第205話 漁村

「ふわぁー……」

 目の前の光景にヨナが言葉を失っている。視界いっぱいに広がる水、水、水。空との境界まで水しかない。

 そう、私たちはペンゼル伯爵領内の海にきている。



 望まぬ伯爵との再会した日、暗殺者に襲われたけれど、それ以降は朝まで静かなもので安心した。暗殺者の死体は窓から放り出しておいたけれど、朝には消えていた。見張りの人たちお疲れ様です。

 別室で眠っていたアンシャルさんは夜の襲撃を知らなかったけれど、【マイホーム】に避難させたヨナはそうもいかない。仕方なく私と伯爵の因縁を話すことになってしまった。ヨナは伯爵に対して憤慨し、朝まで抱きついて離れてくれなかった。

 翌日、早々に館を出ていきたかったんだけれど、セーラ嬢の強い要望で朝食をご一緒することになった。ちなみに伯爵は早朝から出かけたそうで、同席は回避できた。まあ、向こうも会いたくはなかっただろう。

 そして館を後にする際、執事から大金と伯爵からの伝言を受け取った。

「これはお嬢様を助けていただいたお礼だそうです。お受け取りください。さて、旦那様から伝言を預かっております。『君の平穏な生活を祈っている』だそうです」

 なるほど。口止め料に、ちょっかいを出さない宣言というわけね。まあ、手を出してこないならそれでいい。

「伯爵様にお伝えください。伯爵家の平穏を祈っている、と」

 そう伝えて領都を出発した。伯爵家に長居したくなかったこともあるけれど、もうひとつ大きな理由ができたのだ。



「試験?」

「はい。魔法学園は銀の月に入学試験があります。すでに入学試験は終わってしまってますわ」

「推薦状がある場合は?」

「推薦状がある人は途中入学も認められていますが、やはり試験はあります。基本的な読み書きや計算、歴史などに加えて実技もありますね。春から通うつもりでしたら、できるだけ早く試験を受けられるのがよいですわよ」



 朝食の席でのセーラ嬢とのやりとりを思い出す。

 そりゃそうだ、推薦状があるからってフリーパスなわけがないよね!

 ああ、うん、そうだね。うっかりしてたよっ!

 とまあ、そういうわけで。冬のうちに王都に入ろうと考えたわけ。でもって、王都へのルートに海沿いを選んだのだ。

 ちなみに、伯爵邸を出発してからは腹立たしいほど快晴続きで雪など降らなかった。季節的に冬も終わりなので雪が降らなくても不思議じゃないのだけれど、やはり雪の邪精が嫌がらせのために降らせてたんじゃないかと疑ってしまったよ。

「夏なら泳げたんだろうけどね」

「泳ぐんですか!? この水、しょっぱいんですけど」

『ご主人様、この水、塩辛いニャー……』

 二人して海水舐めたのかい。身体によくないから、やめておきなさい。

 冬の終わりとはいえ海風は冷たい。早めに用事をすませてしまおう。

 岩場に【マイホーム】を設置する。海上に船は見当たらない。陸の方からも死角になる場所だし変には思われないだろう。

 【マイホーム】の入り口に創っておいた樽を並べて、【クリエイトイメージ】で塩だけを……いや、待てよ。

 【クリエイトイメージ】を使い、先に海水から塩だけを取り出しておく。そして奥に声をかける。

『ウンディーネ、ちょっといい?』

『あら、なにかしら』

 扉の隙間から、にゅるんとウンディーネが現れる。下着は物質なのに、身に着けていれば精霊本体と同じように変化させられるらしい。器用なものだ。

『ちょっと海水を、この樽に満たしてくれない?』

『? こうかしら』

 ウンディーネが手を振ると、海水が盛り上がり、自分から樽へと流れ込む。川の逆流どころじゃないな、知らない人が見たらビックリするぞ。

 さて、樽の中の海水から水だけを抜いて海に捨てる。樽の底の方に塩が残ったけれど、量はかなり少ない。まあ、海水の塩分濃度は三パーセントくらいだったか。少なくなって当然だな。

「マイさん、なにをされているんですか?」

「あー、みんな。ちょっと塩を味比べしてくれない?」

 海水から塩だけ取り出したものと、海水から水だけ抜いた塩を三人に味見してもらう。結果は……予想通り、三人とも海水から水を抜いた方を選んだ。

「少し苦いですけど、こっちの塩の方が美味しいですーっ」

「そうですね、味が複雑と言いますか。先に作った塩は塩辛いだけです」

『クロもこっちがいいニャー』

 やっぱりね。塩だけ取り出すと、本当に塩だけになってしまう。だけど海水から水だけ抜けば、塩だけじゃなくて海水内のミネラル分も残るはずだから美味しくなると思ったけれど正解だったか。

