第161話 ナイショの話

「……どうしてこうなってるんでしょう」

 私は今、【マイホーム】内のお風呂で湯に浸かっている。それはいい。問題は、アンシャルさんの膝の上に乗せられ、左右からヨナとクロが抱きついているという状況だ。

「まだダメですぅ」

「そうですね、まだ震えてます」

『ご主人様、まだ顔が青いニャー』

 三者三様の言葉に返す言葉もない。

 あの後、なんとか森に逃げ込んだ私たちは、ヨナの提案もあって【マイホーム】を設置した。まだ諦めていない村人に入り口が見つかる心配があったけれど、ヨナはドリアードに頼んで入り口を隠してもらった。

 【マイホーム】に逃げ込んでも私は歩けなかった。いや、むしろ思い出して震えがきた。

 怖かった。村人たちから向けられた敵意と殺意が、とても怖かった。

 そんな私を見ていられなかったヨナが入浴を提案し、三人に運ばれて脱がされ、洗われ、そして湯に浸かったというわけ。

 精霊たちが乱入してこなかっただけよしとしないと。

 安全な日本と違い、この世界の敵意と殺意は程度の差を考えなければわりと身近だ。なにせ普通に魔物がうろつく世界だ、常に敵意と殺意が隣にあった。

 孤児院があった町はユリーティア山の結界の内にあって強い魔物は出てこなかったけれど、それでも弱い魔物の襲撃が時折あって死人がでたこともある。子供だった私たちは守られていたから、明確な敵意を感じたのは町を出てから────。

「マイ様っ!?」

「……大丈夫」

 私が明確に敵意……いや、悪意を向けられたのは山賊どもだったわ。忘れかけていたのに、奴らにされたことがフラッシュバックして身体が震えた。三人を心配させてしまったな。

 もう忘れよう。大半は死んでいるし、生き残った二人も厳罰に処された。あの時のように怒りが燻っているわけでもない。今は殺したいというより顔も見たくないから。

 ………………。

 それ以降は吸血姫になってしまったので、妖狐やゴブリン、その他魔物たちに敵意と殺意を向けられてきたけれど、それほど恐ろしくはなかった。吸血姫というチート種族になったせいでもあるけれど、魔物が人間に敵意を持つのはごく当たり前だから。当たり前は怖くない。

 ああ、そうか。だから今回はこんなにも恐ろしいんだ。相手がごく普通に隣にいるような村人だったから。

 別に村人に恩を売ろうとは思っていなかった。ただ、困っているようなら力になりたいと思っただけ。ハンターへの恨みがあるならば、拒絶してくれればよかったのに、それを隠し、いきなり火あぶりという実力行使に至った村人たちの恨みと狂気が恐ろしかったんだ。


『ハンターは死ね』


 その呪詛が耳から離れなかった。



         ◆



●ヨナ


「こんな弱々しいマイ様は初めて見ます」

 隣で眠るマイ様の寝顔に思わず呟く。

 入浴で心身ともにリラックスしたマイ様を、私はすぐに寝かせることにした。リラックスした状態で寝るのが一番だと思ったから。

 予想外だったのは、心配だからとアンシャルさんも一緒にベッドに入ってきたことかな。私だけでよかったのに……。

 私とアンシャルさんに挟まれ、クロが布団のようにマイ様に乗っかっていて、「こんなんじゃ眠れないよ」とマイ様はぼやいていたけれど、意外なほどすぐに寝息をたてはじめた。

「助けようと思った村人の襲撃……ショックだったんでしょうね」

 アンシャルさんの言葉に私も頷く。

 もちろん、私もショックだった。だけど領主様に騙されて奴隷にされたり、一緒に過ごした村人たちに妖狐への生贄にされたりと、裏切られた経験があって、わりとすぐ行動することができたのだと思う。だけどマイ様は、驚くほど動揺して歩けなくなってしまったくらいだった。

「……守るべき人たちに裏切られたのは、きっと初めてなんでしょうね」

「アンシャルさんはどうなんですか?」

 アンシャルさんがマイ様の髪を撫でながら言うので、思わずマイ様を抱き寄せたら苦笑された。

 私には、わかる。アンシャルさんはマイ様を好いている。その好きがどういう類のものかまではわからないけれど、なんだかマイ様を取られそうでモヤモヤしてしまう。

「……ありますよ」

「え?」

「力及ばず助けられなかった時、亡くなった人の仲間や家族から怒り、恨み、敵意を向けられたことは。誰だって、大切な人を殺されれば、相手を恨まずにはいられないのですよ」

「でも、八つ当たりですよね」

 今回のことだって、そう。マイ様だけでなく、私たちは村人を襲った者たちとはまったく関係がない。ハンターというだけで無関係な私たちが殺されそうになるなんて完全な八つ当たりだわ。許しが出ていたら村人を後悔させてやったのにっ。

 私の言葉にアンシャルさんは「そうね」と呟き、困ったように微笑む。その落ち着き払った姿が大人を感じさせ、私がまだまだ子供だと思い知らされる感じがして悔しい。一つ上なだけのマイ様だって落ち着いているのに私は……。

