第4節

「クソッ、これは契約外の仕事だぞ!」


「ごめんなさい、おじさま!」


「今度だけだ!」


 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ――。


 二人分の打鍵音が不規則に重なり合って、せわしなく響く。


 プログラムの試験実行は大失敗だった。

 時間軸上に事象が発生し、コンマ1秒も進行する前に「漁師の網」は不審な挙動を見せはじめ、ほどなく――暴走を始めたのだ。

 性質が性質だけに、もしテスト環境の外に漏れだしでもしたら……何が起こるかわからない。火消しも必死になろうというものだ。


「おじさま、仮象データソース、サブミット済み。コンバート追いつく?」


「ああ、間に合うよ。じゃあこちらの試験データはリバートしておく。

 このコンバーターは事象配列のデータも吐き出してるから、整合性を取るのを忘れるな」


「イエス、サー」


「それより穴を見つけた。実質的なメモリのオーバーフローだ。主犯はコイツかも。とりあえず黙らせるが……他にもあるだろうな」


「じゃ、そっちは私が追うね!」


 契約外の仕事。もちろん、悪魔はそんなことはしない。

 今回協力しているのは、私の見立てが甘かったという面が否定できないからだ。

 ガブリエルの制定した仕様はあまりに完璧に近かった。だから私も気を抜いてしまったのだ。

 完璧な仕様などというものは、もちろん存在しないし、そのことを申し分なく理解していたにも関わらず。


 しかし、彼女の前ではそんなことはおくびにも出さない。

 子供の純真さにつけ込んで、言わずに済むことをあえて口に出さずに済ませる。

 これは広義の嘘にあたるかもしれないが、嘘をつくのは大人の特権だし、また悪魔の流儀でもあることなので、特段、心が痛むということはない。



 ガブリエルを起こさなければならない。


 彼女は今、疲れ切って、その辺の雲の切れ端を三つほど集めた即席の寝床で眠りこけている。

 天使や悪魔にとっても、相対的に見れば時間は有限だ。とりわけ天地創造などという、バカみたいに壮大なプロジェクトを遂行しなければならないようなときには。


「ガブリエル、そろそろ時間だぜ」


 彼女は物憂げに目を開ける――半分だけ。そうして寝転がったまま、惚けたような顔。


「ねえ」


 気だるげな表情のまま、ぽつりとガブリエルがつぶやいた。


「『焔の湖に投げ込まれ』……おじさまは何故、堕天してしまったの?」


 即座に、私は(ガブリエルを納得させられそうな)四通りほどの論理的な嘘を思い浮かべたが、実際に口にしたのは嘘というよりはごまかしの言葉だった。


「飽きたから」


 キッとなって、ガブリエルは私を見据えた。そして私の口元に浮かんだシニカルな笑みを見ると、しばらくの間ジットリとした目で私をにらんでいたが、フウ、とわざとらしいため息をついて雲のベッドから身を起こし、作業に戻った。




 近頃の私たちを滅入らせるのは、地獄の悪魔たち――つまりデバッガー――から届くバグ報告の一斉掃射だ。いや、もはやこれは爆撃の域と言って差し支えあるまい。


 なにしろ事が事だ。地獄の納期を守る最後の砦、名高いデバッガー集団である煉獄の悪魔達をフル・ラインで押さえておいたのだが。


 彼らはじつに執念深く、的確で、一切の妥協を許してくれない。徹底したダメ出しに私たちはデバッグ開始初日にしてすっかり自信を喪失してしまった。ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 非人間的でアタマの堅い形而上存在め、などと偏見剥き出しの悪魔観をくさしてはみたものの、とんでもない、彼らは創意工夫にも富んで、あらゆる角度から私たち二人のプログラムを辱めようとしてくる。


「正直に言うわ。煉獄の悪魔って、とっても頼りになるけど、でも。それ以上に。ものすごく。ありえないくらい憎らしいっ!」


「それが彼らの仕事なんだよ。彼らは完璧主義なんだ」


 答える私の声もすっかりしおれていた。


「ウィットに欠けるという弱点を克服したら本当に完璧になれるかも!」


 ガブリエルは音高くエンターキーを叩いた。


 バグ報告は、なんと古式に則って封書で送られてくる。我々のささやかなコスト意識をブッ飛ばすご大層な封筒に、ご丁寧にも蝋と指輪で封印をほどこして寄越すといった案配だ。

 ガブリエルに調達してもらったペーパー・ナイフで封を切ってみれば、風格たっぷりの羊皮紙のド真ん中にデカデカとMF――マスト・フィックス――の文字。

 我々は意気消沈。



『数億年のあたりにワームホール出現の由。 再現度1/4283957248。

 至急、修正されたし。

 追伸:ワームホールに気をつけろ。そこから何が出てくるか、見当もつかない』

 そんな報告が、これまた相当な達筆で書かれている。


「気取ってやがる」


 私は閉口したが、ガブリエルはこのところ彼らのプロフェッショナル・マインドに啓発され始めている節があった。


「悪魔っていうのは、なかなかハイソな形而上存在なのね」


「そう思うなら煉獄を表敬訪問でもしたらいいさ。歓待してくれるぞ。堅苦しい挨拶の応酬の後、最初の意味のある会話はこう――『ところで、進捗はいかがですか?』」


 現に我々二人は封筒の山に埋もれそうだった。


「仕方ない。片っ端から片付けていくか」


「ダメよ! ちゃんと優先度別に分けましょう」


 ガブリエルは封筒の山に突貫し、せっせと仕分けしはじめた。断定――いつのまにやら完全に啓発済み。

 ため息をひとつつくと、私は絶望的な戦いに加勢した。

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