第128話 生エルフですよ、生エルフ
運がいいことに夕方には雲が増え始め、月明かりを遮ってくれた。
頼りない月明かりの下、渡河のために森を抜けた人々は一様に困惑を隠せないでいた。まあ、無理もないよね、目の前にあるはずのない橋が架かっているんだから。
なにをやったかと言えば、ロカーの力を借りて巨大な土の壁を立てたのだ。普通の魔法使いでは五十メートルもある壁を作れるほどのマナを持たないけれど、私はほら、普通じゃないからさ。ははは。
もっとも、川底の土はそのままだと水に蓋をされて干渉できないので、ウンディーネにも協力してもらって一旦、水の流れを止めてもらってから川底を持ち上げて壁を作った。当たり前だけど普通に壁を作るとダムになっちゃうから、所々に穴を空けて水が流れるようにしてある。壁の幅は三メートルほどあるので馬車もギリギリ通れると思う。
「おお~っ、結構頑丈ですよ、これ」
戸惑う人々など気にするでもなく、リリロッテさんが土壁の上でピョンピョン跳びはねる。ライラックさんから静かにするよう怒られたけれど、彼女の無邪気さは人々の戸惑いを和らげてくれたように思う。
「きっと、御使い様が助けてくれたのでしょう」
ミローネ王女が都合のいい、だけど誰もが納得する言葉を口にした。実際、御使いに助けられた(と思われている)ミローネ王女の言葉は妙な説得力がある。地球と違って本当に神がいる世界なのだから、あっさりとその説は受け入れられた。
だけど言いながら、ライラックさんと一緒に私に意味ありげな笑みを向けないでほしい。確かに御使いのフリをしたのは私ですけどね、気づかれたらどうするんですかっ。
ともあれ、戸惑いが解消されれば人々は迷わなかった。一応、安全を確かめるために騎士が先導し、続いて王女様たちが乗る馬車が無事に渡り切ると、人々は迷うことなく橋を渡り始めた。
『クロ、砦の様子は?』
『大丈夫にゃー、気づいてないにゃー』
警戒のためにクロに砦を監視させておいたけれど、どうやら気づかれずに済みそうだ。
私は一番最後に橋を渡り、渡り切ると同時に土の壁を解除した。ボロボロと崩れ落ちていく土の壁は、まるで全員が渡り切るのを待っていたかのように見えたんだろう、誰ともなく天に祈りを捧げはじめて、しばらくそこから動かなかった。
とても居心地が悪いんですが……。
こうして最大の難所であるはずのナミノ砦を簡単に迂回した反乱軍は、順調に南下を続けた。
砦周辺から辺境伯領の手前までは木々も少なく草原が続いているそうだ。水場が少ないので農作物の栽培には向かないそうだけど、放牧には適しているとのことなので、この辺りは畜産が盛んであったらしい。
過去形なのは、二年前の政変から国内が乱れて放牧に危険が伴うようになったから。野盗化したハンターとか、大量発生したアンデッドとかだね。
そのため、今は野生化した家畜が少数生息しているだけのようだ。
折しも季節は夏、緑の季節。西にそびえる山脈から吹き下ろす乾いた風に揺れる草は伸び放題で、大人の膝上くらいまである。馬車の馬は餌に困らないな。逆に人間は野生化した家畜を確実に仕留めないと大変だったけど。小さな動物は草で見えないし。
大変といえば、もうひとつ。夜が意外と冷えるのだ。そのため夜露を避けるための場所を常に探さなければいけなかった。わずかな木々を探し、ロープを張って毛布や毛皮などで屋根を作るのはなかなか大変だった。夜警があるので交代しながら寝るとはいえ、数百人が夜露を凌げる場所は簡単には見つからなかった。
一瞬、森魔法で草を伸ばしてテントでも作ろうかと思ったけれど、それをやったら面倒なことにしかならないので思いとどまった。
「……右前方、アンデッドがいます」
「おい、草むらに注意しろ!」
脅威と呼べるものは肉食獣と野良アンデッドくらいなのだけど、獣のアンデッドは姿勢を低くして近寄ってくるので厄介だった。ただでさえ草が伸び放題だしね。幸いだったのは、王国軍が見当たらないことかな。発見されることなく砦を突破できると考えていなかったのかもしれない。それでも警戒しつつ、反乱軍は南を目指した。
そして砦を突破して歩くこと五日。前方に緑の壁が見えてきた。森だ。
「おお、エルフの森だ」
「協力してもらえればいいんだが」
人々の間から歓声があがる。なるほど、地平線の一部を構成するほどの、あの広大な森がエルフの支配地域なのか。
「めちゃくちゃ警戒されてますよ」
「それはそうだろうねー、丸見えだし」
私の呟きにリリロッテさんが笑って応じる。
まだ距離はあるけれど、【索敵】には森の入り口付近に集まってきている亜人の反応が、バッチリ映っている。まあ、数百人の人間が近づいてきてるんだもの、警戒しない方がおかしいよね。
「ここからは私たちと護衛だけで向かいます」
森までは軽くキロ単位で距離があるけれど、ミローネ王女がそう告げた。聞けば、エルフはその気になれば風の精霊の力を借りて一~ニキロは矢を飛ばせるらしい。マジですか。
なので、警戒させないためにも少数で接触しようということらしい。
「どうして私が……」
メンバーはミローネ王女、ライラックさん、ロッテ姉妹と護衛騎士が二人。そして、なぜだか私が選ばれた。
「マイならば、私たちが気づかないことにも気づいてくれそうですしね」
ライラックさんの言葉に、護衛騎士以外の四人がうんうんと頷く。喜んでいいのだろうか? なにか期待の方向が斜め上な気がするのは被害妄想ですかー?