「しょうがないのよ」

「しょうがない?」

「一人で恨みつらみを昇華できる人は多くないわ。その憎しみが大きければ大きいほど、自身の内に留めておくことも難しいの。憎しみをぶつける対象が見つかれば、簡単に憎しみが溢れて周りが見えなくなってしまうものなの。……あとで後悔するとわかっていても、ね」

 昔、お母さんから聞いた言葉を思い出した。


『いい? ヨナ。幸せは誰かに話すと倍になって、悩みや苦しみは誰かに話すと半分になるのよ』


「……誰か、話せる人がいたらよかったのにね」

「そうね。だけど、あの村の人全員が同じ恨みを持っていたからね」

 だから半分にできなかったんだ。それは不幸なことです。だからといって、マイ様を傷つけたことは許せないけれど。

「……ん」

 と、その時、マイ様が身じろぎした。熟睡しているクロが乗っているので動きにくそうだったけれど、もぞもぞと寝返りをうって……アンシャルさんの胸に顔をうずめる形になった。

「あああっ!」

「あら、甘えん坊さんね」

 アンシャルさんがマイ様を抱きしめる。引き剥がそうとしたけれど彼女も譲ってくれない。

「ふふっ、ヨナさんはマイさんが大好きなのね」

「当たり前です。マイ様がいなかったら、私は今ごろ生きてはいません。マイ様は私の恩人で、家族で、そして……大好きな人なんです! ……アンシャルさんはどうなんですか?」

「え、私?」

 な、なにを訊いてるんですか私は!

 よくわからないけれど、変な対抗心から口に出てしまいました。ほらあ、アンシャルさんが驚いてます。

 アンシャルさんは目をパチパチさせて、それからしばらく黙考に入った。その頬が徐々に赤く染まっていく……、ああ、やっぱり訊かなければよかったよおっ。

「……そう、ね。私もマイさんのことが好き……ですよ」

 やがて呟くように口にした言葉は予想通りでした。

「ヨナさんにも話しましたが、私は危ないところをマイさんに助けてもらいました。私より小柄なのに、まるで白馬の王子様が駆けつけてくれたようで胸がときめいたのを覚えています」

 アンシャルさんは続けます。マイ様と別れた後も、マイ様が胸の内にずっといたこと。

 いつか会いたいと願っていたこと。

 そして大司教様からマイ様を捜すよう命じられ、神に感謝したこと。

 再会して、胸が高鳴ったこと。

 反乱軍の話から、マイ様が【マイホーム】に備蓄していた肉や薬草を惜しげもなく放出したであろうことを知り、好ましく感じたこと等々。

「マイさんって、困ってる人を見捨てられない人でしょう?」

「それは……はい」

「『持てる者よ、与えよ。されば祝福を与えよう』。神々の言葉です。富める者は、その富を誰かを救うために使うことをためらってはならない。必ず神は見ていて、その善意に祝福で応えてくれるのです。ふふっ、その言葉を実践しているマイさんは、神官として、個人としても好ましいです」

 うっとりと語るアンシャルさん。ああ、失敗しちゃいました、彼女に気持ちを自覚させてしまいました。このままじゃマイ様を────。

「そんな顔しないで、マイさんを盗ったりしないわ」

「え?」

 胸の内の醜い気持ちを見抜かれてドキリとする。

 どう返答したものか迷う私の頭を、アンシャルさんは優しく撫でてくれます。

「ヨナさんの大事な人を、盗ったりしません。ですが、私が好きでいることは許してくれないかしら?」

「許すもなにも、そんな権利は私にはありません」

 人が誰かを好きになるのを止める権利なんて、きっと神様にもないはずです。

 ああ、マイ様はきっと、この先もこうやって誰かの気持ちを惹きつけてしまうんでしょうか。困った人です。

 マイ様の頬を指でプニプニとつつく。私をモヤモヤさせるからですよ、えいえい。

「ん~~……」

 眠りながらイヤイヤするマイ様。ふふっ、可愛いです。……と、そういえば。

「あの、アマス様の教えとしていいのですか? その……同性を好きになって」

 アマス様は愛と生命の神様。男女が愛し合い、子を成し、生命を繋ぐことを大切にする方だったはずです。気になって問うてみると、アンシャルさんは顔を赤くしていました。え、なぜ?

「誰かを好きになることをアマス様は否定されません。たとえそれが同性であっても。だって、好きになるのは理屈じゃないのですから。ですから……マイさんとヨナさんが夜にその……愛し合っても大丈夫ですのよ」

「は、え……ええっ!?」

「こ、この空間、壁が薄いんですよ、ええ……」

 き、聞かれてたーーーーーーーーーーっ!!

 いやああぁぁぁっ、恥ずかしいっ! 穴があったら入りたいぃっ!

 一瞬で沸騰した顔を隠すようにマイ様の背中に抱きつく。そんな私を頭を、アンシャルさんの手が困ったように撫でてくれます。

「ただ……私も人ですから、一応、その、性欲とかもありまして……ね? ですから────」

 アンシャルさんが続けるその言葉に、はい、とも。いいえ、とも私は応えられなかったです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る