小学生の頃の連絡帳

貴音真

生徒から先生への連絡帳

「じゃあ、私はリビングに居ますから帰る時は声かけてください」


 この部屋の主の母親はそう言ってリビングへいった。

 この部屋の主は、一ヶ月前に死んだ。

 正確には、一ヶ月前に死んだこの部屋の主が高校を卒業するまで暮らしていた実家の部屋だ。

 今この部屋にいる僕を含めた四人は友達グループというやつで、何だかんだで小学生時代から二十年近い仲だ。

 一ヶ月前、この部屋の主は突然死んだ。

 理由はこの四人の誰も知らない。

 両親からも理由は聞かされていない。

 僕は一ヶ月前に死んだときもそれを知らないまま葬式にいて、今日もそれを知ることが出来なかった。


「おい、どうするよ?」


「どうするったってとりあえず見てみるしかねえだろ?」


「でもよ?今さらこんなもん見てもなあ…懐かしいというよりもつれえよ……」


 一緒にいる三人が話していた。

 三人は三人ともそれぞれノートを持っていた。

 国語、理科、算数、小学生の頃に使っていたノートだ。

 その他にも社会、自由帳、連絡帳(親用)、連絡帳(生徒用)などがテーブルに並んでいた。


「まあ、仕方ねえよ。おばさん達の顔をたてるってことでさ、見てみようぜ?」


 そう言って一人が国語のノートを開いた。

 国語ノートは几帳面に一行ずつびっしりと文字が並んでいた。

 時折赤色鉛筆で注釈がされている以外には落書きも何もなく、日付も前後することがなく書かれていた。


「あいつ、几帳面だったよなあ…」


 一人が呟いた。

 次は算数のノートだった。

 算数のノートもまた几帳面に行と行を跨がずに数式が書かれていた。ただ、分数だけは二行使っていた。

 図形を描くときには、几帳面に枠を定規で囲って図形専用のスペースが確保されていた。


「算数はいつも百点だったよな…特に勉強もしてねえのにさ。あいつ、何だかんだで頭よかったよな…」


 そう言いながら理科のノートを開いた。

 理科、社会、自由帳、連絡帳(親用)それらのノートは国語、算数と同様に何の変哲もない小学生らしいノートだった。

 そして、表紙に『先生へ』と書かれた生徒から先生への連絡帳を開いたときだった。


「うわっ!?ま、マジかよ…!!」


 真っ先に連絡帳の内容を確認したやつが驚いて声を出した。


「あ?どうした?」


「なんかあったか?」


 他の二人が連絡帳を覗きこんだ。

 そこには生徒から先生への連絡として、こう書かれていた。



【五月二十四日】

体育は、

好きです。

けど苦手です。

手が汚れてしまい、

臭くなります。

だから苦手です。

サッカーは楽しいけどボールが当たると、

痛いです。


【五月二十五日】

一昨日、

とうとう消しゴムを使い切りました。

うんと長持ちしましたが、

最後は小さくて使いにくかったです。な

んでも終わりが来ると気がつきました。

が、新しい消しゴムのほうが使い易いです。

一番最後はわざと漢字を間違えました。

もう最後だとわかっていたからです。

後ろめたさとわくわくがありました。

と言っても、今まで消しゴム

を最後まで使い切ったのは三度目です。

落として無くすことがよくあります。

貸したまま戻らないこともあります。

勝負で負けて取られたこともあり

ましたが、これは親には内

緒にしてください。これからは消しゴムを

大切にします。


【五月二十六日】

落とした消しゴムが見つかりました。

貸したままの消しゴムが戻りました。

仕方ないので三つ筆箱に入れています。

ただ、少し邪魔です。

当たり前だけど、一つで十分です。

と思ったら、貸してあげること

で役に立ちました。

今度からは貸す用にします。先生は

ロケット鉛筆を知っていますか?僕は

知りませんでした。

まさかあんなものとは思いませんでした。

知る前はもっとカッコいいと思っていまし

た。


【五月二十七日(メモ欄)】

白い雑巾、体育着、色鉛筆、判子、ごみ袋、ハサミ、え

んぴつ、二本、大学ノート、算数の宿題、連絡帳、マラソン大会、下敷き、多目的ノート


