第93話 合流、そして出発
サイサリア国内に入ると、なんだか空気が重くなったような気がする。多分に気のせいなんだろうけど、空から見た中央の方は灯りも少なく、月明かりがあるというのにそこだけ重い雲が居座っているような気がした。
右手────つまり国境の関所がある方角には険しそうな山脈が見えた。って、あそこ、位置的にサハギンが襲撃した休憩所の上流じゃなかろうか。もしかしなくても、あれが魔物が棲む山?
気にはなったけど、いつまでも空中観光してはいられない。地上に下りて鼻を使えば、すぐにライラックさんの残り香を見つけた。急ぐためにヨナを抱いたまま匂いを追って駆け出す。
お姫様抱っこされたヨナが慌てる。
「マ、マイ様、あのっ」
「喋ると舌噛むよ」
「いえ、そうではなく……着替えた方が……」
「……Oh」
そういや背中側がビリビリだったわ。
【マイホーム】を設置して素早く着替え、ライラックさんの追跡を再開する。
「わざと道を外れてませんか?」
「多分、そうだろうね」
ヨナの言う通り、わざと獣道のような場所を選んで進んでいるようだ。王女様を助けようとしているのだから、人目を避けているんだろう。
しかし、アテはあるんだろうか? いくらなんでも単身で王女様救出のために乗り込むとか思いたくない。いや、そもそも、王女様がどこに捕えられているのかも不明なはずだ。多分、どこかで情報を集めるとは思うんだけど……。
おっと?
「匂いが強くなってきました」
「うん、見つけた」
追跡することしばし、【索敵】範囲にライラックさんの反応が入ってきた。どうやら追いついたらしい。まっすぐ、どこかを目指して動いていた反応が、急に止まる。そして動かなくなる。どうやら接近に気づかれたみたいだ。
ライラックさんまで、あと百メートルほどでヨナを下ろし、徒歩に切り替える。周囲に人間の反応はないけれど、あまり大声で呼びかけない方がいいだろう。
ライラックさんの反応は動かない。多分、気配を消して隠れているんだろう。……私とヨナには通用しないんだけどさ。
しかし、どう声をかけようかな。【影渡り】を使って背後に出現し、見つけた~、なんてやったら斬られるだろうし。
「どうして驚かせるようなことを考えるんですか」
「いや、普通に声をかけるのも、つまらないなあ、と」
「面白くする必要はないですよ!?」
なんてことを話していたら、明らかにライラックさんの隠れているあたりからガサガサと音がした。ずっこけたかな?
「ライラックさん、いい歳してかくれんぼは
結局、無難な声かけになってしまった。
数秒の沈黙があって、やがて諦めたように、深くフードをかぶったライラックさんが藪の中から姿を現した。その顔には驚きと戸惑い、そして少しの喜びが同居しているように見えた。
「どうして二人がここに……」
「黙っていなくなったら捜しますよ」
「う……。で、でも、今回は完全に私の事情で────」
「大体の事情はリモさんから聞きましたよ。それを聞いた上で、追いかけてきたのは私の意思ですよ」
「わ、私もですっ」
ヨナがはいはいっと手を挙げる。うん、元気でよろしい。そして可愛い。あとでモフろう。
ライラックさんはといえば、困ったように視線を彷徨わせている。
「……巻き込みたくなかったのに」
「そうしたら、最悪のタイミングで首を突っ込んだかもしれませんけど、いいですか?」
「それは……困るわね。ああ、もうっ、わかったわ。目の届く範囲にいてくれた方が安全よね、いろいろと」
苦笑しながらだけど、どうやら同行は許されたようだ。ライラックさんは困ったように頭を掻く。
「はあ……ダメね。追いかけられて、嬉しいと思っちゃってる」
「……」
なんか、それだけ安心されると照れくさいなあ。呟きだけどバッチリ聞こえた。だけど聞えなかったフリをしておこう。
「それで、これからどうするんですか?」
王女様救出が当面の目的なんだろうけど、そのためにはとにかく情報が必要だ。その情報を得るためのアテはライラックさんにあるんだろうか。サイサリア国内のハンターズギルドとは連絡がとれないと聞くし、リトーリアに逃げていた二年でサイサリアの内情もかなり変化しているはずだ。
不安からそう尋ねると、ライラックさんは安心させるように頷いてくれた。
「情報のやり取りは、なにも魔法や早馬でなくてもできるのよ。例えば、空を飛んで、とかね」
「空? ……あ、伝書鳩」
促されて夜空を見上げると、ちょうど蝙蝠が横切った。それで伝書鳩を思い出した。確か魔の霧事件の時にハンターズギルドが飛ばしたはずだ。結果は芳しくなかったけども。
でも、そうか。伝書鳩なら国境も関係ないよね。
「二年前、私を越境させたあと、国内に潜伏した仲間がいるの。まずはそこを目指すわ」
「近いんですか?」
「近くは……ないわね」
言いながら、ライラックさんが視線を向けた先には、森の中からでも見えるほど高い山脈。空から見えた、あの山脈だ……って、まさか、あそこまで行くつもりとか?
