第13話 vsピエール・ド・デール司教 part1

「えー急遽、七限目、藤本先生の国語の授業を変更することになりました。」


10分の休み時間の終わり頃、担任の池田がやや鼻息を荒くして教室へ入ってきた。

そして、その後から白銀の衣装に身を包んだ老人が並んだ。



「この方は、正岡校長のご紹介でご来校されている、聖職者のピエール・ド・デール司教です。

校長から、是非司教のご講話の時間を作ってほしいとの通達があり、七限目のこの時間を取らせてもらいました。

えー、カトリックの総本山であるサン=ピエトロ大聖堂からお越しになったということですので、くれぐれも粗相のないように。」


池田はそう言うと、大柄のピエールの前、恭しく引き下がっていった。


B組の面々は言うまでもなく嫌そうな雰囲気を醸していた。

副担任であり且つ国語教諭でもある藤本日葵(22)の授業が突然にして変な爺の訓話へと変貌してしまったのだ。


ピエールはゆっくりと教卓の前まで歩を進め、そしてクラスを見回した。

眉を頑なに顰めたその顔からは、彼の厳格な性が見てとれる。



「......法会高校なのにキリスト教かよ。」


ボソッと誰かが声を漏らした。

クラスメイト達は「確かに」といった表情で笑いを堪えていた。

前校長は仏教徒だったのだが、今年入ってきた正岡宗次郎がなんとキリシタンだったのだ。


ピエールはその発言を見逃さなかった。



「誰だ!今発言した主よ、疾く起立せい!」


凄まじい怒号が教室に響き渡った。

突然雷のようにブチ切れた司教に対し、皆苦々しい表情を浮かべている。

また、ヨーロッパ人の風貌をしているのに日本語がペラペラなことにも驚きを隠せない。



そして─────誰も、立ち上がらなかった。



「罵詈雑言を吐き散らし、更には嘘までつくのか......

池田先生、貴方は一体どういった教育を為されているのだ?」



「す、すみません.......私の教育が行き届いていないようで......」


池田が冷や汗をかきながら謝っているのを他所に、ピエールは席の間を闊歩し始め、とある席の前で立ち止まった。


明石秀之だ。



「ひっ......」

明石は顔を真っ青にして机に突っ伏した。

ピエールは確りと発言の主を把握した状態で泳がせていたのだ。

狡猾にも、公衆の面前で断罪するために。



「顔をお上げ下さい。

私は怒ってなどおりませんよ。」


ピエールは先程とはうって代わって微笑みを明石に投げ掛けた。

明石はゆっくりと顔を上げ、まるで救いを求める民のような目をピエールへ向けた。


「怯えているのですね、ええ、大丈夫ですよ。

我らが神は何人も等しくお救いになる。貴方も是非ここへいらして下さい。」


ピエールは丁度明石から見て蛍光灯の光が自分の後光となるような角度で話した。

そして一枚の紙を明石の席に置いた。


「さぁ、皆さん、祈りましょう。

今より私は有難い神のお言葉をこの身に抱くのですから。

皆で祈りましょう。」


ピエールは服から変な布のような物を取り出し、空中で振り回し始めた。


「あぁ、偉大なる我が神よ、私の言の葉に応え給え......」


この時、既に洗脳は始まっていた。

というより、洗脳を受けていることに誰もが気付かない状態、最早洗脳は完了している。


後は単調なフレーズを何度も口に出させることにより、脳に信心を沈着させるだけだ。



「ねぇ池田先生、あの人ちょっとおかしいんじゃない......?」


図太い根性を持つ、いや、悠然と過ごす中でそれを手に入れた人間が居た。

大崎優奈、彼女はいち早く異変を感じ、池田へ声をかけた。


だが、池田は既に虚ろな目をしながらボソボソと何かを唱えたまま一切の反応をしなかった。

大の大人がまんまと術中に嵌まっていたのだ。


そして徐々にクラスメイト達もうわ言のように呪文のような物を繰り返し始め、じきに大合唱となった。


「何なのこれ......皆、一体どうしちゃったのよ......」



一方その頃。



「ん~???

上悠君、何か様子が変じゃない......?」


悠然の隣の席に座っている森明美が起床した。

無駄にデカい胸がクッションとなって非常に寝心地が良いのだろう。


今作の主人公、悠然は真顔で脳チップスを齧っていた。

今日は宮崎勤の脳チップスのようだ。


ピエールの祈りは更に加速してゆき、まるで怪電波のような空間の歪みが教室を満たし始めていた。

底>1の指数関数的に神は確実に地上へ迫っていた。



「ゲッ......空中に散乱した繊維が......」


悠然は、突然顔を歪め......


「ぶえっくしょんっ!!!」


盛大にくさめした。

そして、


「仏説摩訶般若波羅密多心経観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五

蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如

是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼

耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死

亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩垂依般若波羅蜜多故心無

圭礙無圭礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故

得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等

呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

般若~心経~。」


流暢に般若心経を読誦してみせた。



おっと、悠然の変質ぶりに慣れていない方の為に説明すると、くしゃみの後に「チクショー」とか、「あー、クソォ」とか、何らかのフレーズを後に付けるというのが皆様にも往々にしてあるだろう。


そういった感覚で悠然の場合は、くしゃみの後にどうしても般若心経を唱えてしまうのだ。


悠然の般若心経は瞬く間に教室を呑み込み、クラスメイト達を現世へ引き戻した。



「......何の真似だ、貴様。」

ピエールは鬼の形相で振り返った。



「......」


悠然はすました顔で席を立つと、明石秀之の元へ歩いた。


「東京都渋谷区松檮......何がサン=ピエトロだ。

ただの統一教会じゃねえか。」


明石秀之の机に置かれた紙、それは宗教勧誘の物であった。



「貴様......我が神を愚弄するか.......

ぬぅ、ぬぅおぉぉぉ.......

お赦し下さい我が神よ、この我が怒りを七天の裁きに変えることをお赦し下さい......」


ピエールが十字架を天高く振り上げると、法会高校上空にどす黒い雷雲が漂い始めた。


悠然への神による裁きが、今下らんとしていた。

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