第6話 夕餉の妙技

気付けば時刻は7:00前。

悠然の家に来て30分程時間が経っていたが、体感はもっと少なかった。

やはり同世代の男子の家に入るとなると、緊張してしまう。


悠然の広い家をこの30分で色々回った訳だが、殆どの部屋が整然とした新築を思わせる景観であった。


その間、悠然は制服から着替えた後はずっとリビングでパソコンを弄っていた。



「ねぇ、ずっと触ってるけど、一体何をしてるの...?」


悠然に貸して貰ったダボダボのTシャツを着た大崎優奈は、後ろからパソコンを覗きこんだ。

画面には何やらカラフルな線グラフと、断続的に増減する数字が映し出されていた。


「投資だ。」


悠然は画面から目を放すことなく言った。


だが、画面のグラフは急降下している。

大崎も齧るくらいは知っていたので、普通はこんな下降線を辿っている所に投機するのはダメなのではと感じていた。


「投資って、画面を5個も6個も並べてやってるイメージがあるんだけど、1画面で大丈夫なの?」



「残りの情報は俺の頭の中にあるから問題はない。」



「株価がどんどん下がってるような気がするけど、そんな所にお金を出して大丈夫?」



「可哀想だから出資してやっているのだ。だが、意外にもこういった理由で放った金は膨れ上がることが多い。」


そう言うと、悠然は二百万投入した。



「......ふぅ、これで一段落か。後はどんな雛鳥が孵るかだ。」


悠然はすっくと立ち上がり、大崎の方を向いた。



「大崎、舌を出せ。」


突然、悠然はそう口走った。

大崎はぽかんと呆けていたが、すぐに顔を爆発させた。



「えっ、なっ、何、何言ってるのよ!......そう言うのはまっ、まだ早いっていうか......」


顔を真っ赤にして慌てる大崎を余所に、悠然はゴム手袋を手に嵌めた。



「何を言っているんだ。ただ、確認したいことがあるだけだ。」


悠然は何時ものすました顔でそう言うもんだから、もしかしたら病気とかそういった大事なことかもしれないなんて大崎は一瞬考えてしまう。


そして、目をじっと閉じ照れながらも、舌をペロリと出した。

すると、指で舌を掴まれる感覚が大崎を襲った。


恐る恐る目を開くと、悠然は手袋を嵌めて大崎の舌を掴みながら、舌をまじまじと観察していた。



「ひょ、ひょっと、はふはひいはら、やめへよ!!」


大崎は少し桃に色づいた唇から吐息を漏らしながら抵抗した。

すると悠然は満足したのか、舌先を摘まむ指を放した。



「成程、概ね判った。」


そう言うと悠然は台所へ歩いて行き、飯の支度を始めた。



「何であんなに余裕なのよ.......同じクラスの女子をこれから家に泊めるっていうのに......何か私一人だけ勝手に緊張して、バカみたいじゃない」



気付けば、もう夕飯の時間だった。 

ちらりとフライパンの上を覗くと、豚肉が踊っていた。

机にはちゃんと二人分の肉が用意されている。



「え......上悠、私も食べていいの......?」



「お前みたいな傲慢な女からまさかそんな文句が飛び出すとはな。食いたければ食えばいい。その代わり、風呂入れろ。」


悠然は冷蔵庫からタレを取り出し、フライパンの上に流し込んだ。

その瞬間、めちゃくちゃ旨そうな匂いが部屋を満たした。



「......うん。」


大崎は、長い廊下を歩きながら考えていた。

前に一週間泊めてもらっていたオッサンはろくに飯も食べさせてはくれなかった。

物を乞えば必ず代価を求めてくる男だった。


だから、大崎はスーパーの試食や、学校でのちょっとしたイベントで貰えるお菓子等で何とか腹を満たしていた。



「あいつ......意外と......」


大崎ははっと我に還り、首をぶんぶんと振った。

違う、悠然はただ何事にも執着が無さすぎるだけだ。

決して優しさなどではない。


自分自身どころか、金や美少女にまでも全く執着が無いのだ。

