EP.6

 涼太は、のそりと起き上がり、大きく伸びをした。

 水を飲んでぼんやりとしていると、朝日が顔を覗かせ始めた。涼太は、もう一度大きく伸びをして、カフェに向かう準備を始める。

 いつもより早めに歩いたせいか、涼太は、予定よりも早くカフェに着いた。

 涼太は、カフェに入ると、仕事着に着替え、開店準備に取り掛かる。

 開店時間になると、常連客が入って来た。涼太は、「いらっしゃいませ」と声をかけながら、それぞれ好みのコーヒーを淹れていく。


「そういや、マスター。今日の天気は荒れるらしいぞ」

「そうなんですか?」

「俺が見てる天気予報の番組、外れたことが殆どないんだよ。だから、間違いないね。雨漏りに気を付けなよ。ここ、そんなに新しくないだろ?」


 常連客は、心配そうに涼太に話しかける。


「そうですね……。ご忠告ありがとうございます」


 涼太は、にこやかに返事をして、他の常連客のお気に入りのコーヒーをテーブルに持ち運ぶ。

 涼太は、窓の外を見る。外は、少し雲行きが怪しくなってきていた。

 憩いのひと時を満喫した常連客は、天気が変わらぬ内にと、いそいそと帰って行った。

 いつの間にか、店内には涼太一人しかいなかった。外では、雨が強く降っている。

 雨足は、どんどんと強くなっていく。BGMのジャズミュージックも、聞こえにくくなる程の雨足である。

 涼太は、入り口が水浸しになっていない事を確かめながら、カップを拭く。

 突然扉が開いた。レインコートを着た男だった。


「こんなにびしょ濡れですまないが、少し良いかね?」

「いらっしゃいませ。どうぞ、ゆっくりしていってください」


 涼太は、いつもの笑顔で男を迎えた。男はレインコートを脱ぐと、傘立てに置いた。


「他が濡れると良くないだろうから、ここに置かせてもらうよ」

「お気遣いありがとうございます」


 男は大柄で、190センチはあると思われた。無精髭に、眼鏡。髪はぼさぼさで、怪しさ満点の雰囲気を醸し出していた。

 涼太は、微笑みながらメニューを渡す。


「すみません、うちではこれだけしかメニューがないんです」


 男はメニューを開くと、静かにメニューを見つめた。


「じゃあ、ホットコーヒーのブラックで」

「かしこまりました」


 涼太は軽く頷いて、コーヒーを作り始めた。すると、男は涼太に話し掛け始めた。


「コーヒーを作りながらで悪いが、本題に入らせてもらうよ。あんたは、二本立ちする猫からペンダントを貰っているはずだ。あんたに、その猫とペンダントについて訊きたいことがある」


 男はそう言って、グラスの水を飲んだ。

 男の言葉に、涼太は警戒心を抱いた。しかし男は、涼太の様子を気にせず言葉を続ける。


「俺は、あの猫のいる世界に行きたい。そのためには、そのペンダントが必要なのか、それとも、なくても行けるのかが知りたい。そして、ペンダントが必要ならば譲ってもらいたい」


 男は、ぐびりと音を立てながら、もう一口水を飲んだ。涼太は、無言で男を見つめた。


「なぁに、俺はあの世界へ行く方法が知りたいだけだ。そのペンダントが不要ならば、譲ってもらう必要もない」


 男は、目を細めて言葉を続ける。


「あの猫の世界に行けば、俺は永遠に楽になれるんだ。だから、知っていることを教えてほしい」


 男は真面目な顔をして、涼太を見た。涼太は、相手を刺激しないよう言葉を探しながら返す。


「僕は、あの猫とはこの間会っただけで、その猫のいる世界には行ったことがありません。ですから、申し訳ないのですが、行く方法はわかりかねます」


 そう言ってペンダントを取り出すと、男に見せながら話を続けた。


「それから、このペンダントで猫のいる世界に行ったこともありません。だから、行く道具ではないと思いますし、仮に行くための道具だとしても、これをお渡しするわけにはいきません」