「その、まさか」
「かなり遠いですよっ!?」
空から見ても相当な距離があった。徒歩だと何日かかるか、わからないぞ。【加速】を使う手もあるけれど、疲れることには変わりない。スピードが上がるだけ森の中を移動するのは難しくなるし、かといって街道を進めば見つかる可能性が高くなる。そうなると……。
近くの木に【マイホーム】を設置する。
「ライラックさんは中で休んでください」
「え、でも……」
「多分、私が一人で移動した方が速いです」
「えっ、ちょっ……って、なんて力なの!?」
「ヨナ、中で一緒に待っててね。ついでに、薬草の祝福とか、ロクスターの件について説明しておいて」
「はい、マイ様」
問答無用でライラックさんを【マイホーム】に押し込み、ヨナが入ったのを確認してから解除。ドアを叩く音が脳裏に響くけど華麗にスルー。
さて、それじゃあ向かいますかね。
念のため服をはだけさせて背中を露出させ、【闇の翼】を使用。それから【加速】をかけて……森の木々をかすめる高さを意識して……全力で地面を蹴った。
「ひゃあっ!?」
景色が一瞬で後ろに流れる。だけど風圧が凄すぎるぅっ。
えーと、こういう時は……そうだ、風の精霊を探そう。一度着地し、風の精霊を探す……よし、いた。
『
目の前に円錐状の空気の壁を創るイメージを送りながら呼びかける。何度か呼びかけて、ようやくそれらしき魔法が発動したようだ。
よし、もう一回。
「おお、これは凄い」
再び地面を蹴ると、今度は猛風にさらされることもなく低い軌道で空を飛べる。景色が凄まじいスピードで後方に流れていく。もし、誰かが夜空を見上げたとして、私を見かけても正しく認識できないんじゃないかな。それくらいのスピードだ。その気になれば音速を狙えるんじゃないかと思うけれど、爆音を放って飛んだら目立ちすぎるわ。
そのスピードを維持したまま時折羽ばたき、低い高度で山脈を目指す。【索敵】に人の反応があれば念のため進路を変えるけれど、基本的には最短距離で飛んでいく。……そして夜明け前。
「着きました」
「……嘘でしょ?」
【マイホーム】から出てきたライラックさんは、目の前にそびえる山脈を呆然と見上げていた。
いきなり麓まで行くと見つかった時が面倒だから、人も魔物もいない場所を見つけて下りたので、まだしばらく歩かないといけないだろうけど、時間は大幅に短縮できたはずだ。
ギギギ、とぎこちなく、ライラックさんは私に視線を向ける。
「マイちゃん……なにをしたの?」
「秘密です♪」
バチーンと大げさにウインクして見せるとライラックさんにため息をつかれたけれど、なにも言われなかった。神からもらった能力の一つを使ったと思ったんだろう。まあ、くれたのは吸血姫の真祖らしいんだけどね。
その後、簡単に朝食をすませると、ライラックさんは服を着替えた。いつもの男性用の服と胸甲ではなく、女性用の戦闘を意識したドレスに、女性用の胸甲だ。ただ、そのドレスは美しい刺繍がされていたし、胸甲にもエングレービングが施されていて、明らかに高級品だ。髪を下ろして自然に流し、マントを羽織ったけれど、マントの素材も上質なものだった。
ヨナがその装備に目を輝かせていた。
「ふわあ、綺麗ですぅ」
「ありがとう。……さて、二人にひとつお願いがあるの」
「なんでしょう?」
「これから仲間に会いに行くわけだけど……ちょっと芝居をするから、それに合わせてほしいの」
その言葉にヨナを顔を見合わせる。仲間と再会するのに芝居が必要なんだろうか?
でも、まあ、ライラックさんがそう言うなら従おう。
「わかりました、合せますね」
「ありがとう。それじゃあ、行きましょう」
ライラックさんに先導される形で私たちは進み始める。時々立ち止まり、方角と位置を確認しながら、朝陽に照らし出され始めた森の中を行く。一時間ほど歩いた時だろうか。
「ライラックさん」
「うん、わかってる」
【索敵】に反応があった。ライラックさんが気づいてから少しして、こちらに気づいたのか引き返していく人間の反応。その方向に進んでいくと、おおう、人数が増えた。半包囲態勢でこちらを待ち構えていた。
気づいているはずなのに、ライラックさんは迷うことなく歩を進める。すると、風切り音とともに一本の矢がライラックさんのすぐ近くの木に突き立った。
「止まれ。次は当てる」
聞こえてきたのは女性の声。ライラックさんはフードを下ろすと、矢が飛来した方角を見つめる。
「……その声はリリロッテね。腕は衰えていないようで嬉しいわ」
一瞬、静寂が場を支配した。しかし次の瞬間、ガサガサ、バサバサと盛大に藪を掻き分ける音とともに一人が急接近。そして青い髪の女性がライラックさんの前に飛び出してきた。ズザザザアッと飛び出した勢いそのままに跪き、その姿勢のままライラックさんの目前に滑り込んで深々を頭を下げた。
「お、お帰りなさいませ、フリーデ様! 再びお会いできてこのリリロッテ、感涙にむせび泣きそうですぅっ!」
顔を上げたリリロッテと呼ばれた女性は、まだあどけなさが残る可愛らしい顔をしていた……と思う。というのも、だばあ~っと涙と鼻水を流していて、せっかくの美人が台無しになっていたからだ。
濃い人が出てきたなあ。
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