EP.5

 叶奈は、慌ててツナグを追いかけた。


「ツナグくん待って!」


 ツナグは足を止めて振り返ると、花が落ちない程度に軽くお辞儀をした。


「そう言えば、君にはお礼を伝えていなかったね。ありがとう。感謝するよ。僕は、これをある人間に手渡さなくてはならないから、これでお暇するよ。君は、ここで、もう少しゆっくりすると良い」


 ツナグはそう告げると、またてくてくと歩き去って行った。

 叶奈は、返す言葉を見つけられないまま、ツナグを見送った。周囲では、幾人かの人がカメラで植物を撮っている。

 叶奈は、ふとさっきまで一人も人がいなかった事を思い出した。今周りにいる人たちは、突如出現したような様子だった。

 首を傾げつつ、周りを見渡す。ツナグと一緒にいた時は一人もいなかった。

人々は、思い思いに写真を撮っている。とは言え、周囲に人はいるが、先程と変わらず静かだった。

 叶奈は、花を観賞しながら、考えた。ツナグにとって、林太郎という男は、きっと思い出深い大切な人物だったのだろうということは、叶奈にも想像がつく。

 しかし、そうなるとツナグは、かなりの年数を生きていることとなる。

 ツナグは一体何者なのか。叶奈は、あの猫がどんな世界を生きているのかを知ろうと思い、悟に話を聞いてみることにした。先程の建物の中に入り、悟を呼ぶ。


「山崎さーん」


 少しして、悟が奥から顔を覗かせた。


「おや、あなたは先程の……」


 悟が、少し目を見開く。叶奈は、会釈をして「どうも」と言った。


「あの方は行かれましたか……」


 悟は、天井の向こうを見るかのように、目を細めて遠くを見つめた。


「はい。それであの……」


 叶奈は、少し躊躇いながら悟を見る。


「あの……。ツナグくんの事を知りたくて……」


 そう言って、ツナグとの夢での出会いや、ここに来た経緯を話した。


「なるほど……。それでは、私のわかる範囲でお話しましょう。少し長くなるかもしれませんので、お茶でも頂きながら話しましょうか。そこの椅子に掛けてお待ちいただけますか?」


 悟はそう言うと、そばのテーブルと椅子を指さし、叶奈に座るように促した。

叶奈はこくりと頷くと、椅子に腰かけた。

 悟は少し席を外すと、ティーセットとクッキーを載せた盆を持って戻って来た。紅茶の良い香りに、叶奈は思わず鼻から大きく息を吸って、香りを満喫した。

 悟はティーセットを置くと、自身も席についた。


「ここのハーブを使ったハーブティーです。宜しければ、温かいうちにどうぞ」


 そう言って、悟はティーカップにハーブティーを注いだ。


「いただきます」


 叶奈はカップを手に取ると、もう一度香りを嗅いでカップに口をつけた。


「美味しい……」

「それは良かった。ここのハーブは、職員が真心込めて育てていますからね」


 悟は穏やかな笑みを浮かべると、クッキーの皿を叶奈の方へ寄せて、クッキーの種類を説明した。


「このクッキーは、ここのハーブを混ぜたものです。あとこちらは、紅茶の茶葉を混ぜたもの。それから、これは――……」


 一通り説明を終えると、悟は穏やかな口調で話し始めた。


「今から話す事は、私の先祖の林太郎が遺書として残したメモに書かれていた内容です。どこまでが真かは定かではありません。他の親類は、この話を信じなかったのですが、代々本家の長が持つようにしたためてあり、一族はその時の家長から、伝え聞いていました。私も一族の長として、そのメモを保管しております」


 悟は、喉を潤す為にハーブティーを啜った。


「林太郎は、昔から物の怪と呼ばれる類のものを信じており、その手の話の書物をよく読んでおったそうです。私たちは、代々この山に住んでおります。ある日、林太郎は所用で山を下りる必要があったそうです。その帰り道、珍しく山道を迷ったらしいのです」


 悟はハーブティーを、もう一度啜った。

 叶奈は、悟の動作でティーセットの存在を思い出し、慌てて自身もハーブティーを口にした。

 悟は、にっこり微笑んで話を続けた。


「林太郎が途方に暮れていると、夕暮れ時だったはずの山道が急に明るくなったそうです。狐にでも化かされているのではないかと思い、林太郎は、立ち尽くしていたそうです。その時に、ツナグさんと出会い、助けてもらったそうです」


 悟は、一呼吸置いて話を続ける。


「その日から、ツナグさんとの交流が始まったそうです。ツナグさんは、こちらの世界へひょっこり現れては、林太郎と他愛無い話をよくしていたようです。そのことは、林太郎のメモに残っておりました」