 涼太はきっぱりと男に告げると、ペンダントを服の中に仕舞い込んだ。男は呆然と聞いていたかと思うと、絶望的な表情をして、がっくりと肩を落とした。


「そんな……。どうすれば……どうすれば、あの世界に行けるんだ……!」


 涼太は、絶望に肩を落とす目の前の男を静かに見つめながら、コーヒーを男の前に置いた。男は、肩を落としたままカップを見つめる。


「どうして、その世界に行きたいのですか?」


 涼太は、男に質問を投げる。男は、ぽつりぽつりと話し始めた。


「俺がその世界を知ったのは、まだ俺があんたくらいの年齢の頃だ。いつものように、大学の図書館で本を漁っていたんだ」


 男は、どこか遠くを見つめながら話を続けた。


「俺は、こう見えて文学が好きでな。ある日、山崎やまさき 林太郎りんたろうという男が書いた著書を見つけた。その本には、俺が行きたい理想の世界が描かれていた」


 涼太は、話を聞きながら男を見つめた。男は、涼太の思考を呼んだかのように話を続ける。


「最初は、空想の世界だと思ったさ。あの猫に遭遇するまではな……」


 男は遠くを見つめて、溜息をついた。涼太は、どう言葉をかけるか迷い、口を噤んで続きを待った。

 男は、コーヒーを飲み干すと、涼太に話の続きではない言葉をかけた。


「すまないが、二杯目をくれないか? それから、あんたも一杯どうだ? どうせこの雨じゃ、誰も来ないだろう?」

「そうですね……。それでは、頂きましょうか……」


 涼太は、男と自分の分のコーヒーを用意する。雨の音に交じるように、コーヒーがフィルターを通ってカップに落ちる音がする。男も、涼太も無言でコーヒーがカップに落ちる様子を見つめる。

 外の雨の音が大きくなる。どうやら、まだこれからが本番らしい。


「雨……、止みませんね」

「今日は、全国的に線状降水帯ができやすい状態らしい」


 男は、窓の外を見つめた。


「コーヒーはもう少しかかるので、話を聞きながら待ちましょうか」


 涼太は、男に続きを話すように促した。


「そうだな……。俺は、本を読んだ直後は、夢物語だと思っていたんだ。帰る途中までは」


 男は、目を細めて窓の向こうを見つめた。


「いつも通りに道を歩いていると、曲がり角から猫が出てきた。二本足でブーツを履いた猫さ。現実にいるはずのない猫だ。俺も、最初は、目を疑ったよ。本の読み過ぎで、とうとう頭がおかしくなったのかと考えたくらいだ。しかし、目の前にいた猫は、確かに存在した。さっきまで読んでいた世界にいたはずの猫が、目の前に出てきたんだ。俺は、奴に声をかけた」


 男は、懐かしそうに目を細めた。


「あいつはびっくりしつつも、俺の声に振り向いた。俺は、そいつに、尋ねたんだ。『山崎 林太郎を知っているか?』とな。猫は、懐かしそうにこう言った。『あぁ、もちろんだ。彼は、私の大切な友だ』とな」


 カップの音が止んだ。涼太は、カップに乗せたフィルターを外し、カップを持って席に戻った。


「俺は、その言葉を聞いて、あの著者が本当の事を話していた事をそこで初めて信じた」


 男はそう言いながら、目の前に置かれたカップを持ち上げた。


「俺は、猫に尋ねた。『あんたのいる世界が、その林太郎という男の本に書かれていたが、あれは本当にあるのか?』とね」


 男は、コーヒーを一口啜り、カップを置いて、言葉を続ける。


「猫はこう言ってきた『ある。しかし、誰でも行ける世界ではない。あの世界に行けるのは、限られた人間のみだ』とね。俺は、正直、現実に嫌気が刺していてな。どうにか、その世界を行く方法がないか訊いてみた」


 男は、カップを手に持ち、コーヒーの表面を見つめる。


「しかし、猫は教えてはくれなかった。猫がそれ以上を語ることはなかった」


 男は、じっと表面を見つめたまま、無言になった。


「何度訊いても、猫は本当に知らないのか、かたくなに語ろうとしなかった」


 男は、カップをぎゅっと握りしめた。涼太は、静かに続きを待った。


「なんとか行く方法を聞き出そうと思っていたが、急にあいつは、もう行かないといけないなどと言って、慌てて走り去った。慌てて追いかけたが、曲がり角の先に猫の姿はなかった」


