第8話 悠然、遅刻。

朝。


大崎は、胸に込み上げる謎の不安感によってバッと起き上がった。

時刻は7:58。

学校までは大体電車で30分くらいかかる。

つまり、彼女を起床させた不安感の正体、それは遅刻ギリギリの時間に体内時計が上げた悲鳴という訳だ。


蛇腹駅で、8:14の電車に何としてでも乗らなければその後どれだけ走っても朝礼に間に合わない。

因みに、蛇腹駅迄は徒歩15分。

この時点で、大崎は蛇腹駅までの距離、そして駅から学校までの全力疾走を強要されることとなった。


大崎はみるみる内に青ざめた。


龍之介は既に自分の部屋に帰っていた。



大崎は急いで歯磨きを済まし、リビングに出る。

ソッコーで制服を手に取り、着替え始めた。

朝御飯はもう取らない方針のようだ。


その時、肉の良い香りが大崎の鼻腔に入り込んできた。

見ると、悠然がベーコンを焼いていたのだ。

遅刻ギリギリなのに。



「ちょっと、上悠、昨日アラーム設定してくれてたんじゃなかったの!?」


大崎にはアラームさえ鳴れば絶対に起床出来るという自負があった。

今迄も成功率100%で起床してきた。

昨日はというと、自分のスマホはリビングで充電しており、態々それを取って寝室のプラグに付け替えるのも面倒なので悠然のスマホのアラームで起きることにしていた。

悠然が本当にアラームを設定していたなら大崎は今頃電車に乗っているくらいの筈だった。



「ああ。一応アラームには滴る雨の音を設定していたんだが、お前は一向に起きなかったな。」


悠然はベーコンを皿に盛り付けた。

既に目玉焼きとレタスが用意されており、そこにベーコンが加わることで彩り鮮やかとなる。



「睡眠用BGMじゃねぇか......もおー!あんたやっぱり頭おかしいでしょ!逆なのよ逆!」


大崎は靴下を履きながら喚いた。

片足を上げて靴下を履こうとするが、バランスを崩して中々履けない様子。



「あと、悪いけど朝御飯はいらないわ。早くいかないと間に合わない。」


大崎は鞄を持った。

授業の用意は佐藤の家から脱出を決めた日に学校に一色を置くことにしていた。

なので準備の手間は省けたようだ。



「そうか、なら冷蔵庫に入れておくから今日中に食えよ。」



「うん、ごめんね......はぁ、体力持つかな......」


腕時計を確認すると、もう8:04になっていた。

あまり運動は得意ではない。

だが、今まで無遅刻無欠席、大学も取り敢えず指定校を目指しているのでやはり遅刻は絶対に避けたい所だった。



「仕方ないな、蛇腹駅周辺の酸素濃度を0、5%上げた。これで疲れは幾分かマシになる筈だ。」


悠然はそう言うと、レタスにベーコンを挟んで食った。



「流石のあんたでもそれは出来ないでしょ......てかあんたは大丈夫なの?遅刻。」



「ふむ......少しやりたいことがあるから俺は後から行く。」



「そう、まぁあんたは何時もの変な能力を使えば間に合うんでしょうけど......って、早く行かないと.......!!」


大崎は大急ぎで玄関を開け、タッタッタッと駆けていった。

ガンッと扉が勢いよく閉まる音が一回、家の中を駆け巡り、暫くして静寂が訪れた。


そしてその静寂の中、遅刻ギリギリにも関わらず悠々と朝飯を喰うこの男こそが、本作の主人公、上悠然。

静寂の中鳴り響くは、シャキシャキというレタスの咀嚼音。



「ごっつぁんです。」


悠然は手を合わせ、そして箸と皿を洗い場に持っていった。



「さて、俺もそろそろ向かうとするか......ロシアに。」






✝️





「ふぅ、何とか間に合った......」


酸素濃度上昇のお陰か、何とか走り切ることができた。

大崎が机に突っ伏していると、朝礼の放送が入りクラスメイト達がぞろぞろと運動場へ移動し始めた。


(上悠はこのままだと......)


