第203話 対峙
あれほど吹き荒れていた吹雪も、日付が変わるころにはピタリとやんだ。
それでも分厚い雲が月光を遮り、地上は闇に閉ざされていた。
そんな闇の中を駆ける人影が二つ。全身を黒い装束に包み、覆面をしているために顔はわからない。だが、ふんわりと積もった新雪をものともせず、しかも足音を殺して驚くほどの速さで闇の中を駆けていくその姿は明らかに手練れだ。
やがて人影は伯爵家の離れにたどり着く。窓の隙間から薄い鉄の板を差し込み、両の窓をつなぐ内掛鍵をまったく音を立てずに開ける。そして素早く室内に侵入して窓を閉めた。外気で客が目覚めるのを避けるために。
分厚いカーテンに閉ざされた室内は、やはり暗い。だが夜目が利くのか、侵入者二人は足音を殺して二つ並ぶベッドに忍び寄る。冷えるからだろう、客は頭まですっぽりと布団を被っている。分厚い布団のせいで布団が上下に動くのは確認はできなかったが、呼吸音は聞こえる。
侵入者は闇の中で頷き合い、腰に下げた剣を抜く。黒く塗られた刀身には、明らかにあとから塗布したと思わしき液体が付着している。状況からして何らかの毒物であることは明白だ。
侵入者はまるで打ち合わせたかのように、まったく同じタイミングで……剣を布団に突き立て、そして捻る。
手応えはあった。布と綿を裂き、肉に刃が食い込む手応えが。
「……!?」
侵入者は体を緊張させた。なにか違和感を覚えたようだった。
彼らが感じた違和感。それは、変わらず呼吸音が続いているということだった。
侵入者は剣を抜く。その刀身に血は……ついていない。
慌てて身を翻す侵入者より早く、小さな、しかし人ではない声が聞こえた。
『眠れ』
侵入者たちの意識は、そこで途切れた。
◆ ◆ ◆
伯爵の部屋のドアをノックする。夜中だというのに返事があった。
「入れ」
扉を少し開け、黒ずくめの男を入室させる。
「おお、首尾はどうだ」
伯爵の声には、なにかを期待する音色があった。
ため息をひとつ。そして、私も入室した。伯爵が驚愕したのは言うまでもない。
「き、君がどうして……」
「夜分に失礼します、伯爵様。いえ、就寝中に賊に襲われまして。ああ、こいつなんですけどね。で、捕まえて、依頼人のところに案内させたらここだったわけです」
正直、こういう展開は避けたかったんだけどさあ。
伯爵と望まぬ再会をした時。伯爵の驚きようは、娘とそっくりの人物を見たそれではなかったように感じた。どちらかといえば、まるで死人を見たような……。
あの後軽く話をしたけれど、伯爵はずっとなにかを考えているようで、セーラ嬢から「ちゃんと話を聞いてくださいな」と怒られるほどだった。そして去り際に伯爵はなにかを決意したような表情をしていた。
まさか私がセーラ嬢の身代わりにされたマイだと気づかれたのか? 容姿も名前も同じとなれば、髪と目の色の違いぐらいじゃ誤魔化せなかっただろうか……。
その時はまだ嫌な予感レベルだったのだけれど、離れに案内されてから予感が確信に変わった。だって庭に潜伏している見張りが離れをぐるりと取り囲んでくれたんだもの。気配は消してたけれど、【索敵】で丸わかりよ。
伯爵がなにか仕掛けてくる。
勘違いであってほしいと思いながら、対策をとった。
与えられた部屋は二部屋だったので、私とヨナ、アンシャルさんとクロとに分かれた。そしてクロには、寝ずの番を命じた。アンシャルさんに害が及ばないように。
ヨナは【マイホーム】に避難してもらい、倉庫から持ち出した鹿肉をベッドに置いて布団を被せた。人が寝ているように見えるように。そしてヨナに代わってマルーモに来てもらい、闇に潜伏してもらった。
何事もなく朝が迎えられることを願っていたけれど、願いは届かなかった。夜半に侵入者があって、私とヨナの布団に剣を突き立ててくれたんだもの。
影から頭だけ出してそれを見ていたけれど、正直ショックだった。私を呼び出し、身代わりにしたマイかどうか確認するならともかく、それをすっ飛ばして実力行使だもんなあ。
マルーモの魔法で眠らせた暗殺者から情報を得ようと一人起こしたけれど、奴は自分が暗殺に失敗したと知るや、舌を噛み切って自害した。死んでも情報は渡さんというプロ意識というやつか。いや、死んでほしくなんてなかったんだけどさ。