 大きく溜息をついて、男はカップをテーブルに置いた。


「俺は、どうしてもあいつのいる世界に行きたい。俺のことを知らない、偏見のない世界で生きたいんだ」


 男は、涼太に縋りつくように言葉を続けた。


「なぁ、あんたは本当に知らないのか? 隠しているだけじゃないのか? 俺は、別にその世界をどうこうしたいわけじゃねぇんだ。ただ、その世界に行きたいんだよ。なぁ、頼む。俺に知っている事を教えてくれよ……。頼むよ……」


 男は藁にも縋るかのように、涼太を見つめた。涼太は、その目に耐えかねて言葉を発した。


「申し訳ありません。僕にも、本当にわからないんです。猫には会いましたけど、その世界には行っていませんし、行く方法も言ってはいませんでした」


 涼太の言葉に、男は肩を落とす。その両肩には、絶望が乗っていた。涼太は、目の前で肩を落としてうなだれる男を見つめた。


「あの……。ところで、どうして貴方はその世界へ行きたいのですか?」


 男は顔を上げず、うなだれたまま身の上話を始めた。


「俺には、家族がいる。優秀な兄弟と、優秀な両親。そして、出来損ないの俺。そんな、出来損ないの俺に、家庭内での居場所はない。家では、カーストに入るどころか、存在すらなかったことにされたさ。俺は、自分の居場所を探そうと、大学進学を機に家を出た」


 男は、コーヒーを啜った。涼太も、つられてコーヒーを啜る。


「しかし、大学でも俺の居場所はなかった。俺にとっての友は、本だけだった。そして出会ったのが、山崎 林太郎の『星降る夜にひとときの願いを』だった。俺には、この世界しかないと思った。この猫のいる世界ならば、俺も誰かと共に生きる事ができるのではないかと考えた。これが俺のすべてだ。お前のような奴には、俺の孤独が理解できるとは思えんがな」


 男は、涼太を鼻で笑いながら見る。


「そうかもしれませんね……」


 涼太は否定せず、コーヒーを啜る。男は、満足したように頷く。男は、涼太の態度に気を良くしたのか、また話し始めた。


「あんたは、人に好かれるのがうまい。それは、この店を見ていてわかった。しかし、あんたの話す言葉は薄っぺらい。なんで、あの猫があんたに声をかけたのかは、正直わからねぇ」


