不思議な施設

増田朋美

不思議な施設

不思議な施設

その日は春なのになぜか寒くて、春なのにストーブをつけなければいけないほど寒かった。こんな時期にストーブなんて、何だかおかしいねという杉ちゃんたちであったが、まあ、天候に逆らうということはできないから、春なのにストールを巻いて、出かけなければならなかったのであった。

杉ちゃんとジョチさんが、フェレットの正輔と輝彦に運動をさせるため、バラ公園を歩いていたところ、カフェの方から、影浦先生が、ひとりの若い女性を連れて、歩いて来たのがみえた。

「おーい!影浦先生、何をしているんですか?」

と、杉ちゃんが影浦先生に向って声をかける。影浦は、頭を下げただけであったが、その女性のほうが、杉ちゃんの膝に乗っている輝彦君と、ジョチさんに抱っこされている正輔君を見て、

「まあかわいい!フェレットちゃんって、私大好きなの!」

と、二人の方へ駆け寄ってきた。

「ほらほら、直ぐに走っちゃ行けませんよ。麻生さん。今は、鍼灸で痛みが取れたかもしれないけど、再発する可能性だって、ないとは言えないでしょ。」

影浦先生が、急いで彼女に注意すると、

「ああ、申しわけありません。久しぶりに痛みが軽くなったんで、すごく嬉しくなったんです。その時、この二匹のフェレットちゃんを見たものですから、つい、興奮してしまいました。ごめんなさい。」

と、彼女は明るく言った。

「いや、いいんだけどね。そんなにこの障害フェレットがかわいくみえたのか?大体こいつらがかわいいと言われると、大体かわいそうだという言葉がくっついてくるんだからな。」

と、杉ちゃんが言っても仕方ないことだった。正輔君は、みぎの前足がかけているし、輝彦君にいたっては、後ろ足が全く動かないというハンディキャップがあった。

「ああ、まあそうね。でもあたしは、かわいいと素直に思いました。それに何も偽りはありません。あたしだって病気を持っていますから、変な同情は嫌な気持ちになることは、痛いほど分かります。」

と、彼女はそういうのであった。

「そうなの?そういう病気を持っているようには見えないけど?」

杉ちゃんが思わず言うと、

「ああ、そう言われてしまいますよね。彼女は、今はやりの線維筋痛症患者なのです。まあ、人は自分で何とかなる病気だと言いますが、何とかならないんですね。それで、僕たちは、今鍼灸院に言ってきたところなんですよ。」

と、影浦が説明した。

「影浦先生も一緒だったんですか?」

とジョチさんが聞くと、

「ええ、もちろんです。だって、この病気の治療として医者にできることは、鎮痛剤の投与くらいしかありません。そんなことしたって、この病気に立ち向かえるはずがありません。案の定、薬を与えても治らなかったので、僕は彼女に鍼灸院をお勧めしました。ただ、勧めるだけでは、効き目が出なかったら、何の意味もありませんから、僕も施術を見学させて貰うようにしています。」

と、影浦は答えた。

「ただ、薬をだしたり、鍼灸院へ行くように指示を出すだけの医者は、それこそ何も意味のない存在になってしまいます。そうならないように、僕も彼女の施術を見学させて貰うようにしているんですよ。」

「はあ、偉いですなあ。影浦先生は。」

と、杉ちゃんがため息をついた。

「いいえ、精神科医ほど必要とされて居ながら役に立たない人間はおりませんよ。大体ね、精神疾患を何とかするのは医者にできることじゃなくて、セラピストさんとか、カウンセラーさんに何とかしてもらうことになります。大体は、患者さんがそういう人を探すことを強いられます。ですが、病気のせいで判断が鈍ってしまっている患者さんに、適切な治療者を見つけられるはずがありませんね。そういうことは、医者がちゃんと斡旋してあげなければならないなと思っているんですよ。」

「そうですか。それでは、どちらの治療院にいかれたんですか?鍼灸院と言っても、ピンからキリまでいろいろでしょう?」

影浦がそういうと、ジョチさんが聞いた。

「ええ。池田治療院という所です。鍼で有名な所ですね。」

影浦が答えると、

「ええ?全身が痛いのに、また鍼を刺すんですか?それってかわいそうな気がするけどな。」

と、杉ちゃんが言った。

「いいえ、それが確かに鍼を刺す瞬間はちょっといないなって感じがするんですけど、抜いてもらうと狐に包まれたように痛みが治まるんです。そのメカニズムは私には分かりませんが、でも、痛みが治まるので、私はとても頼りにしています。」

