第2話 トイレにて


「あぁ~、糞してぇ。糞してぇ。」


上悠然は教室を出、便所へ急ぐ。

B組の教室を出て階段を下った所に便所がある。

ふと横を見ると、担任の池田と副担任の藤本が居た。

二人は悠然とは逆、上の階へと上がっていった。

まぁ自殺といえば屋上というのがテンプレだからな。


悠然があの状況で大便に行きたいと言い始めた時、クラスメイトは物凄く微妙な表情を浮かべた。

元より悠然という男はこういう奴だということは勿論皆知っていた。

この常識が通用しない感じや、謎の存在感は日々の学校生活においても皆が犇々と感じている所ではあった。


トイレに到着した。

その前に、儀式をしなければならない。


「すぅぅぅぅ~......はぁぁぁぁ......」


悠然は隣の女子トイレに顔を突っ込み、空間内の空気を吸引した。

そして風味を鼻腔全体で味わう。


「ふむ、成程......」


決して変態という訳ではない。

彼が確認したのは今日、生理中の女生徒が居るかどうかだ。

今吸い込んだ空気は少し血の風味がした。

即ち生理中の女子がどこかに居るということだ。

この事実が何を示すかと言うと、今日、女子に絡むと面倒なことになるということだ。

悠然は面倒事を凄まじく嫌う性質があるので、こうして確認する必要があったのですね。


そして遂に男子トイレに足を踏み入れた。

立ち小便用の便器には誰も居なかった。

悠然は徐に制服のズボンのチャックを下ろし、股間に密着するパンツを思い切り引っ張った。


「ひゅぅ、痛たたた......」


悠然は毎日登校前に一発抜くことを日課としている。

朝勃ちの勢いのまま出してしまった方が一日の調子が良くなるのだ。

するとどういうことが起きるか。

パンツがチン先に引っ付いて固まるという事案が屡々発生する。

こうなったら最後、激痛と共に引き剥がさねばならなくなるのだ。


悠然が皮の剥けた男茎の先を確認し終え、個室に入ろうとすると、一つだけ設置されている洋式トイレの扉がしまっているではないか。

他三つは和式だ。

悠然としては絶対に和式で用は足したくない。


「日本の文化に拘るのは結構だが、淘汰されるべき文化も無論存在する筈だ...」


悠然はそう言って鍵の閉まった洋式トイレの扉を無理矢理こじ開けた。

そう、この上悠然という男には大方の常識が通用しない。

鉄の閂が真っ二つに折れ、床に転がった。

そして中に居たのは、今まさに首を吊ろうとしている村井だった。


「じょ、上悠君......」


村井は悲しげな顔をした。

特に喋ったことはないし、吉沢達によるイジメから庇ってくれたこともない。

恐らく、村井はそういった枠組みから逸脱しているこの上悠然という男に何となく憧憬の念を抱いていたのだろう。

そんな淡い気持ちを抱いていた相手に、これから自殺の瞬間を見られてしまうのだ。

村井は何と言ったら良いのかわからず、下を向いて黙り込んでしまった。


「首吊りか」


悠然は顔色一つ変えることなく話し掛けた。

目の前で同級生が首を吊ろうとしているのに全く動じる気配がない。


「うん...」


村井は顔を少し赤らめ、ばつの悪そうな表情を浮かべた。

自殺しようとしている僕をどうぞ罵って下さいと顔に書いてある。


「そうか、じゃあ大便は済ましとけよ。」


悠然はさも当然といった風に言った。

まるで今まで何度も首を吊ろうとしている人に出会い、同じことを言い続けてきたかのように。


「えっ......?」


「当たり前だろ、首吊ったら体内の物が全部出てくるからな。出す物出してからやれ。」


「あっ、ありがとう......」


村井はこれでも上悠然なりに引き留めてくれているのだと感じた。


「何だありがとうって。俺はこの後ここで大便をするんだ、臭かったら迷惑だろ。あと、お前はあっちだ。」


悠然は横の和式便所を指差した。

この男は終始自分の事しか考えないのだ。


「わかった...大便だけでも出すことにするよ。」


そう言って村井は隣の和式トイレへ入った。

悠然もすかさず空いた洋式トイレへ入り、鍵を閉めた。

チャックを下ろす音が静かな室内に響き渡る。


そして暫くすると、チョロチョロと清流の音が聞こえ始めた。

二人はこの排泄音をBGMにして会話を始めた。


「何故自殺という選択に踏み切ったんだ。吉沢か?」


「ううん、吉沢君のことは別に気にしてないよ。実は......僕の推しが......」


村井の声は徐々に嘆きへと変わっていった。

聞くとどうやら、推しの男の娘キャラが死んでしまったらしい。

しかも死ぬ前に輪姦されたとのことだ。

今までそういった描写の全く無い、健全に主人公が順風満帆にハーレムを形成していく話だったのに、いきなり惨たらしい描写が加わり始めたんだと。

で、今後もそんな展開が続くのかと悲嘆に暮れ、挙句この先の人生に希望を無くしたようだった。


「じゃあ恵比須の事は特に気にしてないということか。」


恵比須美夜ハメ撮り事件。