【五月二十七日】

僕は給食が好きでした。

食うのが好きでした。

腹一杯になると幸せでした。

いつもそうでした。

もしも給食がなくなったら嫌でした。

嘘じゃないです。

特別好きなのはソフト麺

を冷たいスープに入れて食うやつです。い

くらでもおかわりできました。家で

作れないのが残念でした。

ただ、今はそんなに好きではないです。


【五月二十八日】

最近、先生は

忙しいのでしょうか?

手紙は読みましたか?

忙しいのでしょうか?みんな

の助けが必要ですか?

あと、もう何日かかりますか?みんな

に教えてあげますか?

電話しますか?

少し不安です。


【五月二十九日】

今までのことは悪ふざけです。


【五月三十日】


【五月三十一日】



「なんだ?変な改行だな」


「几帳面なわりには連絡帳は雑だな…ああ、そういえばアイツさ、先生が好きだったんじゃなかったか?」


 後から覗きこんだ二人がそれぞれに思ったことを言った。


「ああ、そういえばそうだな。ちょうどこの頃だっけか?俺らとは少し距離を置いて先生とベッタリだったのって」


「そうそう。……でもあの先生はこの連絡帳が書かれなくなった日、この五月三十日の朝方に事故で死んじまったんだよなあ……」


「バカ!お前ら気づかねえのか!」


 最初に連絡帳を見ていたやつが大声を出さない用に注意しながら青ざめた顔で言った。

 こいつは今、謎解き脱出ゲームを開発する仕事をしている。


「あ?なにがだよ?」


「かか、改行だよ!改行されてるところ!全部ひらがなにして読んでみろ!…くそ……やべぇよ……こんなのどうしろってんだよ……くそ…くそ…くそ……」


 そう言われた二人は文字をひらがなにして書き始めた。


【五月二十四日】

たい育は、

すきです。

けど苦手です。

てが汚れてしまい、

くさくなります。

だから苦手です。

さッカーは楽しいけどボールが当たると、

いたいです。


『たすけてください』


【五月二十五日】

お昨日、

とうとう消しゴムを使い切りました。

うんと長持ちしましたが、

さい後は小さくて使いにくかったです。な

んでも終わりが来ると気がつきました。

が、新しい消しゴムのほうが使い易いです。

いち番最後はわざと漢字を間違えました。

もう最後だとわかっていたからです。

うしろめたさとわくわくがありました。

と言っても、今まで消しゴム

を最後まで使い切ったのは三度目です。

おとして無くすことがよくあります。

かしたまま戻らないこともあります。

しょう負で負けて取られたこともあり

ましたが、これは親には内

しょにしてください。これからは消しゴムを

たい切にします。


『おとうさんがいもうとをおかしました』


【五月二十六日】

おとした消しゴムが見つかりました。

かしたままの消しゴムが戻りました。

し方ないので三つ筆箱に入れています。

ただ、少し邪魔です。

あたり前だけど、一つで十分です。

と思ったら、貸してあげること

で役に立ちました。

こ度からは貸す用にします。先生は

ろケット鉛筆を知っていますか?僕は

しりませんでした。

まさかあんなものとは思いませんでした。

しる前はもっとカッコいいと思っていまし

た。


『おかしたあとでころしました』


【五月二十七日(メモ欄)】

しろい雑巾、たい育着、いろ鉛筆、はん子、ごみ袋、はサミ、え

んぴつ、に本、だい学ノート、さん数の宿題、れん絡帳、まラソン大会、した敷き、た目的ノート


『したいはごはんにだされました』


【五月二十七日】

ぼくは給食が好きでした。

くうのが好きでした。

はら一杯になると幸せでした。

いつもそうでした。

もしも給食がなくなったら嫌でした。

うそじゃないです。

とく別好きなのはソフト麺

を冷たいスープに入れて食うやつです。い

くらでもおかわりできました。家で

つくれないのが残念でした。

ただ、今はそんなに好きではないです。


『ぼくはいもうとをくつた』


【五月二十八日】

さい近、先生は

いそがしいのでしょうか?

