第222話 英雄の名

 寮対抗戦の説明を受けた翌日の放課後。ヨナと一緒に図書室に向かった。

 放課後にしたのは、休み時間の度に一年生が殺到して混雑してるとマール先輩が教えてくれたからだ。

 読める読めないは別として、やはり過去の英雄の名は気になるんだろう。まあ、私もだけど。

「おや、久しぶりだね」

 図書室のカウンターには顔見知りになった初老の司書さんがいた。先日、錬金術ギルド本登録のために沢山本を読んだので顔を覚えられたんだ。

 司書さんに英雄について書かれた本を訊いてみると、やはりというかなんというか、誰かが読んでいるようだった。

「ああ、ほら。あの人だよ」

 司書さんが指差す先には……席について難しい顔をして本と睨めっこしているマリーニュさんがいた。取り巻きはいないけれど、イーラが背後に控えている。あ、視線に気づいたのかこっちを見た。いや、睨んだ。

 イーラが控えめにマリーニュさんになにやら囁くと、彼女もこっちを睨んできた。

 美人が台無しだぞ。

 マリーニュさんは不快を隠さない顔のまま席を立ち、本を片手にカウンターに向かってくる。できるだけ私を見ないようにしてるな。やれやれ、同じクラスだというのに。

 マリーニュさんは、ことさら私を無視して司書さんに本を返却する。普通に本棚に置いてある本ではないということだ。

 司書さんは貸し出しの書類に返却の印をつけてから、私に書類とペンを差し出す。大切な本、誰が読んでいるのか把握しないといけないしね。

「あら、マイではありませんか。あなたも英雄の本を読むつもりですか?」

 名前を書いていると、そこでようやく気づいたとばかりにマリーニュさん。

 わかりやすいテンプレ行動ありがとう。おかげで腹も立たない。むしろ笑いそうになる。

「学の無いあなたに内容が理解できるかしら?」

「さあ、どうでしょうねー」

 嫌みを軽く流して本を受け取る。む、意外にも新しいな、この本。

 近くのテーブルに座る。ヨナは気を遣ってか後ろに控えた。まあ、肩越しに本を見たくてしょうがないみたいだけどね。可愛いやつめ。

 さて、どんな内容かな。っと、最初に複写の本だと注意書きが。なるほど、新しいわけだ。

 それはまあ、そうだよね。吸血鬼が世界を支配した時代より前の英雄だって言うし、原本はボロボロなのかもしれない。

 内容は……前文明が滅んだあとの混乱期の時代。『一閃の英雄』と呼ばれることになる人物の活躍と、当時の様子を記録した資料集のようだ。

 ふむ。混乱期、リトーリアの前身である国は小国の一つでしかなかったのか。

 国の建て直し中は魔物の襲来。国が落ち着けば周辺国との外交、衝突。本には史実として淡々と記されているだけだけど、相当大変だったんだろうな。

 そんな戦国時代に、どこからともなく現れたのが……。

「……敵を一撃で屠る英雄ですかあ」

「なるほど、一閃だね」

 あらゆる敵を一太刀で倒す英雄とその仲間によって国は護られた。

 ただ、戦国の世の終わりと同時に英雄は姿を消し、その後を知る者はいない、と。

 英雄の名は吸血鬼による世界支配の混乱で後世には伝わらず、唯一、名前であろう文字だけが残った。

 その謎の文字は……。

「……え」

「こ、これ、文字なんですか?」

 ヨナの驚きの声に反応する余裕はなかった。だって、まさかこんなところで……。


 斎藤源十郎。


 まさか日本語を目にするとは思わなかったんだもの。

「……斎藤源十郎さいとうげんじゅうろう

「えっ、マイ様、読めるんですか!?」

「読めるというか、なんというか……」

「……そういえば、マイ様は精霊ともお話しできますもんね。すごいですっ」

 あ、そんなキラキラした目で見ないで。ただの母国語だから。

 ま、まあ、言えないけどさ。異世界転生なんて。

 ……あ。ライラックさんには話したな、そういえば。じゃあ、ヨナには話しても問題ない……のかな。

 うん、機会があれば話してみようかな。……おや?

