第5話 招かれた客
黄昏時。
孔雀の羽の如き色彩の空は色を喪つた地上を覆ふ。
淡く茜に照らされし店先のショウウヰンドウを眺むれば、忽ち魔と逢ふらむ。
パチン、パチパチパチン、パチン
肩身を寄せ合ひ乱立する古風な住宅街からは時折ぽぴんを吹く音が、棚引く瑞雲に乗つてやつて来る。
耳奥を心地好く震はすその爽やかな音に意識を落とし乍ら、悠然は家路につひてゐた。
悠然は毎日電車で駅二つを越えて通学している。
最寄りの蛇腹駅までは徒歩15分といった所だ。
常に孤独を好む悠然は勿論一人で通学することを心掛けている。
心掛けてはいるが、約一名登校中に付きまとってくる奴がいるとか。
そいつの話はまた今度にしよう。
「Ski-bi dabby dib yo da dub dub yo da dub dub......」
物静かな住宅街を、ぽぴんのリズムに合わせてScatmanを超高速詠唱しながら歩く男こそ、今作の主人公、上悠然である。
「I'm a scatman(私はスキャットマンだ)!!!」
とノリノリで叫び、192cmの長身を駆使し道の真ん中で踊る。
これがいつものルーティンなのだ。
「a~nd(そして)......」
悠然は華麗にターンを決めて後ろを向くと、電柱の影を指差した。
「Who are you(誰そ彼)!!!!」
「ギクッ......!」
指差した方向から声がした。
ギクッと実際に声に出す奴がその電柱の影に隠れているらしい。
悠然はステップを踏みながら電柱に近づいてゆく。
「やっぱり......一筋縄ではいかないようね......」
そこに居たのは大崎優奈であった。
昼食の時に悠然にコテンパンにやられ、絶縁した筈の彼女が何故ストーカー紛いの行動をとっていたのか。
「何の用だ。」
悠然はいつもの冷静な様相に戻り、低い声で話し掛けた。
「いっ、いやぁ実は......私もここから家近いんだよねぇ......」
大崎は綺麗な二重瞼をパチクリさせながら応える。
「それも嘘か、お前の住所はグンマー帝国辺獄市蛇腹区首塚1丁6番地32号の一軒家の筈だが。」
悠然はすました顔で大崎の住所を暗誦してみせた。
「相変わらずキモいね......
じゃあ、グンマー帝国辺獄市鬼瓦区永楽2丁5番地7号 血の池アパート106号は?」
「佐藤健介、46歳。」
「......はぁ、分かったよ、本当の事を言うわ。」
大崎は神妙な面持ちで話し始めようとした。
が、悠然が機先を制した。
「『今までオッサンの家に泊めて貰ってたけど夜這いされそうになったからお前の家に居候させて欲しい』とでも言いたげな顔だな。」
「そう、だからお願いなんだけど家に......って、何で全部言うの!!」
「お前の唇の震え方で一言目を予測し、更にその奥の舌の準備運動を読み取り文章推測したまでだ。」
そう言うと悠然は踵を返し、歩き去ろうとした。
「ちょっ、ちょっと待って!」
大崎は必死に止める。
「私に弟が居るのは嘘ってあんたはあの時言ったよね?
