第235話 ドロシー

・注意

 本編には暴力描写、そして読む人によっては不愉快になるかもしれない描写があります。ご注意ください。



「へっ、これであの忌々しいヴィレッド子爵にやり返せるぜ」

「ハンターあがりか知らないが、やたら正義感が強くてうっとうしかったからな」

「さて、どうやって子爵を誘き出すかねえ」

 潮の匂いがする。どうやらここは港にある貸倉庫の一つらしい。

 ご丁寧に縛るだけじゃなく、魔法封じの首輪をつけられた。準備は万全だったようだ。まあ、首輪なんて意味ないんだけどさ。

 あたしを捕まえた男たちは大笑いしながら外に出ていく。どうやら親父に恨みがあるらしいけれど、誘拐するような連中に正義があるとは思えないな。


『あたしを捕まえたところで意味はないぞ』


 男たちにそう言ってやったけれど、笑っただけで聞く耳を持たなかった。どうやら私にそれだけの価値を勝手に見出しているらしい。

 馬鹿だな。親父があたしを助ける理由なんてないのに。



         ◆  ◆  ◆


 物心ついた時、あたしは小さな町の夢街に住んでいた。もっとも、幼いころは夢街がどういうところなのかわかっていなかったけれど。

 だから、そこが自分の家だと思ってた。母さんがいて、歳の離れた姉さんが何人もいる。そういう家族だと。単に母さんは、その店の空き部屋を間借りしてただけなんだけど。

 母さんはいつも忙しく、あまり遊んでもらえなかった。代わりに姉さんたちが遊んでくれたけど、仕事もあるから、あたしは一人で遊ぶことが多かった。

 世間を知らない子供のうちは、夜になると急に男が増えるな、ぐらいに思ってたんだ。

 少しずつ違和感を覚え、夢街がどういうところなのかを知ったのは十歳のころだったかな。キッカケは、店の姉さんが妊娠したことだった。

 あたしと一番遊んでくれた姉さんだった。その姉さんは客の子供を身籠った。

 当時は、赤ちゃんが生まれるかもと聞いて無邪気に喜んでいたっけ。もちろん、それは大きな間違いだった。

 その子供の扱いについて、色々と店で意見が交わされたことは覚えている。妊娠したら仕事ができないんだから。

 母さんはあたしに、それら話し合いが聞こえないように配慮はしたけれど、同じ店に住んでいる以上、聞こえてしまうのはしょうがない。家族だと思っていた店長や姉さんたちが言い争うのは聞いていて苦しかったな。

 結局、姉さんは子を生むことにした。「必ず迎えにくる」という、男の言葉を信じて。

 惚れた弱みというやつなんだと今ならわかる。恋は病なんだと、他の姉さんが話していたっけ。

 だけど、男は迎えに来なかった。

 妊娠中、仕事ができなかった姉さんは、店から借りたお金を返すために無理な仕事をして、身体を壊して……幼い我が子を残してあっけなく逝ってしまった。

 赤ん坊がどうなったかは、誰も教えてくれなかったな。

 姉さんの死は、あたしには衝撃すぎた。どうして姉さんはそんな男のために……と考えて思った。

 あたしの父親はどんな男なんだ?

 あたしは母さんに訊いた。


「あたしのお父さんはどんな人?」


 って。

 母さんは父が国のために働いていると。とても素敵な人だと語ってくれた。夢見る乙女のように。

 でも、それがキッカケなんだと思う。

 あたしは……急に母さんが汚らわしく感じた。騙した男を待っていた、恋した姉さんと同じ顔をしていたから。

 母さんは男に身体を売っていた?

 姉さんと同じように男に騙され、望まない自分を生んだんじゃない?

 一歩間違えばあたしも、姉さんの子みたいに行方不明になっていたんじゃないかって。あたしは運良く生き延びただけなんじゃないかって……勝手に思い込んだ。

 そんなことなかったのに。

 それからのあたしは荒れた。自分の中で渦巻く負の感情をもて余して。

 スラムで知り合った仲間たちのボロ家に転がり込んで、店にあまり戻らなくなった。

 仲間と一緒に盗みはする、他の店の営業妨害はする、衛兵に追いかけ回されるのは日常茶飯事。

 たまに掴まって店に戻されても、母さんはあたしを叱らなかった。それが逆に苦しかった。

 今ならわかる。あたしは母さんに遊んでほしかった。そして叱ってほしかったんだ。

 あなたは私の大切な娘だと。望んで生んだのだと言ってほしかった。

 でも、母さんは自身を不甲斐ない母親だと涙するばかりで。あの人に顔向けできないと嘆くばかりで。


 そんなに男がいいのか!


 あたしはさらに荒れた。母さんがあたしを見ていないと思ったから。

 あたしは母さんにとって無価値なんだ。いや、誰にとっても価値なんかないんじゃ?

