローチされている。

「……社長には、私よりも適任がいらっしゃいます」

「ほう? 僕は君以上の女性にはお目にかかったことがないがね」

「そんなことはないと思いますが……」

「君は自分を過小評価している。秘書に誘ったときもそうだったがね」

 社長の両手が、私の両手を包み込む。

「君はとても優しくて、聡明な女性だ。そのために九段坂なんて厄介な男も魅了してしまうようだが、それはさておき」

 社長は包み込んだ私の両手の甲に自らの額を押し当てる。

「君にはいつも本気にしてもらえないけれど、何度でも言う。公私共に、僕の隣にいてほしい」

 私は目をぱちくりするしかない。

「――なんて、こんなところでプロポーズもなんだかね。困らせてしまったかな」

「いえ……その……」

 私はなんと返したらいいか分からず、しどろもどろになる。そこへ、

「――……なに、してるんですか……?」

 突然、九段坂の声がした。

 見ると、休憩室の入口で立ち尽くす九段坂の姿がそこにあった。

「おや、もう嗅ぎつけてきたのか。いやはや、君はハイエナ並の嗅覚をお持ちだね」

時子ときこさんに、近寄るな」

 九段坂はズカズカと大股で歩み寄り、私の手首を乱暴に掴んだ。

「く、九段坂くん……?」

 私の手首をそのまま引っ張り、自分の後ろに隠すように私の身体をかばった。こんな強引な九段坂は初めて見たので、私は困惑した。

「俺がいない隙に、時子さんに近寄りやがって」

「立場をわきまえたまえ。誰に向かって発言している」

 社長は冷たい目で九段坂を見下ろす。

「そもそも君が時子くんの嫌がることをするからこうなっているのが分かっているのか」

「うるさい。お前には関係ない」

 九段坂は蛮勇にも社長を睨みつける。前髪の影が目元までかかって、彼の暗い表情を一層引き立てていた。

「時子さんは渡さない……他の誰にも、お前にも!」

「それはこちらの台詞だ。時子くんに乱暴するのはやめたまえ」

 男同士の罵りあいがしばらく続きそうなので退出したいが、九段坂に手首をしっかり握られてしまっているので、身動きが取れない。

「あの、もうすぐ昼休みが終わるのでそろそろ……」

「……チッ。命拾いしたな」

「仮にも社長相手にそこまで吠えられるとは、君は大物になれる気がするよ」

 ギスギスした空気の中、やっと状況が落ち着いたようでホッとする。 

 と、息付く間もなく九段坂が私の手首を掴んだまま引きずるように休憩室を出る。

「く、九段坂くん……」

「……」

 無言の九段坂に引っ張られるままついていくと、資料室に向かっているようだった。

 人けのない資料室に入ると、九段坂は私を壁際に追いやり、覆い被さるように腕で閉じ込める。九段坂の顔が間近に迫っていた。

「なんで、社長と話すんですか。なんでアイツと二人きりだったんですか。何を話していたんですか。なんで俺じゃないんですか。なんでアイツを選ぶんですか。なんで、なんでなんでなんでなんで」

「落ち着いてくれ九段坂くん」

 陰になった九段坂の顔の、目だけが爛々と光っている。それでいて、黒目は泥のように濁っていた。

「そもそも君が私を避けていたんじゃないか」

「…………怒られるかと、思って」

 九段坂はしゅん……と俯く。

「もう怒ってないから、安心していい」

「……」

「むしろ私が悪かった。君は私がお化け嫌いなのを知らなかったし、色々と準備してくれていたのに引っぱたいてすまなかった」

「いえ……俺は……」

「ああそうだ、これ返すよ。ずっと渡すタイミングを探していたのだけれど、借りっぱなしですまなかった」

 私は謝罪のついでに彼から借りていたハンカチを渡した。九段坂は震える手でそれを受け取り、鼻に押し当てて匂いを吸っていた。

「……いい匂い……これが、先輩の香り……」

「いや、普通に洗濯洗剤の香りだと思うが」

 匂いを嗅いでウットリする九段坂に、冷静にツッコんだ。

「……先輩。俺もすみませんでした。先輩の嫌がることをしてしまったこと、本当に反省しています」

「なに、次から気をつければいいさ」

「でも、残念だな……一緒にホラー映画を見たり、俺の家でホラゲーでもやろうかなとか色々考えてたのに」

 九段坂の発言に、ゾゾっと背筋が粟立つ。

「やるなよ、絶対にやるなよ!?」

「ふふ、はい。このプランは破棄ということで」

 必死な私に、九段坂はいかにも可笑しそうにくつくつと笑っていた。

「でも、せっかくですから一度、俺の家に来ませんか?」

「迷惑じゃないかな?」

「大丈夫ですよ。一人暮らしですし、俺は先輩が来てくれたらすごく嬉しいです」

「じゃあ、そのうち」

 私は九段坂と約束を交わした。

「それで……社長と何話してたのか、俺すっごく気になるなあ……?」

「帰りにラーメンでも食べながら話そうか」

 私たちは資料室を出て、和気あいあいと話しながら仕事に戻るのであった。

 当然のことながら昼休みを大幅にオーバーし、上司に仲良く怒られる羽目になる。


〈続く〉

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