第172話 吊るし切りと蒸し調理
店に戻ってきた。店舗の裏、下ごしらえに使う厨房の片隅を借りて、さてデプルポに挑戦しますか。まずはヌメリ取りだ。
「おう、用意しといたぜ」
「ありがとうございます。じゃあ、まずは桶に────」
「おい、フックはそのままなのか?」
「ああ、あとで使うので」
大きな桶に静かにデプルポを入れ、そこに用意してもらった酢を入れる。なみなみと。さて、どうなるかな。これでダメなら別の方法を考えないといけないんだけど。
「お、なんか白く?」
「なんだなんだ? これ、ヌメリか?」
待つことしばし。デプルポの表面に白い塊が浮き始めた。ふう、うまくいったかな。
「私の予想通りなら、酢に反応してヌメリが固まりだしたはず。この固まりを丁寧に擦り取るんだけど……タワシでいいかな」
「よし、やってみる」
ジェフがタワシを持ってきて、いざデプルポのヌメリ取りに挑戦する。加減がわからないからか、おっかなびっくり、少しずつヌメリを擦り取っていく。
「そのタワシは他のことに使わないでね。臭いが移るから」
「お、おう、わかった」
やがてすべてのヌメリを取り除かれたデプルポをフックで天井の梁から吊り下げる。臭いは……うん、気にならなくなってるな。
なんとなーく、その場の全員がデプルポに鼻を近づけて臭くないことを確認したりして。
「いやー、まさか酢でヌメリが取れるとはな」
「んで、フックで吊り下げてどうするんだ?」
「このまま捌いてみます」
私の発言にジェフたち料理人がギョッとなる。まあ、そうだろうね、吊り下げたまま魚を捌くとか普通じゃない。だけど、日本ではアンコウを吊るしたまま捌く、吊るし切りという調理法があったはずだ。やったことはないけれど、他に身を崩さない捌き方を思いつかないし、とりあえずやってみましょうか。
ジェフから包丁を借り、まずはデプルポの腹を切る。首のあたりから肛門まで、できるだけ一直線に……といきたいんだけど。
「うわっ、包丁がすぐ切れなくなる」
「身に脂が乗ってるからな。ほら、お湯」
自身も脂で苦労したんだろう、おじさんが用意してくれていたお湯で包丁の脂を流し、綺麗な布で拭いて再び包丁を入れる。そうやって腹を開き、内臓を傷つけないように抜き取る。
「内臓を潰すと、臭いが身に移るかもしれないから丁寧にね」
「なるほどな、食べたことない魚だからなあ」
抜き取った内臓は別の桶に。それをジェフたちが真剣に調べている。
「やはり内蔵も臭うな」
「肝がでかいな。臭いが気にならなければ調理してみたいが……」
「いっそ、内臓も酢に浸けるか」
「よし、やるだけやってみるか」
料理人だねえ、すぐに新しい調理方法を考え始めている。念のため内臓を【解析】したけれど、毒はなさそうだ。肝の調理は任せよう。
さて、こちらは……と。
「皮を剥ぐのは難しそうだなあ」
身が柔らかいので皮だけ剥ごうとすると身が引っ張られて崩れそうになる。包丁を入れようにも、やはり身の柔らかさが邪魔をする。むうう。
「皮つきでもいいから、まずは切り身にしようぜ」
「そうだね」
いきなり、なにもかもできるはずもない。
吊るされたデプルポの首の辺りに包丁を入れ、様子を見ながら包丁を縦に入れていく。……っとお、柔らかいから自重で腹肉がめくれていく。ちぎれないように片手でそれを支えながら適当な大きさに切り落とした。身が柔らかいから大きな塊にはできないな。
綺麗な白身だった。ただ、その中にも霜ふりのように脂が散らばっているのがわかる。クンクン……うん、脂が臭い。
包丁の脂を落としながら、残りの腹肉も切り落としていく。
「マイ、背中の肉は俺がやっていいか?」
「うん、そうだね」
吊るし切りの感覚をつかんでもらうためにも任せた方がいいだろう。他の店長さんたちも、次は俺だ、みたいな顔をしてるし。
くるりとデプルポを反転させ、ジェフは背骨に沿って包丁を入れる。そして身を骨からはがすようにしながら、手早く捌いていく。おおう、速い。吊るし切りは初めてだろうに、私がやっているのを見ただけでコツを掴んだのか。……なんか悔しいぞ。
「なんでヨナも見てるわけ?」
「私にも捌けるかな、と思いまして」
気がつくと店長さんたちに混じってヨナがジェフの包丁さばきをじっと観察していた。ちょっと目が怖いんですけど。なにか対抗心に火がついてしまったか?