本能的に欲するべき所を、あの男は完全に封殺していた。



「うわ......広っ」


浴場は銭湯かと思うくらい無駄に広々としていた。

本当に一人暮らしの為にこの家を買ったのか?と大崎はつくづく疑問に思ったのであった。


取り敢えず、真ん中の手頃なサイズの浴槽にだけ水を溜め、大崎は引き返した。


自然と足取りが速くなっていく。

一週間の時を経て、遂にちゃんとしたご飯にありつけるのだ。


リビングの扉を開くと、正に涎が止まらなくなる程に良い香りが押し寄せる。

部屋の中ではこれまた大きい机に悠然が座っていた。

机には輝く生姜焼きを盛り付けた皿が二つ配膳されていた。

悠然はもう食い始めている。



「う......」


大崎が嗚咽を漏らすと、悠然は顔を上げた。

訝しげな表情をしている。



「う......」



「旨そぉぉぉぉ!!!いっただっきまーす!!!」



次の瞬間には欲望を抑えきれなくなった大崎が皿に飛び付いていた。

光沢のある豚肉を口に入れると、それはもう感動的な程の旨味が広がる。

程よい温度、厚さ、噛めば脂身から肉汁が吹き出、最高の風味が鼻を突き抜ける。

絶食から解放されたという補正だけではない。


この生姜焼き、マジで信じられない程美味しい。



「随分旨そうに食うな。」



肉と白飯を平らげた悠然が生姜焼きにがっつく大崎を正面から見つめる。

すると大崎は少し顔を赤くして手を止めた。



「コホン、確かに、上悠にしては上出来な方ね。」


大崎は言い終わる間もなくまた豚肉を忙しなく口に運び始める。



「そら旨い筈だ。お前にとって最高の条件でその生姜焼きを作ったからな。」



「えっ、どういうこと?」



「お前の舌を観察した時にその形と味蕾の位置を把握した。薄い豚肉は口に入れた時に裏側が舌にまとわりつくように載っかるんだが、お前の場合、味蕾一個を一単位として第1象限にお前の舌を置いたと仮定し座標(0<x<37,0<y<213)で表すと大体(x,y)=(12,96)、(13,120)、(24,89)、(24,131)を頂点とする四角形の中に、旨味を感じる味蕾が集まっていた。」



大崎はこの時点で悠然の話を真面目に聞くことを諦めた。

まあ何やら凄いことを話していることだけはわかった。



「その旨味を感じる味蕾の集まる部分に丁度タレの集中した部分が載っかるように味付けの濃淡を調節した。後は、お前の概ね綺麗な形の舌にフィットするように焼きながら肉の形を整えた。」



「ふーん、何かもう凄いという感想しか出てこないわ。ご馳走さまでした。」


そして大崎は一瞬で皿の上に盛り付けられた生姜焼きと、サラダ類を平らげてしまった。



「ねえ、何でこんなに親切にしてくれるの?もしかして、何か企んでる?」


大崎は席を立とうとする悠然を呼び止めた。

不気味なくらい至れり尽くせりな状況に違和感を持ったのだ。



「もとよりお前みたいな矮小な存在に何も望んではいない。ただ、さっきも言ったが、やりたいことがあれば勝手にすれば良い。俺は一向に気にしないから。」



「そう......」


もし、今の言葉を普通の人間が発したとすれば怪しさマックスなのだが、今作の主人公、悠然は違う。およそ普通の人間でないことは確かだ。

それは大崎も薄々勘づいていて、恐らくこの男はこの世界自体眼中に無いのだろう。

頭が良すぎるが故に、逆に世界が見えなくなってしまっているのだと。


つまり、そこには低俗な欲望や、狡猾な策略など全く無い、ただ清冽とした思念のみが彼の中に存在しているのだ。


大崎は、そう言った思考のプロセスを踏み、初めて男子に心を開いたのであった。



「お金は大丈夫なの?」



「今の料理でも言えることだが、俺はやろうと思えば何をやっても食っていける。金には困っていない。」


そう言うと、悠然はパソコンの元へ立ち去ってしまった。

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