て紙は読みましたか?

いそがしいのでしょうか?みんな

の助けが必要ですか?

あと、もう何日かかりますか?みんな

に教えてあげますか?

でん話しますか?

すこし不安です。


『さいていのあにです』



 連絡帳(生徒用)には、確かにこう書かれていた。


『助けてください』


『お父さんが妹を犯しました』


『犯した後で殺しました』


『死体はご飯に出されました』


『僕は妹を食った』


『最低の兄です』



「なっ!?」


「嘘だろ…!?」


 二人はそれに気がついた。

 そして、僕は思い出した。

 あの日、親父がまだ幼かった僕の妹を犯した…

 お袋はそれを愉しそうに笑って見ていた…

 僕は狂った様に妹を犯す親父よりも、口にガムテープを付けられて泣きながら効果のない抵抗をしている妹のすぐ横で、それを笑って見ていたお袋が怖くて何も出来なかった…

 次の日の朝、学校に行く時間になっても親父はまだ妹を犯していた…

 学校を休んだ妹は、僕が帰ると既に動かなくなっていた…

 その動かなくなった妹を親父はまだ犯し続けていた…

 その日の夜、お袋は妹を風呂場でバラバラにした…

 お袋はバラバラにした妹を調理して夕飯に出した…

 親父は陰部と耳と目玉とどこかの肉を旨そうに食っていた…

 僕はもう一つの目玉と脳ミソとどこかの肉を食わされた…

 吐いたらそれをまた食わされた…

 吐き気止めを飲まされて食わされた…

 お袋だけは妹を食わずにレトルト食品を食べた…

 そして、五月二十九日…

 先生が家に来た…

 親父は先生を犯した…

 お袋は相変わらずそれを愉しそうに笑って見ていた…

 僕はお袋に命令されて途中から親父と一緒に先生を…

 その日の夜中に先生は親父とお袋の隙をついて逃げ出し、その途中で交通事故に遭って死んだ…

 裸にされていた先生は逃げるときにお袋の服を盗んで着ていた…

 そのせいで、親父とお袋のした事は発覚せずに単なる突発的な事故として処理された…


「そうだ…僕はこの事をずっと忘れていた。だけど、先月家に帰った時にこの連絡帳を見つけて全て思い出したんだ…だから…」


 気がつくと僕はそれを口にしていた。

 僕はそれをはっきりと声に出して言っていた。

 …つもりだった。

 僕の声はその場にいた三人には届いていなかった。

 そう、僕は全て思い出した。

 先月死んだのは僕だ。

 僕は小学生の頃、妹を見殺しにして、言われるがままに死んだ妹を食ってしまった。

 その事で僕は誰かに助けて欲しくて先生を巻き込み、助けようとしてくれた先生をお袋の言いなりになって親父と一緒に…

 それをずっと忘れていた。

 六月一日以降、それまでの出来事全てを忘れてのうのうと生きていた。

 そして、先月になって僕は全てを思い出して自殺した。今さら警察に何か言える筈もなかった。

 お袋は自殺する前の僕の変化に気がつき、その直前に会っていたこの三人に対して僕が何か言っていないか、それが気になって三人を呼び出したんだ。

 くそ…

 また僕のせいだ。僕が三人を巻き込んでしまった。

 せめて、この三人は無事にこの家を脱出してほしい。

 親父はなんとかなるだろう…

 五十過ぎて未だにお袋以外の人間とまともに話も出来ないベドフィリアの変態親父なんて、二十代の男三人がその気になればどうにでも出来る。

 問題はお袋だ…

 お袋は最初からイカれている。

 お袋の異常さも全て思い出した。

 幼稚園に入る前、僕に『可愛いね』と声をかけた近所のお姉さんを階段から突き落として、野良犬をけしかけた事…そのお姉さんは足と肋骨を折って犬に噛まれたり色々と大変な目に遭ってノイローゼになって自殺した。