 視界の端にマリーニュさんとイーラが見える。まだ図書室にいたんだ。

 イーラがなにか耳打ちし、頷いたマリーニュさんはようやく図書室を出て行った。なんだったのかな。

 ……それにしても。

(まさか、私以外にも日本人がこの世界に来てたなんてねえ)

 しかもあの名前だ、転生じゃなくて最初の私みたいに転移だろうなあ。

「会ってみたかった」

「マイ様?」

「ううん、なんでもない。戻ろうか」

 本を返却して図書室を後にした。


         ◆  ◆  ◆


 翌日の学園は騒がしかった。それはこの魔法科1-Aも例外じゃなかった。

 いや、というか。ここが震源と言うべきか。

「皆さんもすでに耳にしていると思いますが、マリーニュ・スクエアさんが魔闘技場地下二階への扉を開きました」

 朝のHR。教壇で話すマリア先生の隣でマリーニュさんは不敵な笑みを見せながら胸を張っていた。背後に控えるイーラがちらり、とこっちを見て鼻を鳴らした。……やりやがったな。

 獣人は人間より五感の一部が優れる。ヨナが嗅覚に優れているように。

 イーラ。あいつは……聴覚が優れているに違いない。

 昨日の放課後、嫌いな私と顔を合わせたマリーニュさんがいつまでも図書室にいたのが不思議だったけれど、どうやら私の呟きを聴かれたようだ。

 私だけを狙ったとは考えにくいから、他の人が本を読んでいる時もずっとイーラは耳を傾けていたのかもしれない。なんというか、セコいなあ。

 まあ、自分が扉を開けたら、絶対にマール先輩がどう解読したのか根掘り葉堀り訊いてくるに違いなくて。誤魔化すの大変だし、代わりに開けてくれてありがとうと言うべきか。

「寮対抗戦が終わったら、二~三年生を中心に調査隊が編成され、地下二階より下層を調査することになるでしょう。皆さんが参加することはないでしょうが、調査隊を目指すつもりで勉学に励むように」

 そう締めくくってマリア先生は教室を出ていった。

 途端にマリーニュさんの周囲にクラスメイトが集まる。

「マリーニュさん、すごいです!」

「さすがはクラス委員長。憧れます!」

「ふふふ、皆さん大げさですわ」

 穏やかな笑みを浮かべて謙遜するマリーニュさん。なんとなーく、ドヤりたいのを我慢しているように見えるのは気のせいかなあ。

「どうやって英雄の名前を解読されたのですか? ぜひご説明を!」

「それは……って、どうしてあなたがここにいますの!?」

 あ、マール先輩が紛れ込んでる。いつの間に来たんだ? 扉の開く音したっけ?

 マール先輩はメモ帳とペンを手にマリーニュさんににじり寄る。おっと、イーラが間に入った。

「下がれ下賤の者。お前の質問にお嬢様が答える義理は無い」

「なにをおっしゃいますか。英雄が使っていた要塞跡となれば、さらに下層に謎の文字があっても不思議じゃないんですよ。マリーニュさんがどう解読したのか、その情報はすべての調査隊と共有すべき重要事項です。隠す理由はないはずです」

 マール先輩とイーラが睨み合う。マリーニュさんは表情を消しているけれど、内心はどうかなあ。

 今回はマール先輩に分がある。さて、どう誤魔化すのかな。

「……説明は先生方にしますわ。あなたに説明したら、どうねじ曲げられるかわかりませんもの」

「失礼な。この真実を追及する私に」

「ご自分の新聞記事を客観的に見られるようになってから来てくださいな。……イーラ、お引き取り願って」

「はっ」

「あ、ちょ、押さないでくださいっ 」

 マール先輩はイーラに追い出された。すぐに戻ってくるかと思ったけど、あと少しで授業だからか戻ってくる様子はない。

 とはいえ、諦めるとは思えないなあ。どうなることやら。

 おっと、マリーニュさんがこっちを睨んできた。なんとなく「余計なことは言うな」みたいな顔だなあ。まあ、今から私が「翻訳したのは自分だ」、と言ったところで信じてもらえないと思うから言うつもりはないけれど。

 いくらなんでも口封じしてくることはないだろう。マール先輩の言うように、地下で新しい日本語が出てきたら困るのはマリーニュさんだし。まあ、警戒はしておこうかな。

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