と、麻生さんと呼ばれた女性が、そういったので、多分間違いはないということだろう。

「はあ、そうか。何だか魔法使いみたいな先生だな。池田なんというか知らないが、もしかしたら、池田ワーロックと名乗るべきかもしれないな。」

杉ちゃんがカラカラと笑った。ちなみに、ワーロックとは魔法使いの事である。

「そうですか。さほどよく知られている治療院ではありませんが、そうやってあなたのことを治してくれるんですから、それはきっと、腕のいい治療院何でしょう。」

ジョチさんが言うと、

「いいえ、私たちの間では結構有名になっています。私は、インターネットで同じ病気の方を見つけた場合、池田治療院を勧めるようにしています。まあ、もちろん、この病気の症状の現れ方は人それぞれなので、すべての人に効くというわけじゃないですけど、この病気の痛みはすさまじいほどなので。」

と、麻生さんが言った。

「そうかそうか。それなら、本当に池田ワーロックだな。ははは。お前さんは良かったね。そういう所へ通わせて貰ってるんだから、影浦先生に感謝しろよ。」

「ええ、もちろんです。影浦先生だけではなく、病気のおかげでいろんな友達も出来ましたし、今まで引っ込み思案で誰も友達がいなかった私が、こんなに明るくなったんですから、むしろ病気になれてよかったと。そう思うようにしています。」

「そうですか。そう思えるのでしたら、きっとあなたも良くなると思いますよ。いい治療者がいてくれて良かったですね。人間は出会いにより人生が根底から変わると言いますが、本当なんですね。」麻生さんがそういうとジョチさんが言った。

「ええ。私もそう思うことにしています。あの、最後に御願いなんですが。」

麻生さんは、杉ちゃんの顔をにこやかに見た。

「そのフェレットちゃんに触ってみてもいいでしょうか。とても毛並みがきれいなので。」

確かに輝彦君の毛並みはつやつやだ。ルビーフェレットというと、毛皮をとるために飼われていた品種なので、触りたくなってしまうのかもしれない。

「はい、抱っこしてもいいよ。こいつは、慣れてるから、噛み癖もないしな。」

杉ちゃんがそういって輝彦君を差し出した。麻生さんは、にこやかに笑って、輝彦君を抱っこした。結構重いんですねと言いながら、にこやかに笑っている彼女は、まるで健康な人と変わらないというか、それ以上に笑顔が素敵だった。

その日は、輝彦君を抱っこして、じゃあ、体に気を付けてねと言って、杉ちゃんも影浦たちも分かれたのであるが。

その数日後。

「杉ちゃん、悪いけど、風呂を貸してくれないか。もう寒くてしょうがないんだ。全く、春だって言うのに、何だったんだろう。全く困ったもんだぜ。早く春になってもらいたいものだな。」

と、華岡が杉ちゃんの家にいつも通りにやってきた。杉ちゃんが、いいよはいんなと言うと、華岡は大喜びして風呂に入った。

「やれやれ、又華岡さんが風呂を借りに来た。そうなると、一時間は入ってるな。その間にカレ―かな。」

と、杉ちゃんは、台所に行って野菜を切り始めた。予想通り、華岡はかなりの長風呂で、一時間以上入っていた。やっと、タオルで顔を拭きながら出てくると、杉ちゃんにつくってもらったカレーをうまそうに食べ始めた。

「それで、今日は何のようで来たんだよ。お前さんの事だから、何か事件があってその愚痴を漏らしに来たんだろ?」

と、杉ちゃんは華岡に言った。

「ああ、杉ちゃんよくわかってくれてるね。実は、俺たちはある事件の捜査で行き詰っていてね。それでどうしようもないから、来させて貰いました。」

いつもの華岡のパターンである。

「で、どんな事件なの?」

杉ちゃんが聞くと、

「杉ちゃん知らないのかい?ニュース番組では持ちきりになってるよ。13日の、朝一番で予約した患者が、治療院の施術者が死亡しているのを発見した。被害者の名前は、岡部多紀という女性で、なんでも鍼やマッサージなどを施していたらしい。死因は頭部を一撃された事であり、施術台に頭を打ち付けて死んでいた。俺たちは、その現場にあった指紋から、麻生亜衣という女性をマークしているが、決定的な証拠らしきものがないので、困っているところだ。」