 幼稚園の頃、僕のフォークダンスのパートナーになった女の子を川に突き落とした事…その子は死体になって発見された。

 幼稚園の卒園式、僕と一緒に写真を撮った女の子が変質者に襲われた時の真犯人がお袋という事…その子は性被害者として親子揃って引っ越し、犯人は近所のおじさんってことになった。

 それだけじゃない。

 僕と関わった女の子達はみんな酷い目に遭っていた。

 小一では同級生二人が性被害と通り魔に遭って引っ越した。小二では同級生一人が眼球に釘が突き刺さって失明した。小三では同級生一人と大人一人が性被害に遭い、大人のほうは自殺未遂をして入院した後に行方不明になった。小四では同級生と教師が一人ずつ薬物中毒で死にかけて後遺症が残った。小五では卒業生の女の子が四人、卒業間際になって性被害に遭った。

 それら全てにお袋が絡んでいる…物的証拠はないが、当時の会話や状況から考えて絶対に間違いない。この年齢になってやっと全てを理解した。全てにお袋が関わっている。

 恐らく、お袋は僕と異性が親しくしているのが嫌なのだと思う。だから僕と少しでも関わった異性は全て憎悪の対象となる。

 そしてそれは、実の娘、僕の妹だって例外じゃなかった…

 あの日、妹は僕に『お兄ちゃん大好き』と言った。それがお袋の逆鱗に触れた。

 その言葉は、僕が自分の夕飯のおかずのハンバーグを一切れと妹の嫌いなニンジンを交換してあげたとき、妹の口から発せられたなんて事のない『大好き』だった。だが、お袋はそれさえも許せなかった…家族同士が当たり前に抱く家族愛ですらも、お袋にとっては憎悪の対象となった。

 そして、ベドフィリアの親父は、まるでお袋からご褒美を与えられた犬のようにそれを行った。

 親父は所詮、変態の小心者だ。ベドフィリアであっても手は出さない。

 親父はお袋の言うままにしか出来ず、自ら進んで行動する事はない。

 でも、お袋は違う…

 お袋はきっと人として異常なんだ。

 人として何かが螺曲がっている。

 だから僕が先生を好きだとわかったとき、僕を親父と先生の行為に参加させた。

 僕にそれをさせることで、僕の抱く先生へのの意識に変えさせるためにそれをやったんだ。

 そして、お袋の思惑通りになった。

 僕はあの日以来、先生への罪の意識からか女の子と目すら合わせられなくなった。

 例えあの日、先生が死なずに親父とお袋の犯罪行為が露見しても、僕は先生への罪の意識から女の子と目すら合わせられなかっただろう…全てを忘れていたのに目すら合わせられなかったのだから間違いない。

 頼む…

 何でもいい。

 この三人だけはお袋から逃がしてくれ。

 僕の人生で唯一無二の友達三人を助けてやってくれ。

 頼む…

 誰でもいい。

 お袋を三人から引き離してくれ。


「…あら、どうしたの?すごく静かねえ。もう一ヶ月経つのだから思出話でもして、盛り上がってくれていいのよ?あの子もそれを望んでいるわ。あなた達みたいな男友達が来てくれてきっと喜んでいるわ」


 お袋が紅茶を持って部屋に入ってきた。

 三人は三人揃ってぎこちない笑顔を浮かべていた。

 頼む…お袋から逃げてくれ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小学生の頃の連絡帳 貴音真 @ukas-uyK_noemuY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