大崎は、3つ席を隔てた所にある悠然の机を見た。

彼はまだ来ていなかった。



「まぁあいつのことだし......」


運動場集合の音楽が流れる中、大崎は悠然の机に近づくとあちこちを物色し始めた。

あの変人が使っている机は一体どんな物なのか無性に気になったのだ。


引き出しの中には、AVのパッケージがはち切れんばかりに納められていた。



「キモッ!!」


大崎はビクッと体を弾ませた後、汚い物でも触ってしまったかのように手を振った。



「優ちゃーん、行くよーー?」


廊下から自分を呼ぶ声ではっと我に還った。

そうだ、悠然と絡み始めたことをクラスメイトに知られないようにしなければならないのだ。

というか、悠然の変質さに夢中になっている自分が恥ずかしい。



「今行くー!」


廊下で自分を呼んだのは仲良しの木島夢乃だった。

彼女も大崎と同じく容姿端麗であったが、それに加えて成績も優秀であった。


大崎が廊下へ出ると男子達が寄ってきた。



「大崎、お前今悠然の席漁ってただろ?付き合ってんじゃねえか?」


冷やかしだ。

けらけら笑いながら話し掛けてきたのは、吉沢達とは一線画する、所謂陰キャ集団という奴だった。

そしてその陰キャ集団を束ねるトップ、明石秀之が大崎の元へ歩み寄った。

明石秀之、黒縁眼鏡を掛けた細身の男で、大崎の気を引きたいのか何かとちょっかいを出してくるのだ。



「何であんな奴と私が付き合わなきゃならないわけ?」


大崎は冷えた目で明石を睨み付けた。

明石がその鋭い視線に一瞬たじろいだ隙に木島が追い討ちをかけた。



「優ちゃんがあんな変な奴と付き合ってる訳ないでしょ!優ちゃんに気安く話し掛けないで!キモい!」



(変な奴......ねぇ.......)


木島はそういうと苦笑いする大崎の手を引いて階段を降りて行った。


そして取り残された明石と陰キャ集団はしょんぼりした顔で俯いた。






「昨今はコロナウイルスで戦々恐々としておりますが、諸君らは慈悲心を持って感染防止に努めて下さい。マスクをすることは、自分だけでなく友達やその友達の家族を守ることにもなりますので......」


今年新しく入ってきた校長が朝礼台で訓話を行っている。

全校生徒はクラスごとに分かれて一列に並んでいた。


出席番号順に一列に並んでいるので悠然は大崎の少し後ろにあたるのだが、彼はまだ来ていなかった。



そして15分程校長が喋ると、朝礼は終了した。



教室へ帰る途中に正門を横切るのだが、悠然はそこに居た。

何やら遅刻当番の教師と揉めているようだった。



(むー、滅茶苦茶気になる......)


あの変人は遅刻の理由をどう説明するのか凄まじく気になった。

だが、すぐ横をクラスメイト達が歩いているし、悠然の所に寄ることは出来ない。


だが、沸き上がる好奇心に根負けし大崎は隙を見て列から飛び出した。



そして悠然の元へ駆け寄った。

すると、遅刻当番の教師が振り返り大崎を見た。



「何だね、君は。」



「いっ、いや~その人に用事がありまして......」



「今指導中だから少し待っていてくれ。」


中年の教師は少し苛立っているようだった。

そして再び悠然と向き合った。



「で、もう一度訊くが遅刻した理由は何だ。正直に答えてくれ。」



「何度も言わせるな。ロシアで時間軸の実験が行われ、この世界から5分という時間が消え去ったんだよ。」



「こっちは真剣に訊いているんだ。剰りふざけているようだと君の担任の池田先生に報告させてもらうぞ。」


B組担任の池田博文、聞くところによると校内ではかなり偉いらしい。



「ぶっ、」

(時間軸の実験って......w)


後ろで聞いていた大崎は、やはりこの男は頭が少々おかしいんだなとニヤニヤしていた。



「延着なら延着、寝坊なら寝坊、正直に答えるんだ!」



「だからロシアで......」



「証拠はどこだ!そんな馬鹿みたいな話、理由になるか!」


教師は声を荒げた。

そりゃあ無理もない。



「証拠か、ならば......」


悠然が手を翳した瞬間、悠然に向かって叱咤していた教師が一瞬の内に消えた。


この間も悠然は表情一つ変えなかった。



「ちょっ、ちょっと上悠、何したの?あの人、大丈夫なの?」


途端に静まり返った正門に一人突っ立っている悠然の元へ駆け寄った。



「証拠を見せろと五月蝿いから一時間前の世界に飛ばしただけだ。彼は少なくとも"この"世界からは消滅したな。まぁ何時か拾ってきてやるよ。」



そう言えば、悠然はロシアに一度立ち寄っていた。

というのも、ロシアの人気AV女優の握手会が開催されていたからだった。

この男の行動基準は基本的にAV女優である。


少なくともこの男の中ではAV女優の握手会>ロシアの時間軸の実験>学校の遅刻だった、というお話でした。


ちゃんちゃん

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