第12話 掃除時間に宇宙遊泳をする高校生達

終礼を知らせるチャイムが法会高校全体を包み込んだ。

時は7月上旬。

課は終れども、日は高く。

人間じんかん眼は高かれども、手は低く。


池田博文は教卓で熱心に生徒達へ訓話を行っていた。

終礼の時間には毎回池田の有難いお話が伴う。


その影響で、いつも他クラスよりも十分から十五分程拘束時間が延びる。

廊下から徐々にガヤガヤと談笑の声が響き始め、B組の生徒達の鼓動は焦りを帯びる。


池田はどうやら外山滋比古の話を熱弁しているらしいが、そんなことは毛頭どうでもよく、ただただ『とっとと帰りたい』という思念だけが浮かんで止まないのである。


そんな中、池田の訓話に合いの手を入れるかの如く、パリッパリッと煎餅らしきものを齧る音が断続的に鳴っていた。



「彼の著書である思考の整理学ではな......ん、何だねこの音は......?」


音の正体は言うまでもなく、

今作の主人公、上悠然堂々の菓子食いであった。



「悠然!先生がこうして必死に喋っているのにその態度はなんだ!!」


一つ断っておくと、今の池田は大分丸くなっている。

今も怒鳴りはしたが、それによってクラスの雰囲気が切羽詰まった物となる、といったことはない。



「して悠然、見慣れない菓子だが、何を食っているんだ?」


悠然が食っていたのは何やら灰色のポテトチップスのような物体であった。

袋も黒一色で全く得体が知れない。



「ああ、これはダーマーの脳味噌チップスだ。」



「ダーマー......?」


"脳味噌チップス"というパワーワードにクラスメイト達はドン引きした。 



「ジェフリー・ダーマーだ。

奴から取り出した脳を薄く刻んで塩でパリッと焼き上げた物だ。

俺は内から沸き起こる犯罪衝動を抑える為に、マスマーダー達の脳味噌チップスを常に携帯するようにしているのだよ。

先生も一つ食うか?」



「阿呆!そんなもんいらんわ!!」


池田のキレの良いツッコミが炸裂し、教室の皆は苦笑いをした。




そして池田の長話も終わり、漸く拘束からの脱却を赦される時がやって来た。


だが、壁はもう一つあった。



「えー、本日の連絡は以上。

で、今日の掃除当番は......」



掃除当番。

皆が解放された後、尚も収容所に居残り役務をこなさねばならないという地獄のロシアンルーレットだ。



「一番後ろの列か、悠然、バックれるなよ。」


毎回悠然は掃除をせずに忽然と姿を消してしまうため、池田は念入りに釘を刺した。



起立、そして帰りの挨拶が済む。

机を一斉に後ろへ下げ、最後列以外はそそくさと退散していく。



残された最後列6人は大崎優奈、上悠然、村井歩、森愛美、新田秋夜、榊玲であった。


早速掃除機を手に取ったのはサッカー部新田秋夜であった。


彼は所謂陽キャという奴で、一話で消滅した吉沢の親友でもあった。

早く部活へ行きたいということで迅速に行動を始めたのだろう。


そしてその後を追うようにコギャル・榊玲が黒板を拭き始めた。



「さ~てとっ、6日に一回の仕事、始めますか!」

大崎はぐっと伸びをした。


と、机に突っ伏したまま全く微動だにしない物体Xが視界の端に映った。



「上~悠~!!!」


大崎はずんずんと悠然の側へ歩を進め、彼の延髄目掛けてチョップを放とうとした。

が、一定の距離を超えると、凄まじい反発で弾かれてしまった。



「こいつ......重力場を発生させながら寝てやがるわ......」


大崎が袖を捲し上げて意気込むと、横から柔らかい声がした。



「まぁまぁ大崎さん、上悠君はきっと疲れてるんだと思うよ。

私も疲れて......ふぁ~あ。」


大あくびをしながら大崎を止めたのは森愛美であった。

彼女の特徴はなんといってもその発育の良さだろう。

.......と、フェミさんに怒られるかもしれないが悠然は全く意に介さないだろうから大丈夫だ。



「えぇー、でもそれじゃあこいつだけ狡いじゃん。

村井君、ちょっとそいつ叩き起こしてよ。」



「えっ.......僕.......?

でも、悠然君には恩があるし.......」



「恩?上悠に恩?

そんなバカな、あいつは血も涙もないクソ野郎なのよ?」



「うーん、悠然も疲れてるんだろうが.......」


揉めている三人の元に新田が近寄って来た。

榊は黙々と掃除を続けている。


「仕事は仕事だからな、起こすか。」


新田は悠然の机をガッチリと掴んで、グラグラ揺らした。



「おい!悠然!大変だ!

南海トラフが来たぞ!!!」


中々悪くない作戦だ。

だが、次の瞬間、教室に居た5人の体が途端に浮き上がり始めた。



「えっ......何だコレ!?」


新田が天井に頭をぶつけながら困惑していると、悠然がゆっくりと顔を起こした。



「仕事仕事うるせぇから掃除の代わりにお前らにのし掛かる大気圧と重力を俺が肩代わりしてやった。

ちょっとの間宇宙遊泳でも楽しんだらどうだ。」



「はぁ!?あんたふざけないでよ!!!」



「悠然君~、死ぬ~!!」



「ふわふわして気持ち良いなあ。このまま寝ようかな......」



「ウッソ.......これ、現実に起こってんのかしら?」


そして5人はそのまま宇宙空間まで浮かび上がってゆき、10分程煌めく星々の中を漂った。



そして教室へ帰ってくる頃には完全に心も体もリラックスした面持ちであった。

更に、教室は机や椅子は完全に整っており、塵一つ無い完璧な状態。



「『テセウスの船の部品が全て入れ換わった時、本当に同じ船だと言えるのだろうか。』

言えるに決まってるだろうが。

人間が自然に手を加えて創った人工物はマクロな視点から言えばイレギュラーその物だ。例えそれに劣化という人工物特有の、且つ自然から逸脱した人間の主観的な感想が付与されたからといって何が違おうか。木が朽ちようと、水が枯れようと、自然は同じく廻っているというのに。」


悠然は恍惚とした表情を浮かべて床にへたった5人を眺めながら、ダーマーの脳味噌チップスを齧った。

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