 思考は悪い方向にだけ転がってしまった。冷静に考えれば、母さんは忙しいなりにも、あたしをちゃんと育ててくれたし、姉さんたちは優しかった。だけどあの時はそれに気づけなかった。

 ……いや、認めたくなかったのかもしれない。悲劇のヒロインを気取って、不幸な自分に酔っていた。

 自分の感情を持て余して、あたしは自分を傷つけた。

 夢街を歩けば声をかけてくる男なんて山といる。価値のない自分を売るだけで金も手に入る。こんな楽な生活はないだろう。

 ただ、私は無知だった。店に入らず、通りで声をかけてくる男たちは、店に入れるだけの金がないんだと思っていた。まさか問題行動が多く、店から出入り禁止を受けている男たちがいるとは知らなかった。

 その日、あたしに声をかけてきた男たちは、そういう客だった。女を痛めつけて楽しむ、とんでもない奴らだったんだ。

 路地裏に連れ込まれ、一発殴られただけであたしの抵抗心は折れた。母さんへの反抗心からとった短絡的な行動が、最悪の結果となって襲い掛かって来たのだ。

 正直、死を覚悟した。でもまあ、価値のない自分が死んだところで誰も悲しまないだろうって、怯えながらも変に諦めてたっけ。

 だけど、あたしは死ななかった。男たちがあたしをその欲望のはけ口にしようと手を伸ばした時、どうやってあたしの状況を知ったのか知らないけれど、母さんが駆けつけたんだ。


「娘の代わりに私が相手をいたします」


 母さんの言っている意味がわからなかった。あたしは母さんにとって価値のない娘じゃなかったの?

 母さんの真意を聞く時間はなかった。

 あたしは男たちに人質にされた。母さんが逃げないように。

 そして……母さんが複数の男たちにいたぶられるのを、ただただ……見せつけられた。

 男たちは意外と律儀で、満足するとあっさりと去っていった。後にはあたしと……ボロ布のようになった母さんだけが残された。

「なんで……」

「娘を守るのは……当然でしょ……」

 そう言って弱々しく笑った母さんは意識を失って、二度と目を覚ますことはなかった。

 のちに店の姉さんたちから聞いたのだけれど、母さんは店に間借りするようになった時にはあたしを妊娠していて、あたしを生んだあとも客をとったことはないのだと。その代わり、店の雑用を一手に引き受けていて、いつも忙しくしていたのだと。

 今になってそんなことを聞かされても、母さんは帰ってこないし、謝ることもできない。

 幼いうちに、ここがなにをする店なのか知らせないでおこうとした母さんと姉さんたちの判断と、あたしの反抗期が重なった結果の悲劇と言えばそうかもしれない。なんの慰めにもならないけれど。

 最初は自殺も考えた。だけど姉さんたちに止められた。母さんの気持ちを無駄にするなって。反論の余地もない。

 だけど生きていくにはお金が必要だ。母さんの代わりに店の雑用をこなし、惰性で生きていく日々が続いた。

 同時に、あたしは理解した。男はロクでもない生き物なんだと。

 この先、男に頼らず生きていこうと。

 なのに、母さんが死んでから、父親を名乗る貴族がノコノコと現れるなんて。

 姉さんと母さんの死が重なって見えて、あたしはその貴族を拒否した。

 だけど、金と権力には勝てない。

 貴族は私をかなりの金額で買い取った。

 店もそれを受け入れた。

 子供のあたしだけが、選択肢もなくヴィレット子爵の娘にされてしまった。

 ふざけるな。母さんが大変な時に迎えにも来なかったくせに、今さら父親面するんじゃない。

 どうせ、身寄りのない子供を引き取って育てているっていうアピールなんだろう。貴族なんてそんなものだし、男はロクでもない生き物なんだ。

 ふんっ、あたしが思いどおりになると思うなよ。母さんを見捨てて、あたしを今さら引き取ったことを後悔させてやるからな。

 そう決意して、今日まで親父に反発して生きてきた。……いや、正確には生かされてきた、か。

 とにかく困らせてやろう、泣かせてやろうと思っていたのに、親父はあたしを叱らなかった。それがいつかの母さんと重なって、余計に反発する悪循環。

 だけど、それも今日で終わりだろうな。あいつが……男があたしを助けにくるはずないんだから。どうせまた新しい子供を引き取って、いい貴族アピールするんだろう。

「……なんか、嫌だな」

 自分の呟きに驚いた。

 あの男たちが夢街で声をかけてきた時、すぐにヤバイやつらだと気づいた。母さんが死んだ時と同じだって。

 以前の自分だったら、よく考えずに誘いに乗っただろう。自分も、そして親父も傷つけられるならって。

 だけどあたしは……逃げた。

 頭の中でこの数日の景色がぐるぐると回った。確かに常連だったけれど、白猫の足跡亭のためにあそこまで必死になるとは自分でも思わなかった。

 だけど、新しいスイーツがあたしの手で完成に近づくのにワクワクした。

 アグトーが一口食べて絶句した時は笑いたくなった。マデリックの会長が美味しそうに食べてくれたのが嬉しかった。

 ああ、そうか。あたしは……充実していたんだな。死ぬのが惜しいって思うくらいに。

「そんな日々も終わりか。まあ、最後にいい思い出ができたって思うか……」

 ああ、今日一日の疲れが今になってでてきたか。

 もういい、寝よう。どうとでもなれ、だ。



●ご報告

 お読みいただけるすべての人に感謝を。

 さて、まったくの私事ですが、いろいろあってWワークを開始しました。そのため、夜遅くまで働く日が増えます。

 結果、執筆が遅れる可能性があります。できるだけ週一更新を続けていきたいのですが、不定期になるかもしれません。ご了承いただきたくお願いします。

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