今一つ腑に落ちないまま出発。森が近くなるにつれて、空気がピリピリしてくるような気がする。【索敵】でエルフの位置はわかるけれど、遠目にも姿は見えない。よほど見事なカムフラージュで木々の間に溶け込んでいるみたいだ。
【索敵】の反応からエルフはざっと五十人はいる。警告もなく射かけてくるとは思わないけれど、全員が全員、こちらに弓を向けているのかと思うと生きた心地がしないなあ。
緊張のまま歩を進める。森の入り口まであと百メートルほど……五十メートルほど……。
トスッと。軽い音とともに足元に矢が突き立った。澄んだ美声の警告がそれに続く。
「止まれ。ここから先は我らグリュンヴァルドの土地である」
グリュンヴァルド。それがこの森に住むエルフの部族名なのだと、リリロッテさんが耳打ちしてくれる。
警告を受けてなお、ミローネ王女とライラックさんは一歩前に出た。慌てて前に立とうとする護衛騎士を手で制し、二人は優雅に一礼した。
「サイサリア王国が第一王女、ミローネ・エラ・サイサリアです。お見知りおきを」
「同じく、第二王女、フリーデ・エラ・サイサリア。突然の来訪をお許しいただきたい」
「ぶしつけではありますが、ご助力をお願いしたく参りました。話だけでも聞いてはくれないでしょうか」
返答には少し時間があった。小声でなにやら相談しているようだった。
やがて話がまとまったのか、三人のエルフが姿を現した。
おおっ、生・エ・ル・フ!
輝く金髪、透き通る肌、人間よりやや尖った耳。三人とも美形だけど、中性的な外見はすぐには男女の別がつかない。背が高くて線は細い。まんま、イメージ通りのエルフだった。
三人は姿を見せたものの、私たちから十分に距離をとった場所で足を止めた。
「グリュンヴァルドの長、シュテイレだ。人間よ、我らにいかなる用か」
中央に立つエルフが静かに問うてきた。外見は若々しいけれど、エルフだから実年齢は不明だな。長というだけあって落ち着いているように見えるけれど、微妙に緊張しているように見えるのは気のせいかな?
問われてミローネ王女とライラックさんは説明を始める。
アンデッドの大量発生に簒奪者ベトレイアが関わっているであろうこと。
服従蟲によって無理矢理従わされている者が多数いること。等々。
「森の剣にして自然の守護者よ、アンデッドの大量発生はエルフとしても見過ごせないものではないかと思います。まして服従蟲などという自然の摂理に反した異形の存在は、いつエルフたちにもその牙を向けるかわかりません」
「ともに剣をとってほしい、とまでは言いません。ですが、服従蟲への対処法、森の民たるあなたがたならば存じているかと。どうかお力を貸していただきたい」
頭を下げる二人。護衛騎士たちは王族たる二人が頭を下げることを快く思っていないみたいだけど、なにも言わずに我慢しているようだ。
しばしの沈黙。やがて────。
「すまぬがお引き取り願おう」
シュテイレは拒絶の言葉を口にしたのだった。
◆
結論から言おう。エルフとの交渉は失敗に終わった。
理由はわからないけれど、とにかくシュテイレが頑なだったのだ。
人間の諍いに関与するつもりはない。
その一点張りで、まったく取りつく島がなかったのだ。
陽が暮れてきたので、グリュンヴァルドの近くで野営することは認めてくれたものの、森に侵入したら攻撃すると警告された。
「まったく、失礼なエルフたちですな。姫様があれだけ頭を下げたというのに」
「そんなに悪く言うのもではありませんよ」
怒りを隠さない護衛騎士をミローネ王女が諌める。
私たちは野営地に戻り、火を囲んで今後のことを話し合おうとしている。だけどその前に気になることを言っておかないといけないな。
「マイ、なにか気づいたことはありましたか?」
発言の許可をもらう前にライラックさんに問われた。全員の視線が集中して背中がムズ痒くなるなあ、そんなに見つめるなよ。まあ、それはそれとして。
「少しお時間をいただけますか? 確認したいことがあるんです」
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