 男はそう言うと、カップのコーヒーを飲み干した。


「そうかもしれませんね……」


 涼太は、軽く受け流して、男のカップを下げる為に立ち上がった。


「さて、あの世界に行く方法を知らないなら、ここに用はねぇ。ごちそうさん」


 そう言って、男は代金をテーブルに置くと、レインコートを取って店を出て行った。


「ありがとうございました」


 涼太は、テーブルの上に置いてけぼりとなった硬貨を見つめた。


「薄っぺらい……か……」


 男の言葉を思い出す。涼太は、元恋人に言われた言葉を思い出した。


「貴方の言葉には重みがない」


 そう言って去って行った元恋人。涼太の脳内を、言葉が巡回する。あの男に言われた事で、元恋人の言葉が急に重みを増した。


「言葉の重みは大事だろうけど、時には程よい軽さも大事だよね……」


 涼太はそう呟きながらも、胸の奥に残るしこりのような違和感を消せず、胸に手を当てて、その手を見つめた。

 雨の音は、変わらず部屋の静けさを強調していた。涼太の心臓は、静かに血液を流す音を繰り返している。

 涼太は、ふとあの男が自分と猫とのやりとりを見ていたことに、今になって驚いた。


「偶然の出来事なのだろうか……」


 涼太は、これも人生という小説に不可欠なエピソードになるのだろうかと考えながら、硬貨を手に取った。


「最近は、不思議なことだらけだな……」


 涼太は、言葉を零しながら、テーブルを拭いた。レジを開け、硬貨を入れる。

 不意に、雨の音が大きくなった。雨が強くなったようだ。


「これじゃ、今日はもうダメかな……」


 涼太は、現時点での清算をする事にした。


「まぁ、こんなもんかな……」


 案の定の売り上げに、肩を落とす。とは言え、あの男が二杯飲んだだけでもましだと言い聞かせた。

 涼太は溜息をつきながら、窓の外の風景を眺め続けた。すると、窓の外側に、見覚えのある猫の顔が涼太の店の中を覗いた。


「あ……!」


 涼太は、慌てて扉の方へ向かう。扉を開けると、あのブーツを履いた猫が、小さな傘を手に涼太を見上げていた。


「やぁ、この間ぶりだね」


 猫は、にっこり笑う。


「そうだね」

「今入っても良いかい?」


 猫は、人懐っこい顔で首を傾げる。


「どうぞ」

「おじゃまします」


 猫は軽くお辞儀をすると、コツコツと床を鳴らしながら店に入った。


「外はすごい雨だ」

「そうだね」

「そして、ここは良い匂いに溢れている」

「そうかい?」


 猫は、大きく鼻から息を吸うと、にっこり笑いながら、傘を傘立てに立てる。


「うん。とっても素敵な匂いだ」


 涼太は、猫に微笑んだ。


「コーヒーかレモネードを飲むかい?」

「じゃあ、まずはレモネードを頂こうかな」


 猫は、そう言ってにっこり笑った。


「かしこまりました。さぁ、そこにかけて待っておいて」


 涼太は微笑むと、猫をカウンターテーブルに案内した。猫は、カウンター席に座ると、辺りを見渡した。


「そう言えば……」


 涼太は、さっきまでいた男の話を猫にした。


「ふむ……。そう言えば、そんな人間もいたねぇ……」


 猫は、少し懐かしそうに目を細める。しかし、その表情はすぐに固くなった。


「だが、彼があの世界に行く事はきっと難しいだろう」


 猫は、真顔で涼太を見つめる。


「どうしてだい?」


 涼太は、猫に問いかける。猫は、少し言葉を考えてから、話を続けた。


「彼はこちら側の人間ではない。前回の彼は、たまたま本によってこの世界の感覚とリンクしてしまったのだろう」


 猫は、慎重に言葉を選んでいるようだった。


「あの世界は、呼ばれた者だけの世界だ。呼ばれていない者が来訪する事はできない。彼が生きている間は、きっと呼ばれる事はないだろう」


 猫は、真顔で涼太を見つめる。


「僕は、呼ばれているのかい?」


 涼太は、猫に疑問をぶつける。猫は、少し目を見開くと、涼太を見つめた。


「君は、あの世界に呼ばれている」


 猫は、じっと涼太を見つめる。


「何故、僕が呼ばれるのだろうか?」


 涼太は、新たな疑問をぶつけながら、レモネードを猫の前に置いた。猫は、不思議そうに涼太を見た。


「何故だって? それは、呼ばれる要素が揃っているからだよ」


 猫は、ナンセンスだとでも言うように、首を左右に振る。

 涼太は、黙って猫を見つめる。猫は、レモネードの入ったグラスを両前足で挟みながら中を見つめた。カランと、氷が音を立ててグラスの中で体勢を崩した。

 涼太は、猫を見つめる。猫は、レモネード口に含むと、顔を顰めた。


「ところで、はちみつか何かないかい? 僕は、この味が少し苦手なようだ」