 こうなると海水から水だけ抜く方法一択なんだろうけど……難点は時間がかかることなんだよねえ。いくつもの樽を塩で一杯にするなんて、どれだけ時間がかかるやら。

『ウンディーネ、手伝ってくれる?』

『ん~、そうですねえ……。今夜、マイを貸し切りにしてくれるなら』

『……え゛』

 ウンディーネの熱っぽい視線に変な声が出た。貸し切りってつまり、ベッドで一緒に寝るってことだよね。いや、まあ、すぐには寝ないんだけどさ。

 精霊でイチャイチャに最初に興味を示したのもウンディーネだったけれど、本当、人間っぽくなってきたなあ。

『どうします?』

『……お願いします』

 くっ、背に腹は代えられない。

 がくりと肩を落とす私にヨナたちが不思議そうにしているけれど、説明はあとにしよう。今は塩作りだ。

「塩一杯になった樽は運んでもらえるかな?」

「お任せください」

「お手伝いしますね」

『任せるニャー』

 こうして塩作りが始まった。ウンディーネが海水を入れる端から水だけを抜いていく。なかなか大変だ。

 塩で一杯になった樽は蓋をして、三人が転がしながら倉庫に運んでくれる。そして結構な時間をかけて、数年分もの塩が倉庫に収まった。

「マイさんがいたら塩の相場が崩壊しますね」

「自分たち用ですよ」

 アンシャルさんの言葉に苦笑しながら答える。確かに、この量を市場に流したら大混乱だよね。しないけど。

「マイ様、あれはなんでしょう」

「ん? ……なにか飛んでる?」

 【マイホーム】を消して村に戻ろうとした時、ヨナが南の空になにかを見つけた。それは────。

「あれは、浮き島ですね」

「いや、確かに浮いてるけどさ」

 水平線のあたりに黒い塊が浮いていた。普通、浮き島といえば水に浮いているものだけど、あれは宙に浮いている。ラピ○タか!

「かつて吸血鬼が世界を支配していた時代、吸血鬼たちが利用していた空飛ぶ要塞だそうです」

「そんな物騒なものが!?」

「もっと大きかったそうですが、人類の存亡を懸けた戦いの中崩落し、今では中心部だけが主を失い、アテもなく空を彷徨っていると文献にありました」

 はー……。まさかそんな歴史の遺物が浮いてるとは思わなかったよ。放置しておいていいのかな?

「そもそも、専用のゲートを通らなければ行けなかったそうです。そのゲートも破壊されたそうですから、今となってはただの背景でしかありませんよ」

 問うと、アンシャルさんはそう答えた。まあ、実害がないなら飛んでいても大丈夫……かな? 墜ちてきませんように。

 さて、冬の海風で身体も冷えてきた。

「よし、それじゃあ、海の幸を食べにいきますか」

 その言葉に歓声があがった。



 私たちがいるのはペンゼル領で一番大きい漁村だ。水深が浅いので大きな船は入れず、港町にはなれなかったそうだ。それでも小さな町くらいはあるけどね。

 街道沿いにあるものの、この村の手前に小さな町、村を越えたところに休憩所があるので、魚介類の買い出しをする商人以外が立ち寄ることは少ないらしい。だからここで馬車を降りると言った時は驚かれたものだ。

 商人たちの馬車が行き交う村の中央通りを進む。季節的に干物は少ないようで、塩漬けの魚介類が店頭に並んでいる。

 塩漬けされた魚が詰まった樽を買い取った商人が、下男に指示をとばしていた。

「王都は近いが手を抜くなよ。荷崩れしないようにな!」

「旦那様、王都にも港があると聞いてますが、どうしてここで魚を?」

「王都の港は貿易用だ。海も深いし、大型船が頻繁に出入りするんだ、漁には向いてねえ。外洋に出れば話は別だが、時間と労力に見合わねえ。覚えておけ新人」

 へえ、王都には港があるのか。外国の品が見られるかな。

 だけど、そうか。王都が面する海で漁ができないとなれば、ここが賑わうわけだ。

 ふと、今朝水揚げされたばかりの、生の魚介類が並ぶ店の前でヨナが足を止めた。

「マイ様、海の魚を買ってみたいです」

「そうだね、少し買っておこうか」

 生の魚なら料理の幅もひろがるし、王都では生の魚は少ないかもしれない。加工品にしたって輸送費が上乗せされてるだろうし、ここで買うのが吉だな。

「あんたら見ない顔だね。商人にも見えないけど」

「王都に向かう途中に寄らせてもらいました」

「へえー、物好きだねえ。ここにゃ海の幸以外に見るものなんかないよ」

 さらりと地元をディスる女性店員さんに苦笑しながら、売り物の説明を受ける。時間はもう昼近い。保管していた雪で冷やされている売れ残りの魚介類について、彼女は説明してくれた。

「こいつはガラガラ。トゲが多くて危険だが、鍋にすると旨いよ。冬の時期は脂がのってて、いい出汁がでる。こっちはノテブラ。小骨が多いからすり身にして使った方が楽でいいね。で、こっちが────」

 見たことのない魚を次々と教えてくれる。地味な魚、派手な魚、珍妙な姿の甲殻類などなど。どれも地球の生物と似ていないなあ。

「おばさん、こんな魚見たことないですか?」

 あらかじめ描いておいた鰹の絵を見せる。まあ、転生してそれなりの年月が経っているから記憶があやふやだけど、特徴は描けていると思うんだけどなあ。

 絵を見たおばさんは、しばらく首を傾げていたけれど。

「……ああ、沖で釣れる魚に似てなくもないねえ。ガンブラって言うんだけど、脂っこいし、煮込むと身が崩れるからって、あまり人気じゃないけど」

 ほほう。鰹の特徴と一致するかな?

「人気じゃないってことは、捕らないんですか?」

「沖に出た船が、捨てるのもなんだからって持って帰ってくることはあるけど……最近は沖に漁に出られないから見ないね」

「なにかあったんですか?」

「なんでも沖の方にでっかい魔物が出たとかで、退治されるまでは沖に出られないのさ。早く退治してほしいねえ」

 おばさんの言葉に全員で顔を見合わせた。

 海の魔物かあ。多分、すでにハンターズギルドに依頼が行ってるだろうけど、王都に着いたら確認してみるか。

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