と、華岡は言った。

「知らんわ。僕はテレビを持っていないし、新聞もとっていないよ。麻生亜衣ってさ、もしかしたら、せんいなんとかしょうという病気を持っている奴の事か?」

「そうだよ杉ちゃん。それをなんで知っているの?」

杉ちゃんがそういうと、華岡は言った。

「ああ、先日、ジョチさんと散歩に行ったとき彼女本人とあったんだ。でもね、華岡さん。あの病気を持っている彼女がだよ。殺人を犯すということをするかな?あれほど明るかった彼女がだ。それに、彼女が通っている治療院は、池田治療院というところで、岡部という名前ではなかった。」

直ぐに華岡の発言を急いで打ち消した杉ちゃんだが、

「まさか、誰か共犯者でもいたのかな?彼女は友達もいっぱいいただろうし。」

と、急いで言った。

「うん、俺もそれでにらんでる。だから、その決め手になることを掴みたいんだが、、、。それがどうしてもわからない。」

華岡は大きなため息をついた。

「それに、その現場にあった指紋だって、大昔についたものかもしれないし、そういう治療院っていう所だったら、人の出入りも多いでしょうしね。彼女の犯行と決めるのは早いのでは?」

「いや、それがだね、杉ちゃん。これは影浦先生にも聞いているんだけど、彼女が影浦医院に通い始めたのは、一か月前からなんだ。それ以前は何処に通っていたのかは、まだはっきりしないんだよ。」

杉ちゃんがそういうと、華岡は直ぐにそういった。

「それに、彼女、麻生亜衣は、影浦医院に通う以前は、全身の激しい痛みに苦しんでいたんだそうだ。まあ、その病気の人にはよくありがちなことだが、影浦先生は、三人目の医者だそうだよ。」

「はあ、なるほど。いわゆるドクターショッピングに陥ったわけか。確かに、精神科の医者全部がいいわけじゃないし、それに何十年通っても、変わらないでいる人もいるようだしね。」

杉ちゃんはあっさりと肯定した。

「蘭の所にくるお客さんも、精神科の医者なんて信用できるはずないと言っている人は多いみたいだからな。まあ、精神疾患というのは、なかなか治らないもんだろうね。まだまだ。で、その麻生亜衣が、岡部っていうひとに通っていたとでもいうのかい?」

「そうなんだよ。」

と、華岡は言った。

「それは、岡部の患者名簿を見てはっきりしている。三か月だけ、彼女は、確かに岡部の治療院に通っていた。」

「そうかあ、、、。僕としては、彼女がやったという気にはならないんだけどなあ、、、。」

杉ちゃんは腕組みをした。

すると同時に華岡のスマートフォンがなった。

「ああ、華岡だ。ああ、そうだったのね。直ぐに戻るよ。そうかそうか。それでは、事実上決まりだなあ。」

と、華岡は言葉を交わした後、急いで椅子から立ち上がった。杉ちゃんが何があったのか聞くと、

「ああ、なんでも、目撃者が出たらしい。岡部の治療院に、麻生亜衣がはいっていくのを、近隣の住民が目撃している。」

と、華岡はそう言った。本当にそうかなと杉ちゃんが頭を傾げると、華岡はごめんなと言って急いで杉ちゃんの家を出ていった。そのやり取りをすべて聞いていた、正輔と輝彦も、不思議そうな顔をしている。

「お前さんたちも、麻生亜衣が犯人だと思わないってことかな?」

杉ちゃんがそういうと、二匹のフェレットたちは、その通りとでも言いたげな顔をした。

ぼやぼやしたまま、杉ちゃんがカレーのお皿を片付けていると、インターフォンがなった。

「おう、もうそんな時間か、客がくると、時間がたつのは早いな。」

「はい。参りましたよ杉ちゃん。今日は、スーパーマーケットに行くとおっしゃってましたよね?」

ジョチさんが玄関先で杉ちゃんを呼んでいるのが聞こえたので、杉ちゃんは急いで玄関先にいった。そして、小園さんに車に乗せてもらい、三人でスーパーマーケットに向った。

「どうしたんですか?今日は落ち込んでいるようですね?」

と、ジョチさんがいうと、

「ああ、さっき華岡さんが来てさ、岡部っていう鍼灸師の女が死んだっていう事件の話しをしていったんだ。ほら、この間、輝彦を抱っこした女性、麻生亜衣が犯人だって華岡さんはいうんだけど、どうもあの時の態度から判断すると、違うような気がしてならないんだよな。」