 猫は、苦笑いをしながらグラスを掲げた。


「少し酸味がきつかったかな? すまない。すぐにはちみつを出すよ」


 涼太は、レモネードのグラスを受け取ると、はちみつの瓶を取り出した。スプーンで掬うと、とろみが蜘蛛の糸のように滴った。


「さて、これくらいでどうだろう?」


 涼太は、猫にレモネードを手渡す。猫はレモネードを受け取ると、一口口に含んだ。猫は目を見開いて、もう一口飲む。


「おいしい……。さっきのものと同じものとは思えない……」


 猫はとてもおいしそうに、一口、また一口とレモネードを飲む。

 涼太は、猫を見つめながら、今更な疑問を投げた。


「ところで……、今更だけど、君の名前を教えてくれないかい?」


 猫は、きょとんと涼太を見つめる。


「あれ? 言っていなかったかな?」

「あぁ、聞いていないな」

「これは、失礼した。僕の名前はツナグ。そう言えば、君の名前は?」


 ツナグは、名乗ると同時に、涼太に名を訪ねた。涼太も、まさか今更訊かれると思っておらず、少し驚く。


「そう言えば、僕も名乗ってなかったね……。僕の名前は、宮田みやた 涼太りょうた。ツナグは、どうして僕に会いに来たんだい?」


 ツナグは、涼太の話を聞きつつ、涼太に来訪の理由を告げた。


「僕は、君をあの世界に呼びに来たんだよ」

「僕を?」

「そう。君は、きっとこのまま、いつもの日常を続けるに違いない。しかし、このままではきっと、君は自分を殺してしまう事になる」


 ツナグは、しっかりとした口調で涼太に話した。


「僕が自分を殺す……?」


 涼太は、ツナグの言葉を受け止めきれなかった。この猫は、“自分を殺す”と言ったのだ。


「それは、未来に自殺するという事かい?」

「自殺ではないよ。『自分を殺す』。つまり、君が君でなくなってしまうという事だ」


 ツナグなりに噛み砕いた言い方で、涼太に告げる。しかし、涼太は言葉を咀嚼できなかった。

 ツナグの意味を必死に読み取ろうと、涼太は質問する。


「自分を殺す事と自殺は何が違うんだい?」


 ツナグは、少し顎に前足を当てて考える。そして、考えながら言葉を紡いだ。


「自殺は、肉体の死を伴う。しかし、僕が言っているのは、肉体は生きている。でも、君の精神は死んでいる状態……、つまり、生きた屍のようなものだ」


 ツナグは大まじめな顔で、涼太を見つめる。涼太は返答に困り、カップを拭く手を見つめた。

 ツナグは、レモネードのグラスを持ち、ぐびぐびと二口分喉を鳴らしてレモネードを飲んだ。グラスについた水滴が、カウンターテーブルにシミを作る。

 涼太は、無言でカップを拭く。ツナグは、涼太の言葉を待ちながら、グラスを回す。カランカランと、グラスが調子よく氷で音を奏でる。

 涼太は、拭いていたカップを仕舞うと、おもむろに言葉を発した。


「僕は、自分の精神を守るために、君のいる世界に行かないといけないのかい?」

「そういうことになるね」


 涼太は考える。あの世界に行くという事は、この店を休業しておくことになる。休業中は、常連客の憩いの場がなくなるということになる。

 ツナグは、涼太の心中を知っているかのように言葉を投げた。


「店のことなら心配ないさ。大丈夫」


 そう言うと、なぜかツナグは「えっへん」と言って、胸を張った。

 ツナグがブーツを履いて、二本足で立って、日本語を話している。こんな面白い事が目の前で起きているのだから、店の一つや二つ。きっと何とかなるだろうと、妙に楽観的になる涼太だった。

 涼太は、ツナグと会話をしながら、ツナグのグラスの残量を確かめた。コーヒーブレイクの準備は、まだ少し先でも良さそうな量が残っている。

 カランッという氷の音が、一人と一匹を、一瞬の無言の沼から引き揚げた。


「僕に見つけられるだろうか?」

「君が見つけられるかどうかは、君次第だ。僕にできるのは、君を見守ることだけ」

「僕次第……」


 涼太は、ツナグを見つめる。ツナグもまっすぐ涼太を見つめる。雨音は、さーっと音を奏でながら、一人と一匹を包み込む。

 涼太は、カップを取り出して、ツナグに言葉を投げた。


「僕は、そろそろ旅支度が必要だね……。さて。旅支度の前に、君に一杯のコーヒーを捧げよう」


 涼太は、コーヒー豆を選んで、コーヒーを作り出す。ツナグは鼻をひくつかせながら、にこりと笑った。


「そうだね。大丈夫、君ならきっと見つけられる。大丈夫だ」


 雨音は変わらず一人と一匹を包み込む。しかしその音は、先程よりも軽やかな音に変わっていた。

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