吉沢の狡猾な性格が露呈した一件。

無論、悠然はオチを既に知っていたのではあるが。


「恵比須さんが好きなのは本当なんだ。でも、吉沢君が送ってきた動画の音声はちょっと違和感があったんだ。」


村井は鼻息を荒くして、フン!と一発唸ると、ドバドバドバッと脱腸するレベルで便を放出した。

まるで溜まっていた鬱憤を悠然との会話で晴らしていくかように。


「ふぅ、で、僕が持っていた恵比須さんの声の素材と声紋を比べてみたんだ。じゃあやっぱり吉沢君の動画の声は加工だった。」


実は悠然もそれはとっくに知っていた。

休み時間に吉沢一派がコソコソと集まって動画を作っていたことも。

普通は周りを警戒して教室から離れた場所でそういった密会は行うものだが、基本的に爆睡して休み時間を過ごす悠然には全くの警戒をしていなかったらしい。

で、聞こえてきた音声は、見てくれは恵比須のものそっくりだが機械の手が入ったものとすぐに分かるような代物であった。

まあ、それは悠然だからこそ判別できたのかも知れないが。


恵比須美夜は放送部所属で、給食の時に彼女の心地よい声が校内に響くことがある。

動画の声は恐らくその時の「あんパン」の「あん」を切り抜いて引き伸ばした物だろうことは聴いた瞬間に判明した。

毎度の通り、この上悠然という男には常識が通用しないのだから勿論聴覚も人外のそれであることは自明。


「そうか」


だが敢えて村井には言わなかった。

というのも、こういうことは自分で気付くことが大切だからだ。

自分で相手の狡猾な罠を回避したという実感だけでも、人は気持ちを強く保持することが出来る。


「イリアちゃんが死んだ......か。」


イリアちゃんというのは例の村井の推し男の娘キャラだ。


「うん、僕の一番のお気に入りだった子。あれは最早女の子だよね、上悠君。」




※CAUTION※~この先の悠然の発言はかなり危ないので、苦手な人はブラウザバックを推奨します~










「ロリが死んだのなら悲しむ気持ちも分かる。使う前に死んでしまうのは非常に勿体ないからな。だが見た目が女の子であるだけの男が死んだ所で何ら影響はないし、ましてや男の娘は女性との正当な交渉もしないのだ、子孫を残さない奴が死んでも人類にとって大した損失ではないだろ。」


そう言って悠然は肛門を締め、ブレーキを掛けた。

水面にポチャンと物質が着水する音を出すのは、紳士として頂けない。

さながら飛込競技のように音もなく、柔軟に便は入水した。

そしてすかさずハンドルを回して便を除去する。

臭いが放出されるのもまた、紳士の嗜みではない。


「そっ、そういう問題なのかな......でも、僕はもうあの小説を読むことが出来ない...!あんな描写は二度と見たくない......読みたくても読めないんだ!」


村井は再び取り乱した。


「考えてみろ、小説なんてのは作者の妄想の産物に過ぎないんだ。主人公に感情移入して、或いは登場キャラに陶酔し、話の展開に一喜一憂する。剰えお前はたかが個人の創作物に振り回されて人生を終えようとしている。馬鹿馬鹿しいな。」


悠然は淡々と続けた。

その声には全く心は籠っていない。

これは必死に同級生の自殺を引き留めようとする心に染みる会話などではない。

悠然からすれば大便中の暇潰しに過ぎないのだ。


だからこそ、一人の人間の閉じた心の扉を、強引にこじ開けることが出来るのではないだろうか。

説教の驕りも、恩着せがましさも、お節介でもない、ただの味気ない雑談。

それはデリケートになってしまった村井の心を優しく包み込んだ。


「うん...そうだよね。」


村井はそんなこと知る由もなく、隣で大便をしている悠然が聖母のようにさえ見えていた。


「はぁ、スッキリした......」


村井の個室から水洗の音が聞こえてくる。

村井は何時もより余計に爽やかなこの音を、涙を流しながら噛み締めていた。

そしてケツを拭こうとしたその時、紙が無いことに気付いた。

再び厭世感が辺りを漂い始めた。


「ごめん上悠君、紙が無いからくれると嬉しいんだけど...」


すると、横の個室から一本の縄が送られてきた。

先程村井が用意していた首吊り用の縄だった。


「童貞のまま死ぬのは、種の繁栄の為に活動する生命への冒涜だ。自殺する勇気があるなら、一人でも女を孕ませることだな。人類の為に。分かったなら自分のケツは自分で拭けよ。」


悠然が個室から出ていく音がした。

まるで何事もなかったかのように口笛を吹きながら悠然はどこかへ行ってしまった。

彼が奏でていたのは「暗い日曜日」だった。




「ありがとう上悠君......僕も、君みたいに強くなりたい。だからもう一度必死に生きてみるよ。」


村井は泣きながら縄でケツを拭いた。

ごりごりと尻が削られる感覚がする。

明日から痔確定だろう、でも死ぬよりはましだよな。


そして、トイレには誰も居なくなった。

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