そうこうしているうちに、デプルポは綺麗に身を剥がされた。残っているのは頭部と背骨、あばら骨、尻尾くらいだ。
「驚いたな、こんなに綺麗に捌けるとは」
「自重で安定するから、まな板が無くても包丁が入れやすいぜ」
「マイさんよ、あんたすげえぜ」
「マイ様、すごいです」
「マイさん、すごいですよ」
や、やめて、そんな尊敬しましたって目で見ないで。私はただ、日本で古くからある方法を試しただけだからっ。言えないけどねっ!
『ご主人様、食べていいかニャー?』
あー、わかってないクロの存在が助かる。いや、まだ身の脂をどうにかしないと食べられたものじゃないけどね。
「あとは、身の脂をなんとかしたいんだけど……」
「マイ、それについてなんだが、ひとつ試してみたいことがある」
ジェフがそう言って、窓から外に目を向けた。窓の外は白く煙っている。火事じゃない、温泉の蒸気が町のあちこちから噴き出していて、場所によっては白く染まるのだ。
「……そうか、蒸すつもりだね」
「ムス?」
あ、この国には蒸すという調理方法、なかったっけか。
◆
「はい、これはジェフの分」
「貰っちまっていいのか?」
「蒸気を利用することを考えたのはジェフでしょ。なら、受け取る権利があるよ」
数日後、私はハンターズギルドで受け取った報酬の一部をジェフに渡した。蒸すことを思いついたのはジェフだしね。
まあ、ジェフ自身も確証があったわけじゃなかったみたいだけど。ただ、火傷しそうなほど熱い蒸気なら、たとえデプルポの切り身が発火しても消火できるんじゃないかと思ったらしい。
結果から言えば、蒸すことは正解だった。身の脂が溶けて流れ落ち、しかも火の通った身は適度に硬くなって調理向きに変化したのだ。
まあ、すぐに蒸しに成功したわけじゃないけどね。蒸気の噴き出し口に近すぎると、水分が多くても見事に発火して身をボロボロにしてしまった。しかも蒸気の噴き出す量と温度は場所によってマチマチで、デプルポの切り身を置くための適切な距離と時間がわからなかった。ぶっちゃけ蒸し器を作った方が早かったのだ。
なので鍋などで簡易蒸し器を作り、デプルポの切り身を蒸すのに最適な火力と距離を調べた。
そしてハンターズギルドに話を通し、町中の料理人の前でデプルポを捌く実演を行った。火の通った切り身をどう調理するかは、各人頑張ってほしい。
ちなみに、町の入り口近くの蒸気の噴き出し口に蒸し器は設置された。客受けがいいらしい。たくましいね。
「マイさんには貰ってばかりですね。料理コンテストの賞金も、店の修理費に全部貰ってしまいましたし」
「今回はちゃんと報酬を貰ったでしょ。それに、次来た時は美味しい料理を食べさせてもらえばいいって言ったはずだよ」
「口に合えばいいのだけれど」
申し訳なさそうなエイダさんが少し不安げに笑う。実は今、マグスがデプルポを調理中なのだ。
前回、マグスを見かけなかったけれど、なんでも修行と称して王都の料理店で働いていたそうだ。その修行も終わったのか、少し前に帰ってきたらしい。
「ちなみに式はいつ挙げますか?」
「ふえっ!? え、えええ、まだそんなっ」
アンシャルさん、なんて不意討ちを。かわいそうなくらいにうろたえるエイダさんが微笑ましい。
ちなみにジェフはといえば、そんなエイダさんを苦笑しながら見ている。妹はやらんぞ! みたいな展開ではなさそうだねえ。
「まあ、マグスのことは子供のころからよく知ってるし、料理が得意な人がいいと言ったエイダのために、料理修行に行くくらいのやつだ、大丈夫さ。まあ、エイダの尻に敷かれなきゃいいが」
「な、なに言ってるのよ兄さん! そ、そんなこと言ったら、私より兄さんが先に結婚相手を見つけないといけないでしょ!」
「い、いや、店を切り盛りしてくれるような女生となるとだなあ……」
「そうだ、マイさんはどうです?」
ふぁっ!?
どうして私に矛先が向くのだ。って、こら、ジェフも真剣に悩むんじゃないっ!
「「マイさん(様)は結婚しません!」」
どう言い返そうかと思っていたら、ヨナとアンシャルさんに左右から抱きつかれた。わあ、柔らかい。
……いや、そうじゃなくて。抱きつかれるのは嬉しいけれど、どうして君たちがムキになっているのだ。
なんとも微妙な空気になってしまった。さて、どうしたものか────。
「エイダ、運ぶのを手伝ってくれ」
そこに救世主、マグスがエイダさんを呼んだ。バターのいい香りとともに。
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