でも、これだけは信じてほしい。私は今尋常でない程に困ってるのよ。
実は私、家出しちゃって......二週間前くらいから。」
「自業自得だ。ホームレスに段ボールでも借りとけ。忽ち性病に罹患するだろうがな。」
悠然は尚も冷酷な目で大崎を見続ける。
「ちょっと、目の前でこんな美少女が困ってるってのに、あんた助けないわけ!?」
「知らんな、お前を助けるより俺は金バエを助けてやりたいくらいだ。」
悠然は一回りも二回りも小さい大崎を天空から見下ろした。
「そんな......私はどうすれば良いの......またあの汚いオッサンの家に泊めてもらうの......?そんなの耐えられない、嘘って言ってよ......」
大崎はこの世の終わりのような表情をして壁に寄りかかった。
「嘘だ。」
日が沈み掛けている。
悠然は遠くを見つめながらさらっと言ってのけた。
「......え?」
「好きにすればいい。
お前など塵に等しいんだから、俺は一向に気にしない。
その代わり......」
悠然はポケットから小型の録音機を取り出した。
何でこんなのを常備してんのよ、と大崎は思ったが、何も言わなかった。
「いいか、大崎。
『今からこの家の屋根裏に住み着きまーすw』って声高らかに言え。」
「何でよ。」
「犯罪に問われたらそれを提出する為だ。
お前は施しを受ける側なんだからそれくらい協力しろ。」
「......分かったわよ。」
大崎はまるで生放送中の悪ふざけのような体で悠然が言った通りに朗読した。
一応、これをスケープゴートに悠然は弁解することが出来るようになった訳だ。
二人は閑静とした日没の道をとぼとぼと歩いていた。
「はぁ、良かった。
昨日の夜あのオッサンに襲われかけた時に脱出を決めたのよ。」
唐突に身の上話を始めるのがこの女の癖なのか。
「俺も同等かそれ以上の屑だと思うが。」
悠然は前を歩きながら返した。
「ええ、あんたは私が今まで会った中で最低最悪の屑よ。
でも、屑過ぎて逆にその辺は安心感があるっていうか......
だってあんた、私の身体に興味なんてさらさらないでしょ?」
「ああ、全く。
お前はダニと交尾をするか?それと同じことだ。」
「そこまであっさり言われるとなんかムカつくわね......
でも、正直言うとそれくらいキッパリした性格の人の方が幾分かマシかも。」
大崎がクラスの男子生徒を嫌っていた理由。
それは大崎の見た目が故に媚を売ってくることであった。
体育大会でもそう、文化発表会でもそう、行事に限らず男達は少しでも何かで活躍すると、必ず大崎の顔をチラッと見ては競技に戻り、を繰り返すのだ。
此方がその目線に気付いていないとでも思っているのだろうか。
「嫌だったんだよね、あの『俺格好いいだろ』みたいな目。
下心丸見えっていうか。で、その中でも一番嫌いだったのがあんたよ。
ずっとキメ顔で教室の後ろの方にどっかり座って。」
悠然は静かに聞いていた。
こういうのは吐き出すだけ吐かせるのが最も賢い方法だ。
因みにキメ顔で座っていたのはう○こを我慢して肛門括約筋を鍛えている時にそうなってしまうからだ。大した理由はない。
「でも、今日実際に対面してみて考えが変わった。
そりゃ勿論その瞬間は本当にムカついたけど。でも頭が冷えた後良く考えてみたら、あんたが普通の物差しでは到底測れない人間だってことはすぐに分かったわ。」
「ん?俺が変人だと......?
お前は正気か。世界中の人間の平均値が俺だぞ。」
「ほら、もう返答が普通じゃないじゃん。
ふふっ、でもそう考えたら私、無性に気になっちゃって。あんたのことが。」
気付けば、かなり大きい家の前に到着していた。
新築らしく、外見も整然としていた。
「随分と大きい家に住んでるのね......
あと、その、親御さんに了承してもらわないといけないのよね。」
人形のように整った顔が悠然をじっと見つめる。
「安心しろ、俺はとっくに親元を離れて一人暮らしだ。
何せ自分の生活権を誰かに掌握されているのは耐えられないからな。
中学入ったら即行で出ていってやった。」
「へっ、へぇ......」
苦笑いする大崎を背に、悠然は家の中へ入っていった。
大崎も後に続く。
家の中はピカピカに掃除されていて、微かに花の馥郁とした薫風が鼻に触れた。
大崎はこれから始まる新生活へ向け、大きく深呼吸をした。
正直、この先どのような困難が自分を待ち受けているかはわからない。
だが、一つだけ確定していることがある。
それはこの上悠然という男の壊れた倫理観と、謎の安心感だ。
バクバクと暴れる心臓を必死に押さえ、大崎はこの悠然という男との生活に踏み切ったのであった。
あくまで悠然にとってはイエダニが一匹入ってきた程度の些細な出来事であった訳だが。
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