 悟はカップを手に取り、ハーブティーを啜った。叶奈からは、彼の目は、天井の向こうを見ているように見えた。

 叶奈は、少しずつハーブティーを飲みながら、悟の言葉を待つ。


「林太郎は、ある日仕事でこの山から離れることとなりました。ツナグさんとの最後の談話の日、林太郎はツナグさんにこの山で見つけた自分のお守り代わりの珍しい石のペンダントを渡したそうです。それが、ツナグさんと林太郎との交流の最後だったようです。その後、林太郎はこの山に戻って来たのですが、二度と彼と会う事は叶わなかったと伝え聞いています」


 ハーブティーを啜り、悟は一息ついた。


「これが、私たちが伝え聞いている全てです。林太郎は、その時の様子が忘れられず、一冊の本を出版しました。『星降る夜にひとときの願いを』というタイトルの本です。自費出版という事もあり、お金には苦労したそうです。世間の目には、夢物語として片付けられたそうですが、それなりに売れたようです。私も読みましたが、ツナグさんとの思い出の日記のような話でした」


 叶奈は、カップに手を伸ばしかけて手を止めた。


「私、その本持ってます……この間、本屋さんで見つけて、タイトルに惹かれて買いました」


 悟は、目を見開く。


「おや、そうでしたか。ありがとうございます。林太郎も喜んでいるでしょう」


 悟は、微笑む。叶奈は、微笑み返した後、少し残念そうに思ったことを悟に伝えた。


「それにしても……ツナグさんがいた世界は、いつでも行けるわけではないんですね」


 悟はカップを置きながら、言葉を返す。


「そのようですね……」


 悟は、カップにハーブティーを注ぎながら、言葉を続けた。


「私は、ずっと彼に会ってみたいと思っておりました。林太郎の見た世界がどんな所なのか、ツナグさんはどのようなお方なのか……。この年になって、まさか会える日が来ようとは……」


 感慨深げに目を細める悟を、叶奈は黙って見つめた。


「さて、おかわりは如何ですかな?」


 悟はにっこりと笑って、叶奈にハーブティーを勧めた。叶奈はにっこりと頷いて、「いただきます」と言いながら、ティーカップを悟の方へ寄せた。

 悟は、ティーポットを置くと、叶奈に尋ねた。


「貴方は、ツナグさんとはこれからも会えそうですか?」


 叶奈は、ハーブティーを一口口に含んで考えた。


「わかりません。ただ、また会いたいなとは思います」


 悟は微笑むと、カップを手に取った。カップの中で揺れるハーブティーの表面は、静かに悟の顔を映していた。


「私も、いつかツナグさんのいる世界に行ってみたいものです」


 叶奈は、クッキーに手を伸ばしながら、頷いた。

 悟は、ポットのハーブティーを叶奈のカップに注ぐ。


「ところで……。あなたの名前は、なんというのでしょうか? せっかくのご縁ですし、教えて頂けますか?」


 叶奈は、ここで初めて、今の今まで名乗っていなかったことに気付いた。


「すみません! 私は、花宮はなみや 叶奈かなと言います。名乗った気になっていて……。大変失礼しました!」


 叶奈は、自己嫌悪する。こういうところが、自分のダメなところなのだと。しかし、悟はなんでもないという風に、ハーブティーを勧める。


「いえいえ。私も、聞いた気になっておりましたから。どうか、お気になさらず。花にお宮の宮ですかね。下のお名前はどのような漢字ですかな?」


 にこにこしながら、悟は叶奈を見た。


「そうです。花の宮で花宮。そして、『願いが叶う』の叶うという字に、奈良県の奈です」

 叶奈はそう言って、ハーブティーを口に含んだ。悟は、ふむふむと聞くとにっこり笑って、言葉を返した。


「叶えるに、奈ですか……。奈の字は、元は神事に用いられる果樹から来ているそうです。願いを叶える神聖な果樹……。良いお名前だ」


 悟はそう言うと、クッキーを一口齧った。叶奈は、思わぬ返答に戸惑いつつも、自分の名前を良く思ってくれたことを、素直に喜んだ。

 悟は、ティーポットを持って叶奈に問う。


「叶奈さんは、これからどうされるのですか?」


 叶奈は、思案する。一先ず、今日はそのまま帰るつもりでいた。


「今日は、このまま帰ります。ただ、今後どうするかなどは、何も決めていません。ツナグ君に会えたら、お話してみたいとは思いますが、会えるかどうか……」


 叶奈は苦笑する。そんな叶奈の様子に、悟は微笑みながら言葉をかける。


「あなたなら、きっと会えますよ。叶うという字のあるあなたならきっと……」


 悟は、ニコリと微笑む。


「もし、ツナグさんに会えたら、どうぞよろしくお伝えください。さて、そろそろ暗くなりますし、お開きにしましょうか。ここは、四季折々の植物に出会えます。もしよろしければ、またお越しください」


 そう言って、ティーセットを片付け始めた。


「ごちそうさまでした。それと、ありがとうございました。また必ず来ます」


 叶奈は、手伝おうとするが、手で制されてしまった為、お辞儀をしてから再度礼を言って、建物を後にした。

 空は、夜の気配を漂わせ始めていた。

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