仕方ないので、もう一人は起こした瞬間に【魅了】して情報を引き出した。残念ながら、依頼主が伯爵だということを確認しただけだったけどね。
これはもう、伯爵のところに殴り込みをかけるしかなかった。
こっそり逃げるとか、何事もなく朝を迎える選択肢もあったけどさ、そうなると伯爵は私に刺客を送り込み続けることになりそうだったからね。ただでさえ行き先が魔法学園だとバレているのに。
それだけならいいけれど、私の首に懸賞金でも懸けられたらたまったもんじゃない。だから伯爵に会いにいくことにした。
ちょうど、暗殺者がいい物を持っていたので利用することにした。
【魅了】中の暗殺者を窓から伯爵のところに向かわせ、自分は影に入って後を追う。離れを取り囲んでいた者たちは、暗殺者が出てきたことで仕事が終わったと思ったらしく、各々の持ち場に戻ったようだった。
そして今、私は伯爵と対峙しているわけ。
「座っておとなしくしてなさい」
そう命令すると、暗殺者は部屋の片隅で座って沈黙した。それを見た伯爵が驚きを隠せないでいる。
それはそうだよね。秘密を守るために自害すらためらわない暗殺者が、自白した上に私の言いなりになってるなんてね。
「君は……一体……」
「ただのDランク・ハンターです。まあ、少しばかり変わったことができますけど。……それで伯爵様、お訊きしますが、どうして私に暗殺者を差し向けたのですか?」
「……そんな男は知らない」
「さきほど、首尾はどうだと尋ねられましたが」
「……」
伯爵の顔色は悪い。それでも椅子に深く腰かけ、胸を張って見返してくるあたり、こういったピンチは何度も経験してきたんだろうな。
さて、どうしたものかな。押してばかりだと逆ギレされて最悪の展開もありえそうだ。それに、【索敵】でわかるけれど、カーテンの陰と戸棚の陰に二人いる。彼らが出てくるようなことがあれば最悪の展開だ。少し引いてみるか?
「伯爵様。私は事を荒立てたいわけではありません。初対面の私に暗殺者を差し向けた理由、それを納得いくよう説明していただきたいのです」
「初対面だと? とぼけるのもいい加減にしたまえ」
「とぼける?」
「そうだっ。目と髪の色は変わっているが、君はあの時のマイだろう」
口調を荒げるわけでもなく、静かに事実を指摘する伯爵。マジか、会った時間も話した時間も短かった。どうやって見抜いたんだ?
とはいえ、はいそうです、なんて言えるはずもない。なぜ生きているのか、目と髪の色が変わったのはなぜなのか。それらを追及されたら誤魔化しきれない気がする。もし私が人間じゃないと判断されれば、最悪国にまで報告が行くかもしれない。それは勘弁。
だから……全力でとぼける!
「あの時とは……どの時でしょう」
「……貴族とはね、人脈のために実に多くの者と関わらねばならないのだよ。一度会っただけの人物の顔と名前も忘れてはいけないのだ。
幸い、私は人物記憶のスキルがある。一度会った者ならば、たとえ変装していてもわかるのだよ。だから、わかる。君は孤児院から私が引き取ると言ったマイだね?」
そんなスキルがあったのかっ。転生前に欲しかったスキルだなあ。人の顔を覚えるのが苦手で、よく上司に怒られ……いやいや、今はそれどころじゃなくて。
変装していても判別できるとか、厄介なスキルだ。でも、だからって肯定はできない。切り札のためにも他人で通すしかない。
「素晴らしいスキルをお持ちなんですね。ですが、私が伯爵様とお会いするのは今日が初めてです。どうやらスキルは発動しておられないようで」
「あくまでシラを切るつもりかね?」
「シラを切るもなにも……。先ほども言いましたが、私は
ことさら強調してやる。
伝われ。他人でいてやると伝われ! 伯爵、あなたも貴族なら腹芸くらいできるんでしょ?
沈黙が下りた。お互いに相手を睨みつけたまま、微動だにしない。先に視線をそらした方が負ける。そんな奇妙な空気があったように思う。
どれくらい沈黙していただろうか。暖炉の薪がバチンと弾けて、それを合図に伯爵が視線を落とした。
「……人違い、だと」
「はい。人違いです」
「そう、か……」
伯爵は疲れたように呟き、背もたれに体重を預ける。どうやら荒事にはならずに済みそうだ。
とはいえ、こちらは命を狙われたんだ。ただで済むと思うなよ。
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