と、杉ちゃんはいった。正直になんでも話してしまうのも、杉ちゃんのすごいところだった。黙ったまま隠しておくということは、どうしてもできない杉ちゃんなのだ。

「ええ、その事件のことは、僕もニュースで知りました。確かに、警察は彼女を疑っているようではありますけど、僕もそうではないと思いますね。なぜかというと、弟の店に同じ病気の女性が働きに来たことがありましたが、仕事にならないほどの激痛で、三日で解雇されてしまいましたから。そんな症状で、とても他人がどうのこうのと考えていられる余裕はないと思います。」

ジョチさんは、杉ちゃんにそう言った。

「だろ?やっぱりおかしなことがあるんだ。あんなふうに、輝彦のこと抱っこしていたのが、猿芝居っていう感じじゃなかったもんな。」

「ええ。僕もそう思いますね。彼女は、ちゃんと、ほかの人の事を考えられる人ではないのかなと思います。もちろん、影浦先生のご指示もあったと思いますが。」

「おい、あの家の前になんで花束があるんだ?」

ジョチさんがそういうと、いきなり杉ちゃんがいった。ジョチさんは、杉ちゃんの指さした方を見ると、小さな二階建ての家がみえた。

「ああ、あの建物ですよ。事件が起きたのは。」

と、小園さんがいう。確かにその家の玄関先には、変なアルファベットを横文字に並べた看板があり、その下に、花束がいくつか置かれていた。多分、被害者を慰めるために置いてあるのだろう。

「あ、人が居るよ。一寸とめてくれるか?」

杉ちゃんは、小園さんにいった。小園さんがその事件のあった建物の前で車をとめた。そこには、確かに人が居た。それは男性であった。

「おい、お前さんも、肩こりかなんかで、ここに通っていたのか?」

と、杉ちゃんが車の窓から彼に聞くと、

「いえ、私ではありませんが。」

と男性は答えた。

「じゃあどなたが?」

とジョチさんが聞くと、

「ええ。私の妻がここに通っていました。なんでも、全身に痛みがあるとかで。整形外科とかそういうところに行っても良くならなかったとかで。ここでは、なんでも聞いてくれるっていうので、通わせて頂いたいんですけれども。でも、結局、何も変わらずに終わってしまいました。」

と、その人はいった。

「そうなのね。それでは、お前さんの奥さんは今どうしてるの?」

杉ちゃんが聞くと、

「実家に帰っていて、もう音信不通の状態です。でも、実家のご両親だって、どうしたらいいのかわからないで困っているだけではないでしょうか。私もそうでしたから。こういうところに頼っても、何も変わらないって、彼女も知っているし、私もそうなった以上どうすることも出来ませんから。」

と、彼は答えた。そうなってしまうことが、精神疾患の末路であるという人もいる。結局は、親や家族を捨てることが最善の治療だと話してしまう治療者もいる。それが善と出るか、悪と出るかは、人によりけりだが、いずれにしても、非常に重たい選択だった。

「お前さん、麻生亜衣という女性を知っているか?ここに通っていたと思うんだけど。」

と、杉ちゃんがいうと、

「いいえ知りません。ほかのクライエントさんのことは、あまり妻も話さなかったので。」

と、彼は答えた。ジョチさんが、彼女が疑われているようだと話したところ、

「そうですか。でもその女性がそうしてくれたなら、良かったかもしれないですよね。だって、ずっと通ってもよくなるどころかますます弱っていくばかりでしたから。そうやってだれかがけりを入れてくれた方が良かったかもしれません。まあ、だれにでもわからないですよね。人間なんてどうなるかって。」

その男性は、一寸苦笑しながら、そういうことを言って、軽く頭を下げて、その場から歩いていった。

「じゃあ、やっぱり、彼女の犯行ということになるのかな?」

と、杉ちゃんとジョチさんが顔を見合わせた。

「そうですね。そのうち捜査で明かになっていくと思いますが、いずれにしても、精神疾患に対するひとつの答えだったような事件かもしれませんね。」

ジョチさんは、小園さんに、スーパーマーケットに向ってくれるように促した。小園さんは黙って車を走らせた。

スーパーマーケットで適当に買い物を済ませた杉ちゃんとジョチさんが再び車に乗り込むと、ちょうど小園さんがラジオで、臨時ニュースを流していた。

「えー、臨時ニュースをお伝えいたします。13日に、静岡県富士市で、治療院経営の女性が死亡した事件は、女性の転倒による、事故死と判断が下されました。一時、容疑者として浮かんだ人物も降りましたが、指紋などが比較的古いものであり、彼女の犯行と断定することはできないという結論にいたったということです、、、。」

杉ちゃんもジョチさんもため息をついた。

いずれにしても、不思議な施設は、この世にはどこにでもありそうだった。








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